055 ふわふわ
夕食を終えて、後片付けを手伝った後、シャワー室へ。
一日中、変な日だった。
何が起こったのかわからなくて。
どれが本当のことだったのか、わからなくなりそう。
桜、すごく綺麗だった。
―好きな人と見る花なんだ。
マリーが言っていたエルの大切な人。
その人とも一緒に見たのかな。
一緒に見に行くの、私で良かったのかな。
『何、ぐだぐだ悩んでるのさ』
「イリス?居るの?」
『今日はずっとリリーの中に居るって言っただろ』
普通の魔法使いって、ずっと、こんな感じなのかな。
「もう出てきてくれないの?」
『まさか、こんな熱い場所で出て来いって言ってる?』
「言わないけど。熱くないの?」
『リリーの中に居ると、案外平気だよ』
「そうなんだ」
『ってわけだから、しばらくは、こうしてるよ』
「まだ続くの?」
『当たり前だろ。魔法使いが精霊を見えなくても、契約してる精霊は精霊が見えるんだ。ボクが外に出てるだけで、リリーが氷の精霊を連れてるってことは、ばればれなんだからね』
「だめなの?」
『ラングリオンで、氷の精霊を見た?』
「見てないけど……」
『だったら、目立たないようにした方が良いだろ』
そうなのかな。
でも、やっぱりちょっと寂しい。
※
シャワー室から出ると、甘い匂いが漂ってきた。
「あ。リリー」
台所には、エルとキャロルが居る。
「何か作ってたの?」
「えぇ。お菓子を作ってたのよ」
「お菓子?」
エルがオーブンを開ける。そして、仕上がりをチェックした後、オーブンから取り出した鉄板をテーブルの上に置いた。
これは。
「プリン?」
「そうよ。材料を混ぜて焼くだけなの」
オーブンで作ったんだ。
エルが、取り出したココット皿をテーブルに並べていく。
「このまま食べても良いよ」
「え?冷やさずに食べるの?」
「あぁ。冷やしても美味いだろうけど、出来立ても美味いよ」
「ふふふ。楽しみ。ルイスを呼んでくるわね」
じゃあ、私はスプーンを用意しよう。
食器棚から出したスプーンをテーブルに並べていると、ナターシャが来た。
『ねぇ、聞いてよ。リリー』
「どうしたの?」
『エルったら、私のこと、全然、呼び出してくれないのよ』
「え?」
「今日は、ナターシャの力を借りる作業が無かったからな」
『酷いわ。私が居なくても寂しくないって言うの?』
ナターシャがエルに向かって怒ってる。
レストランで別れてから、ずっと外に居たらしい。
「ナターシャ。王都は楽しい?」
『えぇ。楽しいわ。綺麗なものがたくさんあるんだもの』
「じゃあ、私より詳しいんだね」
『そうね。リリーのことも案内できるかもしれないわ』
「すごいね。きっと、エルはナターシャが楽しんでるのを邪魔したくないんだと思うよ」
『そうなの?』
ナターシャがエルを見る。
「色んな所に連れて行って欲しいんだろ?でも、俺はしばらく王都から動かないつもりだし、一日中、家に居るよりは、出かけた方がましだろ」
『そうだけど……』
「ナターシャが一人で自由に出かけられるのは今だけかもしれない」
『どういうこと?』
「ラングリオンの夏は暑いんだ。雪の精霊にとってきつい時期は、俺から離れられない可能性がある」
『そうねぇ』
『そうだな』
『色々、考えてくれてるのね』
イリスにもきつい時期になるのかな?
「それに、寝る前には呼ぶよ」
『本当に?忘れない?』
「忘れないよ。寝る時は、必ず俺の傍に居て」
『えぇ。もちろんよ』
良かった。仲直りできたみたいだ。
「お茶、淹れるね」
「ん」
まずは、薬缶に水を……。
「リリー。口開けて」
「え?……あ」
口の中に入って来たプリンが、とろける。
「ふわふわで、良い香り。出来立ても、こんなに美味しいんだね」
あったかいプリンなんて、初めて。素朴ですごく美味しい。
「あっ。水……」
溢れそうになった水を慌てて止める。
「シャワーを浴びてくる」
「え?食べないの?」
「俺は良い。甘さが足りなかったら、ミエルをかけて」
『食べないのに作ったの?』
「あぁ。全部、皆で食べて良いよ」
エルが部屋から出て行く。
甘いものが好きじゃないのは知ってたけど……。
薬缶を火にかけると、ルイスとキャロルが台所に入って来た。
「あれ?エルは?」
「シャワーに行っちゃった」
「逃げたのね」
「そうだね」
逃げた?
「エルは甘いものが苦手だからね」
「それは、知ってるけど……。自分で作ったものも駄目なの?」
ルイスとキャロルが顔を見合わせる。
「僕は、エルが甘いもの食べてるところは見たことないよ」
「私も」
『本当に食べないんだね』
……無理に食べさせて、ごめんなさい。
「でも、それってカミーユのせいなのよ」
「どういうこと?」
「昔、エルに甘いものが苦手になる薬を飲ませたって言ってたわ」
『何、それ……』
そんな薬、ある?
「あ。甘さが足りなかったらミエルを入れてって言ってたの。ミエルって、何のことかわかる?」
「これよ」
キャロルが見せてくれた瓶は……。
「蜂蜜?」
「そっか。グラシアルとは呼び方が違うんだね」
「私も、たまに知らない言葉があるわ。細かい言葉って、地域によって違うものね」
ミエル。そういえば、聞いたことがあったかもしれない。
「他にも違う言葉はある?」
「えっと……。黒茶とか?」
「黒茶?」
「コーヒーをそう呼ぶの」
「面白いわね」
「そういえば、エルって、帰って来てから、ずっと紅茶だよね」
「普段は、コーヒーばっかりなのに。そんなに気に入ったのかしら」
「コーヒーって、どんな味なの?」
「え?飲んだことないの?」
「うん。私が居たところは、飲む人が居なかったから」
「そうなんだ。じゃあ、明日の朝はコーヒーにしようか」
「良いわね。でも、どれが良いかしら」
「豆の匂いだけでも嗅いでみる?」
ルイスが出してくれた袋を覗く。
「これが、コーヒー豆?」
「そうだよ。色んな種類があるんだ」
紅茶みたいに、たくさん種類がある。
「好きな香りはあった?」
えっと……。
「これかな……?」
なんとなく、甘い香りがするような気がする。
「じゃあ、明日はこれにしよう。でも、好き嫌いがあるものだから。苦手だったら残して良いからね」
「うん。ありがとう」
楽しみだ。
※
のんびりプリンを食べてお喋りをしていたけれど、結局、エルは戻って来なかった。
もう寝る時間だ。
「エル、仕事してるのかな」
「そうじゃないかな。……そろそろ僕らは寝るよ。おやすみ、リリーシア」
「おやすみ、リリー。エルをお願い」
「うん。わかった。おやすみ、ルイス、キャロル」
二人を見送って、研究室へ行く。
扉をノックする。
「どうぞ」
返事をしてくれた。
研究室に入ると、エルがソファーで本を読んでいた。
カミーユさんが持ってきた本だよね。仕事をしてたわけじゃないらしい。
「まだ寝ないの?」
「先に寝てて」
エルの隣に座る。
「待ってる」
そこまで集中してるわけじゃないし、もう少し待ってみよう。
と、思ったら。
エルが、すぐに本を脇に置いた。
エルに引き寄せられて、一緒にソファーに倒れ込む。
どうしよう。目の前に、エルの顔がある。
キスされそうなぐらい近い。
簡単に手が届いてしまう距離。
この距離で見つめられるのも、すごくドキドキする。
手を伸ばして、エルの髪に触れる。
……好き。
「眠いなら、部屋に行こう?」
これ以上、こうしてたら心臓がもたない。
※
エルの部屋に行って、いつもみたいに背中に顔をくっ付ける。
あぁ。落ち着く。
今日も、良く眠れそう。
「俺は、ジョージじゃないからな」
「えっ……。なんで、知ってるの?」
「自分で言ってただろ」
「えっ?」
嘘。
言うわけない。絶対。
「イリス?」
『なんで、ボクを疑うのさ』
「だって、どこに居るかわからないから……」
『リリーの中に居るって言ってるだろ』
イリスが言ったわけじゃないの?
私、言ってないよね?
いつ、ばれちゃったの?
あぁ……。
「忘れて。すぐ、忘れて。……私も、忘れるように努力するから」
もう、大丈夫になってきたから。
抱きしめるものが無くても。
怖くない。
怖くない、はず。
だから……。
「その……。頑張るから……」
エルから離れたけど、振り返って私の方を向いたエルに抱きしめられた。
「あの……」
「何しても良いんだろ?」
良いって、言ったけど……。
「俺のことも好きにして良いよ」
それは……。いつもみたいにしても良いってこと?
エルに抱きついて、胸に顔を付ける。
落ち着く。
大好き。エル。
甘えてばかりで、ごめんなさい。
言えないことばかりで、ごめんなさい。
もし、呪いが解けたら……。
もし、帰らなくても良くなったら?
私も、そんな未来が望める?




