002 苺のタルト
「わぁ。良い匂い」
ここは、食べ物をたくさん売ってる場所みたいだ。
露店が並んでいて、美味しそうなものがたくさん並んでる。
「そういえば、朝から何も食べていないんだ」
「お姫様なら、さっさと城に帰った方が良いんじゃないか?」
「えっ?お姫様?」
誰が?
「お姫様なんだろ?」
「私が?」
お姫様?
「お姫様なんて言われたことがない」
全然、そんなんじゃないのに。
「城で暮らすお姫様じゃないのか」
「城では暮らしてたけど……。ほら、この国は他の国とは少し違うから。お姫様なんかじゃないよ」
素敵なドレスを着て、いつか出会う王子様を夢見ながらお城で暮らすお姫様。
それは、私も憧れる存在だ。
でも、私が着てるのは鎧でドレスじゃない。
大剣だって持ってるし、物語に出てくるお姫様には絶対に見えない。
「それに、修行の間は城に帰れない」
「帰れない?なんで?」
「そういう決まりなの」
今の私は城に入ることが出来ない。
あの城に物理的な出入り口は全くない。移動方法はすべて転移の魔法陣で、使えるのは許可を受けた魔法使いだけ。
私が城に入るには、試練の扉を魔法で破壊するしかない。
……あぁ、お腹空いた。
「ね。あなたは普段、どんなものを食べてるの?この辺だと、どれがおすすめ?」
「この辺にあるのは、ファストフードだけだ」
「ファストフードって、どれ?」
聞いたことのない食べ物だ。
最近流行の食べ物かな。
「シナモンロールはいかがですかー」
わぁ。美味しそう。
それに、良い匂い。
このお店には色んなパンが売ってる。
こっちのお店は焼き菓子だ。
「魔法使いなら、このケイルドリンクで決まり!一杯、五十ルーク!いかがですか?」
そういえば、魔法使いって、魔力の回復のために変わったドリンクを飲むんだっけ。
「興味ありますか?剣士の方にもおすすめですよ」
「えっ。大丈夫です」
確か、ソニアが全然美味しくないって言ってた。
慌てて、そのお店を通り過ぎる。
『リリー。なんで、あいつに名前を言っちゃったの?』
「だって、自己紹介しないと」
『何でもかんでも話すのはまずいよ。ボクらは、外の世界のことを全然知らないんだ。もう少し慎重に行動しないと』
「栄養満点!ミートボールのスープはこちらですよ」
美味しそう。
『食べるものだって、気を付けなよ?』
そっか。
これからは好きな食べ物を好きに選んで食べるんだ。
「ファストフードって、どれかな」
『ボクの話し、聞いてる?』
「聞いてるよ」
『だいたい。なんで、あいつに助けを求めたのさ』
それは……。
『城の人間じゃなさそうだけど』
「やっぱり、そう思う?」
『城の奴なら絶対にリリーをお姫様なんて呼ばないだろうからね』
ひどい。
『なんだよ。本当のことだろ?』
イリスのばか。
「いらっしゃい、可愛いお嬢さん。リコリスはいかが?」
リコリスだ。
『もう。お菓子なんて買ってる余裕はないよ』
ちょっとだけ。
すごい。色んな色がある。
「お味見も出来ますよ。さぁ、どうぞ」
お姉さんが私の手にピンク色のリコリスを置く。
「美味しい」
果物の風味が付いてる。
城で食べたのより美味しいかも。
「あら。私も頂こうかしら」
「ありがとうございます。どの瓶に致しましょうか」
「これにするわ」
女の人が小さな瓶にリコリスを入れている。瓶の量り売りみたいだ。
「三百ルークです」
ルーク?
『あれ。城と違うんだね』
女の人が使っているのは知らない貨幣だ。
「ありがとうございます」
外では、ルークっていうお金が使われているの?
『共通通貨は使えないのかな』
私が持ってるのは共通貨幣だけ。
「お嬢さん。サンドイッチはどうだい?」
「え?」
「ハムと卵のサンドイッチ。サービスするよ」
薄切りパンを使った彩りの良いサンドイッチだ。
「美味しそう」
「一つ二百二十、いや、二百ルークでどうだい?」
「えっと……。私、ルークは持ってなくて」
「冒険者かい?」
冒険者じゃないけど。
「これで買えますか?」
持っていた金貨を出すと、お店の人は困ったような顔をした。
「えっ?金貨?もっと細かい奴ないの?」
細かいの?
「これしかなくて」
『えっ』
「うちで金貨なんか出されてもねぇ。それ、本物?」
本物のはず……。
『あ。さっきの魔法使いが来たよ』
「それ、いくらだ」
そういえば、まだ、この人の名前を聞いてない。
「ニ百ルークでどうだ?」
「じゃあ、二つくれ」
さっきの女の人が持ってたのと同じ硬貨が四枚。
一枚、百ルークの貨幣なんだ。
「ほら、行くぞ」
腕を引かれて、魔法使いと一緒に歩く。
「あの、」
「こんな往来で金貨を見せびらかす馬鹿がどこに居るんだよ。早く仕舞え」
「……はい」
『正論だね』
だって。
使えないなんて思ってなかったんだもん。
「ルークって、何?」
「この国の通貨だ」
「じゃあ、これって使えないお金なの?」
『使えないわけじゃないと思うけどさぁ』
使えるの?
「良いから、もうそれは出すな」
『まだ持ってたの?早く仕舞いなよ』
怒られた。
「ごめんなさい……」
金貨を仕舞う。
「あのね、ファストフードって、どれ?」
「これだよ」
「え?これはハムと卵のサンドイッチだよね?」
これは私も知ってる食べ物だ。
それとも、ファストフードって、サンドイッチのこと?
違うよね?
「あ」
苺だ。
『ちょっと、どこ行く気?』
だって、見つけちゃった。
「いらっしゃいませー。今が旬!苺のタルトはいかがですか?」
「見て、可愛い!」
すごく可愛い苺のタルト。
「どうぞ」
近くで見ると、もっと可愛い。
クリームの飾り方もイチゴの細工も丁寧で、美味しそう。
『何、勝手に貰ってるんだよ』
え?
「四百ルークになります」
四百?
これ、サンドイッチ二つ分の値段なの?
「ありがとうございました」
店員が、魔法使いに向かって言う。
『また買わせたね』
また、買ってくれたんだ。
「ありがとう」
あ。笑った。
柔らかくて優しい顔。
「あっちの広場で食べるか」
「うん」
大事に持って行こう。
『リリー。本当に金貨しか持ってこなかったの?』
頷くと、イリスが大げさにため息を吐いた。
『リリーが天然だってこと、忘れてたよ』
天然?
『どこかで金貨を使えるお金に変えないとね』
両替してくれるところを探さなきゃいけないんだ。
金貨って、ルークにするといくらぐらいなのかな。
『っていうか、餌付けされないでよ?本当に、甘いものに目がないんだからさ』
「ごめん……」
色々買わせてしまって、申し訳ないと思ってるんだけど。
『エル、知っています?』
さっきの精霊の声だ。
この人の名前は、エルって言うの?
『フェ、って私たちの言葉で、四番目って意味ですよ』
「そうなの?」
『そうだよ』
イリスも知ってたんだ。
……知ってるよね。精霊の言葉なんだなら。
『あら、知らなかったんですか?』
精霊の言葉は古代語と呼ばれている。
「私、古代語は得意じゃなくて……」
アリシアは得意だよね。錬金術も詳しいし。
「一から順に、ツァ、ヴィ、ルゥ、フェ、クォだよ」
「そうなんだ」
この人も詳しいんだ。
教えてもらった言葉は、それぞれ私の姉妹の名前にも入っている。
私のフェは、女王の娘の四番目って意味だったんだ。
『それと。私の声が聞こえるって、特殊なことですよ』
「やっぱり、あなたはこの人と契約中なんだよね?」
『そうよ』
「そうだよね。誰かと契約中の精霊って、きちんと紹介されないと声が聞こえないはずなのに……」
どうして聞こえるんだろう。
『紹介されたとしても、通常は聞けないと思うわ』
「え?そうなの?」
「そうだよ」
『そうだよ』
イリスとエルの声が重なる。
イリスって、エルと気が合うよね。さっきから同じことばっかり言ってる。
『エル、失敗した』
「わっ」
さっきの黒い影が戻って来た。
エルと契約してる闇の精霊だ。
「何があったんだ?」
『途中で魔法を使われて、撒かれた』
闇の精霊がこちらを見る。
『驚かせてすまなかった』
「大丈夫。その……。今は触れられない状態っていうのはわかっているんだけど、精霊が人の体の中から出たり入ったりするのも、初めて見たから……」
気を使わせちゃった。
城の中では、こんなに素早い動きをする精霊も居なかったから。
『面白い子ね』
面白い?
私が?
でも、この人の名前がエルなら、やっぱり城の人間とは無関係だよね。
だって、私の教育係の名前はテオドールだ。
……というか。
すれ違う人の中にも魔法使いの光を持つ人を見かけるけど、皆、城の中で見たのとそんなに変わらない色をしている。ほとんどが水色。白っぽいのや、青っぽいの、もっと濃い青もあるけど、寒色系なことは共通してる。
エルは、どうしてこんなに真っ赤な色をしてるんだろう。
輝きだって他の人とは比べ物にならないぐらい強くて明るい。
精霊だって、こんなに眩しくないのに。
どうして、こんな風に見えるのかな。
※
「わぁ……」
ここが王都の広場。
広場から真っ直ぐ伸びた大通りの先に白銀のプレザーブ城が見える。お城は街中のどこからでも見えたけど、ここから見る姿はまさに圧巻だ。物語に出てくるお姫様が住むお城そのもの。なんて美しいんだろう。
これが、生まれてから今日までずっと過ごした城の姿なんだ。
「ここにするか」
広場にあるベンチに一緒に座ると、エルがサンドイッチをくれた。
「ありがとう」
タルトを横に置いて、サンドイッチを食べる。
美味しい。
新鮮なサラダとハム、それから、濃い味のゆで卵。ゆで卵がソースみたいになって全体に絡んでる。
『ここってさ、城から出口まで繋がってる大通りじゃない?』
そうなの?
だったら、真っ直ぐお城の反対方向に進めば出口がある?
『やっぱりそうだ。見て、リリー。オブジェがあるよ』
オブジェ?
そういえば、大広場には城の中と同じオブジェがあるってソニアが言ってたっけ。
「良かった」
オブジェの色は女王の心を映す。
今の色は、雪のように淡く輝く白。
「今日の色の意味は、何なんだ?」
「あれは祝福の色だよ。旅立ちの祝福の色」
つまり、私がやってることは女王の怒りには触れていない。
怒った色なんて見たことないけど。
女王が怒った時は何色になるんだろう。
「女王って、全く城から出ないのか?」
あの、冷たい女王の間……。
「出られないんだ」
「出られない?」
「女王は、この国の礎。女王になった瞬間から、その魔力を国中にそそぐ役割を担うんだ。あの城は、その為の装置なの」
『もう。また、余計なことを話すんだからさ』
余計なことなのかな。
でも、女王が国中に魔力を注いでいるのは誰もが知っている事実だ。
古い時代。
グラシアル王国は雪と氷に閉ざされた貧しい辺境の一国家でしかなかった。
それが変わったのが、第十五代グラシアル国王の時代。
寒さも厳しく凍り付いた雪深いある年。絶大な魔力によってグラシアルから雪と氷を振り払い、グラシアルを魔力で満ち溢れた、豊かで過ごしやすい土地に変えた人物が現れたのだ。その偉業をたたえる為、国王は国名をグラシアル女王国と改称すると、娘である彼女を初代女王として祀り上げた。
やがて、豊かな土地に憧れた氷の地方の人々が女王の力を求めて次々と傘下に加わり、グラシアル女王国は一気に領土を広げていく。もちろん、それに反発する国もあったけれど、女王は女性の魔法使いだけで編成された龍氷の魔女部隊を組織し、他国からの侵略に対抗した。
こうして、女王が治める国は、女王の庇護のもと、平和で豊かな国へと成熟していったのだ。
これが、私が知っているグラシアルの歴史。
この国のすべては女王にかかっている。
『そんなにお腹すいてたの?』
だって、朝から何も食べてなかったんだもん。
サンドイッチが綺麗になくなった。
デザートも楽しみだ。
あ。
「これ、食べても良い?」
エルにタルトを見せる。
「いいよ」
良かった。
絶対、美味しいよね。このタルト。
でも、どうしよう。
タルトは一つしかない。
どうやったら、綺麗な形のまま半分に出来るかな。
「うーん……」
『何、悩んでるの?』
苺を切る道具もないし……。
「あの……」
エルを見上げる。
「これ……。半分こにしたいけど、苺は一個だし……。どうしたら良い?」
『……何、それ』
急に、エルが声を上げて笑い出す。
「え?」
どうして、そんなに笑ってるの?
そんなに笑うようなことしてないよね?
……その顔はすごく好きだけど。
「俺は甘いものは食べないんだ。だから、全部食って良いよ。ほら」
タルトの上に乗った苺をエルが私の口に入れる。
あ、あの、それは……。
好きな物語の一文を思い出す。
―彼が、私の口にイチゴを入れて、初めて名前を呼んでくれた。
反則だよ、こんなの。
不意打ち過ぎる。
どうしよう。
どうしよう。ドキドキする。
『リリー。大丈夫?』
手を繋いだし、助けてもらったし、こんなことまでされて。
だって、そういうのって。
こんなのって!
「リリーシア?」
あぁ。とどめを刺された。
『リリー。変だよ。どうしたのさ』
もう、だめ。
「あのっ」
顔を上げて、エルを見る。
「リリーでいいから」
顔、きっと赤い。
下を向いて、飾りの消えたタルトを食べる。
「美味しい」
甘い。
でも。
まだ、ドキドキしてる。
こんなの、初めて。
ドキドキして、苦しくて。
この人に決めた。
違う。決めたんじゃない。もう、決まってたんだ。
これが、運命の人なんだ。
私の特別な人。
だって、そうとしか思えない。
そうじゃなきゃ、こんな出会い方はしない。
息もできないぐらいドキドキして。
体が熱くて。
……だから。
落ちついて。
落ちつかなきゃ。
ばれちゃう。
落ちついて……。
深呼吸。
お願い。落ちついて、私。
……うん。大丈夫。
立ち上がる。
「あのね、やっぱり、私、あなたに助けてもらいたい」
私の目的。
一つは、教育係から逃げること。
そして、もう一つの目的は。
あなただけが叶えられる。
「だから、説明したいんだ。でも……。なんて説明したら良いかわからなくて。私、どこまでが一般の話なのか分からないし、外のこと、そんなに詳しくないから……」
少し歩いてみてわかったことは、グラシアルに住んでる私よりも、エルの方がグラシアルに詳しいってことだ。
『そうだね。ボクも、こいつに助けを求めるのは賛成だよ。城の人間じゃなさそうだし』
良かった。イリスも賛成してくれた。
『それに、借りたお金は返さないとね』
そうだ。結局、全部買ってもらってしまってる。返さなきゃ。
「リリー」
「……はい」
「話は聞く」
「本当?」
良かった。
「でも、その前に、ちょっと付き合え」
「わかった」