008 サンライズ
「集まれ、精霊たち」
精霊……?
目を開くと、金色の光が見えた。
エルだ。
目を閉じたエルが、深呼吸をして。手のひらを上に向けて、何かを抱えるように軽く腕を上げて止まった。
何をしてるんだろう?
横に居たエイダが窓を開く。
あれ?
今、空気が変わったよね。
外の空気が入って来ただけじゃない。この部屋の空気が変化した。魔力が渦巻いて満ち溢れてる。魔力の濃度が高まってるような……。
邪魔しないように静かに起き上がる。
これ、城の空気に似てるよね。プレザーブ城は女王の魔力で満ち溢れた城だ。
エルは、女王と同じことをしてるの?
エルが目を開く。
「エル、おはよう」
エルがこちらを見て微笑んだ。
「おはよう」
「今のって、何?」
「魔力の集中」
魔力の集中……?
初めて知った。
魔力を集中すると、普通の人間でも、こんな空気が作り出せるんだ。
「毎朝してるの?」
「だいたい毎朝やってるよ。朝の方が空気も澄んでて集めやすいし。ほら、今日も良い天気だぜ」
良い天気?
窓に駆け寄って、外を見る。
わぁ……。
「街が、黄金に輝いてる」
なんて、きれいなんだろう。
初めて見る。
こんなに綺麗な朝陽。
壁ではなく、遠く山から昇る太陽。
「支度を整えたら朝食を食べに行こう。それが終わったら、すぐに買い物に出かける。今の内に、荷物は整えておけよ」
「えっ?待って。えっと……」
たぶん、そんなに散らかしてないから大丈夫……?
「イリス、リリーの荷物は足りてるんだよな?」
『これだけあれば大丈夫じゃない?最初に準備した分よりも充実してると思うよ』
「最初に準備した分って?」
『あの鞄の倍ぐらいの量は用意してたんだよ。なのに、リリーが荷物を減らしちゃうから』
「減らし過ぎだ」
「だって、荷物が多いと動きにくくなっちゃうし……」
『でも、薬の準備はもともとなかったからね。助かったよ』
「旅をするなら、傷薬は必需品だろ」
『リリーって、あんまり怪我しないからさ』
「剣士なんだろ?」
『あれでも、城の中では最強なんだよ』
「最強?」
『城内の剣術大会で優勝してるからね』
「優勝?……すごいな」
褒められちゃった……?
「えっ?」
ちょっと待って。
「どうして、イリスとエルが話せるの?」
普通に会話してたよね?
「特殊な契約だからだよ」
『ボクがリリーを守る契約だから、ボクは自分の意思で魔法使いの素質を持った相手に話しかけることが出来るんだよ』
「じゃあ、イリスの姿も……」
「見えない」
『見えるわけないだろ』
「……はい」
違うらしい。
こんなに仲良さそうにしてるのに、本当に、見えてないのかな。
えっと、荷物は……。
大丈夫かな。
今日の着替えも出しておこう。
「リリー。身分証は持ってるんだよな?」
「持ってるよ」
昨日、ソニアから貰ったから。
そういえば、まだ中身をちゃんと見てなかったんだ。
身分証を広げる。
「えっ?」
何?これ。
どういうこと?
「リリーシア・イリス?」
エルにも私の身分証に書いてあるものが見えたらしい。
名前は、リリーシア・イリス。
身分は、上級市民。
性別は女性。誕生日も合ってる。
出身は、グラシアル女王国の王都・ライラ。ライラは、城と城下街を含めた地名だから間違ってない。
けど。
「ちがう……」
名前と身分が違う。
上級市民って、何?
『当たり前だろ。女王の娘なんて、あちこちで言うわけにはいかないんだから』
だからって、嘘の身分証を使うなんて聞いてない。
どうしよう。
これじゃ、私が私であることを証明できない。
「あの……。私の本当の名前、信じてくれる?」
私が言ったこと。
エルに伝えたこと……。
「リリーシア・イリス・フェ・ブランシュ」
「……はい」
「これが、俺の知ってるリリーの名前だ。そうだろ?」
信じてくれた。
「ありがとう。エル」
エルが信じてくれるなら、それで良い。
この先、名前を名乗る時は身分証の通りにしよう。
「シャワーを浴びに行ってくる。戻るまでには支度を終わらせておけよ」
「わかった」
エルが荷物を持って行ってしまった。
『これ、発行日が昨日だね』
本当だ。
……そっか。
「成人用の身分証だから、昨日じゃなきゃ発行出来なかったんだ」
だって、出発の日は私の成人の誕生日。
ポアソンの十九日。
未成年と成人の身分証は違う。
未成年の身分証で旅をするなら、保護者や保護者代理の同伴が必要だ。自由に旅を出来るのは成人した大人だけ。
『ソニアはリリーの為に、朝から頑張ってくれたんだね』
ありがとう、ソニア。
『ほら、署名欄にサインしないと』
「うん」
ソニアも言ってたっけ。
これを書かないと身分証として機能しない。ペンを出して、名前を書く。
Liryshia Iris
これが、私の外での名前だ。
※
朝御飯も美味しかった。
一般的な宿は朝食と夕食を提供してくれるものらしい。朝と夜は宿泊者向けで、昼は一般向けに開放したレストランになっていることが多いんだとか。
女将さんにお礼を言って、エルと一緒に宿を出る。
まずは、買い物だ。
「サイズも合ってるな。じゃあ、これで良いか?」
「はい」
昨日もブーツを買ってもらったのに、また靴を買うらしい。
登山靴と言って、昨日のブーツより重たい靴だ。
「あんたは、自前の靴で良いんじゃないか?そんだけ重い登山靴なら平気だ」
「ん」
エルも昨日と違う靴を履いている。
登山靴も旅の必需品の一つなのかな。
こういう靴は初めてだ。靴裏に滑り止めが付いていて、足首までしっかり固定する重たい靴。でも、鎧のブーツより軽いし、慣れたら歩きやすいかも。
『リリー。どこ行くの?』
「山登りする前に、履き慣らしておこうと思って」
『一緒に行きます』
「ありがとう、エイダ」
『リリー。あんまり精霊の名前は呼ばない方が良いよ』
「ごめん」
気を付けよう。
精霊は名前を大切にする。
自分から名前を教えた人以外には、名前は知られたくないはずだ。
『で?どこに行くのさ』
そんなに遠くに行かない方が良いよね。
「あ、良い匂い」
どこからだろう。
あっちの方かな?
「パン屋さんだ」
ガラスのショーウインドウ越しに色んなパンが並んでる。
美味しそう。
それに、可愛い形のパンもある。
パンやお菓子を作るのは好きだった。
でも、外じゃ出来ないよね。
「リリー」
「エル」
あれ?
怒ってる?
「勝手に店を出るな」
「……はい」
駄目だったらしい。
エルがため息を吐いて、お店を見る。
「ランチ用のパンを買っていくか」
「うん」
店中にパンの良い匂いが漂ってる。
「ほら、選んで」
「うん」
エルからトングを貰う。エルが持ってるトレイに乗せていけば良いのかな。
どれにしよう。
まずは、メロンパン。エルは何が好きかな。確か、甘いのは食べないって言ってたよね。なら、胡桃とレザンのパンは好きかも。あぁ、マフィンも良い。ほかには……。
「そこにあるビスケットも乗せて」
「ビスケット?」
「これも旅の必需品。保存食なんだよ」
「そうなんだ」
山で遭難した時用?
「あっちは見なくて良いのか?」
あっち?
エルが指した方は……。
「わぁ。可愛い」
お店の外からも見えていたデニッシュのコーナーだ。
悩むけど、やっぱりこれかな。
ハートの形の苺ジャムのデニッシュを乗せると、エルが笑った。
「やっぱり、それか」
「どうして、わかったの?」
「わかりやすいから」
わかりやすい……?
「後は良いのか?」
「うん。大丈夫。でも、こんなに食べられるかな?いつも、パンは皆で分けてたから」
「皆?」
「私の姉妹。皆で、好きなものを半分こにしたりして食べてたんだ」
懐かしいな。イーシャ、アリシア、ポリーが出発して、私の番になって。
イーシャが帰らなかったから、今は一番最後のメルだけが城に残ってる。
「エルは食べたいものある?」
「じゃあ、そこのライ麦パンを乗せて」
「わかった」
シンプルなパンが好きなのかな。
「会計してくる。店の中で待ってろよ」
「……はい」
エルが会計をしに行く。
レモネードも買うみたいだ。
「商人ギルドって、どの街にもあるのかな」
金貨を崩さなきゃ何も買えない。
『ポルトぺスタなら、あるんじゃない?』
グラシアル大街道沿いにあるグラシアルで一番大きな商業都市。
行きたいな。
戻って来たエルが私の頭を撫でる。
どうして?
『大人しく待ってただけで褒められるの?』
「ちゃんと待ってたの、これが初めてだろ」
「えっ?」
『あー。確かに』
むぅ。
そんなこと……。ないよね?
エルと一緒にお店を出て歩く。
次はどこに行くのかな。
あ……。
もしかして、ここが城下街の出口?
「思い残すことはないか?」
「え?」
「これから王都を出るんだ。修行に出たら、しばらく帰れないんだろ?」
プレザーブ城を見上げる。
私が生まれてから今まで過ごしたお城。
女王が支配する城。
もう、ここに帰って来ることはない。
さよなら、ソニア。
さよなら、メル。
さよなら……。みんな。
振り返って、エルを見る。
「大丈夫」
もう、お別れは済んだ。
「なら、行くか」
あの門をくぐれば、外の世界だ。