Report.15 神出鬼没
「これからどうする?」
長官室を後にして、そのまま騎士団本部を出る。正面口の横の花壇へと、バケツに入った水をゆっくりと与えながら、プランさんはこちらを見ずにそう言った。
「すぐに向かいましょう。神出鬼没ですから、逃してしまえば見つからないかも」
リタさんの情報によれば、彼女は昨日からこの街に滞在しているらしい。街の宿には宿泊履歴が見当たらないから、居るとすれば冒険者協会の本部だろうと推測していた。
善は急げだ、プランさんにツッコんでいる時間も惜しかった。
「行きますよ」言って、意識を両足に集中する。
冒険者本部も上町にあるので、幸い距離はそこまで遠くない。身体強化をかければ二分とかからないだろう。
「え、ちょっと待って、ボクだって足には自信あるけど流石にそれは――」
「じゃあ先に行って待ってますから――!」
返事を待たず、駆け抜けた。
冒険者協会の本部は、騎士団本部とよく似ている。
正面口から入って真正面には受付が。天井は吹き抜けになっていて、二階部分にはちょっとした酒場のようなスペースがある。一階にも二階にもまばらに机と椅子が設置されていて、受付に提出する書類を揃えたり、今後の予定を話し合ったりする冒険者たちの姿がちらほらと見受けられた。一階の壁面には種類別、地方別によく整理された依頼内容が張り出されていて、受付では近々届いた新しい依頼だけを紹介している。
「エルノアさんですか? 確かに昨日は姿をお見かけしましたが、今日はまだ見てないですね」
辿り着くなり唐突な質問をする私に、受付のお姉さんはおっとりとした声で答えた。
「昨日から、ここに滞在していると聞いているんですけど」
重ねて問う。
「滞在、ですか。確かに本部には彼女の私室がありますけど、別に部屋の中まで監視しているわけじゃあありませんからねえ」彼女は呑気に笑って言った。
「誰か、彼女が出ていくところを見た人は?」
それを聞いて、彼女は可笑しそうに顔を緩ませた。
「あはは、まさかあ。出ていくどころか入っていくところさえ見たことないですよお。彼女、冬場のドアノブの静電気の恐ろしさとか知らないですよね、きっと」
「……」
彼女は嘘は言っていない。しかし、このままでは埒があかないのも事実だ。私がどうしたものかと辺りを見渡していると、
「彼女の私室、少々拝見させて頂けますか?」
追いついたプランさんが、横からそう問いかけた。
「えっと、騎士団の方、ですよね?」
「東境統括管理官の副官、プラン・プレイディです。彼女には少々お伺いしたいことがありまして、お部屋にいるかどうか、確認だけでもさせて頂きたいのですが」
「構いませんよ。そもそも誰も通すなとも言われてませんから」
そうあっさりと、拍子抜けなほどあっさりと彼女は承諾した。
受付からさらにもう少し奥へと進んだ場所に、扉が一つ。騎士団本部で言うところのプランさんの副官室がある位置に、その扉はあった。受付のお姉さんはノックをして声をかける。
「エルノアさん。お客様がお見えですが」
そう問いかけるも、反応がない。留守だろうか。
「ちょっと失礼しますよ」
そうお姉さんに断りを入れて、ドアノブを回すプランさん。
「鍵、かかってるね」そうぼやく。
「でもこの扉……」
その扉には、鍵穴がなかった。少なくとも外側から視認する限りでは、鍵はかけられない。
「ここ、外からじゃ鍵はかけられないんですよ、鍵がかかっているなら、開けられませんね」
「てことは、中に居るんだろ? ――とも限らないのか、彼女の場合」
ややこしいな、そう言って頭をかくプランさんだった。
エルノア・ライズ。神出鬼没な冒険者協会のトップ。私も一度しか会ったことはないが、彼女の噂は嫌と言うほど耳にした。その一番の特徴。彼女の代名詞とも言える魔術。それは。
「遅かったよね」
唐突に、扉の向こうから声が聞こえる。三人で同時に顔を見つめ合う。
リタさんのように、凛と澄み渡るように透き通った音色。しかしその透明感は、どこか聞くものに冷たく感じさせる響きを伴っていた。なんとなく、こちらが責められているかのような気持ちになる、そんな不安を煽るような声音。
がちゃり。恐らくは鍵の開く音。再び三人が同時に息を飲む。
プランさんに目配せを一つして、私たちは扉を開く。
そこには。
「待ちくたびれたよ。お陰で少し散歩が出来たけど」
床まで届きそうな長さの綺麗な黒髪。インクをこぼしたかのように、真っ暗な瞳。
十代後半から二十代前半くらいに見受けられる、年齢不詳気味なその容姿。
エルノア・ライズの姿があった。
「珍しいお客さんだよね。ようこそレド。君に会うのは四年と二か月半ぶりくらいかな。飴、美味しかっただろ。ここのは良いのを揃えてるから」
「……こんにちは。覚えてくれていたんですね、私のこと」
「みみ、生えてるしね。尻尾もか。うん、全部知っているとも。最近青判に昇格したよね、おめでとう。あとそれ、ブレスレット二つ。よく似合ってるよ」
彼女は私の近況を細かに把握しているようだった。それ自体は、冒険者を束ねる者としてそれほどおかしなことではないのかもしれないけれど。
「はじめまして」
プランさんも横から挨拶を挟む。
「……」エルノアはプランさんの全身を一瞬だけ眺め、左腕の辺りで目を止めた。
「ああ、君がプラン・プレイディだね。噂に違わぬ小ささだ、うん、分かりやすくていい」
ぶちっと、プランさんのナニカが切れる音が聞こえたのは幻聴ではないと思う。恐らくは左腕部の副官階級を示す腕章で判断したのだろうけれど、そこからプランさんに関する情報を精査し、短くも的確に急所を突いてくる悪趣味さはいっそ痛快だ。あと、彼女も言うほど身長が高くはない。……そういえば先程も、さりげなく私の体のことにも触れていたな。
エルノア・ライズ、この僅かなやり取りでも油断できない相手だということが伝わってくる。
彼女は受付のお姉さんに視線をやり、
「お客様と話があるからね、仕事に戻っていいよ。ああそれから、お茶とかいらないよ。すぐに済むから。ほんの立ち話さ」
そう告げて、しっしと遠ざけるように手を振った。その場の誰に対しても失礼な態度だった。
「ええと、長くなると思うので、お部屋に上がらせてもらえると嬉しいんですが――」
プランさんが引きつった笑みを浮かべながらそう言うと、
「ならないよね。根のことだろ、それで私を疑ってきた。昨日はフィレアとミルにも声をかけたところだし、レドはそれも気になってる、違う? 違わないよね、知ってるよ」
彼女は淡々と、透き通る声でそう言ってのけた。
「お互い無駄は省こう――統括管理官が知ることのできた情報は私だって持っている。だって本人だからね。南境の一件、あれは残念だった。私の力不足を痛感するよ。あの一件で、私が疑われるのは論理として真っ当だ。だから」
主張があるなら聞こう。そう言って、こちらの言葉を待つように真っ暗な目を向けた。
こちらの表情の、その向こう側までを射貫くような、目。
「驚いたな。君、話が早いってよく言われるでしょ」
「気持ち悪いとはよく言われるよね。こちとらは脳みそがしっかりついてるっていうんだ」
憤慨したような口調だったが、その表情は変わらず淡々としていた。
私たちは顔を見合わせる。プランさんは、リタさんから何かエルノアに対して聞いてくるように頼まれたらしい。私はまだその内容を知らないけれど、それが彼女を判断する鍵になる。
プランさんは少し緊張したような表情を浮かべて、その言葉を口にした。
「じゃあ、一つだけ。――ええと、人語を喋るシ者に覚えはある?」
その言葉を聞いて、私は一瞬思考が止まった。
知らなかったからではなく、何故今その話をしたのか、それが分からなかったから。
それを聞いたエルノアは、今日の会話の中で初めて、表情を変えていた。
酷く、驚いたような顔。あり得ないものを見たかのような、許せないものを見つけたような。
やがて彼女は、あは、と笑い。
「知っている。そうか、今思い出したよ」
そうして呆気に取られている私に、
「レド、突然だけど君に頼みたいことがある」
持てる限りの悪意という悪意を詰め込んだような、挑戦的な黒い眼差しを向けた。
明日から始まる遠征に備えるようにして、私は足早に宿へと戻った。フィレアさんとミルさんの姿はない。今頃はとっくに二人でこの街を離れていることだろう。
荷造りしていると、いつの間にか部屋の入口の所に、リリィちゃんが立っていた。
「や、こんにちは」
「……」
挨拶をすると、彼女は割合素直にこちらへと寄ってきた。
「今日はどうしたの?」できるだけ優しい声を作ってそう問いかける。
「…………どこかいくの」こちらを上目遣いになって見上げる彼女。
「んーと、ちょっとお仕事でね」
「…………いつまで」
「往復で、三日くらいかな」嘘をつくと、心が痛む。
それを聞いて、少しだけ安心したような表情になるリリィちゃん。少しだけ、感情が読み取れるようなリアクションを返してくれるようになったのが嬉しくて、私にも笑みが浮かぶ。
彼女が心を閉ざしがちなのには理由があった。昨晩のことがあったので、翌朝、そのことをユリィカさんに報告すると、彼女はなんでもないことのように私に事実を告げた。
彼女たちの間に、血のつながりはないそうだ。ある日、捨て子だったリリィちゃんをどこからかヴィリィさんが拾ってきたのだという。それ以来夫婦は愛情を注いでいるが、彼女はなかなか心を開かなかった。捨てられたのだという事実は、彼女の幼い胸に大きな傷をつけていた。
そして心を開けない理由はもう一つあって。私はそのことについてよろしくと、そうお願いされていた。
「みみ、お揃いだったんだねえ、リリィちゃん」
そう言うと、彼女はびくっと怯えたような表情をして。それでも。
それからたっぷりと時間をかけて、私のためにカチューシャを取ってくれた。
「小っちゃくてかわいい! それにもふもふだね!」
ぴょこっと、可愛く覗いた小さな猫耳を褒めると、彼女ははにかむように微笑んだ。
私たちは似た者同士だったけれど、環境とか、性格とか、そういうのがほんの少しだけ違っていた。そんな中で皆と過ごす私を見て、同じ仲間として興味が湧いたのだろう。
しばらくの間、そうしてお互いに耳を触り合ったりして遊んでいると、リリィちゃんがそわそわとし始めた。何かを言いたそうにしている素振りを見せる彼女をじっと待つ。
「…………おなか、すく?」
彼女は不安そうな瞳で私を見上げてそう聞いた。遊びにならすぐにでも付き合ってあげたかったけれど、急ぎ支度を整えなければいけなかったので、
「うん! でも、今はやらなくちゃいけないことがあるから、帰ってきてからね。待てる?」
そう言って、リリィちゃんを試すように見つめる。
「……! ……やくそく」
打ち解けてさえみれば、彼女はとてもいい子だった。私はその約束を果たせるようにと願い、最後に一つ伝えなければいけないことを伝えておいた。
「そうだ、リリィちゃん。明日は、ママと二人でおうちに居てね」
ヴィジョンの中は空間を共有しているけれど、逆に言えば、たとえ実際にはアルトラインに居なくとも、この中であれば危険が生じてしまう可能性がある。そう思ってユリィカさんに尋ねたところ、ヴィリィさん以外の二人は間が悪く、実際にアルトラインのヴィジョンに居るとのことだった。それならば建物の中に籠っていた方がいくらか安全だろう。幸い、シ者の狙いは人間だけで、建物を破壊したりする光景は未だ確認されたことはない。
「? …………」
リリィちゃんは私の忠告に首を傾げていたが、やがて一つ頷いてくれた。そうしてそのまま部屋の外へ駆け出していく。そんな彼女の背中を見送りながら、かつての私を思い起こす。そして彼女の行く末にも、今の私が感じているような幸福が訪れることを願った。