027 白馬の馬車
「本当に、大丈夫か?」
「うん」
上がるのは、降りるのより楽なはずだから。ドレスを持ち上げて、踏み外さないように気を付けながら階段を上がる。
『グラン・リューが待ってるんじゃないの?』
急がなきゃ。
「ゆっくりで良いよ」
エルが私の肩を支える。
「……はい」
顔、近い……。エルは私が転ばないように後ろから支えてくれているだけなのだけど。段差のせいで、いつもより近く感じる。
エルは、私のことどう思ってるのかな。ドレスをプレゼントするなんて、簡単にすることなのかな。賊のアジトを見つけたいって言ってたけど、誘拐に服装なんて関係ないよね?
どうして、こんなことするんだろう。お姫様抱っこも平気でするし。
外ではこういうことをするのもされるのも当たり前なの?……そんなことないよね。だって、物語では、そういうシーンはいつも特別だった。綺麗なドレスを着て出かける舞踏会も。男の人にお姫様抱っこされるのも。手を繋ぐことだって。
でも、エルにとっては、普通のことだったら?
「あ、」
踏み外した、と思ったら、肩を抱かれた。
「大丈夫か?」
「うん」
『もう一番上に着いたよ』
まだ階段があると思って踏み出したせいで、体勢を崩してしまったらしい。
「ほら」
エルが手を差し出す。
こんな風にすることが、エルにとっては当たり前で。誰にでもすることで。私以外でもしてもらえることなんだなって思うと……。
「どうした?疲れたか?」
首を振って、エルの手を取る。
「大丈夫」
エルは、優しい。
一階のお店に戻ると、お客さんはもう誰も居なくて、グラン・リューと店員さんたちが私たちを迎えてくれた。
「御夕食の用意をさせていただきました。鳳蝶亭というレストランです。外に馬車を待たせておりますので、どうぞお使いください」
夕食?もう、そんな時間だったんだ。
『こんなにしてもらってるんだし、そろそろ、まともにお礼を言ったら?』
お礼。女王の娘らしい気品あるお礼だよね。
丁寧に頭を下げる。
「約束のない訪問にも関わらず、多大な歓迎をしていただき感謝します。……ずっと憧れていた先生にお会いできて光栄です。素晴らしい鉱石にまで出会わせてくれて、ありがとうございました」
敬語に気を付けてお礼を述べて、グラン・リューを見る。
「私こそ、姫君にお会いできる時を長く心待ちにしておりました。御訪問先に当店をお選びいただき光栄に存じます。……リリーシア様。貴女は、私の大切な教え子であり、共に石を愛する友でございます。どうか気兼ねなく、いつでもお越しください」
友。そんな風に思ってくれてたなんて。
「はい。ありがとうございます、先生」
いつも読んでいた文面の通り。優しくて穏やかで素敵な人だった。
会えて良かった。
ここに来れて、良かった。
※
お姫様の馬車だ。
二頭の白馬に引かれる、丸みのある可愛らしい飾りつけの馬車。物語の中にしか出て来ないような素敵な馬車。夢みたい。
エルに手伝ってもらって、馬車に乗る。
「ありがとう」
内装も可愛い。クッションもたくさん置いてあって、居心地がとても良い。近くにあったクッションを抱いて丸みのある天井を見上げる。
本当に、すごい一日だ。素敵なドレスに素敵な馬車。本物の物語のお姫様になった気分。
でも。
『どうしたの?』
「私、舞踏会があっても踊れないなって思って」
『これから行くのは、レストランだろ?』
「そうだけど」
まるで、夢の中に居るみたいだから。
あれ?エルが来ない。外を見ると、エルがグラン・リューと何か話している。
何を話してるのかな。良く聞こえない……。
「精霊のご加護を」
「お互いに」
精霊のご加護?確か、前にも聞いた挨拶だ。
エルが馬車に乗ると、扉が閉じて、馬車が動き出した。
「この馬車って、グラン・リューの馬車なのかな」
お姫様の馬車って、貴族しか持ってないって言ってなかったっけ。
「辻馬車だろうな」
「辻馬車?」
「乗合馬車っていうのは、行き先が決まってただろ?辻馬車は、より細かい行き先を指定出来る個人客向けの馬車なんだ」
「豪華な馬車は辻馬車ってこと?」
「違う。辻馬車にもグレードがある。金持ちが乗るような豪華な馬車からボロい馬車まで色々だ。特に、ポルトペスタは幅広い気がするよ」
それって、この都市の貧富の差にも関係があるのかな。
「ラングリオンは違うの?」
「ラングリオンの王都だと、こういう派手な馬車を所有してるのは貴族だけだ。一般市民が使うことはそんなにない」
ラングリオンは貴族文化が色濃く残っている国だ。
建前上、身分制度はなく、貴族と呼ばれる人たちも市民も権利は平等って謳われているらしいけど。そもそも富裕層であり、国の中枢で働くことが多い貴族と一般市民では、平等とは言い難いほど差があると言われている。
ただ、私は実際に見たわけじゃないから、城で教わったことがどこまで本当なのか自信がない。外の世界は不思議なことがいっぱいだ。
向かいに座ったエルが、手紙を開いている。何の手紙かな。エルから出て来たユールとバニラが手紙を覗き込んでる。
……精霊は文字が読めないのに?
イリスは私と一緒に文字を勉強したから読めるけど、一般的な精霊は、精霊の文字である古代語以外読めないって言われている。
あれ?でも、エイダは読めるみたいだったよね?銀の棺も読んでいたみたいだし、現代の恋愛小説も読んでるみたいだった。もしかして、エルの精霊って、皆、文字が読めるの?
エルが二枚目の手紙を見る。
『……?』
バニラが、エルが開いた紙に近寄る。なんとなく、最初から二枚目の方を気にしてた気がするよね。
目が合ったバニラが、慌ててエルの体に戻っていった。
エルも眉間にしわを寄せてる。一体、何が書いてあるの?
「何、見てるの?」
エルが手紙を封筒に仕舞う。
「秘密」
教えてくれない。
「エルの精霊って、文字が読めるの?」
『あたしはぁ。読めるわよぅ』
『ユールほどではありませんが、私も読書ぐらいなら出来ますよ』
ユールとエイダだけ?バニラは違うの?
『珍しいね』
『イリスちゃんも読めるんでしょぉ?』
『ボクは、リリーが生まれた時からずっと一緒に居るからね』
『生まれた時から一緒だったの?』
「うん。ずっと、一緒に勉強してたんだ」
『一緒って。リリーは、古代語が全然だめじゃないか』
「だって、イリスが居るなら古代語なんて勉強しなくても……」
『何言ってるんだよ。そのせいで、未だに氷の精霊の魔法陣もろくに描けないだろ』
「描けるよ」
『本当に?』
「たぶん」
それぞれの属性の精霊を示す古代語は、属性に応じた魔法陣の図柄と似てる。だから、だいたい大丈夫だと思う。
エルは、ずっと難しい顔をしてる。考え事をしてるみたいだ。
……大丈夫かな。
※
エルに手を引かれて馬車を降りると、童話に出てくる宮殿のように大きくて華麗な建物が現れた。
看板には、鳳蝶亭と書かれている。
「ようこそ、おいで下さいました。グラン・リュー様のお客様ですね。どうぞ、こちらへ」
出迎えてくれたお店の人の案内で、中に入る。
ここ、本当に、レストランなの?
細部にまで装飾の施された美しい建物だ。どこを見ても美術品のように綺麗。長い廊下をエルに手を引かれながら歩いて、お店の人が開いた部屋の中へ。
「わぁ。素敵な部屋」
入った瞬間に花の香りが溢れる。
甘い香りの正体は、沈丁花だ。
部屋の中は、外観とも廊下の雰囲気とも全然違う。きらきらした、おとぎ話の世界に入ったみたい。
「リリー」
呼ばれてエルの方に行くと、エルが椅子を引いてくれた。座ると、ドレスも整えてくれた。
「ありがとう」
ちょっと緊張するお店だ。
エルが席に着くと、料理が運ばれてきた。
まだ、何も注文してないのに?
続けて、お店の人が料理の説明をしてくれる。今、出されたのは冷たい前菜らしい。この後に、温かいスープ、魚料理、冷たい口直し、肉料理、デザートが順番に出されるらしい。魚は、グラシアル近海で獲れたもので……。それぞれ調理法とかも言っていたけど、詳しくは聞き取れなかった。
でも、そんなに食べられるかな。
お腹は空いてるけど……。
「食後は、コーヒーと紅茶、どちらに致しましょうか」
これは、自分で選ぶらしい。
「俺はコーヒーで。デザートは要らない」
エルは、コーヒーなんだ。
「リリーは?」
「私は紅茶を」
「かしこまりました」
ようやく終わったかと思うと、今度は、たくさんの瓶が乗ったワゴンが運ばれてきた。
「ワインは、いかがいたしましょう」
お酒も選ぶらしい。
「ノンアルコールはあるか?」
「御用意いたします」
「え?飲まないの?」
「リリーは飲まないだろ?」
「私は飲まないけど……」
エルは、お酒が好きだよね?
お店の人が私にドリンクの瓶を見せる。何味なんだろう?
「お嬢様。こちらはいかがでしょう?今夜の料理におすすめのシェリー酒に似た香りのエードです」
「お願いします」
シェリーは南グラシアルで有名なお酒だ。お酒の香りだけ楽しめる飲み物もあるんだ。
お店の人が、今度はエルに何か見せる。
「お客様、シェリーはいかがでしょう?お嬢様と同じ香りを楽しめますよ」
そっちは、ちゃんとお酒だよね。
「わかった。もらうよ」
「ありがとうございます。御用意いたしますね」
エルのグラスにお酒が注がれる。
アルコールの有無はあるけど、おそろいにしてくれたんだ。
「では、ごゆっくり」
お店の人たちが皆、出て行った。
エルが掲げたグラスにグラスを軽く合わせる。
「乾杯」
「乾杯」
なんて良い香りなんだろう。
ちょっと大人になった気分。……大人だけど。
「すごいところだね」
他に席は一つもない。こんなに広いのに、私たちの為だけの部屋なんだ。
「グラン・リューが気に入ってる部屋なんじゃないか?」
「あ、やっぱり?置いてあるものが、あの店と似てるよね」
「天井のシャンデリアも?」
見上げると、宝石に彩られた美しい細工のシャンデリアが目に入る。
「きれい……」
クォーツやムーンストーンが優しく煌めいている。
「やっぱり、イヤリングも見れば良かったな」
「え?」
「水色の石もすごく合うから。同じ石のイヤリングも探せば良かった」
同じって、このペンダントと?
「これは、虹石の中でも、すごく珍しいものなんだよ?」
「そんなに?」
「虹石は加工の難しい宝石としても有名だから、原石に近い形のまま扱われることが多いんだ。……こんな形の原石なんて、滅多に見れないと思う」
美しい丸みも、先端がすぼまった形も。
何より、左右対称なところもすごく良い。
「虹石自体は大陸のあちこちで採れるんだけど、名前が付いたものは特別なんだ。透明感のある寒色系が水の虹石で、暖色系が炎の虹石。最も希少価値が高い黄色系は、幻の虹石、黄金の虹石って呼ばれるんだよ。この三種類は、どれもグラシアルでしか見つかっていない特別な石なの」
虹石は、光にかざすことで様々な表情を見せてくれる石として知られる。
水の虹石、炎の虹石は、内部に青い光や、赤い光が閉じ込められているように見える石だ。勉強にって見せてもらった黄金の虹石の捉えどころのない不思議な輝きは、今でも覚えてる。
「真珠みたいな球形とか卵型の楕円形も人気で、大きめのものは置物として使われるんだよ。触り心地もとても良いんだ」
「店で見たのは結構大きかったな」
「うん。今日、グラン・リューが見せてくれた暁の虹石は、すごく珍しいよ。炎の虹石の中でも最高峰だと思う」
暁の虹石……。
本当に、ずっと手元に置いておきたいぐらい魅力的な石だった。
炎のような揺らめきさえ感じる強い力のある石。
「同じ形の石を二つ揃えるのは難しそうだな」
「二つ?」
「イヤリングなら、二つ必要だろ?」
「えっ?でも、私……」
「真珠も似合いそうだ」
真珠なんて。意味、わかって言ってるのかな。それとも、これはグラシアルだけ?
「でも、私、ドレスなんて、もう着ないよ」
「なんで?」
「似合わないし……」
「似合うよ。すごく綺麗だし、可愛い」
どうして、簡単に、そういうことを言うの。
「からかわないで」
「からかってないよ」
エルが笑いながら言う。絶対、からかってる。
「ほら。料理が冷めるぞ」
冷める?前菜は、冷菜なのに。
エルが器用に箸を使って食べてる。箸は、やっぱり右手だよね。癖なのかな。美味しそうに食べてる。
私も食べよう。前菜は、サルモとポテトのディルマリネだ。
「あ……。美味しい」
良く食べていた懐かしい味のはずなのに、思ってたのと全然違った。すごく優しい味。
そういえば。
「エルは、コーヒーが好きなの?」
「あぁ。グラシアルには、あんまり無いみたいだよな」
「え?」
そうかな……?
城で飲むのは紅茶が多かったけど、コーヒーがないわけじゃないよね?
「あ。コーヒーって呼び方よりも、黒茶って呼び方の方が多いかな?」
「黒茶?」
「うん。いつも私が見てるレシピ本でも、黒茶って書いてあったから。もしかしたら、あんまりコーヒーって呼ばれてないのかも」
「黒茶か。それなら、あちこちで見かけたな」
ラングリオンもグラシアルも、ラングリオンの言語を基準とした共通言語を使っているけど、たまに違う言葉があるんだよね。
確か、チョコレートは、ラングリオンではショコラって呼ばれてるはずだ。
「リリーと居ると勉強になるよ」
「えっ?エルの方が博識だよね?」
「なんで?」
「魔法にも詳しいし、市場とか、ギルドとか……。宿のこととか……」
「リリーよりは、一般常識に詳しいだろうな」
エルが笑う。
一般常識の話じゃないのに。……あれ?一般常識なの?
「コーヒーを使った料理って、どんな料理だ?」
「料理っていうか……。お菓子だよ?」
私が作れるのは、料理なんて大それたものじゃない。
「じゃあ、作って」
「えっ?」
「得意なんだろ?」
どうして、そうなるの?
「そこまで得意ってわけじゃ……。それに、旅をしてたら作れないよ」
「ラングリオンに行けば作れるだろ」
作るの?
ラングリオンで?




