029 手のひら
エルに抱えられたまま森の外へ。
明かりの灯された森の出口にはテントもあるし、兵士も待機している。それから、騎士が乗るような立派な装備の馬や馬車もある。
「こちらをお使いください」
「ん」
「ありがとうございます」
案内してくれた兵士さんにお礼を言って、箱型の馬車に乗る。行き先はエルが伝えていた。これも辻馬車の一種なのかな。それとも、騎士団の所有?
エルが私の隣に座る。
馬車が揺れる。
なんだか、疲れたかも……。
「寝ても良いよ」
「うん……」
眠い……。
※
「リリー。着いたぞ」
エルが私の頭を撫でる。
着いた?
着いたって……。目的地に?
ぐっすり寝てたみたいだ。体を起こす。
「歩けるか?」
「うん」
歩ける。大丈夫。エルに手を引いてもらって、馬車から降りる。
……寒い。
「明日は午前中に行くって伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
エルが御者と話してる。ここ、ポルトペスタの宿の前だ。
私、ずっと寝てたんだ。
「あの……。送ってくれて、ありがとうございました」
「いえ。まだこの時期は寒いですから、お嬢様もお体にお気をつけて」
「ありがとうございます」
お礼を伝えて馬車を見送る。
※
部屋に戻って来た。
ようやく、ドレスが脱げる。肩のストールを外してドレスを……。
脱げない。
どこから脱げば良いんだろう、これ。背中の紐を解けば良いと思うんだけど、どうなってるか見えない。
どうしよう……。
頼んでも良いかな。
ベッドに座ってるエルの腕を引く。
「あの……。脱がして貰っても良い?」
「は?」
頼める人は他に居ない。
「一人じゃ出来ないから……」
「あぁ」
エルが私の後ろに回る。良かった。手伝ってくれるみたいだ。
背中が見えるように髪の毛を束ねて前の方に持ってくると、エルが、腰に結んでいたリボンを解く。リボンぐらいは、自分でも出来たかも。後ろ、どうなってるのかな。お店の人は緩むから大丈夫って言ってたけど、全然、緩まなかったよね。
少しずつドレスが緩んで、ようやく解放されて一息吐く。気を抜いたところで肩を撫でられた。くすぐったくて、思わず体が震える。……すぐ、からかうんだから。
そう思ってたら、急に後ろから抱きしめられた。
「エル?」
背中が温かい。エルの吐息が耳にかかる。
どうしよう。こんなことされたら……。
振り返ろうとしたら、体を預けていたはずのエルの腕が離れた。
「あっ」
足にドレスが絡まって、転ぶ……。
エルが伸ばした腕を掴んだけど、ふらついたまま一緒に倒れる。硬い地面を覚悟したけど、落ちたのはベッドの上だった。良かった。痛くない。
「大丈夫か?」
私を潰さないように倒れたエルが体を起こして、私の顔にかかった髪を払う。
……顔、近い。
紅の瞳が目の前にある。
「なんで、逃げないんだよ」
「え?」
逃げる?
何から?
「抵抗しろよ」
「抵抗?」
どういう意味?
「思いっきり蹴り上げて、殴る、とか」
「そんなの、無理……」
そんなに見つめられたら、動けない。
エルが私の頬に触れる。
「好きでもない奴に、こんなことされたいのか?」
こんなことって?
抱きしめること?頬に触れること?こんなに近くで見つめ合うこと?それとも……?
どれも嫌じゃないのに。
どうして、そんなこと言うの?
だって、私は……。
私は。
伝えなきゃ。
言わなきゃ。
呼吸を整えて……。
「私、エルが好き」
言えた。ちゃんと、言えた。
「そういうことは、本当に好きな奴に言え」
「え……?」
それは、どういう意味?
「じゃないと……」
好きなのに。好きだって、伝えたのに。
どうして……?
エルの瞼がゆっくり閉じて、唇に触れる。
待って。
だめ。こんなのだめ。
今すぐ離れて。
奪ってしまう。
好きな人にしてもらってることなのに。
どんな物語だって、キスで幸せな結末を迎えられるはずなのに。
私には無理。
嬉しいことのはずなのに。
私じゃだめ。
奪いたくない。
ごめんなさい……。
唇が離れる。
視界がかすんで、エルの顔が全然見えない。
「ごめん、リリー」
あふれた涙が頬を伝って落ちる。
私は物語のお姫様になんかなれない。そんなの最初からわかってたのに。
「エルは……。平気……?」
大丈夫だよね?気を失うほど奪ってないんだよね?
涙が邪魔で、エルの光がちゃんと見えない。
視界が真っ暗になった。エルが私にブランケットをかけたみたいだ。
「エイダ、リリーの傍に居てくれ」
『どこへ行くんですか』
「頭を冷やしてくる」
待って。
腕を伸ばして、手探りでエルの服を掴む。
「行かないで」
「……無理」
掴んでいたものが消える。
足早に歩く足音と部屋の外へ出て行く音。
行ってしまった。
『リリー』
だめなんだ。
もう、一緒に居られないんだ。
『リリー。泣かないで』
傍に来た温かい光にすがる。
「エイダ。ごめんなさい。約束したのに……。私、だめなのに……」
皆、黙っててくれるって約束してくれたのに。
「私、また、エルの魔力を……」
エイダが私を抱きしめる。
『大丈夫よ。誰も気にしてないわ』
「ごめんなさい」
『大丈夫。だから、泣かないで』
大丈夫じゃない。
―……無理。
嫌われた。拒否された。
「好きなの……。エルが、好きなの」
『えぇ。わかってるわ』
「でも、エルは信じてくれなかった」
―そういうことは、本当に好きな奴に言え。
伝わらなかった。聞いて貰えなかった。
「わかってるよ。愛情がなくても、キスは出来るって」
『そんなこと、』
「でも、だからって、私の気持ちもどうでも良いなんて……」
『そんなことないわ』
「ひどいよ……」
あんなに勇気を出して告白したのに。
『まずは着替えましょうか』
エイダが私の背中を撫でる。
『これを解けば良いのかしら』
わからない。
「たぶん、イリスに聞けば……。あれ?イリス?」
居ない?
『イリスは、エルに付いて行ったわ』
私、イリスにまで捨てられたの?
『私が残ったから、代わりに付いて行ってくれたのよ』
だからって、何も言わずに行くなんて。
『これでどう?』
さっきよりもドレスが緩んでる。着替えなきゃ。
「ありがとう、エイダ。もう大丈夫」
後は一人で出来そうだ。ドレスを脱いで、楽な寝間着に着替える。
髪を解いて鏡を見ると、泣き腫らした酷い顔が映ってる。
「シャワー、浴びて来ようかな」
『そうですね』
さっきより落ち着いた。
「エル、どこに行ったのかな」
『すぐ近くに居ますよ』
「そうかな」
『エルは、泣いてるリリーを置いて遠くに行ったりなんてしません』
どうして、断言できるの?
『エルも、本当はあなたの傍に居たかったのよ』
「そんなわけない」
『じゃあ、エルが近くにいるかどうか賭けましょうか』
「……居ないよ」
『エルを信じてあげて』
―……無理。
声が耳について離れない。
シャワーに行く用意をして、扉を開く。
開いてすぐの場所に、エルが座っていた。
こんなに近くに居たなんて。
「ごめんなさい。エル。私……」
どうしよう。
なんて言えば良いんだろう。
伝える言葉の準備が出来てない。
「ごめん。リリー」
謝られた。
でも、それは何に対してなの?
「顔……。洗ってくるね」
『一緒に行きますね』
「ん。……いってらっしゃい」
「いってきます」
廊下を歩いて、階段を降りる。
遠くで扉の音がした。エル、部屋に戻ったのかな。
あれ?イリスが居ない。
『きっと、熱いのが苦手だから部屋で待っているんですよ』
そうかな。
「怒ってるんだと思う」
『何故、そう思うの?』
「なんとなく」
こういう時、いつも私のことを叱るから。
隣でエイダが笑う。
『仲が良いんですね』
一緒に居てくれないのに?
※
シャワー室に入って、お湯を出す。
温かくて気持ち良い。何もかも流してくれるみたいだ。
『賭けは、私の勝ちですね』
「うん」
私が契約の証を持っているから、エイダはエルの居場所がわからないはずなのに。エイダの言う通り、エルはすぐ近くに居てくれた。
「エイダって、いつもエルに勝ってるの?」
『えぇ。負けたことはありませんね』
「すごいね」
ずっと勝ち続けるなんて。
『リリー。あまり気にしないでくださいね』
「そんなわけにはいかないよ」
私は、エルの魔力を奪ってしまった。
『リリーは、何故、私たちがあなたの秘密をエルに話さないかわかる?』
「私たちって、エルと契約している精霊皆ってこと?」
『そうです』
あの時、私は正直に全部話した。エルの精霊たちは私の話を信じてくれて、皆、秘密にしてくれるって約束してくれた。私がエルにとって危険な人間だという事実は変わらないのに。
「明確な理由があるの?」
『もちろんです』
みんながみんな、同じ態度だったわけじゃないのも知ってる。特に、バニラとジオは私に良い印象を持っていない気がした。それなのに……。
「皆、同じ理由なの?」
『そうですね』
それぞれ違う考え方を持っているのに?
「私と約束してしまったから?」
精霊は嘘を吐かない。そして、自分が結んだ契約や約束に従う存在だ。
『それは、結果であって理由ではないわ』
理由。
精霊たちが、エルに話さないでいてくれる理由……。
『降参します?』
「うん」
全然わからない。
『それは、私たちがエルを信頼しているからよ』
信頼しているから?
「どういうこと?」
『エルは自力で真実にたどり着く』
「え?」
『だから、わざわざ私たちが余計なことを話す必要なんて一つもないんです』
それって……。
「エルは、もう気付いてるってこと?」
『さぁ。どうかしら。そこまでは、私にもわからないわ』
本当に?
気づいてるなら、どうして……。
※
エイダと一緒に部屋に戻る。
「ただいま」
「おかえり」
いつものエルだ。
ベッドに座ってタオルで髪を拭いていると、隣にエルが座った。
どこまで気づかれてるのかな。もし、呪いのことがばれてしまってるなら、もう一緒には……。
「ごめんなさい」
「ごめん。リリー」
同時に言葉が出て、思わず顔を合わせる。
……エル。
「泣かせてごめん」
「いいの。私が……。ごめんなさい……」
「リリーが謝ることなんて一つもない」
謝ることだらけだ。
「嫌だったら、嫌だって言って」
……何を?
「抱きしめて良い?」
「え?」
抱きしめる?
「うん」
「本当に、良い?」
「うん」
エルが私を抱きしめる。
タオル越しにエルのぬくもりを感じる。
……温かい。それに、とても大切に抱きしめられてる感じがする。
「一緒に居て」
また、だ。
いつも私が一緒に居られないって思う度に、そう言う。
その言葉がいつも嬉しくて……。
「私も、エルと一緒に居たい」
離れられない。
「キスして良い?」
「……だめ」
「わかった」
答えると、エルが腕を離す。
行かないで。
エルの左手を掴んで両手で包む。
「ごめんなさい。エルのことが嫌なわけじゃないの」
何も奪いたくないだけ。
「手なら、キスして良い?」
「えっ?」
唇じゃないなら……。
「大丈夫……。だと思う」
目を閉じて、エルが私の右手の甲に唇を付ける。
……王子様みたい。
今度は、手のひらに。
……吐息と熱を感じる。
エルの瞼が開いて、紅の瞳と目が合う。
どうしよう。体が熱い。こんなことされたら勘違いしちゃう。
そのまま、エルが手首にキスをした。そんなところにされたら、唇から心臓の音が伝わっちゃう。
エル……。
『ただいまー』
『戻った』
『ただいま』
窓から、ジオ、メラニー、ナターシャが飛んで来た。
「おかえり」
皆、出かけてたんだ。エルが私の手を下ろす。
「シャワー浴びてくる」
「……いってらっしゃい」
エルが荷物を持って部屋を出ていく。
イリスも付いて行っちゃった。
『リリー。大丈夫ですか?』
「うん」
体中が熱い。ドキドキが止まらない。
「エイダ」
『どうしました?』
「私、エルが好き」
この言葉が、全くエルの心に届かなかったとしても。
「好きなの……」
エルがキスをしてくれた手に唇を当てる。
たとえ、エルにとって私が特別でも何でもない存在だとしても。
気持ちは変わらない。
※
声。
声が聞こえる。
誰?
……怖い。
嫌な感じがする。
イリス、どこ?
……エルは?
エル、どこ?
―呪いと誓いを。
嫌だ……。
―呪いを受け入れ、次期女王となる為に三年後、帰還することを誓います。
―誓いを受け入れよう。
逃げなくちゃ……。
走って……。
だめだ。
捕まる。
暗い光が絡みつく。
嫌だ。
呪いなんて。
誓いなんて。
―決して、誓いを忘れるな。
※
『リリー?』
「……イリス」
暗い……。
静かな場所だ。
『どうしたの?』
『どうしました?』
「エイダ」
私、寝てたんだ。
エイダが何故か紙の束とペンを持ってる。
「それは?」
『これ?……ちょっとしたメモよ』
メモ?
精霊が?
『悪い夢でも見たんですか?』
『うなされてたよ』
悪い夢……。
『何か飲みましょう。紅茶がありますよ』
「紅茶?」
『エルが持って来てくれたんだよ。もう冷めてるかもしれないけど』
サイドテーブルには紅茶のカップが置いてある。エルは隣のベッドで寝てるみたいだ。
そっか。私、エルがシャワーを浴びに行ってる間に寝ちゃったんだ。
ベッドから出て、紅茶を飲む。
まだ、ほのかに温かい。
『大丈夫?』
「うん。大丈夫」
帰らないって、決めて出発した。
それが意味することが何かもわかってる。
―決して、誓いを忘れるな。
女王には、逆らえない。
だから、私は……。
『リリー』
怖い。
『リリー。あなたは、何をそんなに恐れているの?』
私は……。
帰らなければ。
魔力を集めなければ……。
「あの……。エルの傍に行っても良い?」
エイダが肩をすくめる。
『あなたは、エルがしたことを怒っていないの?』
告白を受け入れてもらえなかったことはショックだったけど、それは仕方ないことだから。
それに、好きな人のキスが嫌だったわけじゃない。
「怒ってないよ」
『怒れるわけないだろ。毎晩、エルにしがみついてるのはリリーなんだから』
『エルは拒否してないでしょう』
『寝てる相手にそれを言う?だいたい、エイダは、なんでそんなにリリーの味方をするのさ』
『イリスこそ。何故、エルの肩を持つの?』
「イリスは、私よりエルが好きだからだよ」
『は?なんでそうなるのさ』
「だって、ずっと、エルの傍に居たから」
『あのままエルを放っておけって言うの?リリーにはエイダが付いてただろ』
「そうだけど……」
いつも一緒に居てくれるのに、居てくれなかったから。
カップを置いて、エルの方に行く。
静かな寝息。
ぐっすり寝てるみたいだ。
そっと、背中に顔を付ける。
……落ち着く。
一緒に居ると、あんなにどきどきするのに。
一緒に居ると、こんなに安心してしまう。
エル。
ごめんなさい。




