Report.12 『ヴィジョン』
「彼は、これからどうなるんですか」
プランさんが呼びつけた騎士団の二人に両脇から抱えられるようにして、アイクさんは部屋を出ていった。私はソファに腰かけたまま、窓の外を眺めるプランさんに話しかける。
「彼次第――とはいかないね。どうあれ二人殺してるわけだし、当面の自由はないだろう」
プランさんは淡々とした調子で言う。
「何故、こんなことになってしまったんでしょう」
「……獣化の原因は本人にしか分からない。その本人にしたって記憶がないんじゃ、真相は闇の中だね。もちろん聞き込みくらいはしたけど、目撃者が皆、初めから彼にだけ注目していたわけじゃないから」
まるで自らを責めるような声色だった。
「案外、酒に酔ってカッとなって喧嘩しただけかも」
そう言って、自嘲するように笑うプランさん。
「笑えないですよ、それ。……彼がそんな人だとは、思えません」
「本当に? ――まったく、微塵も、あり得ないかな?」
「……」
そんなこと、私に断言できる筈もなかった。私は彼を何も知らないのだから。
「まあそもそも……酒に酔ったってだけで獣になるんじゃ、どうしようもないよね」
その可能性を否定できないというだけで、獣化という現象の異常性が際立っていた。私は少しだけ間をおいて、それから気になっていたことを聞いた。
「プランさん、怒ってましたよね」
「そりゃあ、あれだけ派手に暴れていたら。誰がどう見ても言い訳のしようがないほどにね」
「そっちじゃなくて。いや、そっちもですけど――アイクさんにです」
「……」プランさんは、少しだけ驚いたような顔をしてこちらを見る。
「ボク、怒ってた?」
「そう見えました。だって、言い方がなんていうか、厳しかったし」
プランさんは虚を突かれたように一瞬黙って、それから返事をする。
「彼、少し浮足立っていたからね。その態度が気に食わなかったんだ」
「……?」
「命の恩人に対して睨みつけたり、怒鳴ったり、横暴だったろ?」
「それはだって、記憶がないんですから、仕方がないでしょう?」
庇うように反論する。
「仕方なくない。いいかいレド、記憶がないのなら、真相は誰にも分からない。だから何が真実なのか、誰が正しいのかは彼自身にも分からない。不当な扱いを受けたら抵抗するのは当たり前だけど、彼はその扱いが不当ではない可能性を全く考慮していなかった。彼は確かに正義感が強い善人だったのかもしれないけど、その善性はどこか独り善がりで、だから今回、人が二人も死んだ。ボクはそう思う」
「……」私は、口を挟めなかった。
「犯罪者だからって、殺してはいけない。ボクが一番初めにリタさんに教わったことだ。だからボクは奴らを殴る。殴ってやる必要がある。この拳で、そしてこの言葉で。そうしないと、折角生き残ったのに彼らはきっとまた同じ過ちを繰り返す――だから」
プランさんは微笑む。
「今回は手伝ってくれてありがとう。おかげでボクは、彼を殺さずに済んだ」
その眩しい笑顔を受け止めて、私は返した。
「こちらこそ。力になれたのなら、よかったです」
それから二、三、他愛もない近況報告を交わしてから、騎士団本部を出た。
「今日はもう帰り?」
「時間も遅いし、そうするつもりです」
「そ。じゃあ、お気をつけて」ばいばーいと軽く手を振るプランさんに、慌てて聞く。
「あの! これ、借りっぱなしでいいんですか?」
件の銃を取り出す。
「あー、とりあえずそれでいいよ。どうせ他の人には使えないし、今回の報酬とでも思ってくれ。ただ一般公開されてないから、その辺の扱いだけは気を付けて。ま、君は賢いからそういうの上手くやれるだろ。何かあってもボクは庇ってやれないからね」
そう言うだけ言って、ひらひらと手を振りながら扉の中へと戻っていった。
いつかのリタさんも、私に似たようなことを言っていたような気がする。
「庇ってやれない、か」
何かとは何か。想像したけれど、いまいちピンと来なかったので、とりあえず辺りに用心しつつ懐へとしまう。辺りはもうすっかりと暗くなって、街灯が眼下の下町にポツポツと明かりを灯していた。私は帽子を改めて深く被り直してから、いつもの宿へと歩き出した。
「おーう、レドだ、おかえりぃ」
「おか」
いつもの宿に戻ると、扉を開けてすぐに目の前に広がる大きなダイニング。その中心の大きなテーブルで、顔馴染みの二人が夕食を食べていた。冒険者仲間のフィレアさんとミルさんだ。
宿屋『ヴィジョン』――四境三区全域で展開している宿屋チェーン。なんと、冒険者向けの宿屋にあるまじき一見さんお断り仕様の、気合の入ったイカす宿だ。チェックイン、アウトの概念すらなく、定期契約で自由に出入りできるのが一つ目の売り。そして二つ目の売りは――
「ただいま! お疲れ様です、お二人とも。今日はどちらに?」
そう問いかけると、
「ここだよここ、アルトライン! ちゃんと本物だよぅ」
そう言って自分の右のほっぺたをむにっとするフィレアさんに、
「べつに……いつだって本物」
そう言ってフィレアさんの左のほっぺたをむにっとするミルさんだった。
「ぬあんすだほ、ぬあんす」
そしてほっぺたを左右から引っ張られながらなおも喋り続けるフィレアさんへ、
「右手だけでも離せばいいのに……」
そう冷静にツッコむのが私の役割だった。
ヴィジョンは四境各地の建物が全て同じ造りをしていて、かつその空間が共有されている。出入り口だけは各地の物をそのまま使うので出るときも入るときも同じ場所だが、中にいる間だけは、全ての地域のヴィジョン利用者が同時に存在し、こうしてコミュニケーションを交わすことができる。駆け出しの頃は、アドバイスを貰うにも重宝するありがたい仕様だった。
「まあまあ、座りたまえよぉ」
言って、隣の椅子を引いてくれるフィレアさん。お言葉に甘えて座らせてもらう。
「おーいマスター、彼女にも同じものをー」
いや、勝手に注文するなよ。そう思ったけれど、お腹は空いていたので抗議はしなかった。今日の献立はカレーライスのようで、スパイシーな香りについ、お腹をぐうと鳴らしてしまう。恥ずかしくて少しだけ顔を熱くしていると、フィレアさんが微笑みながら柔らかな口調で話しかけてくる。
「腹ペコだねぇ。今日は何のお仕事してたの?」
「えと、騎士団の知り合いからの頼まれごとを、少々」
少しだけぼかして説明する。
「えええ! また騎士団のお仕事ぉ!」
えらくオーバーなリアクションを取られてしまった。ビックリ仰天とばかりに掲げた両腕を降ろしつつ、心底同情するような表情でこちらを伺い見てくる。
「だってお金も貰えないんでしょ? 律儀だねぇ……もうさ、騎士団に雇って貰いなよ」
「いつもタダ働きってわけじゃ……まあ今回はそんな感じでしたけど」
あの銃のことは一応秘密なので、報酬の話には触れないでおく。
「フィレアは、そくぶつてき。お金のよゆうは心のよゆう。私もお金もちだから分かるよ、レド」
「えーと、それもまたちょっと違うような……」
ミルさんは構わずにうんうんと頷いている。
この幼女、どうやら自分がお金持ちだという自覚があるらしかった。
――マイペースでハイテンション気味な方が、フィレア・スターレッド。燃えるようなロングの赤髪が特徴的な、身長高めのお姉さんだ。年齢は恐らくリタさんと同じくらい。何度か共闘したこともあるけれど、そのハイテンションによく似合う燃え上がるような魔術を駆使しながら、身の丈ほどもある大剣を振り回して敵をバッタバッタとなぎ倒すさまは痛快だった。
――一方で、ダウナーな雰囲気を隠そうともしない方が、ミルレイヴ・ウォスタ。こちらは対照的に髪も肌も色素が薄目で、儚げな雰囲気の美少女だった。直接聞いたことはないが、旅立った頃の私よりも、さらに一回り幼く見える。嘘かまことか、北境の故郷では、女王と崇められていたとはフィレアさんの談。そんな囚われのお姫様(?)を涙なしでは語れない冒険の果てに救い出したらしいが、術者としての実力がこの中の誰よりも高いのは彼女だった。
「おまちどお!」
そんな風に話していると厨房から、女将さんであるユリィカさんがカレーライスを持ってやってきた。美味しそうな香りが空間全体にふわっと広がる。
「そしておかえりなさーい、レド!」
言って、彼女は笑いながら私の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「ただいま、ユリィカさん」くすぐったい気持ちで、はにかみながら挨拶をする。
「今日も無事で何より! あと今日も可愛い! じゃあたんと食え!」
そう言うが早いか、また厨房へと戻っていく。彼女もフィレアさんに負けず劣らず元気いっぱいだが、そのうえで、なんというかスピード感たっぷりなのだった。容姿をまともに描写する暇さえ与えてくれない。前々から薄々感じていたが、ヴィジョンのメンバーは独特な人が多すぎる気がする。……まあ、私も含めてだけれど。
ヴィジョンは夫婦経営で、ユリィカさんの口数の少ない旦那さんである、ヴィリィさんが経営代表を務めていた。フルネームはヴィリィ・ジョルトというらしく、宿の名前は恐らくその名から取ったのではないかと私はにらんでいる。
四境各地、そのどこからでもヴィジョンの扉を開けば彼らに会える。ただそれだけの事実が幼くして旅立った私にはありがたいことで、だから私はこの宿が大好きだった。一見さんお断りの仕様もあって、急に見知らぬ人と顔を合わせることもまずない。そういった部分も、特異な私にとっては助かっていた。真っ先にここを紹介してくれたリタさんには、頭が上がらない。
「…………」
「あ、リリィちゃん、こんにちは」
厨房の扉。その隙間から、小さな女の子が顔を覗かせていた。ミルさんよりもさらに幼い見た目年齢で、少し長めの金髪を可愛く二本のおさげ髪にしている。リリィ・ジョルト――ヴィジョンの看板娘だった。オシャレをしたいお年頃なのか、猫耳のついたカチューシャがお気に入りのようで、いつも身につけている。それもあって勝手に親近感が湧いているのだけれど――
「……………………」
「えーと、いただきます」
視線が痛い。ヴィジョンの中で、唯一彼女だけが苦手だった。私自身は先述の通り仲良くしたいのだけれど、全く言葉を交わしたことがないので、少なくともあちらは私に対して好印象はないと思っていいだろう。
「あ、リリィちゃんだぁ! カレー一口食べる?」
果敢にも、フィレアさんがそう問いかける。当然返答はないものと思ったのだが。
「…………いらない」「そっかぁ」
「…………」ん。
「じゃあ、こっち、たべる?」
続いてミルさんが、シーフードカレーの方で揺さぶりをかけた。
「…………いい」「そ」
「…………」んん。
「り、リリィちゃん、私のは、食べる? なあんて――」
私のはフィレアさんと同じカレーなので、食べるはずはない。そう思いつつも聞いたのだが。
「…………ぱく」
リリィちゃんは母親譲りのスピード感で近寄ったかと思うと、私のスプーンから一口だけカレーを食べ、そしてノーリアクションで厨房へと戻っていった。バタン、と扉の閉まる音。
「ねえ! 私は勝ったの? 負けたの?」
「落ち着いて、レド。意味が分からないよぉ」
「たぶんだけど、リリィの一人勝ち」
やけに的を射た発言をする、もう一人のダウナー幼女だった。