Report.02 これっきり
『冒険者になるには、冒険者登録が必要です』。
ずっと以前に、冒険者に興味を持って調べた本の最初の一節だ。冒険者になるにはまず冒険者登録をする必要があって、そしてそれが全てらしかった。登録をすると貰える冒険者手帳さえあれば、ひとまずはそう名乗っていいらしい。要するに、重要なのは肩書ではなくその先で何を為すかということなのだろう。
私の暮らすシャローナの村は、胎樹を中心にして広がるヴィクティア王国連盟の中でもどうやら随分と田舎に位置するようだった。伝聞形なのは、単純に私がこの村から出たことはなく、王国の騎士の人がくれた地図でしか世界の形を知らないからだ。
世界には、魔物が溢れている。
幸いなのは、魔物それ自体は私やトリエのような子供でも倒せるくらいの強さだってこと。
そして問題は、魔物の強さが地域によって全然違うらしいことだった。
「そろそろ帰るか」
言って、ツノウサギを再び私の背負い籠に入れたトリエは、自分の分を背負って立ち上がった。私もそれにならって籠を背負い、トリエと一緒に帰路に就く。
もうすぐ昼時という時分の森には心地よく温かな日差しが降り注いでいた。日の光を受けてきらきらと艶めく木の葉の碧と、優しく鼻孔をくすぐる花々の香り。それらに混じるようにして届く土の色合いとその匂い。森特有のコントラストが、私の心を落ち着かせてくれる。
東西南北に区分けされた連盟の中でも、ここは東境と呼ばれる地方らしい。胎樹に近づくにつれ強力になる魔物に合わせ、王国は大きく三重に円を描くようにしてさらに細かく区分けしていて、シャローナはその第三区にある。遠く、胎樹の姿がぼんやりとしているのも無理からぬことだった。
「冒険者になるっていうと大変だけどさ、いつか東境を出て、ぐるっと三区を一周旅するくらいならいいかもな」
「……そうだね」
急に元気をなくした私を気遣うように、明るい声音でトリエが語りかけてくれる。気を遣わせるのも申し訳なくて、私も言葉を紡ぐ。
「南境の三区には、二区まで跨る大きな海があるらしいよ。北境は雪山からの景色が絶景らしいんだけど、ここよりずっと寒いから防寒対策を甘くみるなって。西境は……どうだったかなあ」
本から得た知識を、記憶の中から引っ張り出す。
「レドは本当に物知りだなあ。本を読んでると何だかじれったくて、外で体を動かしたくなっちゃって続かないんだよな、俺」
細身な見た目に反して、意外とアウトドア派なトリエだった。
「まあ、他にすることもないしね。それに知らないことを知るのは楽しいよ」
これは事実。村から出なくても、本を読めば色々なことを知ることができる。世界の広さを知ることで、私の世界の狭さを思い知る。悲しいけれど、それでいてどこか痛快なのだ。
「二区から先は? あれから首尾はどうなんだ?」
「……全然ダメ。いつも騎士団のおじさんにそれとなく聞いてみるけど、『持ち込んでやりたいけど俺の首が飛んじまう』って。流石に私のために死んでくれなんて頼めないでしょ?」
「レド、首が飛ぶっていうのは比喩であって、実際に死ぬわけじゃないぞ、多分」
「そりゃあそうだろうけど、大人が仕事をクビになったら半分死んだようなものじゃない。私のために路頭に迷ってくれって、それならトリエは頼めるのかな」
「いや、うん。そりゃなんというか、仰る通りで」
騎士団のおじさんは悪くない。少なくとも、王国が決めたルールを守る騎士の姿は正しい。魔物の強さは地域差が大きく、区を跨げば到底、私なんかでは太刀打ちできなくなってしまう。それ以外の情報は厳しく管理されていて、みだりに区外に持ち出せばたちまち『扇動犯』だ。
騎士団の人は時折村を訪れるけれど、三日を超えて留まっていたことは一度もない。恐らくそれも、『扇動』を防ぐために王国が決めたルールなのだろう。何も村から一歩も出るなと言われているわけではないけれど、区を跨ぐことはもちろん、村を出るのにも相応の覚悟が要る。村に居るとそんな空気がひしひしと感じられた。
「冒険者には区を跨ぐ人も結構居るみたいだけど、基本的には一方通行で、区を遡るには騎士団に申請しないといけない決まりなんだって。色々なお土産話を語って聞かせると、皆が危険に魅入られるって、そう考えられているみたい」
「それはどうかなあ。確かに面白い話を聞けたら皆喜ぶかもしれないけど、あえて危険を冒すような奴はそう多くないと思うけどね。でも、それならさ、」トリエが言う。
「やっぱりレドのご両親も、二区から先にいるんじゃないか? だから連絡したくてもできないんだよ。冒険者だったんだろ、二人とも」
こちらの様子を窺うようにしながら、探るような視線を送ってくる。気の置けない仲だけれど、この話題を振るときだけはトリエも少しだけばつが悪そうな顔をする。
「さあどうだろ。顔も見たことないし、冒険者っていうのも聞いた話だし。第一、申請すれば戻れるんなら連絡ができないってことはないでしょ? どっちでもいいし、どうでもいい。世界のどこかにお祖母ちゃんと私を置いて旅に出ている夫婦が居たとしても、居なかったとしても、私は何も困らない」
私はいたって普通の調子で返答した。
できた、と思う。
「――そっか」
それだけ言って、トリエは話を切り上げた。トリエは余計なお節介をしない。私の身を案じて真剣に心配してくれるけれど、私があまり踏み込んでほしくないところを、ちゃんと見極めて付き合ってくれる。気を回しすぎて疲れるんじゃないかとこちらも時々心配になるが、その優しさが私にはありがたかった。
「しっかし、こうして一緒に狩りだってしてるのに、一体レドはいつの間にそんなにたくさん本を読んでるんだ?」
「トリエが本を読んでないときだよ」
「……なあ、やっぱりちょっと怒ってるだろ」
「あはは。怒ってないよ、本当にね?」そう言って、私は微笑んだ。
話しながらしばらく歩いていると、ちょっとした橋に差し掛かる。この橋を渡れば村はすぐそこだ。近くには騎士団の人が村を訪れたときのための小屋があって、私も本を売ってもらうときにはよく立ち寄っていた。
「この後どうする?」
トリエが聞いてくる。
「いつも通りかな。一旦、村のお肉屋さんで獲物を売って、新しい本が入ってないか騎士団の人に聞いてみるつもり。トリエは?」
「んー、今回のやつはうちでそのまま食用保存する予定だから、とりあえずこのまま家に帰るよ。レド、一人で大丈夫か?」
「だから子供じゃないってば……お肉屋さんは、平気。何度も行ってるし、一応はお得意様だしね。村の中心からも遠いし、トリエが居なくても意地悪はされないよ」
「ならいいけど……何かあったらすぐ俺か親父に言えよ」
最後まで心配そうにする姿に苦笑しつつ、橋を渡ったところでトリエとは別れた。トリエは北へ、私は南へ。二人とも村の外縁部に住んでいるが、私は東側で、トリエは北側。件のお肉屋さんは村の中心からはやや南に逸れた位置にあった。なるべくなら中心を通りたくはないので、正直その立地には助けられている。
やや進みにくいものの、木々の生えた整地されていない場所をあえて選びながら外周を歩く。お肉屋さんのある通りに差し掛かったところで、辺りを少しだけ見渡し、誰もいないことを確認してから道に顔を出した。
「おばさん、こんにちは」
幸い、店先に辿り着くまで村の人と顔を合わせることはなかった。カウンターを隔てた店の奥で仕込み作業をしているおばさんに声をかける。年齢は四十代くらいに見えるけれど、女手一つで店を切り盛りしているだけあって、立ち振る舞いには力強い印象がある。私の声を聞いたおばさんはびくっと驚いたように飛び上がって、「あ、ああ、レドか……いらっしゃい、今日は何の用だい」と返答した。
「今朝も狩りをしてきたから、またお肉を買ってほしいの。見て、こんなに大きなツノウサギ!」
言って背負った籠を下ろし、おばさんにも見えるよう前に出す。おばさんは獲物の大きさに一瞬目を輝かせたが、頭に伸びるツノを見て少しだけ苦々しい表情を作る。
「ま、また魔物を狩ったんだね、レド」
「うん。今回は無駄な傷もほとんどないし上手くやれたでしょ? 魔物肉は持ち込む人も少ないし、美味しいから高く売れるって、おばさん喜んでたから」
つい、得意になって話に夢中になってしまう。
夢中になりすぎて、いつもは意識している相手の表情を読むことを忘れてしまう。
――いや、本当は薄々気づいていた。魔物だと知ったときのおばさんの引きつったような表情を、私は確かに見ていた。だけれど、それの意味する恐ろしさから目を逸らしてしまった。
「前のお肉、評判良かったって聞いて張り切っちゃった。前のはこれの半分くらいのサイズだったけど、三百ディアも貰っちゃったしね。今回は少なく見ても五百ディアは固いんじゃないかな――」
取り繕うようにまくし立てる私から逃げるように、おばさんは奥へと引っ込んだ。
「ちょっと待ってね……」
店の奥からお金を弄るような金属音が聞こえてくる。私はそれをワクワクしながら待っていた。……ワクワク? 違う。ドキドキ? それに近い感情。とにかく、胸がざわついていた。
「これでどう?」
おばさんが、カウンターにお金を置いてくれる。百、二百、三百……。
「千ディア! すごい! こんなに、いいの?」
「ああ、だから、その――これで、これっきりにしてくれないかい?」
これっきり。その言葉の意味が素直に飲み込めず、愚かにも聞き返してしまう。
「これっきりって、どういうこと? だって、おばさんこの前は喜んで……」
「ああ、勘違いしないでくれ。レドが悪いわけじゃないんだ、それはおばちゃんも分かってる。こんなことしかしてやれないけど、これで……」
「分かんないよ、悪くないならどうして?」
もうやめろ、それ以上聞くな。そう思うのに、口が勝手に動く。
「……あんたは賢い子だと思っていたけどね。おばちゃんにこれ以上説明させないでくれよ」
「…………でも」
自然、感情が昂ってしまう。自分の声が震えていることを自覚する。
おばさんはしばらく黙っていたが、やがて諦めたようにして口を開いた。
「魔物肉は珍しいって言っただろ。味も絶品だから皆が興味を持ってね……。私はさ、あんたが店に気を遣って、人目につかないように訪ねてくれているのも知ってるよ。だからほら、分かるだろう?」
おばさんは申し訳なさそうな顔をする。いや、私がそんな顔をさせているんだ。
「肉の仕入れ先がバレると、色々とまずいんだ。こんなこと言いたくはないけど、村の皆がレドをどう思っているか、知ってるだろ。魔物肉なんて珍しいもの、どうやって手に入れたのか皆が知りたがってる。この前はなんとかごまかしたけど、そう何度も乗り切れない」
つまり、そういうこと。嫌われ者の私の手にかかった肉を、皆は食べたくないんだ。それだけならまだいいけれど、私と懇意にしていることがバレたらおばさんの店にも迷惑になる。
「だから、これはせめてもの餞別だ。この肉だって店には並べられないけど、個人的に美味しく頂くよ。……いい歳して大人が子供に情けないと思うけど――」
本当に申し訳なさそうにするおばさんの姿にいたたまれなくなって、小さくお礼を言い、お金を持参した袋に詰め込む。動揺してしまって、最後の一つが上手く掴み取れない。二度、三度と取りこぼしてからようやく全てを詰め込むと、ぺこりと一つ頭を下げ、そのまま顔も上げずに元来た道へと走り出した。