035 夜明けの色
「こんなに大きな船があるなんて」
船が大き過ぎて、乗っている人が小さく見える。
「マーメイドに出て来た船だって、これぐらいの大きさだったんじゃないのか?」
「……そうかも」
王族がパーティーに使う船なんだから、これぐらいありそうだよね。むしろ、もっと大きい?
「ほら、乗るぞ」
船への橋渡しとなっている木製の板の上を歩く。この下は、海だ。
ポルトペスタを出発した後は、雄大なメロウ大河を眺める街を二つ経由してペルラ港まで来た。
異国へ向かう船に乗るには、乗船手続きの他に出国手続きも必要になる。そこで、出入国の記録帳を貰った。エルが持っていた判子を押す書類。異国では身分証と一緒に持ち歩かなければならない大事な書類らしい。
手続き後は、制限エリアで一泊した。このエリアは異国から来た人が入国手続きをせずに過ごせる場所でもあるから、お店やレストラン、娯楽施設などが充実している。小さな街みたいな場所だ。
のんびり過ごして、ランチを食べてから船へ。
もうすぐ出発だ。
唸るように低くて大きな音が鳴り響く。
港に居る間に何度か聞いたけど、間近で聞くと迫力が違う。汽笛は、体中に響くほど大きな音だ。
船が大きく揺れた。
「陸から離れていく……」
身体が浮くような不安定な感覚。
「まだ、沈む心配をしてるのか?」
まだ、ちょっと怖いけど。船が沈んだりしないことは知っている。
この船の次の目的地は、ディラッシュのニヨルド港。確か、丸二日ぐらいかかるってエルが言っていた。
船がグラシアルから離れていく。
生まれた時からずっと暮らした場所が、どんどん遠くなっていく。この景色を見ることはもうないのかもしれないと思うと……。
「そろそろ中に入ろう」
「うん」
※
エルと一緒に船の中に入る。
「広い……。船の中って感じがしないね」
木製の家みたい。
「見たいところはあるか?」
壁に案内図がある。
さっき居たところが甲板で……。
「ここは、第二デッキ?」
「そうだよ。個室があるもこの階だ」
奥の方は番号が書いてある。個室の部屋番号だよね。他にも、レストランとか色んな施設が揃っている。
下の階は第三デッキ。こっちには施設っぽいものは書いてない。
「下は荷物置き場なの?」
「第三デッキは、部屋を必要としない客向けの場所。男女別に分かれたベッド部屋と積荷スペースがある」
部屋が要らない人なんて居る?でも、一人旅ならベッドだけで良いのかな。隣の人と友達になったりできるのかもしれない。
「下には降りるなよ?」
「えっ?……うん」
用がない人は行っちゃ駄目らしい。
行って良いのは第二デッキ。レストラン、医務室、図書室……。
「娯楽室?」
「ゲームやパズルなんかが置いてある部屋だ」
「そんな場所もあるんだ」
「船旅なんて暇だからな。暇潰しの方法が色々用意してあるんだよ。音楽が聞きたかったら、レストランに楽団が居る」
丸二日間、時間を潰す方法……。
何をしようかな。
「エルは、普段はどうやって過ごしてるの?」
「適当に本を読んでる」
娯楽室には行かないらしい。
「じゃあ、図書室?」
「図書室?」
あれ?気づいてなかったのかな。
医務室の横。
「ほら、ここ」
「本当だ」
エルが図書室に行くなら……。
「私は手紙を書こうかな」
「ソニアに?」
「うん。それから、妹にも」
メル、元気にしてるかな。
居場所を伝えておけば、来年、会えるかもしれない。
「仲が良いんだな」
「うん」
今はメル一人だから、きっと寂しいよね。外のこと、たくさん教えてあげよう。
「じゃあ、レストランで紅茶を貰ってから部屋に行くか」
「え?図書室に行くんじゃないの?」
「部屋がどこかわかるのか?」
大丈夫。だって、案内図にも部屋の番号が書いてあるから。
「あっちだよね?」
エルが頭を抱える。
「違う。逆だ」
「えっ?」
『リリーって、こういう時、絶対に外すから』
そんなことないもん。
※
結局、エルに部屋まで案内してもらった。エルからは、戻るまで絶対に部屋から出るなって言われてる。そんなに念を押さなくても良いのに。
水筒の紅茶をカップに入れて、便箋とペンを出す。
「ソニア、怒ってるかな」
『なんで?』
「酷いこと言っちゃったから」
逆らえないってわかってるのに、命令してしまった。
「本当に独断だったのかな。女王の命令とか……」
『それはないんじゃない?』
「どうして?」
『ボクたちの目的は魔力集めで、エルは潤沢な魔力を持った魔法使いだよ。なんで、攻撃するのさ』
女王にはエルを攻撃する理由がない。
「出発の時に協力してくれたのに?」
『それは、リリーが好きでもない奴とキスするのは嫌だってごねたからだろ』
ソニアは、いつも私の味方だった。
『ソニアは、リリーに帰って来て欲しいんだよ』
―リリーシア様。どうか、ご帰還ください。
『それには、リリーが恋した相手が邪魔なんだと思うよ』
「ソニアは私の気持ちに気付いてるってこと?」
『今更、何言ってるのさ』
「え?」
『ソニアが居たのはポルトペスタだよ?様子を見てれば気付くだろ』
様子?
ドレスを着て、グラン・リューのお店に行って。それから、ポリーズに行って、遊覧船に乗って……?
『何、赤くなってるのさ』
だって……。どれも、デートみたい。
『ソニアも心配してることだし。帰るにしろ帰らないにしろ、魔力集めはした方が良いよ。リリーだって、今の魔力じゃ全然足りないことぐらいわかるだろ?』
帰還の為には、イリスの姿をもう一段階変化させる必要がある。つまり、人の姿に。
「でも、もう奪いたくない」
気を失うエルを見るなんて、もう……。
※
手紙は全然進まない。
「何の本を読んでるの?」
図書室から戻ったエルは、ずっとベッドの上で本を読んでる。
エルが本のタイトルをこちらに向けた。
「植物の本だよ」
グラシアルの植物の本だ。
エルの横には、もう一冊、別の本が置いてある。
「もう一つは?」
「星の本」
「見ても良い?」
「良いよ」
大きな本だから、ベッドの上で読もうかな。ブーツを脱いでベッドに登って、本を広げる。
天球図だ。きれい。
手元が明るくなった。私にも明かりが届くよう、エルがずれてくれたみたいだ。
「ありがとう」
「……ん」
ランプは、ベッドの天井部分に引っ掛けてある。
壁際にあるベッドは二段ベッドになっていて、片側も、頭の方も足の方も壁が付いている。出入りできるのはベッドガードが付いている方だけ。ここもカーテンが付いているから、カーテンを閉めたら一つの部屋みたいになる仕組みだ。
でも……。
「夜中にベッドから落ちたらどうしよう」
揺れる海の上だから、落ちるかもしれない。
「あれだけ頑丈にしがみ付いてたら落ちないだろ」
「え?」
えっと……。
それって。
「あの……」
「良いよ」
エルが、こちらを見ずに答える。
良いんだ。
「ありがとう」
本当に、良いのかな。でも、夜中に二段ベッドを移動するのは怖いから、今日は最初から一緒に居よう。
広げた本を眺める。
「船からも星って見える?」
「星なんて、どこからでも見える」
部屋の丸窓からも見えるかな。
「暗くなったら、外に行ってみるか」
「外って、勝手に出ても良いの?」
「嵐が来ない限り平気だ」
海は穏やかに見える。夜の海風も気持ち良さそうだよね。
「手紙は書き終わったのか?」
「メルのは書いたけど、ソニアのは、まだ」
エルは、どう思ってるのかな。
「あの……。怒ってない?」
「何を?」
「ソニアのこと」
ちゃんと話す機会がなかったから。
「別に、気にしてない」
「……ごめんなさい」
ちゃんと謝る機会もなかった。
「良いよ。また襲ってくるようだったら、今度こそは捕まえる」
どうして、そんなに危ないことをしようとするの?本当に、私の秘密を解き明かすつもりなの?
「あの魔法使いたちって、全員、リリーの知ってる奴だったのか?」
「え?」
「ソニアの他にも居ただろ?」
ちゃんと顔を確認した訳じゃないけど……。
「ソニア以外は見たことないと思う」
見覚えがある雰囲気の光はなかった気がする。でも、女王の娘の命令を聞くってことは、城の魔法使いで間違いない。
あれ?
ってことは、私が行けば、エルは危険な目に合わない?
「エル。もう、一人で行かないで」
「どういう意味だ?」
「今度は、私も連れて行って」
エルが眉をひそめる。
「約束出来ない」
「どうして?」
「危険があるってわかってる場所に連れて行けるわけないだろ」
「それはエルも同じだよ。もう、一人で戦わないで。エルに何かあったら、私、」
「心配なんて要らない」
どうして、私の話を聞いてくれないの。
「じゃあ、勝手に付いて行く」
「……は?」
もう、エルの言うことは聞かない。
『だめよ、リリー』
「どうして?」
『あなた、すぐに迷子になっちゃうでしょう』
エイダまで、ひどい。
『そうだね。この前は、エイダがエルの行き先を知ってたから良かったけど』
イリスまで。……イリスは、いつものことだけど。どうして、皆、エルの味方ばかりするの?
「わかったよ」
何が、わかったの?
「連れて行く」
「本当?」
『えぇ?嘘ぉ』
『本当にー?』
何故か、エルの精霊たちが驚いてる。
『何?どうして、皆、驚いてるの?』
『だってぇ。エルが、こんなことで折れるなんてぇ』
『滅多にないな』
『珍しい』
『そうですね』
「うるさいな」
エルが折れるのって、そんなに珍しいことなの?
気が変わる前に、ちゃんと約束しよう。
エルの手を取る。
「約束だよ。ちゃんと連れて行ってね?エル」
「あぁ。約束する」
嬉しい。連れて行ってくれるんだ。
「だから、リリーも約束しろ」
「約束?」
「勝手に知らない奴について行かないって」
「……うん?」
どういうこと?
「あっ」
もしかして、この前、盗賊ギルドの人に付いて行っちゃったこと?
「うん。大丈夫。知らない人には付いて行かない。約束する。ちゃんと、エルに聞いてからにする」
『リリー。それさ……』
え?違うの?
あれは、私も反省してるよ?
「それで良いよ」
そう言って私の頭を撫でた後、エルが読書に戻った。いつもの眼鏡をかけた横顔を眺める。
せっかくだから、私も買ってもらった眼鏡をかけようかな。赤縁の眼鏡。読書の疲れを軽減してくれるって聞いたけど、どれくらい効果があるんだろう。
エルは、ソニアのこと怒ってないみたいだった。というか、いつも私のことを一つも責めない。
メルの手紙には城の外の世界の話ばかり書いたけど、ソニアの手紙にはエルのことを書こうかな。
優しい人だって。私をいつも守ってくれる人だって。しばらく一緒に暮らすって。
どうしよう。これって、どこからどう見ても恋人みたいだ。ソニアに勘違いされないように書くには、どうしたら良いんだろう。
やっぱり、エルのことは、あまり書かない方が良いかな……。
『リリー。その本、本当に読んでるの?』
「えっ?」
『さっきから、全然、ページが動いてないよ』
「イリスも見たいの?」
『もうすぐ春になる季節なんだよ。今日は、真夏の星座は見えないんじゃないの?』
本当だ。
私が開いてたページって、真夏のページだったんだ。
一年の終わり。リヨンの時期の星座が載ってる。
今日はポアソンの三十日。
明日は、春の第二月であるベリエの朔日だ。
※
レストランで夕飯を食べて、毛皮のマントを羽織って外に出る。
「真っ暗……」
船の出入り口は明かりがあるけど、その明かりも心もとないぐらい、世界中が真っ暗だ。
「思ったより雲が出てるな」
エルが空を見上げてる。
雲……。
良く見ると、うっすら白い雲が動いてる。
「どうする?」
「もう少し居ても良い?」
「良いよ」
手を繋いだまま、エルと一緒にベンチに座る。
闇の精霊の色が広がってる。
空と海の境目がないみたい。
怖くなって、エルの腕につかまる。
「真っ暗で、何もなくて……。呑み込まれそう」
「何もないわけじゃない。暗くて見えないだけで」
見えないだけ?
目を閉じて、耳を澄ませる。
大きな波音に潮風。海の匂いがする。
船の上に居るのに、海の上に一人で浮かんでるみたい。
……怖い。
「城からは、どこまで見えたんだ?」
「え?」
「城の外。城の中からは見えなかったのか?」
城の中から見て良かったもの?
「一番高いところからは、オペクァエル山脈も見えたよ。神の台座も」
「神の台座か」
冷たい氷に閉ざされた銀色の土地。
『何言ってるんだよ。リリーは城下街だって見ただろ』
「城下街ぐらい、見えるんじゃないのか?」
「えっと……。城下街は、私たちが居るところからは見えないようになってるの」
女王の娘が住む区画からは、そんなに遠くは見えないようになってる。
街からだって、外は見えなかった。
『勝手に一人で屋根に上ってさ』
「屋根?」
「だから……、その……。屋根の上に登れそうな場所があって……」
『城の中でも一番高い塔だよ』
だって。簡単に掴まれそうなでっぱりがあったから。私の身長でも簡単に手が届いて、そんなに苦労せずに登れちゃったから……。
隣で、エルが笑ってる。
「それで?どんな景色が見えたんだ?」
塔の上の景色。
あんなに世界が開けて見えたのは初めてだった。
「丁度、夕暮れ時で……。海も、山も、城の街並みも外の街並みも、全部見渡せて。どっちを見ても、遥か遠くまで見渡せて。本当にね、世界の端まで見えそうだった」
あの時、初めて壁のない世界を見た。
「水平線の先にも、地平線の先にも、世界は続いてる」
あの、輝くライン。
「夕日が沈む海の向こうにも高い山の向こうにも。雲が流れていくずっと先も、この星空の彼方まで、どこまでもどこまでも世界は続いてる。……世界って、果てしない」
あぁ、これが世界なんだって。
呼吸する度に、新しい世界の空気を吸ってるみたいで、すごく胸がどきどきした。
「でもね。もし、それが本当だったとしたら。私が知ってる世界って、どれだけ狭くて、どれだけ小さいんだろうって……」
部屋に戻った時。
広いと思っていた城が、あまりにも小さく感じて。
「だから……。私、外に出られたら……」
本当に自由になれたなら。
「死んでも、良かったんだ」
『リリー……』
今、あの日見た世界に自分が居るって思うだけで……。
急に、エルが私を抱きしめる。
「エル?」
あ。私……。
「ごめんなさい。変なこと言って」
なんで、こんなこと言っちゃったんだろう。死ぬなんて、言葉にするのも怖いことだったのに。なんで、こんなに簡単に声に出して言っちゃったんだろう。
私が置かれてる状況は何も変わってないのに。
なのに……。前より少しだけ怖くなくなってる。私が自由にできる時間は三年だけだって。何を選んでも、三年以上、一緒に居ることは出来ないってわかってるのに……。
なのに。私、エルと、もっと……。
エルが私の髪を撫でる。
「ラプンツェルだっけ」
「え?」
「塔に閉じ込められたお姫様の話」
「知ってるの?」
マーメイドも知らなかったのに。
「内容は知らない。でも、リリーみたいに長い髪のお姫様なんだろ?」
「ラプンツェルは、こんな黒髪じゃないよ」
私は、お姫様じゃない。
「それに、私、瞳だって……」
ただの黒だ。
エルが、私の顔を上げる。
「綺麗だよ。リリー」
「え?」
今、なんて?
「夜の帳のように艶のある黒髪も。月光のように透き通った肌も。星よりも輝く瞳も……」
まるで、恋人に贈る詩みたい。
顔が熱い。これ以上、見つめられたら……。
「イリデッセンス」
「え……?」
「ほら。虹石と同じ輝きをしてる」
私の瞳が、あの、虹色の輝きを持つ宝石と同じ?
ただの黒なのに?
……エルの、ばか。
「エルの瞳の方が綺麗だよ」
私なんかよりずっと、特別な色だ。
「この瞳が、なんて呼ばれてるか知らないのか」
なんて呼ばれてるか?
私が好きな綺麗な紅。今まで見たことのない特別な色。例えるなら……。
「火輪石、かな」
「火輪?」
「太陽の石。カーネリアンの異称だよ」
燃えるように強い力を感じる宝石。
手を伸ばして、柔らかい髪に触れる。
「エルって、暁みたいだから」
「暁?……黄昏じゃなく?」
どうして、黄昏?
「夕焼けは茜色だよ?」
沈む夕日は赤い。
「夜明けは……。昇りたての太陽に照らされた世界は、いつもエルみたいに黄金色に輝いてる」
私は髪も瞳も真っ暗で夜の色だけど、エルは昇る太陽みたいだ。暁の虹石のように、黄金の夜明けを体現している。
「私は、エルの瞳が好きだよ」
大好き。
急に、エルが私にもたれかかる。
「エル……?」
私の左肩に頭を乗せたまま、エルが黙ってしまった。
「大丈夫?」
微かに首が揺れる。
どうしよう。
急に具合悪くなるなんて。
「寒い?」
「全然」
寒くはないみたいだ。
エルの頭を撫でる。
「何か、して欲しいことはある?」
「……傍に居て」
エルが私の手を掴む。
どうしよう。さっきからずっと、ドキドキすることばかり言うから、何かしてあげるべきなんだろうけど、何も思いつかない。
傍に居るだけで良いのかな。もし、エルが望んでくれるなら、ずっと……。




