Report.08 『扇動犯』
少しだけ時間が欲しい、と言ったらリタさんは快く了承してくれた。彼女は騎士団の小屋へ戻ることを伝え、私の家を一足先に出た。
部屋を出ると、お祖母ちゃんがテーブルに着いてお茶をしていた。再び日が昇っていることから察していたけれど、私はあれから丸一日眠っていたようで、大層心配された。
私が大丈夫だと分かるとお祖母ちゃんは安心したような顔をして、それから二人でお茶をした。他愛もないことをいくつも話した。
日が傾いてきた頃、ふと、お祖母ちゃんが一つの箱をテーブルに置いた。コト、と軽い音。
「なあに、これ」
「いいから開けてみな」
「?」
中を覗くと、そこには私にぴったりの帽子が入っていた。頭頂部に耳が生えている私に、ぴったりの形をした帽子だった。
「レドも年頃だし、外を歩くなら可愛くオシャレしないとね。尻尾は――アンタのチャームポイントだから、そのまんまでもいいだろう」
そう言ってお祖母ちゃんはカラカラと笑った。
「お祖母ちゃん……」目元にじわっとした熱を感じる。
「レド、アンタは優しい。優しすぎる。お祖母ちゃんがあんまり褒めるから、だから隠せる耳だって隠さずにいた。そうだろう? もっとワガママでいいんだよ。……本当は尻尾の方もなんとかしてやりたいけど、お祖母ちゃんには上手いアイデアが思いつかなくてねえ」
お祖母ちゃんは少しだけ申し訳なさそうにする。
「ううん、嬉しい。それに尻尾は――」
感謝、喜び、幸せ。それを伝えるために今の私に出来るお返しはひとつだけ。
「尻尾は、私のチャームポイントだからね」
そう言って、お祖母ちゃんにとびっきりの笑顔をプレゼントした。
家を出て、目の前の分かれ道を右へ。すぐに西へは向かわずに、北からぐるっと村の外側を回る。村の中心はなるべく通りたくない、というのもあるけれど――
「や、トリエ」
「おう、レド。いらっしゃい」
トリエの家を訪ねると、彼は家の外の椅子に座って弓の手入れをしていた。窓の中を覗くと、ベッドで身を起こしているアーチェおじさんと目が合った。軽く会釈をすると、おじさんは微笑みながら頷いた。
「親父、こないだのアイツらをバタバタなぎ倒していたんだけど、調子に乗りすぎて足をひねったんだよ」
えげつねえ音がしてさあ、そう言ってトリエが笑う。
「大丈夫なの、それ? お見舞いとか――」
「いらんいらん。レドも知ってるだろ、親父は口下手だし、別れ際なんてどうしたらいいのか分からないだろ、きっと」
少しだけ遠い目をする彼に、どう声をかけたものか少しだけ逡巡する。
「……トリエも大活躍だったらしいね、リタさんに聞いた」
「仕留めたのはほとんど親父だよ……二人で合計五体、親父は四体な」
トリエは呆れたようにそう言った。
「でも、その一体のお陰で私は助かった」
「――その前にレドが頑張ったからだろ。俺はトドメを貰っただけ。狩人としてはどうだろ」
「ありがとう」
本心からそう伝える。
「……なんというか、そう素直にお礼を言われると、うん」
トリエはごにょごにょと口ごもり、慌てて取り繕うように続けた。
「あのときリタさんが教えてくれたんだ、レドの行先。広場に辿り着いた辺りで親父が足をひねったから、どうしたもんかと思っていたんだけど、リタさんとなんかすごくデカい獣が暴れまわってたから、任せてレドを追いかけた」トリエは事情を説明する。
その後に続く言葉が見つからないのか、彼は視線を迷わせ、私の頭上のものに気付く。
「それ、帽子か?」
「そう、お祖母ちゃんがくれたんだ」
「へー! いいじゃないか。うん、よく似合ってるよ」
トリエの笑顔になんだか少しだけ気恥ずかしくなって、私は顔を逸らす。
少しの間。やがて、沈黙を嫌うようにしてトリエが口を開いた。
「……なあレド。俺たち幼馴染だし、兄妹みたいなもんだろ? なんというか、その、だから勘違いしないで欲しいんだけど」
「え、改まって、なに」
言い終える前に、トリエが私の体を抱き寄せた。
「――えっ」
驚いた私は、彼の体が震えていることに気付いた。私の肩のところを強く握る手。
「痛いよ、トリエ」抗議するけど、その手は離れなかった。
「俺だって細っこいのに、レドはそれよりもずっと細い。背だって俺より小さい、こんなにだ」
「……」諦めて、トリエの言葉を黙って聞く。
「俺はレドが心配だ、本当は行ってほしくない。でも、俺には止める権利もその度胸もない。それなら一緒に行ってやればいい、そう思うけど――」
その先を、彼には口にしてほしくない。させたくない。だから私も腕を回した。
「いいんだよ。前に言ったでしょ、騎士団の人に申請すれば、別にいつだって帰って来られるんだから。リタさんはその騎士団の人だし、きっと協力してくれる」
そう、これは何も永遠の別れではないのだから。
「……そうだな。リタさんがお前のことを大切に思ってくれているのは俺にも分かるよ」
「うん。だからトリエは村と、アーチェおじさんと、それからお祖母ちゃんをよろしく。私が居なくなったら、きっとお祖母ちゃんは寂しがるから」
「そりゃあそうだろ。俺も、親父も、寂しいよ」
「あはは。私は幸せ者だねえ」
「笑うなよ、ばか」トリエも少しだけ笑って、それからそっと離れた。
「ねえトリエ、一つだけ約束してあげる」
「約束? なんだよ」訝しむ彼に、悪戯っぽく微笑みかけた。
「今度会ったらさ、私の尻尾、触らせてあげるね」
そう告げて彼の表情を盗み見る。きょとんとし、眉をひそめて首を傾げていた。
……くそ、お祖母ちゃんめ。
騎士団の小屋に辿り着くと、すぐにリタさんが迎え入れてくれた。
「そこで少し待ってて。もうすぐ荷造りも終わるから」
小屋の中の机の上には、見たことのない本が並んでいた。気になって一冊を手に取る。
「これ……」
「あ!」リタさんが慌てたように声を上げる。
「えっ、えと、見ちゃまずかったですか?」
そう問うと、彼女は再び慌てて否定した。
「や、大丈夫。それは元々君にあげるつもりのものだったから」
サプライズのつもりだったんだけどね、そう言ってふにゃっとはにかむ。『よいこの魔術概論』の続刊がひとつ。ほかの本は見たことのないラインナップだった。パラパラと中をめくる。
「これを全部、私に?」
「そうだよ」荷物を弄りながら、何でもないことのようにリタさんは言った。
「でもこれ――」
見たことがないのも当然だ。それらの本には、二区についての情報がたくさん記されていたのだから。『扇動犯』――その言葉が頭を過ぎる。
「もしかして、リタさんって悪い人?」
疑うように見ると、リタさんは悪い顔をする。
「私が悪い人になるかは君次第、ってね」
そういうこと。私が二区から先へと進む決断をすると信じていたから持ち込んだのか。
「いや? 君が村に留まる選択をしてもそれはあげるつもりだったよ。君さえ黙っていてくれれば、別に誰にもバレないし。君は賢いから、ほら、そういうのちゃんと分かるでしょ?」
「人の心を読まないでくださいよ」
悪い人だった。
そこでふと、疑問を覚える。
「でも、元々は昨日渡す予定だったんでしょ? 『根』のことがなくても、この話はしてたってことですか?」
「……仮にしたとしても、君がそれを受け入れてくれたかは分からないけどね」
「?」
「つまり、私は悪い人ってことさ。少なくとも、善人じゃあない」
言葉の意味が分からずに、怪訝な顔をしてしまう。
そんな私の反応に満足したように、彼女はくすくすと笑う。
「旅の始まりに、私の得意な魔術を一つ教えよう。私はね――未来が見えるんだ」
「へ、未来?」いくら魔術でも、そんなことが可能なのだろうか。
「目的や範囲を限定すれば、あるいはね。私の場合は――とりわけ良くない未来がよく見える。嘘じゃないよ、私は冗談は言うけど、嘘は絶対に言わないんだ……友人の受け売りだけどね」
「よく分からないけど……要するに冗談ってことですか?」
私の返答に、彼女は再びふにゃっと笑った。
「あはは! 確かに、今の言い方だとそう取られても仕方ないね!」
なんというか、掴みどころのない人だった。よくよく考えると、出会ったときの第一印象から裏切られっぱなしな気がしなくもない。とにかく、と彼女は区切って、
「君と何度かおでこを合わせたろ? あのとき実は、私は君の未来を読んでいたのである」
「それは何とも、嘘っぽいですね」
「だから嘘はつかないってば。冗談は言うけどね」
「なら訂正……それは何とも、冗談っぽいです」
彼女は満足げに、そして得意げになって頷いた。
「もし仮に冗談だとしても、未来が見えるお姉さんの予言はきっと君の助けになるぞ。うん、だから君のために断言しよう。君の行く末は晴れやかだ。安心して進むといい」
そう言って、美しい顔をふにゃっとさせてはにかむ彼女。
「――良くない未来がよく見えるんじゃなかったんですか? 話と違うよ」
私は言う。
「違うものか。その証拠に今、私には君の未来なんて微塵も見えないんだから」
リタさんはどこか晴れやかな笑顔で即答した。
「……はは」
何だか筋が通っているように感じてしまい、観念して負けを認めた。
唐突に訪れた旅への誘い。それに対する悩み、苦しみ、そして戸惑い。そういった諸々は、彼女と話しているうちに何処かへと消えていく。
そうして私たちはシャローナの村を出た。
先に待つものは未知。確実に待つのは危機。
それでも――それでも。
それでも、私の未来は、この場の誰にも分からなかった。