062 月の入り
『すっごい豪邸だね』
「うん」
端なんて見えないぐらい長い塀で囲まれた、信じられないぐらい大きなお屋敷。王都の内側に、これだけの敷地を持つ屋敷があるなんて。
「おかえりなさいませ。マリアンヌ様」
「ただいま。遅くなってごめんなさい。門を閉めて良いわ」
「かしこまりました」
この門番は、マリーの帰りを待っていたらしい。
門から屋敷まで続く玄関アプローチも、すごく長い。
「帰ったら、一緒にお風呂に入りましょう」
「良いの?こんなに夜遅くなのに」
「少し冷えるもの。温まってから、ゆっくり休みましょう」
冷えるかな?でも、マリーに比べたら私は厚着かもしれない。
屋敷に着くと、タイミング良く扉が開いて女の人が出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ。マリアンヌ様」
「ただいま、ロジーヌ。……リリー、家の家政婦のロジーヌよ」
「ロジーヌでございます」
ロジーヌさんが私に向かって丁寧に頭を下げる。
「はじめまして。リリーシアです」
「リリーシア様ですね。ようこそ、お越し下さいました」
ロジーヌさんが微笑んで、屋敷の中に招いてくれた。
明るい屋内では、メイドさんが三人も待機している。それに、外より暖かい。
「マリアンヌ様。お風呂に致しましょうか?」
「えぇ。真っ直ぐ行くわ」
「かしこまりました。リリーシア様、上着をお預かり致します」
「はい」
「そちらの花は、いかが致しましょうか」
「リリー、預かっても良い?」
「え?」
「お風呂に持っていくわけにはいかないもの」
「でも……」
エルからもらった花だから、持っていたい。それに、フローラからもらったスズランだってある。
『心配なら、私が見ててあげるわ』
「そうね。ロジーヌ。大切な花なの。私の部屋に丁寧に運んでくれる?」
「かしこまりました。花瓶の用意を」
「はい」
ロジーヌさんが白い手袋を身に着けながら出した指示に、メイドさんの一人が返事をしてすぐに動く。
「リリーシア様。私が責任を持ってお預かりいたします。任せて頂いてもよろしいでしょうか」
私の花の為に、そこまでしてくれるなんて。
「はい。お願いします」
ロジーヌさんの白い手袋の上に、フリージアを置く。それから、スズランも。
「承りました。確実にマリアンヌ様のお部屋にお届け致します」
「よろしくお願いします」
「じゃあ、行きましょうか」
『いってらっしゃい。マリー、リリー』
ナインシェも見ててくれるの?
「良いの?離れて」
「えぇ。ここは、私の家だもの」
気を使わせてしまった。
後で、ナインシェにもお礼を言おう。
マリーと一緒に廊下を歩いていると、少し離れて別のメイドさんが付いてきた。
『マリーって、本当にすごいお嬢様なんだね』
※
「あぁ、気持ち良い……。このまま寝ちゃいそうだわ」
浴槽に沈みかけたマリーを抱き起こす。
「マリー、溺れちゃうよ」
「溺れたら助けてね、リリー」
どうしよう。酔いが回ってるのかな?
ナインシェが居ない間は、マリーは私が守らなきゃ。
「もう出ようか?」
「ふふふ。大丈夫よ」
マリーが浴槽の縁に腕を乗せる。
「心配しないで」
微笑みながら、マリーが私の唇に指を当てる。
「さっき、エルとキスしてたでしょう」
見られちゃった。
「返事はしてあげたの?」
首を振る。
「どうしてか、聞いても良い?」
少しなら話しても大丈夫だよね。
「私、三年後にグラシアルに帰らなくちゃいけないの」
「そうなの?家の決まり?」
「うん」
決まりには違いない。
「それがなかったら、エルに返事をしてあげられるってこと?」
「え?」
それがなかったら?
もし、帰還する必要がなかったら。外で自由にして良いなら……。
「私……」
―決して、誓いを忘れるな。
……怖い。
「もしかして、婚約者が居るの?」
「居ないよ」
「なら、エルを連れて帰れば良いじゃない」
「えっ?」
城に連れて帰るなんて。
「そんなの、駄目だよ」
「どうして?」
「帰ったら、もう二度とラングリオンには来れない。ルイスとキャロルだって居るのに」
「そうなの?じゃあ、やっぱり、ラングリオンで駆け落ちするのが一番なのかしら」
「駆け落ち?」
「違うの?エルは、そのつもりでリリーを連れて来たんだと思うわ」
「駆け落ちなんて、そんな……」
一緒に暮らそうって言われたけど。
「プロポーズもされてるじゃない」
「されてなんか……」
マリーが私の手のひらを指す。
あれって、本当にそういう意味だったのかな。
「私、何も言われてないよ」
「指輪も貰ったのよね?」
「指輪?」
「それ。エルが、いつも付けてた指輪でしょう」
エイダの精霊玉のこと?
「これは、その内、返すって約束で……」
「リリーって、鈍感なの?」
だって。指輪をくれた時も、一緒に暮らそうって言われた時も、それ以外のことは何も言ってくれなかったから。エルにとって、こういうのは何でもないことなんだって思ってたのに……。
―エルが女の人を連れて来るなんて初めてだったから、絶対そうだと思ったのに。
普段はそんなことしない人だって、ここに来て初めて知ったから。
『リリー。のぼせないでよ』
だって。ずっと、知らなかったんだもん。誰にでもするわけじゃないんだって。私だから、してくれた……?
「ふふふ。可愛い」
マリーが、くすくす笑う。
「エルが、こんなに誰かに執着してるのを見るのは初めてよ」
「執着?」
「フラーダリーとだって、人前で手を繋いだりなんかしなかったわ」
「そうなの?」
「無口な子だったって言ったでしょう。学生の頃からずっと、人と関わるのが苦手そうだったわ。六年も付き合っていればましになったけれど」
人と関わるのが苦手?
「でも、エルって、困ってる人を放っておけない人だよね?」
「そうね。不器用だけど、誰かを見捨てたりはしない。根は優しいのよ。少し危な過ぎるけれど」
「危ない?」
「自分の命を軽く見過ぎてるところがあるでしょう」
ようやく腑に落ちた。
エルが、酷いことを言われたりされたりしても全然気にしないのは、自分を大切にしていないからだ。
「昼間の話、覚えてる?エルが勝手に国境ラインを約束させて揉めたって話」
「うん」
「あの時、エルは陛下に、自分を処刑しても構わないって言ったそうよ」
「えっ……」
「エルはフラーダリーに代わって、魔法部隊隊長代理の立場……。というより、ラングリオン代表のような振る舞いで、戦争終結と国境和解案について記した書簡をセルメアに送ったのよ。陛下の意向も聞かずに。前代未聞ね。規律違反どころか反逆罪よ」
『エルは、最初から覚悟してたってこと?』
覚悟と言うより、望んでいたんだと思う。
「でも、国王陛下は許してくれたんだよね?」
「そうよ。エルの案に乗ってくださり、無事にセルメアと和解なさった。……そして、アレクシス様はエルに剣花の紋章をお渡しになったのよ」
「剣花の紋章……」
『アレクシスって……』
エルが肌身離さず持ってる紋章。
フラーダリーの形見だ。
「あれは、王家の証。紋章を持ってる人物には誰も手出しは出来ない。エルが国の保護下にあるという証なのよ」
「そんなにすごいものだったの?」
「えぇ。元々、王族として迎えられなかったフラーダリーを守る為にお渡しになっていたものだから」
それをエルが貰うことになったんだ。
「皆、エルが心配なのよ。このままふらふら消えて居なくなっちゃうんじゃないかって。エルは、フラーダリーの死を自分の責任だと感じてるみたいだから」
「エルは関係ないのに?」
「そうよ。フラーダリーが戦死したのは、まぎれもない事実。レティシアからも詳しく聞いたわ。……誰も助けられなかったの」
エルはフラーダリーが亡くなった場所に居なかった。
「じゃあ、どうして?」
「もう、何も失いたくないのかもしれないわ」
何も?
『エルは、クロライーナの生き残りだっけ』
「小さい頃に家族を失ってるから?」
マリーが頷く。
エルは、子供の頃に一度、すべてを失っている。家族も、生まれ育った故郷も。
そして、ラングリオンに来て婚約者まで失ってしまった。
「無理してルイスとキャロルを養子に引き取った癖に、二人を置いて旅に出るのも、そのせいかもしれないわ」
失うのが怖いから?
エルのせいじゃないのに?
「でも、リリーは違う」
「え?」
「リリーは、そこまで人と関わることを避け続けて来たエルが、離したくないって思った特別な相手なのよ」
「私……」
どうしよう。
どうすれば良いんだろう。
今まで勘違いしちゃだめだって思ってたけど。そんなことはなかった。エルはいつも、真っ直ぐ私を見てくれていたんだ。
「ねぇ、マリー。もし、エルが、もう一度、大切な人を失うようなことになったら、どうするのかな」
「させないんじゃないかしら」
「させない?」
「きっと、失わない為に、どんなことでもすると思うわ。あれでも養成所きっての天才なのよ。破天荒に見えて、どんな難題でも必ず答えを見つけて来た。だからきっと、リリーが抱えてる問題も解決してくれるわよ」
「でも、私の問題なのに……」
「リリーだけの問題じゃないわ」
「え?」
「好きな人が困ってるのよ。それに、このままだと離れ離れになるかもしれない。放っておけるわけないでしょう」
―必ず、自由にする。
エルは、ずっと、そうだった。
「きっと、難しい事情があるのね。でも、私が助けられることだったら、いつでも相談してね」
「ありがとう、マリー」
何も聞かないでいてくれて。
私が、どんな存在でも優しくしてくれて。
「そろそろ出ましょうか」
「うん」
※
花の香りが漂うとても広い部屋。
ここがマリーの部屋なんだ。
『天井から花が吊るされてるね』
本当だ。薔薇の花かな。
ナインシェが私たちの方に飛んで来る。
『おかえりなさい。リリーの花は、ロジーヌが、ちゃんと届けてくれたわ』
「ずっと見守ってくれてありがとう。ナインシェ」
『どういたしまして。マリー、のぼせてない?』
「大丈夫よ」
フリージアとスズランは、可愛いテーブルの上に飾られている。
「かなり萎れてしまったわね。押し花にでもしましょうか?」
そっか。加工しておけば、長く大切に持っていられるんだ。
「うん」
「なら、良い本があるわ」
マリーが本棚から、ものすごく分厚い本を出す。
『すごい大きさだね』
重そうな本のページを開くと、押し花が出て来た。
『前に作っていた押し花ね』
たくさんの赤い花びらや小さな花の押し花。
『ぺしゃんこだね』
「これは?」
「薔薇よ」
「全部?」
「そう。すっかり忘れてたわ」
マリーって、薔薇が好きなのかな。
「ちょっと待っててね」
押し花を本から取り出した後、マリーが引き出しから出した紙を本の上に置く。
「吸水性が高い紙なの。これを使えば、明日の朝までには押し花になってるはずよ」
「そんなに早く出来るの?」
「その予定よ。ここに置いてくれる?」
「うん」
花瓶からフリージアとスズランを取って、本の上に置く。
えっと……。花弁は、こんな感じで置いたら良いかな?
「良いわね」
更に紙を置いて本を閉じると、重量のある音が部屋に響いた。
『押し花専用の本なんだね』
これなら、明日には押し花になってそう。
『マリー。こっちの花は、どうするの?』
「前に、栞にしようと思って作っていたものね。花弁を重ねたら綺麗な薔薇に仕上がるわ」
「どんな風に?」
「やってみる?」
「うん」
ノックがあって、ロジーヌさんとメイドさんが入ってきた。
「紅茶をお持ちいたしました」
「ありがとう。そっちのテーブルに置いて貰える?」
「かしこまりました」
「あの、ロジーヌさん。花を預かってもらって、ありがとうございました」
ロジーヌさんが上品に微笑む。
「ご満足いただけたようで光栄です。お召し物は、こちらに御用意致しました」
メイドさんがハンガーラックに服をかけて、箱を並べている。
「外にメイドが控えておりますので、何かございましたら何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます」
ロジーヌさんたちが部屋を出る。
「せっかくだから、お茶を飲みながらやりましょうか」
「うん」
切った色紙の上にニスを塗って、マリーに教わりながら花びらを重ねていくと、薔薇の形になっていく。
素敵。こうやって薔薇を復元するんだ。
乾いたら上から更にニスでコーティングして完成だ。でも、それは明日にしようって話している。
「フリージアも栞に出来るかな」
「もちろんよ。押し花なら何でも出来るわ」
なら、やってみよう。
「そうだ。本を貸す約束だったわね」
立ち上がったマリーが本棚から本を取って来る。
「トリオット物語の最新刊よ」
「わぁ……。ありがとう、マリー」
読むのが楽しみだ。
紅茶を飲みながら、マリーが小さく欠伸をする。
「久しぶりに夜更かししちゃったわ……。明日、仕事になるかしら」
「ごめんね、こんな時間まで付き合わせちゃって」
マリーが柔らかく微笑む。
「良いのよ。リリーと居ると楽しいもの。エルと喧嘩したら、いつでも私の家に泊まりに来てね」
「えっ」
喧嘩なんて、するかな?
マリーが私の頬をつつく。
「リリーって、可愛いわ」
「え?」
マリーが楽しそうに笑う。
「マリーの方が、ずっと可愛いよ」
「ありがとう。そういうところも可愛いわ」
※
―リリー。
夢の中で呼ばれた気がして、目が覚める。
『どうしたの?』
部屋はとても静かで、暗くて、マリーも眠っている。
「目が覚めちゃったみたい」
『もう一眠りしたら?』
『もうすぐ夜明けだけど、まだ人間は眠ってる時間よ』
夜明け?
ベッドから出て、窓の方に行く。
小さくカーテンを開くと、白み始めている空が見えた。
「暁」
月が沈む直前で、太陽が昇る前のわずかな時間。暁は、月と太陽が手を繋ぐ時間と言われている。沈んでいく月が、新しい太陽を引っ張り上げるのだ。その逆が、黄昏。黄昏では太陽が月を引き上げる。
蛙のお姫様が王子様にキスして貰ったのも、これぐらいの時間なんだろうな。
エル。
今すぐ、会いたい。
もう、城に帰還するなんて無理。
たった一晩、離れただけで、こんなことを考えてしまうなんて。
でも、傍に居られるのは三年。
……本当に?
もし、呪いが解けたなら。
もし、誓約を破ることが出来たなら。
もし、女王に逆らうことが出来たなら。
私は自由になれる……?




