Report.04 『根』
「明日は久々に私が狩りに出ようかねえ」
食事を終えると、お祖母ちゃんがそんなことを言い出した。
「えっ。お祖母ちゃんが狩りって、本当に?」
私が『これっきり』になってしまったから? 私のせいでお祖母ちゃんの負担が増えてしまう。そう思った私はなんとか止めようとしたけれど、
「馬鹿、お祖母ちゃんを甘く見るんじゃないよ。これでも昔は村一番の狩人だったんだ、本当だよ? 今でも野ウサギくらい訳ないさ」
そう言って聞かないお祖母ちゃんに結局は根負けしてしまった。確かに、聞いた話によるとお祖母ちゃんの狩りの腕はかなりのものだったらしいし、たまには思い切り体を動かすのも、かえって気晴らしになっていいのかもしれなかった。
「それよりもレド。またクソガキ共に乱暴をされただろう? ふわふわの耳と尻尾が台無しだ。櫛を入れてあげるからこっちに座りなさい」
「あ、うん」
お祖母ちゃんには何もかもお見通しなようだった。観念して、お祖母ちゃんに身を委ねる。
「…………」
「相変わらず手触りのいい尻尾だねえ……こんなに愛らしいのに、乱暴にするなんて信じられない奴らだよ。あんなのにいいようにされるなんて、トリエが聞いたら黙ってないよ。なあレド、いつだって抵抗して構わないんだからね。あんな奴ら、あんたがその気になれば――」
「お祖母ちゃん、それは言わない約束でしょ」
「……そうだね、悪かったよ。でもねえレド――そうだ、なあ。トリエにはこの尻尾、触らせてやったことはあるのかい?」
「――は?」質問の意味が全く分からず、当惑する。
「え、は? な、何の話? お祖母ちゃん」
「チャームポイントの話さ。女の子にはたくさんの武器があるけど、レドの武器はもっぱらこれだね。もちろん顔も可愛らしいけど、これを使わない手はないよ」
どうしよう、話の流れについていけない。
「……よく意味が分からないけど。別にトリエは私の尻尾に興味なんてないと思うけどな。幼馴染だからパンツを見ても何とも思わないって言ってたし」
「え、見せたのかい?」
「いや見せてない」
「?」お祖母ちゃんが困惑している。そりゃあそうだった。
「うーん、トリエも絶対触りたいと思うんだけどねえ……お祖母ちゃんの勘は間違いないよ」
ぶつぶつと呟いているお祖母ちゃんだった。私は会話を切り上げて、お祖母ちゃんが入れてくれる櫛の心地よさに集中する。
「――ねえ、お祖母ちゃん」
「なんだい?」お祖母ちゃんの声は変わらず優しい。
「これから先、私が狩りをできなくなっちゃったら、お祖母ちゃんがずっとしていくの?」
気になっていたことを口にする。お祖母ちゃんの愛情は嬉しいけれど、だからこそお祖母ちゃんの重荷にはなりたくなかった。役立たずになってしまう自分が恐ろしかった。
「馬鹿だね」お祖母ちゃんは呆れたように笑う。
「レドはまだ十二歳だろ? あんたがなんと言おうが、あんたは子供だ。子供に頼りきりになる親がどこにいるっていうんだい。あんたの狩りがないと生きていけないわけでもなし、レドはレド自身のことだけ考えていればいいんだよ。それに――」
お祖母ちゃんは、それこそ子供のように悪戯っぽく微笑んだ。
「――勘違いしないでおくれよ、レド。『これっきり』になったのはあんただけ。要するに、獲物を届ける役さえ他に用意すれば、狩るのは誰だって構いやしないんだよ」
その翌日、久しぶりに深い眠りから目覚めると、既に朝日が空高く昇っていた。
「うわ、もうお昼前だ」
慌ててベッドから身を起こす。部屋にも居間にも、お祖母ちゃんの姿はなかった。恐らくまだ狩りに出ているのだろう。ちなみに二羽の飼いガラスも外出中のようだった。彼らは基本的に自由なので、窓さえ開いていれば勝手にご飯を食べて、勝手に眠りに戻ってくるのである。
結局、今後も私の狩りは続けていいことになった。ただし、お肉を売るのはお祖母ちゃんの役目で、一旦獲物は持ち帰る、そういう約束だ。それでもやはり久しぶりに体を動かしたいということで、今日はお祖母ちゃんが出ることになったのである。
(まだ帰ってない……昨日の復習でもして待ってようか)
昨晩は翌朝の予定がなかったので、遅くまで自室に蓄えた本の山に溺れて過ごした。
『よいこの魔術概論』。昔から私が愛読している魔術の教科書。入門編として王国中で親しまれている、西境の賢人が記した良書だ。ざっと全体を通読して魔術の概要を掴んで以降は、自分に合った魔術を見つけてその習熟度を高めていくという設計だった。私が身につけている魔術は大きく分けて二つ。風魔術、それと、
(ええと、身体強化……このページだ)
魔術とは、全ての生物に備わった魔力、いわば精神的なエネルギーを術式に従って形式的に運用し、再現性を持った現象を発露させるための技法のこと、らしい。精神的なエネルギーというのがミソで、ちからこぶを作ればすぐにそれと分かる筋力とは違って、人によってイメージの仕方は千差万別。トリエのように、うまくイメージを抽象化できず魔術を使いこなせない人も多い。私にとっては、『意識の流れ』がそれにあたる。風魔術のときは、己の内側で意識を加速させながら螺旋を描き、十分な威力になった時点で放り出すようにして解き放つ。
そして、身体強化の場合は。
「まずは、右腕――」
右腕に全神経を集中させる。体中から意識を流し込み、右腕全体に浸透させるイメージ。それらが行き渡った瞬間に、
(力を、込める!)
四人は掛けられる居間の分厚いテーブルが、私の細腕一本で持ち上げられていた。
(よし! で、そのまま――)
意識を即座に左腕へと切り替える。
「ふぬ!」今度は左腕で、同じようにしてテーブルを持ち上げた。
「んぎぎ……にびょお……」
意識の切り替えと浸透。私の今の実力では大体二秒がタイムラグというところだ。
「……ふう」床が傷つかないように気を付けながら、テーブルをそっと床に戻す。
練習を重ねた甲斐もあって、随分と実用に足るところまで習熟が進んだように思う。
(やっぱり、この本の教え方がいいんだろうな……西境かあ……)
冒険者になれば、いつか著者に会えたりするだろうか。あわよくばサインとか貰えたりして。
「えへへ……うーん、でも全身強化だけはなあ」
随分と前にやってみたことはあるけれど、集中力が持たずに一分もしないうちにバテてしまった。魔力が切れてしまうと全身から力が抜けて、立ち上がる気力も失われてしまい大変なのだ。今の私なら三分くらいは持つと思うんだけれど……。
「うん。折角のお休みだし、久しぶりに試してみるか!」
気合を入れ直して、体全体に意識を巡らせる。
「…………」集中力を極限まで高めていく。
ドクドクと、自分の心臓の音が激しいくらいに耳を打つ。徐々に全身の感覚が鋭敏になっていく。自分と世界との繋がりを深く感じ、その間に存在する肉体という名の外壁が取り払われていくような、そんな感触。いや、その逆か。外壁が取り払われるというよりも、元はスカスカだった私の体の中身が徐々に肥大していき、薄皮ギリギリのところまで膨れ上がっていくような、そんなイメージ。以前はここらでダウンしたけれど、今日はまだまだ余力がある。
「ん……これは、いけそ」
そのとき何故か唐突に、一つの思考が頭を過ぎる。
リタさん。
そういえば今日、出直す約束をしていた、ような。
ここで力を使い果たして倒れてしまったら? 彼女は私を待っていてくれるだろうか。
そんな雑念が急速に頭を覆っていき、一旦魔術を止めようかと迷った瞬間。
鼓膜を突き破るような暴力的な破壊音が、強化された私の耳に鳴り響いた。
「びゃああ!」
とんでもなく驚いてしまい変な声を上げる。耳を抑えてうずくまると既に音は収まっていた。
魔術が失敗した? 術の最中に雑念が入ってしまったから? 音が収まったからもう平気? それとも……音が聞こえなくなったからもう手遅れ?
「――っ!」
恐ろしくなって、慌てて洗面所へと走る。備え付けの鏡で自分の頭上を見上げる。
「よかった……血は出てない」
そして、自分の独り言もしっかりと耳に届いていた。心臓が早鐘を打っている。私は生きている。
「じゃあ、今の音は何――?」
疑問に思っていたそのとき。
家の外から、かすかに叫び声のようなものが聞こえた気がした。
なんだか嫌な予感がして、弾かれたように外へと飛び出す。扉を開けて、声の出所を確認しようと首を振る。
私の家から西の方。
つまりは村の中心から、胎樹が伸びていた。
「――は?」
しかしよく見ると、それは胎樹ではなかった。そりゃあそうだ、あんなサイズの樹が生えてきたら、この家もろとも吹き飛んでいるに違いない。だからむしろアレは――。
「――根っこ?」
そうとしか形容できない。まるで巨大な植物の根っこのようなものが、村の中心を貫くようにして生えているのだ。だけど、根っこというのはつまり植物を地面に根付かせたり養分を補給するためにあるのであって、ああして天を貫くように生えている様は、あまりに現実離れし過ぎていた。
少し距離があるのでよくは見えないけれど、中ほどからは根本に向けて末広がりの裂け目が生じていて、あの様子だと根本の部分はぽっかりとした穴が開いているに違いない。その作りからしても、根っことしての機能がどれほど備わっているのか疑わしい代物だった。
……いや、穴?
(胎樹、世界の中心の大木。そして魔物の生まれる場所……)
その根っこと思しきものが現れた。それの意味するところは何だ?
天を貫いているその様子から、地面に根付くことを目的としているわけではないだろう。
「じゃあ、ようぶん?」
最悪の考えが、頭を瞬時に覆いつくす。
「――お祖母ちゃん!」
後先を考えることもなく、私は村の中心部へと駆けだした。