○14
彼が私に名付けてくれたルーナという名前。
名付けてくれたことや、月からとったという理由を聞いて、堪えきれないほど感情が揺れた。
つい最近ソルから気を許しすぎるなと忠告されたばかりなのに、簡単に心が揺さぶられてしまった。
彼が私のことを考えてくれたのだと思うと、嬉しかった。
「ふぅん。あいつ、結構いい線いってるな。俺も今後はルーナって呼ぶ」
「ね。びっくりしちゃった」
「おい『びっくりしちゃった』じゃないぞ。気を許すなって忠告したのに。とっくに手遅れなんじゃないか」
「そんなこと、ない。……大丈夫よ、まだ」
「はぁ……。俺はもう泣くところを見たくないぞ」
「…………」
机の引き出しを開け、使い込まれて艶々になった木の棒を取り出す。
目の高さに持ち上げて、先端に淡い光を灯す。
気を集中させても光が大きくなることがない。
それは私の力が弱くなっている証拠。
「光が弱くなっているな」
「うん。もう空気中に感じる力が弱くなっているからね」
私はその昔、この国では聖女様と呼ばれ、人神として崇められていた。
この国では永く聖女や精霊を信仰してきた。
大地や空気中に漂う魔力や精霊を信じ奉る心が、聖女としての力を与える。
その力でこの国を護ってきた。
今では魔女と呼ばれているけど……。
国王からの定期連絡も聖女としての仕事の一環。
聖女は、魔物の力を抑えたり不浄の地を浄化するのが仕事。
しかし昨今、この国には異教も増えて、私はどんどん聖女としての力が弱くなっている。
聖女信仰の人々が減るのと比例して魔物の数も減っていった。
だから、弱くなった私の力でも対応できている。
だけど、このまま聖女としての力を失ってしまったら、どうなってしまうのかと不安がある。
ただの人に戻れるのか、それとも……。
「……力がなくなっても私は死ねないのよね。きっと」
「呪いが解かれない限り無理じゃないか?」
「そうね……。ねぇ、ソル」
「ん?」
膝の上のソルが、顔を見上げてくるのでそっと背を撫でる。
落ち着かない気持ちを誤魔化すように、何度もふわふわの毛を撫でた。
一度は目を閉じて撫でられるのを堪能していたソルが不思議そうに見上げてくる。
「どうしたんだよ」
「もしも、体が動かせなくなって、声も出せなくなって、私、ただそこにいるだけのものになったらどうしよう。そうなってもきっと死ねないのに」
「俺がいるだろ」
「ソルぅ!ありがとう!……ごめんね」
「謝るな」
「でも、私のせいでソルまで巻き込まれて死ねなくなるなんて……」
「そのお陰でルーナとずっと一緒に生きていけるし、こうして言葉を交わせるようになった」
「ふふっ。初めて話しかけられたときは本当にびっくりした。百年くらい経ったときかな?朝起きたらいきなり尻尾が二つに分かれているし」
「それな。進化みたいで結構気に入ってる。普通に鳴いたつもりが名前を呼べたときは俺も驚いたけど。ルーナの驚いた顔は傑作だった。忘れられない」
「だって、長い間一人と一匹で静かに暮らしていて、家の中には猫のソルしかいないはずなのよ?いきなり背後から名前を呼ばれたら怖いに決まっているじゃない」
「ははは。そうだな。なぁ、さっきの話だが、俺はお前の側を離れない。ただそこにあるだけになっても、俺は側にいる。言葉が通じないころからずっと側にいたんだ。何も問題ない。俺はお前を置いて行ったりしない」
「っ……ソル……っ……」
「泣くなよ」
◇
この日、久しぶりに昔の夢を見た。
聖女として人神ではあったものの、私の命に限りがあったころの夢。
『ディアーナ』
私の名前を呼ぶ柔らかく耳に響く声に振り向くと、優しく微笑む彼がいた。
私が彼に駆け寄ると、一輪の野花を差し出してくれる。
『ありがとう。きれい』
『君のほうがきれいだよ、ディアーナ』
控えめに頭を撫でながら、そう言われて私は頬を染める。
視線を下げると彼の手が頬を撫でた。
それに合わせて視線を上げたが、彼と目が合うことはなかった。
彼は私に背を向け、私を庇うように立っていた。
『どうし……ッ!?』
彼の肩越しに先を見ると、黒いローブを纏った髪の長い女性がこちらに杖を向けている。
そして、その女性は彼に向けて魔法を放つ。
私は『やめて!!』と叫んで彼の前に――――
「ッ!!はっ……はぁ……はぁ……」
目が覚めると汗をびっしょりとかいていた。
「はぁ……。気持ち悪い……」