006 赤い光
目を開く。
薄暗い。
ここ、どこだっけ……?
赤い輝きが見える。
あ……。
そうだ。
私は今日、この人に会ったんだ。
椅子に座って頬杖をついて、窓辺のテーブルに向かって本を読んでいる金髪の魔法使い。
あれ?眼鏡なんてかけてたっけ?
でも、眼鏡も似合う。
睫毛、長いな。
綺麗な横顔。
視線が文字を追って動いているのが見える。
濃い紅の瞳。
もう一度、ちゃんと見られるかな。
ずっと見つめていたらどうなるんだろう。
頬杖を付いていた手が動いて、指を差した先のランプに火が灯った。
炎の魔法って便利。
そういえば、名前を聞いたんだ。
「エル」
「ん?」
エルが、こちらを見る。
あっ。
エルって呼んで良かったかな。
「あの、えっと。名前……」
「エルロック・クラニス。……エルで良いよ」
宿帳で見たスペルを思い出す。
Elroch Clanis
エル。
素敵な名前。
起き上がって、エルの正面に向き直る。
「眼鏡、かけてたっけ?」
「本を読む時だけ」
そう言って、エルが眼鏡を外してしまった。
アリシアも本を読む時にはかけてたっけ。
「腹減っただろ?夕飯を食べに行くぞ」
「うん」
もうそんな時間なんだ。
急いで、ブーツを履く。
「その恰好で来る気じゃないだろうな」
「え?」
その恰好って……。
あっ。
「あ、うん。大丈夫。ちゃんと着替えてから行く」
このままじゃ外には出られない。
『私が付いていましょうか』
「頼む」
『わかりました』
エルから赤い光が離れる。
え……?
『はじめまして、かしら。私はエイダ。エルと契約している精霊よ』
「あなたが……?」
『そうよ』
人間と同じ大きさの姿をした精霊だ。
なんて強い光を放つ精霊なんだろう。
それに、とっても綺麗。
もしかして、私が今まで見ていた輝きはエイダだったの?
じゃあ、エルは?
「エルは、本当は金色なの?」
「金色?」
エイダの居ないエルの光は、赤じゃない。
「あのね。私、今まであなたの色は赤だと思ってたの」
「赤?」
「魔法使いの光。でも、赤い色って、エイダだったみたい」
エルの本当の色は、金色。
黄金の輝きだったんだ。
「でも私、今まで、赤も金も見たことがなくって……」
急に、くしゃみが出た。
『そんな恰好してるから』
だって……。
『挨拶は?』
「あっ。はじめまして、エイダ。リリーシアです。よろしくお願いします」
エイダに向かって頭を下げる。
挨拶が遅れちゃった。
精霊が名前を教えてくれるのは、信頼の証だ。私も信頼に応えなきゃいけない。
『ふふふ。よろしくね』
エイダが微笑む。
「鍵は置いていくから、ちゃんと着替えて来いよ」
「はい」
エルがテーブルの上に鍵を置いて、紅茶セットを持つ。
「エイダ、イリス、頼んだぞ」
『はい』
『了解』
そして、そのまま部屋から出て行った。
……行っちゃった。
「ごめんなさい。あなたは、エルと契約している精霊なのに」
『良いのよ。鍵、かけておきますね』
エイダが部屋の鍵をかけている。
今は顕現してる?
顕現しないと物を動かすことはできないはずだよね。
『早く着替えなよ』
着替えよう。
今、私が着てるのは部屋着としても使える厚手で丈の長めなキャミソールとタイトパンツ。私は上着とワンピースを脱いで、そのまま寝ちゃったらしい。
ベッドの上に置きっぱなしの服を着る。
『調子はどう?』
「大丈夫」
良く寝たから、すっきりしてる。
『リリーは魔力切れを起こしたんだよ』
「魔力切れ?」
『魔力が枯渇すること。ボクが顕現して魔力を奪ったせいで、リリーは倒れたんだ』
やっぱり、あの時、私はイリスに魔力を持って行かれたんだ。
城ではイリスが顕現しても平気だったのに。
『リリーに命の危険でもない限り、今のボクは何も出来ない』
イリスが落ち込むなんて。
「大丈夫だよ。なんとかなる」
『暢気なんだから』
「だって、すぐに起きれたよ」
『日が暮れるまで寝てたじゃないか』
イリスは心配症だ。
「大丈夫だよ。教育係も上手く撒けたし」
『どうかな』
明日には城下街を出られるはずだ。
『教育係って、どういうこと?』
あっ。
エルの精霊が居ること、忘れてた。
「あの……。エルには言わないで」
『私にはエルを守る役目があるの。エルに危険が及ぶことなら、伝えなければならないわ』
どうしよう。
エルには関係ないことだと思うけど……。
「危険がないって判断出来たら、話さないでいてくれる?」
『今、その判断をすることは出来ないわ。先に話してもらわないと』
『リリー、話すの?』
うーん。
大丈夫だよね?
「教育係っていうのは、外に出た女王の娘の旅のサポートをする人なんだ」
『サポート?もしかして、あなたが言っていた城の人間って……』
『どっちかって言うと味方の立場だよね』
「私にとっては味方じゃないよ」
『あら。違うの?』
「私、教育係と一緒に旅をしたくないの」
『それなら、教育係から逃げたいとエルに言えば良いのでしょう』
そうなんだけど。
言って、聞いてくれるかな。
教育係と旅しろって言われたらどうしよう。
私はエルと旅をしたい。
『ボクらは教育係が誰か知らないんだ。ばれないように密かに近付いて来るってことしか』
『どういうこと?』
「えっと……。教育係のこと、私たちは何も聞いてなくて。先に旅に出た姉が教えてくれたことなの。他人のふりをして近付いてくるから気をつけろって。姉は、絡まれたところを助けてもらって仲間になったって言ってたよ」
『それって、最初にエルに助けを求めたあなたと同じね』
『そう。まさに、って感じだったよ』
荷物の中から櫛を出す。髪を結ぼう。
「ソニアが教育係の名前がテオドールだって調べてくれたけど……」
『名前だけじゃどうしようもないよね。偽名を使うかもしれないし』
女王の娘の居住区は男子禁制だったから、男の魔法使いなんて検討もつかない。
『つまり、あなたたちが逃げている相手は、城の人間で間違いはないのね』
「うん」
『そうだね』
『エルに助けを求めたのは、エルが城の関係者じゃないと考えたから?』
「そう。さっきも話したけど、私、エイダみたいな赤い光は見たこと無かったから、絶対に城の人間じゃないって思って。あの……。エルは城の関係者じゃないんだよね?」
『関係ないわ。私が保証する』
良かった。
精霊は嘘を吐かない。精霊が言うなら、絶対に大丈夫だ。
できた。髪も結び終わった。
『っていうか、そっちこそ、ボクらの話を信じてくれるの?』
『信じるわ。嘘を吐いているようには見えないもの』
「ありがとう。エイダ」
そういえば……。
「精霊同士って、契約に関係なくお喋り出来るんだよね?」
『当たり前だろ』
精霊同士に垣根はない。いくらでも視認できるしお喋りも出来る。
「じゃあ、イリスと私のお喋りもエイダには聞こえていたの?」
『いいえ。他人のお喋りなんて意識して聞かなければ聞こえないものよ。それは、人間も同じでしょう』
確かに、そうかも。
『それに、あなたの肩の小鳥が精霊だとは思っていなかったわ』
『悪かったな。精霊に見えなくて』
喋ってなかったら普通の小鳥に見える……。かな?
「イリスって、私の中に入れるの?」
『当たり前だろ。契約してるんだから。魔力を利用し合える関係なら入れるんだよ』
そっか。
私たちは魔力で繋がってる。
『入って欲しいの?』
「え?……見えるところに居て欲しいかな?」
見えないなんて寂しいから。
『そうだね。しばらくは今までのやり方にするよ』
ずっとじゃないの?
『そろそろ行きましょうか』
「うん」
『鍵をかけるのを忘れずにね』
「はい」
※
部屋を出て、しっかり鍵をかける。
階段を降りると、一階のレストランでエルが誰かと座っているのが見えた。
「誰かな」
あの人も魔法使いの光を持ってる。
城の人間じゃないよね……?
同じような光を持ってる人がたくさん居るから、わからない。
『情報屋のポールと名乗っていましたね。ここに来た時に、エルが本探しを頼んだんです』
情報屋って、なんだろう。
本探しってことは、依頼を受けて探し物をする人?
「お嬢ちゃん」
「はい?」
女将さんに呼ばれた。
「このラガーを彼のテーブルに持ってってくれるかい?」
「わかりました」
白い泡が乗った変わった匂いの飲み物を受け取る。
「すまないね。すぐに食事を持って行くから」
女将さん、忙しそう。
陶器のコップに入ったラガーを持って、エルの方に行く。
「エル」
「リリー」
エルが顔を上げる。
「これ、置いても良い?」
「あぁ」
エルのコップにはまだラガーが入っているけど、情報屋さんのは空っぽだ。これは、情報屋さんに渡せば良いのかな?
テーブルにラガーを置くと、急に情報屋さんに手を掴まれた。
えっ……。
「なんて可憐なお嬢さんなんだ。俺はポール。情報屋だ。見晴らしの良いカフェを知ってるんだぜ。是非、今度……、いてっ」
ようやく解放されて、エルの後ろに逃げる。
手を掴むのって、城の外ではこんなに日常的なことなの……?
「何、口説いてるんだ」
「なんだよ。デートに誘うぐらい良いだろ?」
「俺の連れに手を出すな」
「連れだって?」
「ポール。またうちの客に手を出したのかい」
女将さん。
あ、良い匂い。
「この子、客だったのか」
これが今日の夕飯?
「手伝ってくれてありがとうね。さ、座りな」
「はい」
女将さんが引いてくれた椅子に座る。
美味しそう。
「いただきます」
「いただきます」
この魚は、グラシアル近海で獲れた巨大魚だよね。
身が厚くて食べ応えがある。甘辛い味付けも、すごく美味しい。
海は、天候や魚の生息域等によって外海と内海に分かれる。内海は波が穏やかで安定した海で、外海は天候の急変が多く荒れた危険な海だ。グラシアルは、ちょっと沖に出るとすぐに外海に入るから、外海にしか居ない巨大魚が多く獲れる。
もちろん小さな魚も獲れるし、サルモの養殖が一番有名みたいだけど。
海。
遠くの海も見たいし、船にも乗ってみたいな。
「お嬢さん、お名前は?」
「えっ?私?」
「そうそう」
「私の名前は、リリーシア・イリス……」
『こら』
「むぐっ」
言いかけたところで、口に何かが突っ込まれた。
『何、名乗ってるんだよ』
甘辛く味付けられた魚。
もしかして、食べ物で口をふさがれた?
「こんな得体の知れない奴に名乗らなくて良い」
「得体の知れない、はないだろー?ちゃんと職業も言ったじゃないか」
職業……。
「情報屋って、魔法使いの職業の一種?」
魔法を使って物を探すとか?
そんな魔法があるのかわからないけど。
「いや、俺は魔法なんて使えないから、情報屋なんてけちな商売やってるんだよ」
『リリー。ちょっと黙ってなよ』
外では、魔法使いであることを隠している人が多いんだっけ。
けちな商売ってどういう意味だろう。
「ポール。変な情報吹き込むなよ」
「どういう意味だよ」
「冒険者の仕事だ」
「ふーん。あんた、冒険者だったのか」
え?
エルって、冒険者なの?
「女将さん!もう一杯くれ」
ポールさんが空になったコップを女将さんに見せている。
さっきの泡の付いた飲み物、もう飲み終わったんだ。
エルは、ゆっくり飲んでるよね。
「エル」
「ん?」
「私も、エルが飲んでるの飲んで良い?」
ラガーだっけ。
ポールさんがテーブルに身を乗り出す。
「ここに来たならクアシスワインがおすすめだぜ。俺が奢ってやろうか?」
「ワイン?」
「駄目だ」
「なんだよ。良いだろ?」
「駄目だ」
駄目なの?
『ワインってお酒だろ?リリーは飲んだことないだろ』
まだ、ないけど。
「ワインぐらい知ってるよ。……ロマーノとか」
ワインは大陸の東にあるラングリオン王国のものが有名で、ロマーノはラングリオン産の良いワインだって、ソニアが言っていた。
「種類は?」
「種類?」
「ロマーノにも種類があるんだ」
「ロマーノ・ガラとかさ」
ガラ?
そんな名前だったっけ?
もっと長い名前だったような……。
「覚えてる特徴は?」
「えっと……。冬至祭で見たのは、綺麗なピンク色だったよ」
大人になったら飲みたいなって思っていた綺麗な色のお酒。
「ロマーノ・ベリル・ロゼだ」
そう。そんな名前だった。
成人したから、私もお酒を飲めるんだ。
『リリー。こんなところでお酒を飲もうなんて考えないでよ』
わかってる。
酒は飲んでも飲まれるな。だよね?
『絶対、わかってないだろ』
違うの?
「冬至祭って?冬至にやる祭りか?」
冬至祭は……。
あれ?もしかして、これって城の中だけのお祭りだった?
「知らないのか?冬至にやる太陽の復活を祝う祭りだ」
「へぇ。そんな祭りがあるのか」
「うん。一年で一番大切なお祭りだよ」
良かった。
ポールさんも知ってるってことは、城の外でも行われてるんだよね。
冬至祭は一年で一番賑わうお祭りだ。ワインをはじめとして、太陽の女神にたくさんの捧げ物をする。街も広場も飾り付けをして、ちょっと夜更かしもして、皆で楽しむお祭りだ。
あ、女将さんだ。
「ほら。あんまり飲みすぎるんじゃないよ」
「わかってるって」
女将さんが新しいラガーを置いて、空のコップを持って行った。
ポールさんはエルの近くに行って何か話してる。
「大街道に抜けるルートを教えてやろうか」
大街道……?
グラシアル大街道のこと?
「ルートも何も。南に行く道なんて、フリオ街道しかないだろ」
フリオ街道は、城下街からグラシアル大街道に繋がる道だ。
城下街を出て、フリオ街道沿いに真っ直ぐ南に進むと、フォノー砦がある。フォノー砦はフォノー河に架かる橋を管理している砦の街だ。
女王を守る最後の砦とも言われているけれど、グラシアルの歴史の中で、あの砦まで辿り着いた軍は一つもない。
エルとポールさんは、声を潜めて何か話してる。
長引きそうだ。
食べ終わったら部屋に戻ってよう。
※
夕食を終えて、女将さんから紅茶を貰って部屋に戻る。
エルはまだポールさんと話してるけど、エイダが一緒に付いてきてくれた
鍵は……。
かけない方が良いよね。
エルも夕飯は食べ終わってたし、ポールさんとの話が終わったら、すぐに戻ってくるはずだ。
「情報屋って、どんな仕事か知ってる?」
『情報を売る仕事ですよ。通常では出回らないような情報や、秘密の情報を教えてくれるんです。他にも、調査を頼んだり、探し物を頼んだりしますね』
さっき、ポールさんはエルが本探しを頼んだ人だって言ってたっけ。
「探偵みたいな仕事ってこと?」
『探偵、ですか?』
エイダは知らないのかな。
「事件が起きた時に、情報や証拠を集めて解決する人のこと」
『それは物語の話だろ?』
「だって……」
推理小説や探偵物語は、そういうストーリーが基本だ。
『それだと、エルが普段やっている冒険者の仕事に近い気がしますね』
冒険者。
冒険者ギルドに所属して、大陸中を旅しながら、色んな依頼を受けて仕事をする人だ。
「エルは冒険者なの?」
『えぇ。冒険者の仕事もしていますよ。旅の途中で路銀を稼ぐのに適していますからね』
ポリーも言ってたっけ。
外で旅するなら冒険者になるのが鉄板だって。
『でも、依頼に対して、自分の足ですべての情報を集めるわけじゃありません。その土地の情勢などは情報屋から買っていますよ』
「そうなんだ」
確かに、私が読んでる物語でも、主人公に詳しい情報をくれる登場人物が出てきてたよね。探し物を手伝ってくれたりとか。
あ、砂時計が落ちてる。飲み頃になったティーポットの紅茶をカップに注ぐ。
美味しい。紅茶を飲むと、ほっとする。
……エル、まだかな。
「荷物の整理でもしようかな」
『そうだね』
ベッドの上に荷物を並べる。
『たくさん買ってもらったね』
「うん」
本当にたくさん。
「私、金貨一枚で返せるかな?」
『返せますよ。金貨一枚の価値は、ルークに換算すると、およそ五十万ルークです』
「えっ?五十万?」
『金貨一枚は銀貨五十枚。銀貨一枚は銅貨二十枚。銅貨一枚は蓮貨十枚でしょう?』
「うん」
『エルは、グラシアルに着いてから銀貨十枚を十万ルークほどに両替していましたから』
銀貨一枚で一万ルークぐらいなんだ。
『じゃあ、リリーは、二百ルークの買い物に五十万出したってこと?』
『そうなりますね』
だって。
知らなかったんだもん。