Report.10 噂の騎士
仕切り直して、上町を目指す歩みを再開する。
背後からの探るような視線が痛い。身体強化もしていないのに視線に痛みまで感じ取れるようになったのは、私が冒険者としての経験と共に成長した証なのかもしれない。そんな冗談を思考しながら、場を和ませようとアイクさんへ声をかける。
「駄目ですよ、アイクさん。貴方の現場は街の酒場だったんですから……もう少し時間が遅かったら、目撃者があの場に来ていたかもしれません」
「全く、言っている意味が、わからねえ」にべもない返答だった。
(まいったな……冒険者は信用が第一。だいぶ心証を損ねちゃったかも)
とはいったものの、彼は言わば同業者であり、特に今回の依頼者という訳でもない。今後のことを考えると、同業者という意味での繋がりさえも薄くなるだろう。そう考えれば、信用の失墜が与える影響を本件以降に引きずるということはなさそうだった。
(なんて――流石にちょっと薄情が過ぎるか)
ドライになりかけた思考をリセットするように、目的地を視界に入れる。
「ほらアイクさん。もうすぐ目的地です」
「目的地って――騎士団の本部じゃねえか」
そう、今回の最終目的地は上町にある東境の騎士団統括本部だった。より正確に言うと、その中にあるプランさんの専用デスクの目の前まで、だ。
「そこの、裏手の階段を上がりましょう」言って、早足で先行する。
「おい、待てよ!」そう言いながら、彼も慌てて後ろへつく。
「アンタ……騎士団の人間だったのか?」
「そう見えますか?」
彼の前で振り返りつつ、両腕を広げて見せる。
私の特徴的な耳がすっぽりと収まるユニークな帽子に、アルトラインに来る少し前に購入した、お気に入りのフード付きケープ。その下には薄く縦にラインの入ったノースリーブのセーターシャツを着て、上からコルセットを巻きつけている。膝上丈のスカートの下にはスパッツを履いて、その合間からは尻尾が覗く。右腰の辺りには主武装のナイフをぶら下げて、スカートに隠れ潜むように予備のナイフが二本。右肘と右膝には実用的なデザインのサポーター。それに、この一年でようやく手に入れた貴重な合金製のブレスレットが右手に二つ――どこからどう見ようと、騎士団の制服とは似ても似つかない恰好だった。
「……今日はオフなのかもしれねえだろうが」
「あはは! その発想は面白いですね。だけど、違います。そもそも、オフなら貴方とこんなところに居ません」
言って、懐から冒険者手帳を取り出す。先日、青判を押してもらったばかりのシロモノだ。
「同業者ですよ、私たち」
「レドナ・フィールド……」
彼は私の手帳を怪しげな物でも見るかのようにじっと見つめる。
「改めまして、以後お見知りおきを」そう言って微笑む。
「冒険者……兼、少壮気鋭の新人、記者ぁ?」
「ええ、そう自負しています! やがて遍く全てを知り尽くし、そして記す者なのです」
「ますます胡散臭え……アンタの書いた記事なんて読んだことねえぞ」
「そりゃあそうです、未発表ですから」
「はあ?」
「未発表なら永遠に新人で居られますからねー」
もちろん冗談だけれど。少なくともまだ当面は、『扇動犯』として捕まる予定はないのだった。
階段を登りきったところで、ようやく騎士団の本部が目前に迫ってきた。最後まで油断しないよう気を付けつつ、正面の入口ではなくそのまま裏口へのルートを選択する。灯り始めた街灯の光を避けて扉の前へと辿り着いたところで、おもむろに懐を探る。
「裏口なんて、鍵が閉まってるに決まってんだろ。ピッキングでもしようってのか」
「何をおっしゃいますか。一体私を何だと思ってるんです?」
「何なんだと思ってるよ……」
そう言って頭を抱えるアイクさんの目前に、裏口の鍵を見せつける。
「……おいおい、俺を犯罪に巻き込もうってのか? コソ泥のお供なんてごめんだぞ」
「先程から疑いで目が曇りすぎていませんか……もし仮にそうだとしても、初対面の貴方をお供に選ぶ理由がないでしょう。この鍵は正規に入手したものです、騎士団には知り合いが多いもので」
少しだけ得意げな顔を作ってそう言うと、彼はますます顔をしかめた。
「騎士団に知り合いの多い冒険者? やっぱり前科者か何かじゃ」
「だから穿ち過ぎですってば。牢屋に入ってオシリアイになった人間が、鍵を預かれるわけないでしょうが」
何か段々と腹が立ってきたぞ。この人、もしかして結構失礼なのでは?
憤慨しつつ、扉を開けて中に入る。
「さ、どうぞ?」
アイクさんにも促すように声をかけ、中へと招き入れた。
騎士団本部の中は、割合静かだった。じきに日が暮れる時分なので、常態であれば皆そろそろ仕事を切り上げて帰宅している頃だろう。こちらの本棟は大きな二階建ての建物で、中央部は吹き抜けになっていた。正面入り口から入ると吹き抜けの中心に来客受付の窓口が見えるのだが、ここは裏口なので、向かって西側の階段裏の扉から入ってくる形となった。因みにここを出てもう少し西へと渡り廊下を辿っていくと、こちらは一階建ての、これまた大きな訓練棟が併設されていたりする。
いかにも肩身の狭そうな、縮こまったようなアイクさんに目配せしつつ、裏口から左に向かって歩く。流石にこの中には目撃者は居ないだろうから、ようやく緊張を解くことができた。そのまま進み、周りの扉よりも少しだけ大きな、両開きの二枚扉の前にまで来たところで足を止める。正面入口から見て、受付を挟んだちょうど反対側に当たる位置だ。
「げ」
アイクさんが、苦々しい声を漏らす。私は思わずむっとして言う。
「その反応、ちょっと失礼じゃないですか? 噂が先行しすぎているだけで、いい人ですよ」
「どうだかね……」彼は引き気味に、そして観念したように少しだけ笑った。
私は軽く咳払いをしてから、ノックを二回、扉の向こうへと声をかける。
「プランさん、連れてきましたよ」
……しばらく待つも、中からの反応がない。人の気配はしているのだが。中から僅かだが息遣いのような音が聞こえるし。首を傾げる。
「プランさん? 入りますよ――」
そう告げてから扉を開き、顔をひょこっと少しだけ覗かせると。
「助けてくれえええええ!」
情けない絶叫を響かせながら壁に押さえつけられている巨漢と、その喉元に騎士団の剣を突きつけるプランさん――東境統括管理官の、その副官。プラン・プレイディの姿があった。
「――――」
私は目の前の光景が理解できず、立ち尽くしてしまう。
「ひえっ」
アイクさんも、疑う余地もなく現在進行形で暴力に完全支配されている空間への侵入を躊躇い、扉の外側で震えていた。巨漢はそんな私たちにまるで人でなしを見るような、捨てられた子猫のような目で救いを求める。
「誰だか知らねえけど助けてくれえ……お、俺ぁ何もしてねえよ……ただ騎士団に仕事の依頼にきただけで――」そう涙ながらに弁明する巨漢の鳩尾に、プランさんの左膝がめり込む。
「「「うえっ」」」蹴られた当人の痛みをリアルに想像してしまい、観客二名も声を漏らす。
プランさん、喧嘩の仕方がマジだった。
巨漢の身長はプランさんのそれよりもかなり高かったが、膝蹴りを受けて思わず体をくの字に曲げる。位置の下がった巨漢の耳元に、ぞくっとするくらいゆっくりとしたスピードで、プランさんの唇が寄せられて、
「――、……。――――。」
「……?」
何かを小声で囁いているが、遠すぎてよく聞こえない。私は意識を両耳に集中させて、音を聞き取ろうと試みる。
「あんたさあ、本当にいい加減にしろよな。いい歳した大人が子ども扱いした相手にいいようにやられて、あまつさえその助けを赤の他人に求めるなんて恥ずかしくないのかよ。プライドとかないの? ええ? 何もしてないとか、嘘と自己弁護ばっかりは一人前でさあ……騎士団は頼りにならないだの仕事しろだの、お前みたいなガキには無理だの全部お前らのせいだの、チビだのちんちくりんだの一方的にまくし立てやがってさあ、感情のコントロールとか出来ないわけ? 指の一本でも跳ね飛ばせば少しは賢くなるのかな、ねえ。幸い今は誰も見てないし、何やったってバレないよ。もし見てたとしても口を封じれば居ないのと同じことだよね。ボクは騎士団の副官だ、その気になればあんた一人の始末くらいどうとでも言い訳がきくし、もうなんか色々めんどくさいからこのままやっちゃおっか、ねえ」
怖すぎる。もはや言葉の通じる余地を感じない獣の姿が、そこにはあった。
私は現実から逃げるように一度だけ目を閉じ、そして開く。
「あれー、ワンくん、ツーちゃん。こんなところに居たんだ。よしよーし」
足元には緑色の光を纏う、可愛らしい表情をした双頭の子犬が擦り寄ってきていた。もちろん私が正気を失って見た幻覚などでは断じてなく、彼らはプランさんの使役している『鏡獣』だった。耳と尻尾に何か通じるものを感じているのか、私によく懐いてくれている。久しぶりに手のひらサイズになった彼らを抱き上げ、頬を擦り寄せる。
「あーーかーわいいなあ。もふもふーうりうりぃ」
至福の感触。それらをたっぷりと堪能してから、名残惜しさを感じつつも、彼らを床にゆっくりと下ろして。そして。
「プランさんストップ! それ以上ダメええ! こんなちっこくなってるってば――!」
私は死を覚悟しながらも、全力でプランさんを止めにかかった。