064 花の栞
キャロルと一緒にランチのパンを買って、家に帰る。
パン屋さんでは、バゲットとリエットを二種類買った。リエットとは食材をペースト状にしたもので、これを使って、サンドイッチを作る予定だ。
それから甘いパンをいくつか。もちろん、メロンパンも。
楽しみだな。
「おかえり」
「ただいま、ルイス」
「ただいま。エル、まだ起きてないの?」
「起きて出かけちゃったよ」
「え?」
「もう。本当に、じっとしていられないんだから」
「昼には帰るって言ってたよ」
「もう、お昼じゃない」
『本当に、いつも家に居ないんだね』
どこ行ったのかな。エル。
※
台所に行って、買ったものを片付けて、お昼のサンドイッチ作りを始める。
サンドイッチ用の野菜を千切っていると、キャロルがバゲットに切り込みを入れた。
「ラングリオンでは、そうやって作るの?」
「そうよ。これに、バターをたっぷり塗って……。グラシアルは違うの?」
「グラシアルでは、薄切りにしたパンに食材を挟むんだ。バゲットの場合は、薄切りにしてオープンサンドにしてるかな」
「タルティーヌね。それも作りましょうか」
「うん」
『キャロルって、包丁使い慣れてるよね』
私より、すごく上手だ。
キャロルが薄く切ってくれたバゲットに、サルモのリエットを塗って野菜を飾っていると、台所にルイスが入ってきた。
「お店は閉めて来たよ。何か手伝う?」
「大丈夫よ」
「あのさ。今日、エルの帰りが早かったら、一緒に勉強したいんだ。店番、頼める?」
「午後の店番?」
「そう」
「うーん」
切れ込みを入れたバゲットに丁寧にバターを塗りながら、キャロルが私を見る。
「リリー、チーズタルトは明日でも良い?」
「うん。良いよ」
「ごめんね。エルが帰って来なかったら代わるから」
「そうね。お茶の時間までに帰らなかったら交代しましょう」
「わかった。ありがとう。キャロル、リリーシア。研究室に行ってるね」
ルイスが台所を出る。
「ごめんなさいね」
「大丈夫だよ」
『エルって、いつ居るか分かんないもんね』
時間がある時じゃないと、ルイスも一緒に勉強できない。
「あ。時間があったら、栞作りを手伝って貰って良い?」
「栞?」
「昨日、花を貰って……」
「エルから?」
「うん」
「素敵ね」
「それで、貰った花を押し花にしたの。薔薇の花びらとか材料を色々貰ったから、一緒に栞を作りたいなって」
「それぐらいなら、店番しながらでも出来るわ。一緒に作りましょう」
「ありがとう」
キャロルが、バゲットにハムとチーズを挟む。
「美味しそう」
「ふふふ。おまけでもらったチーズ、このハムにすごく合うの。リリーのおかげで得しちゃった」
楽しみだ。
遠くから、扉のベルを鳴らす音が聞こえる。
「エル、帰ってきたのかしら」
「見てくる」
急いで手を洗って、お店に行く。
「おかえりなさい、エル」
「ただいま」
扉の鍵をかけていたエルが振り返る。
「そういえば、まだ、リリーに鍵を渡してなかったな」
「今朝、ルイスから貰ったよ」
「そうか」
あれ?何か、変。
エルの方に行く。
いつもより光が少ない。
どうして?今朝は、そんなことなかったよね?
「あの……。何か、あった?」
「何かって?」
『魔力が減ってるって言いたいんでしょぉ?』
いつも、もっと強い輝きなのに。
もしかして、ほっぺにキスするだけでも奪ってしまったとか?
『私がエルの魔力を使っちゃったのよ』
「どういうこと?」
『雪を見たいって言う子が居て。エルの魔力で、雪を降らせて来たの』
『えっ。自然現象を起こして来たってこと?』
『そうよ』
ナターシャが、エルの魔力を使って雪を降らせてあげたんだ。
『リリー。今日は、絶対にエルから魔力を奪うなよ』
奪いたいなんて思ってない。けど……。
エルが私の頬に触れる。
「だめだよ?」
されないように気をつけなきゃ。
でも、エルって、これでも普通の人ぐらいの魔力はあるんだよね。
エルが私の頬にキスをする。
「他の所なら良いんだろ?」
良いって言ったけど。言ったけど。
……もう。すぐ、笑うんだから。
そうだ。
「キャロルとサンドイッチを作ったんだ。みんなで食べよう?」
二人も待ってるはずだ。
「メロンパンは買えたのか?」
「うん」
楽しみ。
※
午後は、キャロルと一緒に店番をしながら栞作り。
エルとルイスは研究室で勉強中だ。
「マリーって、薔薇が好きなのかな」
たくさんもらった薔薇の花びらを、マリーに教わったことを思い出しながら重ねていく。
「そうね。マリーと言えば薔薇よ。王都の麗しの薔薇の君だったかしら」
「そんな二つ名があるの?」
「吟遊詩人も歌にするぐらい有名よ」
「すごいね」
流石、マリーだ。華やかな雰囲気が、とても似合う。
マリーと同じ感じで、フラーダリーは百合の名で呼ばれてたのかな。
「後、花の名で有名なのはアレクシス様かしら」
「アレクシス様?」
『リリー。ラングリオンのアレクシスと言えば、誰だかわかるよね?』
「あっ。……皇太子殿下?」
大陸の有名人の名前は、全員、教わってる。
「そうよ。菫は、アレクシス様の花なの」
「菫?皇太子殿下なのに、そんな素朴な花なの?」
「瞳の色が特別なのよ。片方が碧眼で、もう片方が菫色なの」
「え?」
ちょっと、待って。
左右の瞳の色が違う人って。
「もしかして、会ったの?」
―おかえり。エル。
―ただいま、アレク。
桜を見に行った時に、お城に居た人。
「会ったかも……」
どうして、気づかなかったんだろう。
あの横顔は、ルイスから貰った記念硬貨と同じだ。
『ボクは気づいてたけどね』
「どうして教えてくれなかったの?」
キャロルが、くすくす笑う。
『エルがアレクって呼んでただろ』
それだけで?
「私も最初は、びっくりしちゃったけど。養成所の頃から親しいんですって」
「養成所?」
「養成所って、貴族や王族が行くところでしょう?エルって、本当に貴族の知り合いが多いのよ」
「そっか」
……本当に?
エルとアレクシス様って、フラーダリーを通じて知り合いだったんじゃないかな。
でも、フラーダリーのことは、ルイスとキャロルには話してないんだっけ……。
―それどころか、アレクシス様はエルに剣花の紋章をお渡しになった。
フラーダリーの形見をエルに渡した人。
―あれは、王家の証。
―紋章を持ってる人物には、誰も手出しは出来ない。
―エルが、国の保護下にあるという証なのよ。
どうして、王族ではないエルに渡したのかな。
桜の庭で見た二人を思い出す。
あの時は、二人の会話に付いて行くのが精一杯で気づかなかったけど。アレクシス様は、エルが最も心を許してる人な気がする。何となくだけど、今まで見た人の中で、一番、距離が近い感じがする。マリーよりもエルのことに詳しいのかもしれない。
話ができないかな。そう簡単に会える人じゃないけど……。
あ。
「アレクシス様も、お店に来たりするの?」
「えっ?アレクシス様が?」
『王族が、ふらふら歩いてるわけないだろ』
だって……。
「来たことはないと思うけれど……。でも、お忍びで出歩いてるって噂は聞くわ。こっそり城を抜け出してるって」
『えっ?』
「そうなの?」
「武勇伝がたくさんある方なの。ラングリオンの騎士の憧れって言われてるわ。本当に麗しくて素敵な方よ」
武勇に優れた人なんだ。
流石、騎士の国の王子様。
※
夜。
サイドテーブルのランプを灯して、ベッドの上でマリーから借りたトリオット物語の第四巻を読む。
すれ違いの物語。愛し合う二人が、いつか出会うことを夢見て旅を続ける。
出会えるのかな。本当に。
お互いを探していることを知った二人は、今、お互いの足跡を辿る旅を続けている。想い人が、どこを旅して、どこを目指すのか。
なんだか、今の私に似てるかも。
私は、エルのことを……。エルの足跡を知りたいと思ってる。クロライーナで生まれて、精霊戦争に巻き込まれて、生き残って。ラングリオンに来て、愛する人と出会って、失った。そして、今もそのことが尾を引いてる。
エルは、どうして、ここまで色んなものを失わなければいけないの?事実を繋ぎ合わせて見えてくるのは、悲しいことだけ。エルがもう、何も失わないようにするには、どうしたら良いんだろう。
やっぱり、私が傍に居たら……。
扉が開く音がして、エルが部屋に入って来た。
「おかえりなさい」
「ただいま」
隣に来たエルが私の髪を撫でる。
エルの指は気持ち良い。
「何、読んでたんだ?」
「トリオット物語」
「あぁ、マリーに借りたのか」
「うん」
今日は、ここまでにしよう。
栞を本に挟む。
「その栞……」
紫のフリージア。
「エルから貰ったお花……。とっておきたくて。マリーとキャロルに手伝って貰って、押し花の栞にしたの」
綺麗な仕上がりになって良かった。
大事にしよう。
「灯り、消して良い?」
「あぁ」
本を置いて明かりを消すと、エルに抱きしめられた。
「エル?」
「愛してるよ。リリー」
毎日、こんな愛の告白をされ続けたら、私……。
エルが私の口に指で触れる。
「だめ?」
「今日は、だめだよ」
耐えられないかもしれない。
離れたエルが私の隣で横になる。
エルは私の気持ちを優先してくれる。……どうするのが一番良いんだろう。私は、どうしたら良いんだろう。
「リリー。剣の稽古に付き合ってくれないか?」
「えっ?……剣の稽古?」
急に、どうして?
エルって魔法使いじゃ……。
あれ?でも、物置に剣があったよね?
「エル、剣を使えるの?」
「養成所で勉強してたんだ。実戦経験は、ほとんどないよ」
養成所って、剣術も教えるんだ。
「もしかして、二刀流?」
「……なんで?」
「物置から、片手剣とレイピアが出てきたから。どっちもエルのなんだよね?」
タイプの違う剣だった。
扱いやすそうな片手剣はどんな剣技にも生かせそうだったけど、細身のレイピアは特殊な技術が要求される。
「片手剣は、養成所の初等部で必修だったんだ。中等部からは好きな武器を選べるから、レイピアにした」
「使えるのは、それだけ?」
「短剣も教わったよ」
レイピアと短剣。そういえば、そんな剣技もあったっけ。でも。
「私、どれも教えられないよ?」
「片手剣で相手してくれるだけで良いよ。俺はレイピアを使うから」
「片手剣だって、得意じゃないよ」
「それでも良いよ」
リュヌリアン以外の武器なんて、しばらく触ってない。大丈夫かな。
「明日は暇?」
「明日は、午後からキャロルとやりたいことがあるから……。午前中なら大丈夫」
「わかった」
材料は揃ってるよね。ランチの後から始めたら、おやつの時間までに焼けるかな?
「キャロルと何をやるんだ?」
「えっと……。秘密?」
エルには内緒。
「危ないことじゃないだろうな」
「大丈夫だよ」
すぐ、心配するんだから。
体を起こしたエルが、私の頬を撫でて私を見る。
「だめ?」
そんなにまっすぐに見つめられたら。
「明日、早起きしてくれる?」
「リリーが起こしてくれたら」
目を閉じると、唇に触れた。
あなたが好きなの……。




