Report.07 君の友人
気が付くと自室のベッドの上だった。カアカアと、私の目覚めを誰かに知らせるかのように、窓際に止まっていたクロロとロロゥが揃って鳴いた。
「おはよう、レドナ」
凛とした声を聞く。
私の目覚めに気付いた彼女は、温かな日差しを浴びながら微笑んだ。
「おはよう、ございます。リタさん」
何故彼女が私の部屋に居て、私は眠っていたのだろう。疑問は尽きないけれど、美しい彼女の顔、その頬に似つかわしくない無骨なガーゼが貼ってあるのが気になった。
「ああ、これ?」
彼女は照れくさそうにはにかんだ。いつかと同じ、ふにゃとした笑顔。
「大したことはないんだけどね。ほうっておいたら、ここに来たとき君のお祖母様に」
彼女はガーゼに手を当ててそう教えてくれた。なるほど、如何にもお祖母ちゃんらしかった。
「君に似て優しい素敵なお祖母様だね――いやそれは違うか。君が、お祖母様に似たんだろう」
リタさんは目をそっと閉じ、歌うようにそう言った。
服装はいつもの制服とは随分と違うラフな感じで、軍帽も外套も身につけていない。それでもしっかりと、綺麗な銀髪を後ろで一つに結わえていた。
「私は、お祖母ちゃんはどうなったんですか? 村は? トリエは?」
「皆無事だ、大丈夫だよ。君は本当によく頑張ってくれた。疑問はたくさんあるだろうし、私はそれに答えるためにこの場に居ることを許してもらったんだ――えへへ、一番乗り」
ヤツらと戦っていたときのような厳しい表情はすっかり消え去っていて、私はなんとなく、こちらが彼女本来の姿なのだろうと思った。
それからあの後の話を聞いた。魔力を使い果たしてしまった私は、トリエが助けてくれたところで安心して倒れてしまったらしい。お祖母ちゃんが私を背負いながらトリエと村へ戻った頃には、村の『根』は消えていた。リタさんは私との約束通り、次々と湧いてくるヤツらを逃さぬよう奮闘していたが、しばらくすると、出てきたときと同じく唐突に、『根』は地面の底へと潜り込んでいったそうだ。
「騎士団ではヤツらを『シ者』と、そう呼んでいる」
「シ者……」
「ヤツらは人を狩るために現れるんだ。とりわけ、魔力に長けた者を狩るために、ね。ヤツらが襲うのは人だけ。その証拠に、村には怪我人こそいても、その景観はほとんど崩れちゃいないだろう」
もちろん『根』が開けた穴は塞がないとだけど、そう付け加えるリタさん。
「シ者にはいくつか種類がいるけど、その大半は村の広場で見たような雑兵。多少の心得がある者なら、単独相手はなんとかなる。問題はその数が多いってことだけど……トリエくんも、君を助けに行くまでに父親と共に何体か倒したと聞いたよ」
勇敢な子だ、リタさんはトリエを褒めたが、私も流石に今回ばかりは「いや、そいつビビりですよ」とは訂正せずにおいた。近頃のトリエはそこまでビビりではなくなった気もするし。
「じゃあ、アイツは」私はあのおぞましいシルエットを思い返す。
「君が戦ったというのはもう少し上位の個体だろう。ヤツらが現れるとき、それを束ねるようなリーダー格が現れることがある。それがまさか、よりによって君と戦う羽目になるなんて」
リタさんは申し訳ないという顔をする。彼女が責任を感じる必要などないというのに。
「あのとき、そうすると決めたのは私だから。……それに」
そう、それに。
「ねえリタさん。シ者の中には、人の言葉を喋るヤツも居るの?」
彼女は、きょとんと一瞬、本当に不思議そうな顔をする。
「え、まさか喋ったの? ……それで、なんて?」
あのおぞましい音を思い出してしまう。私はリタさんの顔を直視できず、視線を下に落とす。
「『見つけた』って、そう聞こえた」
「…………っ」再び視線を上げると、リタさんは悲痛な表情を浮かべていた。
まさか、彼女は先程そう言った。つまり喋るシ者なんてものは彼女も知らないってことだ。それが意味するところはなんだろうか。単なる私の思い違いで、言葉のように聞こえただけとか。もしくは、やっぱり私の何かが、あるいは全てが異常なのか。やがてリタさんは重々しく口を開いた。
「――『根』が現れるのには、条件がある」彼女は告げる。
「地域ごとに魔物の強さが違うって話、聞いたことがあるでしょ? 胎樹に近づくにつれて、魔物は強力になる。だから王国は連盟全体を三つの区に分けた――この話では言及されないけど、実は人間に関しても同じようなことが言えるんだ」
「……どういうこと?」
「要するに、魔力。生物に備わる魔力の量が、胎樹からの距離によって明らかに違うの」
近づくにつれて、より多く。より強力に。
「だから騎士団は越境管理官なんて役割を設けて、人の出入りを把握してる。極端な力の差は、時に争いを生むから。それは君にもよく分かるだろう、レドナ」
つまり分かりやすく言えば、イジメが起きる。そういうことだろう。
「でも、事はそれだけじゃあないんだ。人同士の争いであるならば、話し合いで解決できることもあるだろう。問題は、特定地域の魔力分布に著しい偏差が生じた場合。『根』は、シ者は、それを敏感に嗅ぎ取って、必ず狩りに来る」
魔力分布の著しい偏差。例えば、二区から三区へと一度に大量に人が移動するとか、基準値を大きく超えるような魔力を持つ者が偶然生まれるとか、そういうこと?
「あるいは、ぐんぐんと成長して、その過程で高い魔力を持つに至る者が現れる、とかね」
彼女は言葉を選ぶように逡巡していたが、迷いを振り切るようにして首を振った。
「どう取り繕っても君を傷つけてしまいそうだから、率直に言う。君は異常なんだ、レドナ」
異常。
他人に真正面からそう言われたのは久しぶりな気がする。似たような言葉は、たくさん。
「人はそもそもが違うもの。普通なんてものは幻想で、まやかしでしかないけど、その中でも君は、なんというか、特殊で、特別で――」
そして、異常。
「だけど勘違いしないでほしい。君の異常は、君の才能だ。君の持つ個性であり、活かすべき特長なんだ。周りがなんて言おうが、世界にどんな反応が起ころうが、私はそれを愛おしく思うし、願わくば、君にもそうあってほしいと思っている。君のお祖母様も、トリエくんも、きっとそうだろうと私は思う」
私を愛してくれる人の名を、彼女は呼ぶ。
「――君は賢い。魔力や魔術のことだけじゃない、君は同年代の子供に比べて随分と賢い。あえてこういう表現をするけど、普通の子は、どんなに魔力を持っていたってヤツらとは戦えないし、あんな風に即断することもできない」
リタさんの目は、真剣だった。
「君はその異常を正しく活かした、だからお祖母様は助かったんだ」
私を、そう肯定してくれた。
その気持ちは嬉しい、とてもありがたいと思う。
けれど、彼女に言わせれば私は賢いから。だから目を背けることは、できない。
「それでも、私が居たから『根』は現れた」
リタさんはその言葉を聞いて、整った顔をくしゃくしゃにする。
いつかと同じようにおでこをくっつけて、私を優しく抱き寄せた。
「それに、私が魔術を使ったから。お祖母ちゃんが禁止していた魔術を、ずっと」
「一つだけ訂正させてほしい。『根』が現れたのは何も君だけのせいじゃない。言ったでしょ、区を跨いで人が移動することにだって、危険性はある。だから今回のことを君にだけ背負わせたりはしない。責任の半分は私にもある。むしろ私が来なければ、『根』が生えることもなかった」
これまでと同じようにね、彼女はそう言った。
「だけど遠からず、きっと同じことになっていた。それも事実。だから」
だから。
「だから、私は君を迎えに来たんだ、レドナ・フィールド」
リタさんは諭すように告げる。
「もちろん君には選択肢がある。全てを知った上でこの村に残るか、それともここを旅立つか。どちらを選んでも私は君の選択を尊重する。村に残るのなら、これ以上魔力の偏差が生まれぬよう出入りは厳重に管理して、君の安寧を守ろう。旅立つのなら、君の悩み、苦しみ、戸惑い。その全てを受け止めて、君の行く道を支えよう」
いつか村を出よう、そう思ったことは一度や二度ではない。だけれど、そのいつかが来たときの覚悟を、私はしていなかったのだと気付いた。
最後に私からおでこを離し、真正面から見つめて彼女は言った。
「ここから先は子ども扱いしない、君の友人の一人としての言葉だ。――いい? レドナ、もう何も知らなかった君では居られない。だからこれから先の選択には、君が、君だけが責任を持たなければいけない。誰かが責めなくても、きっと君自身が責任を背負うことになるだろう。そしてその原因を作ったのは私だ。だから君は、私を恨んでくれていい」