001 女王の娘
鎧を装備して、愛剣のリュヌリアンを背負う。
肩掛けの鞄を肩に引っ掛けようとしたところで。
『リリー。鞄が先だよ』
目の前にふくよかな水色の鳥が飛んで来た。
そっか。
大剣を下ろして、鞄を肩にかけてから大剣を背負う。
この上にマントを羽織れば良いんだよね。マントを身に付けて、フードを被って、鏡を見る。
髪型を高い位置でツインテールにしてるからフードがでこぼこしてる。
……変かな。
『まだ行かないの?』
そうだった。のんびりしてる余裕はない。早く行かなくちゃ。
部屋の戸を開いて周囲を見回す。
大丈夫。誰も居ない。
行こう。
『忘れ物はない?』
「大丈夫だよ、イリス」
生まれた時から一緒に居る氷の精霊は、とにかく心配性だ。
曲がり角から通路の先を見る。
大丈夫。ここも誰も居ない。
『本当に、そんな小さな鞄一つに全部入ってるの?』
「全部は無理だよ」
最初に用意した分を全部なんて持って行けない。
三年も旅をすれば、どうせ中身はすべて入れ替わる。だから、大事なものは置いて行くって決めていた。
『部屋に戻らなくて大丈夫?』
「大丈夫」
昨日の夜から妹のメルリシアと部屋を交換している。
せっかく今日の為に交換してもらったのに、わざわざ自分の部屋に行くんじゃ意味がない。
私の荷物はこれだけって決めている。
……ここも、誰も居ない。進める。
『約束の場所、忘れてないよね?』
「忘れてないよ」
この日の為に何度も通った場所だから大丈夫。
誰にも見つからないように気を付けて……。
『あ。迎えに来てくれたね』
「ソニア」
女王の娘になってから、ずっと傍に居てくれた魔法使いが足音を立てないように走って来る。
「リリーシア様、こちらです」
手を引かれて転移の魔法陣へ行くと、ソニアがすぐに転移の魔法陣を起動した。
転移する……。
転移の魔法陣は城内の移動法だ。城の中にある街、女王の娘の住む区画、魔法使いの住む区画、そして、女王の間に続く部屋。完全に壁で仕切られたそれぞれの区画へ移動する唯一の手段。
そして、私には使えない方法でもある。
到着した。
周りには誰も居ない。
「リリーシア様。先に、こちらの書類をお渡ししておきます」
「書類?」
「身分証です。後ほど署名の上、お使い下さい。決して失くすことのないよう管理なさって下さいね」
「わかった」
絶対、失くしちゃいけないやつだ。
「少々お待ちください」
ソニアが道の先を確認しに行く。
『失くさないようにね』
「わかってるよ」
大事に仕舞っておこう。
『知らない場所だね』
「うん」
見覚えがまったくない。初めて連れて来てもらった場所だ。
ソニアが走って戻って来た。
「こちらへ」
ソニアと一緒に向かった先に別の転移の魔法陣がある。
「では、外へ参ります」
頷く。
これが、城の外へ繋がる転移の魔法陣。
外界から完全に閉ざされた城から、外に出る唯一の手段。
ソニアと一緒に魔法陣に乗ると、ソニアが魔法陣を起動した。
※
明るい。
いつも見てるはずの空が、空気が、いつもと違って見える。
鳥の歌声が聞こえる。
風がそよぐ音も。
空気は少し冷たい。
でも、気持ち良い。
「ここが……」
ここが、城の外。
ずっと憧れ続けた場所。
私が三年間過ごす場所。
自由な世界。
「お急ぎください」
「うん」
ソニアの後を追って、急いでその場を離れる。
「教育係はテオドールという名です」
「そこまで調べたの?」
「はい。本名を名乗るとも限りません。どうか、お気をつけて。私がお供できるのはここまでです。この道をまっすぐ抜ければ、城下街へ出ます」
「ありがとう。ソニア」
「リリーシア様。どうか、ご帰還ください」
―でも、リリーは帰って来る気、ないんでしょ?
ごめん。ソニア。
ソニアを抱きしめる。
「今まで、ありがとう」
「リリーシア様……」
「さよなら」
ソニアを離して、進むべき方向に真っ直ぐ走る。
ごめんなさい。ソニア。
私は……。
※
たくさんの建物。
綺麗な色の屋根。
人の住む家がたくさんあって、お店もたくさんある。
色んな服装の人。
男の人もたくさん居る。
こんなに人が居るなんて。
「ここって、どの辺かな」
『城の出口がある場所は城下街の東だよ』
今居るのは、東。
『城下街の出口は南だからね』
南ってことは……。
「こっち?」
『どうしてそうなるのさ!城がある方は北だよ』
私が指した方向。
見上げた先にあるのが、プレザーブ城。
「綺麗なお城……」
私、あそこに住んでたんだ。
遠くから見ても綺麗なお城だよね。まるで物語に出てくるような……。
『ほら、ぼーっとしてないで。メルが頑張ってくれてる間に街の外に出るんだろ?』
そうだ。急がないと。
振り返って、お城とは逆の方向に進む。
メルにお願いしたことは、部屋の交換と、メルの髪型をツインテールにしてもらうこと。
今日の朝、私はメルの部屋で起きて、こっそり城の外に出て来たのだ。
だから、ソニア以外の城の人は私が出発したことをまだ知らない。
『本当に、リリーがやってることって、違反スレスレなことばっかりだからね。女王の命令に逆らったら、やばいって知ってるだろ』
「逆らってないよ」
今日は出発の日で外に出るのは問題ないし、出発の挨拶は義務じゃない。メルに私のふりをしてもらってるのだって、ただの遊びの延長みたいなものだ。
女王に逆らってるわけじゃないから大丈夫。
たぶん。
『朝ご飯だって食べずに出て来たじゃないか。メルとの最後の食事だったのに』
それは、メルもわかってたんじゃないかな。
だから、昨日の内に誕生日おめでとうって言ってくれたんだ。
『リリー。テオドールって知ってる?』
「知らない」
『だよね。ボクも知らないし。教育係に知ってる奴を選ぶわけないか』
教育係。
私が逃げなくちゃいけない相手だ。
『アリシアの場合は、変な人たちに絡まれたところを共闘してくれたって言ってたよね』
「それで、意気投合して出発したんだよね」
二番目の姉のアリシアから貰った手紙には、教育係のことが詳しく書かれていた。
教育係は、素性を隠して、外の世界に慣れていない女王の娘をサポートする役目の人だ。
女王の娘のことを詳しく知ってるから、私たちの信用を勝ち取る方法をいくつも用意しているらしい。そして、自然な流れで同行者を必要としている私たちの仲間を買って出てくれる。
それだけなら、良いのだけど。
教育係は、私たちが旅慣れた頃を見計らって、最初の呪いの受け手となることも決まっているらしい。
それだけは、絶対に嫌。
「イーシャとポリーの時はどうだったのかな」
一番上の姉、ディーリシア。そして、三番目の姉、ポリシア。二人とも、同じように城下街で同行者を探して、王都を出発しているはずだ。
『ポリーは、大人しく教育係の話に乗るって言ってたよね。真っ直ぐ冒険者ギルドに行くって』
「うん」
私も、一人旅は危険だから冒険者ギルド等で仲間を探すように言われてる。つまり、冒険者ギルドには間違いなく城の人間が紛れてるってことだ。だから、冒険者ギルドは使わないって決めてる。
『とりあえず、騒ぎを起こさないように、さっさと王都を出よう』
「うん」
頭の良いアリシアは早々に教育係の正体を見破って、こういう話を聞き出せたらしいけど。本来、教育係は自分が城の人間だなんて教えてくれないものらしい。
でも、私はアリシアみたいに、近づいてきた人の素性を見破る自信なんてない。私に出来ることがあるとすれば、城の人間が私の出発に気付く前に急いで街を出ることだけ。
だから、メルに頼んで逃げ出す時間を作ってもらったのだ。
でも……。
思っていたより城下街は広そうだ。出口がどこにあるかわからない。
『中央通りに出た方が早いかな』
「中央通り?」
『プレザーブ城の正面から伸びてる真っ直ぐの道だよ』
中央の通りって……。
『だから、そっちじゃないって!ボクらが進む方向は西だよ。ここから右』
右。
あっち?
急に、強い力で肩がぶつかった。
『あ』
見上げた目の前に居るのは、大柄な男の人。
「おう、嬢ちゃん。俺にぶつかるとは、良い度胸してるじゃねーか」
『うわぁ。絵に描いたような展開だよ』
反射的に、自分が背負う剣に手をかける。
『リリー。戦っちゃだめだ。逃げるよ』
そうだった。
この人、たぶん城の関係者だよね。
関わらないようにしなきゃ。
剣から手を離して走る。
「待て!」
逃げなきゃ。
……追いかけてくる。
「どっちに逃げれば良い?」
『ええと、とりあえず、人の多いところを通って行ったら?』
「わかった」
人がたくさん……。
こっち?
そっち?
知らない人にぶつかる。
「ごめんなさい」
どうしよう。ここ、どこ?
「ごめんなさい」
人にぶつかってばかりで、全然進めない。
追いかけてくる気配を引き離してる感じもない。
どうしよう。
誰かに助けを求める?
でもそれが城の人間だったら?
あちこちに魔法使い特有の光が見える。
水色。
城の魔法使いと同じ色。
水色。
敵か味方かわからない。
『リリー、追いつかれちゃうよ』
どうしよう。
……あれ?
何?あの、強い光。
初めて見る。
赤い……。
『あ』
ぶつかる、と思った時には、ぶつかっていた。
「いってぇ」
赤い光に包まれる。
なんてすごい魔力。
城にもたくさん魔法使いはいたけど、こんな輝き、見たことがない。
この人は城の人じゃない。
絶対に違う。
「助けて」
振り返ってくれた金髪の魔法使いを見上げた瞬間。
濃い紅の瞳と目が合う。
静寂に放り込まれたような感覚を味わったのは一瞬。次の瞬間には、すぐに現実に戻ってこれた。
なんて綺麗な瞳。
吸い込まれそうなほどの紅。
体が熱い……。
「ったく」
何かが地面にぶつかって割れる音がしたかと思うと、辺りに煙が立ち込めた。
「来い」
驚いている間もなく左手を引かれて、一緒に走る。
……助けてくれた。
「ありがとう」
それに、この人、すごい。
こんなに人がいっぱい居るのに誰にもぶつからずに走ってる。
さっきよりも、ずっと速く移動してる。
『リリー。気を付けてよ。城の人間かもしれないんだから』
違うよ。
城の人間なんかじゃない。
だって、こんな赤い光の魔法使いを見るのは初めてだもん。
この人は大丈夫。
※
どこをどう走ったのか分からないけど、いつの間にか賑やかな通りに出た。
「この辺まで来れば大丈夫だろ」
さっきと違う場所だよね?
逃げ切れたのかな?
「じゃあ、気を付けてな」
「待って」
去ろうとする彼の腕を掴む。
行かないで。
「なんだよ。礼ならいらないぜ」
「違う。……その、助けてほしい」
「助けてやっただろ?」
「そうじゃなくって……。そうなんだけど……」
なんて言ったら良いんだろう。
考えがまとまらない。
離れたくない。
『リリー。何してるのさ』
紅の瞳に、肩より長めのゆるくウェーブのかかった柔らかそうな金髪。くせ毛なのかな。声を聞いてなければ女の人と見間違えそうなぐらい綺麗な人だ。
年齢は若そう。私よりは年上?
……あんまりじろじろ見るのは失礼だよね。
背は、私より頭一つ分ぐらい高い。アリシアよりも高いかな?グラシアルは背の高い人はそんなに居ないはずだ。
服装も旅人っぽい。マントも付けてるし。
だから、グラシアルの人じゃない。たぶん。
それに、城の人間じゃない。これは間違いないと思う。
城下街の出口まで連れて行ってって言えば、連れて行ってくれるかな。
なんて説明したら良いんだろう。
「私を、守ってほしい」
見上げると、濃い紅の瞳と目が合う。
綺麗。
初めて見る。こんなに綺麗な瞳。
吸い込まれそう……。
あぁ、どうしよう。
心臓の音が、すごく速くなる。
「護衛依頼なら、冒険者ギルドに行け」
『ギルドはまずいよ』
わかってる。
ギルドには、城の人間が混ざってる。
だから。
「あなたじゃないと、だめなんだ」
『え?ちょっと、リリー?』
お願い。
「どういう意味だ?」
「私の名前はリリーシア。リリーシア・イリス・フェ・ブランシュ」
『馬鹿!』
名前を聞いても驚いたりしてない。
「貴族なら、よけいに信頼できる筋を頼んだ方がいい」
私に積極的に関わろうとしてない。
「この国の人間じゃないんだよね?」
「違う」
やっぱり。
城の人間とは無関係の人だ。
「お願い。出来るだけ早く、この街を出たい」
「なんで……」
『何言ってるんだよ。一度助けてもらったぐらいで』
だって、今は、この人しか信頼できる人を見つけてない。
『本当ね。こっちを見てる人が居るわ』
え?
イリスみたいに少しぼやけた声がする。
これは精霊の声だ。
でも、こんなに近くから聞こえるのに、周りには声の主らしき精霊が居ない。
『ここに留まっているのは危険では?』
また、聞こえた。
「今の声、誰?」
すごく近い。
『あら。聞こえているの?』
「どこに居るの?」
今度は、はっきり私に向かって話しかけてくれた。
なのに姿が見えない。
『今は、姿を見せられないのだけど』
「どうして?」
声が聞こえてくるのは……。
この人の方から?
『なんて言ったら良いかしらね』
間違いない。
この魔法使いから聞こえてるんだ。
もしかして、この人と契約している精霊の声?
でも、契約中の精霊の声って、契約者にしか聞こえないんだよね?
「こっちに来い」
「え?」
また、左手を引かれた。
どこに行くの?
※
『ねぇ、いつまで付いて行くの?』
歩調が早い。
いつもより早足で歩かなきゃ。
『こいつが城の人間じゃないって保証はないんだからね』
でも、この国の人間じゃないって言ってたよ。
『リリー、気を付けて』
囲まれた。
武器を持った大柄な人が五人。魔法使いの光はない。
これぐらいなら戦えるけど……。
「大人しくその女を渡しな」
「なんで?」
「でっかい剣で俺にぶつかって来たからに決まってんだろ」
『剣はぶつかってないよ』
そうだよね。肩がぶつかったぐらいだと思う?
「人違いじゃないか?」
「そんな長い髪で派手なマント付けた女が他に居るわけないだろ」
髪?
あっ。いつの間にかマントのフードが外れてる。
せっかく隠してたのに。
「お前たちこそ、女一人相手に何人連れてきてるんだ。ちょっとぶつかったぐらいにしちゃ、やりすぎじゃないのか?まさか、人さらいじゃないだろうな」
「うるさい!さっさと女を渡せ」
どうしよう。
やっぱり戦うしかないの?
「断る」
え?
手を繋いだまま、彼が私をかばうように一歩前へ出る。
そして、周囲に炎が現れた。
赤い揺らめきの魔法。
『炎の魔法だね』
「くそっ。魔法使いか!かかれ!」
剣に手を掛けて備えたけど、攻撃して来ようとした人全員の動きが止まった。
「なんだ?」
「動けない……!」
どういうこと?
『闇の魔法かな。闇の魔法には、相手の動きを封じる力があるらしいよ』
そうなんだ。
魔法は、精霊と契約しなくちゃ使えない。
この人は、炎の精霊と闇の精霊と契約してるってこと?
今度は、周りで揺らめいていた炎が敵の男の人たちに向かって放たれる。
えっ?
「待って。そこまでしなくても……」
「これぐらい、大したことじゃないだろ」
「だって、燃えてる」
「魔法の炎は自然現象の炎と違う」
「そうなの?」
『そうだよ。人間が精霊と同等の魔法なんて使えるもんか』
確かに、衣服が燃えてるようには見えない。
「魔法、見たことないのか?」
「こういうのは……」
魔法の炎って、そんなに自然の炎と違うものなの?
「あの……。本当に、大丈夫?」
「こんなんじゃ死なないし、火傷も出来ない。大したことじゃないって言ってるだろ」
『大丈夫だって言ってるだろ。あんまり騒がないでよ』
だって。
人に向かって攻撃する魔法なんて、初めて見たんだもん。
「ごめんなさい……」
目の前の炎が消えて、男の人たちが倒れた。
「あ……」
「眠りの魔法だよ」
『闇の魔法だね』
これも、闇の魔法。
魔法は戦う手段として使われるものでもあるって知ってたけど……。
こんな風に使うんだ。
「これで全部か?」
倒れている人たちを見下ろす。
この中にテオドールは居るのかな。
……居ないよね。教育係は、私を助ける役のはずだ。
『こっちには来ませんね』
え?まだ誰か居るの?
どこ?
「おい!隠れてるのはわかってるんだぞ!出てこい!」
探せない。
見える範囲に人なんて居ない。
「追尾してくれ」
『了解』
「わっ」
急に飛び出てきた黒い影を反射的に避ける。
見上げると、闇の精霊が飛んで行くのが見えた。
……今の精霊、この人から出て来たよね?どういうこと?
『リリー。触れないんだから驚かないでよ』
そんなことわかってる。
顕現していない精霊は、自然に溶け込んだ状態。触ることが出来ない存在だ。
でも、イリスはびっくりしなかったの?
あんなに突然現れたのに。
「とりあえず、こっちに来い」
また手を引かれて、速足で付いて行く。
そういえば、あの闇の精霊の声は、さっきの声と違う声だったよね。
もしかして、最初に私と話してくれた精霊も闇の精霊みたいにこの人の中に隠れてるってこと?隠れてなきゃいけないから、姿を見せてくれないだけ?
「お前、精霊が見えるのか?」
「え?」
えっと……。
見上げると、氷の精霊と光の精霊が空の上で踊っているのが見える。
あそこに居るのは誰とも契約していない精霊だ。
「精霊が自然の中にたくさん居るのは知ってるんだけど……。その……。人の体から出て来るのは初めて見たから。だから、びっくりして……」
だって、城の中では、契約している精霊は契約者の肩とか頭に乗っていたから。
体の中に隠れてるなんてことはなかった。
「お前、いったい何者だ?」
「私は、リリーシア・イリス・フェ・ブランシュ」
さっき、名乗ったよね?
『リリー。たぶん、聞いてるのはそういうことじゃないと思うよ』
違うの?
そっか。異国の人だから、グラシアル女王の名前を知らないんだ。
「今のグラシアル女王の名前はブランシュ。私は、女王の娘なんだ」
「……は?」
『もう。何でもかんでも喋っちゃうんだから』
だめなの?
女王の娘って言ったら。