Report.16 私の友達
そして翌日。私は覚悟を決め、ヴィジョンを後にする。
恐らくエルノアには全てが分かっているだろう。それでも形の上では遠征に出かけたように見せかける。上町から、下町へ。今回は別にこそこそする必要はないし、むしろアピールすべき場面なので、中央通りから続く大階段を降りて進んだ。
(人気が少ない……静かだ)
時刻は正午前。普段であれば今頃はお昼時で、市場や食事処が活気づいていてもよい頃合いなのだが――。
(騎士団が手を回したんだ。なるべく家に居るようにって)
街中が戦場になるのは確実だった。昨日の今日で全員が荷造りをしたり、あるいは『根』の予測なんてものを信じられるわけがない。仮に不安に思っても、一人ひとりが生きた人間だ。明日の生活のために仕事をしなければいけないし、いちいち気にしていられないだろう。それでも、一番人が多く街へ繰り出すような時間。そういう一番マズい時間だけでも被害を防げるよう対策をお願いするくらいなら、なんとかなる。騎士団の信頼が為せる技だった。
中央通りを歩く。露店もそのほとんどが閉まっていて、ちらほらと店を出していた人も、今は店じまいの支度をしていた。これだけ通行人が少なければ、店を出していても仕方がない。心の中で店主たちに同情しつつ、同時に無事に家へ戻ってくれることを祈る。
そのまましばらく歩いて、街の正門の前まで辿り着いた。
ここをしばらく道なりにいけば、騎士団の簡易関所がある。少しだけ高台になっているそこまで足を伸ばして、とりあえず上から街の様子を――
「やあ、レド。こんなところまでご苦労様だよね」
――背後から、透き通るように冷たい声がした。
私は振り向かずに問いかける。
「……エルノアさんじゃないですか。遠征の見送りに来てくれたんですか?」
「そういうのはいいよ。茶番は君にとっても無駄だろう」
吐き捨てるように早口で、それでいて淡々とした声で彼女は言う。
「統括管理官も考えたよね。私を捕らえても、捕らえなくても、逃げられても、どのみち根は現れる。そもそも私は捕まるってことがない。それなら、なるべく危機感を抱かせたり、興味を持たせたり、とにかく私に構ってもらわないと始まらない。いじらしいよね。そんなに必死にアピールされちゃ、構ってあげたくなるのが、人間だよね」
エルノアは、全てを知ったうえでなお、そう不敵に笑っていた。
「今から二十数えるといい。上町に一つ、下町に二つ、根が現れる。私と統括管理官は騎士団の訓練棟にいるから、頑張ってね。そのブレスレットは温存しておくのを勧めるよ」
それじゃあ、と。そう言って、背後の気配は消えた。
心臓が早鐘を打つ。もう始まってしまった。後には引けない。私は腰のナイフに手を当てる。
そうして背後の街へと振り返ったそのとき。
轟音と共に――巨大な三本の『根』が現れた。
一体、二体、三体。
七体目を叩ききったところから、数えるのはやめた。
(数が――多すぎる!)
中央通りを挟むようにして現れた二本の『根』。そのそれぞれから次々とシ者の群れが溢れ出る。ブレード状の四肢の中心に球体を取り付けたようなおぞましいそのフォルムには、何度戦っても見慣れることはなかった。なるべく『根』の出現口から奴らを逃さないよう、そのすぐ側でヤツらを狩っていく。中には言葉こそ喋らないものの、かつて出会ったような上位種たちも散見された。一閃、こちらの隙を逃すまいと振るわれる凶刃をすんでのところで躱す。
「っ――ぁあ!」
硬いブレードごと両断するため、右半身を強化して回転斬りを叩き込む。いつか防がれた一撃で、今度は目玉諸共まとめて切り裂いた。
雑兵を大量に、上位種を三匹ほど仕留めたところで、反対側の『根』の方を見る。騎士団の構成員や冒険者たちが勇敢に戦い、なんとかヤツらの侵攻を食い止めていた。しかし、数の勢いと時折混じる上位種の手強さに、段々と包囲網が広がっていく。
(手数が足りてない……こっちはなんとか抑えられてるけど、私がこのまま訓練棟に向かえば均衡は崩れかねない)
刹那、逡巡する。
(エルノアは温存を勧めるとか言っていたけど、こっちなら――)
即断して、反対側の根を見据える。
マグの起動に、呪文は要らない。魔力もほとんど必要ない。
記憶された術式と、事前に練り込まれた魔力。それにほんの少し着火できるだけの魔力さえあれば。
要は王国製のあの銃と仕組みは同じ。違うのは、私の実力、魔力の総量を遥かに超えるような術式だって撃ち込めるということ――!
「風――」
「どおりゃああああ!」
マグを起動しようとしたまさにその瞬間。視界の先に赤があった。
大剣を大きく振りかぶり、その重さを感じる強烈な一撃を戦場に振りまく。
「ぬおおおお! うわあ、きもちわるぅ!」
駆け付けたフィレア・スターレッドは、自分がその大剣で叩ききったシ者の残骸、その雨を避けながらこちらに走りくる。
「フィレアさん、どうしてここに!」
「いやぁそれがね! 話すと長いんだけどぉ」
そう言って気を抜いたフィレアさんに向かって、上位種が同時に三体、襲い掛かった。
「あぶな――っ」
軽度の知能を持つ上位種たちは、仲間を屠られた憎しみからか、その刃を揃えて一斉に彼女を襲う。そのとき。
三重の死が差し迫る彼女の背後を、刹那、一筋の水の槍が奔る。
彼らを瞬く間に射貫いた水の槍は、次の瞬間。
「ふん」
ミルレイヴ・ウォスタの合図と共に、ヤツらの全身諸共真っ白な氷のオブジェへと変貌した。
「ミルさん!」
二本の『根』からは若干の距離を保った正門側の方向に、ミルさんの姿を発見する。
ブイサインを作る彼女の周辺にはいくつもの水の帯が漂っていて、近寄りくるシ者の群れを次々に薙ぎ払っては氷に閉じ込めていく。
「昨日、街を出て三つ目の関所を通るときにね、面白いことを言われたんだぁ」
フィレアさんが本当に面白そうに微笑みながら言う。
「騎士団の人が伝言ですって言ってね、『君たちが私とエルノアのどちらを信じるかは知らないが、エルノアとレドナのどちらを信じるかは分かる。レドナの信じる私を信じて街に戻れ』って。いやいや私って誰だよぉ!」
そう言って、フィレアさんは腹を抱えて可笑しそうに笑う。
「そんなのあとでいいから、ほら、レドはこっち」
言って、手招きするミルさん。
「え」
「ミルがまとめてやるっていうから、レドは後ろに隠れててぇ!」
そう叫ぶと、フィレアさんは同じようなことを他の冒険者や騎士団に伝えながら戦場の中心へと走っていった。
「スターレッドの名の下にーぃ!」
そう叫びながら大剣を振るい、他の面々が撤退する時間を稼ぐように戦場を攪乱していく。
目まぐるしい展開についていけず混乱しつつも、私はとりあえず二人の言うとおりにして、ミルさんの背後へと回り込む。
「よろしい。でちゃだめ」
そして彼女は、首元から綺麗な一つのネックレスを取り出し、両の手でしっかりと握り込んで、祈るように目を閉じる。
「――っ」
吐く息が白い。彼女が目を閉じた瞬間から、世界からは温もりというものが消え失せた。パキパキと音を立て、周辺の地面が、草木が、家屋の表面が、瞬く間に凍り付いていく。
周辺の魔力の濃度の高さをこれ以上ないくらいに実感する。これだけの魔力を消費すれば、獣化の危険性も大きく高まるはずだけれど、彼女は鏡獣を作り出すような素振りも見せない。
――それがマグ。事前に魔力を練り込んでおくことで、強力な術式をノーリスクで叩き込む、術者の秘奥――それも、冒険者の中でも最高位である白判の手帳を持つ、圧倒的なまでの才能を誇る一流の術者の――その秘術。
彼女はその瞳をゆっくりと開きながら、呟く。
「――絶対凍結領域」
瞬間、彼女の視界から先、その先の下町全体が白銀の世界へと書き変わった。
まるで、ここだけ切り取って北境の氷の山々を移植したかのような、壮絶な光景。
シ者も、二つの『根』も。
逃げ遅れた冒険者や騎士団員、フィレアさんも、家々も、みんなまとめて凍り付く。
「――やりすぎでは?」
「フィレアなら、だいじょうぶ」
……ならそれ以外は? そう聞くのは野暮なのだろうか。
「フィレアはあったかいから、すぐとける。ほかもとかしてくれるから、レドは先へ」
付き合いの長い二人をなんとか信じようと納得し、私は上町を目指して駆けだした。
「はっ、はっ」
道が凍り付いたせいでやけに走りにくくなってしまったので、森を駆け抜けたときの要領で半身を強化し、跳ぶようにして上を目指す。階段が凍っていなくて幸いだった。
中央階段から上町に辿り着くと、視界の先の城を遮るようにして、一本の太い柱が立っていた。先程の『根』よりも随分と太く、大きい。その中から次々と這い出てくるシ者の群れ。
それらを抑え込むようにして、騎士団の主力部隊と思われる、甲冑を着こんだ豪傑たちが戦っていた。雑兵も上位種もものともせず、一歩も引かない。市街地を守るようにして『根』を中心に円陣を三重に組んでおり、非常事態を想定した訓練を積み重ねてきたのは明らかだった。
「そこ! 手間取って隙間空いてるからフォローね! お前邪魔!」
叫びながら、切りかかってきた上位種の攻撃を右手の剣で受け流し、左の貫手で目玉を貫く。
目玉の潰れるぐちゅという音が、嫌でも耳にこびりついた。
「ひえ」
プランさん、戦場でも情け容赦のない戦い方は健在だった。
「『根』の一本くらい騎士団だけでどうとでもなる。エルノアはどこに?」
プランさんが問いかけてくる。
「騎士団の訓練棟! リタさんもそこだって」
「よし、ボクも行こう。戦力は多い方が――」
その瞬間。
ゾクっと、背中が震える。
『根』の方を見ると、これまでの上位種よりもさらに大きい、五メートルはあろうかという大型のシ者が現れていた。逆三角形型だったヤツに比べ、こんどはどちらかといえば三角形型。左右のブレード状の腕は、その鋭利さを保ったまま二つの関節で分かれていた。左右で大きさの違う二つの目玉をギョロギョロとせわしなく動かし、獲物を探し求めている。
「ちっ――ワン、ツー!」
プランさんがそう名を呼んだ瞬間、周りを緑色の質量を持った魔力が飛び回ったかと思うと、巨大なシ者に向かって直進する。直撃するその直前、ヤツと同じくらいの体長を形作った双頭の子犬、ワンとツーがその姿を現し、その両腕へと噛みついた。
「――!」
噛みつかれた勢いに負け、ヤツの体は大きく吹き飛ぶ。暴れまわるシ者の体。それでも決して離れずにワンとツーはそれを抑え込み続けている。
「――っ! っていうか、下町なんか凄いことになってるけど大丈夫なのアレ!」
「アレは、えと、私の友達の仕業なので多分大丈夫です!」
「ホントかよ――まあいいや、もうちょっとかかりそうだから、レド!」
その言葉を聞いて私は頷き、この場を騎士団に任せて訓練棟を目指した。