Report.01 ケモミミ少女
勝算はあった。森の木々に身を寄せつつ、なるべく息を潜めて、ただひたすらにそのときを待つ。 そもそもの話、これは狩りであって勝負ではない。『こちらに負けの目があるようならそんなものは狩りではない』と、そう教えてくれたのもお祖母ちゃんだった。
「ふう……」
いや、今回に関しては勝負でもあるのだけれど、それはあくまでトリエが勝手に言い出したことだ。私は努めて意識しないよう、短く一つ息を吐く。長く木陰に身を屈ませているせいで、私の尻尾の先は土埃にまみれてしまっていた。後々の手入れの手間を思い、今度は別の意味の溜息が漏れる。
(そろそろ、かな)
十歳の誕生日にお祖母ちゃんが贈ってくれた狩猟用のナイフ。この二年で随分と手に馴染んだそれが汗で滑ってしまわぬよう、固く握りなおす。僅かな物音も聞き逃さぬよう息を殺し、そっと目を閉じ、自らの頭頂部へと意識を集中させる。目を閉じていても、風に揺れる木の葉の音色が先ほどまでの視界を脳裏に子細に描き出してくれていた。
ぴくっ。
自らの耳がその音の位置を探り当てると同時に、頭頂部に集めていた意識を今度は右腕へと流し込む。この感覚だ。最近はようやく慣れてきたけれど、自分の中にあるナニカが体内を蠢くようなこの感覚には、まだ僅かばかりの恐怖を覚える。
――意識の流れにはとびっきりの勢いをつけて。自らの体内で蠢くそれを、外側に向けて擦りつけるようにして加速させていく。螺旋を描きながら加速するそれは、じきにナイフを握り込む右手の指先へと収束する。
がさっ。
五メートル。何の強化もしていなくても、この距離ならもうはっきりと聞き取れた。
「留まることなき自由の風よ――」
呟きながら木陰を飛び出し、ナイフを構え、獲物を真正面から睨みつける。
「――貫け!風槍!」
言葉と同時に、私の身体は標的にナイフを撃ち込むためだけの機構と化す。腕の先端からは、風の力を借りて爆発的に加速したナイフが射出され、瞬く間に獲物の脳天へと迫る。不意打ちに加えこの速度では、俊敏なヤツでも流石に逃げきれない。
ぎいと短い悲鳴を残して、今回の獲物――通称ツノウサギと呼ばれている魔物は息絶えた。かなり大型の個体で、体長は六十センチを優に超えていそうだ。無事仕留められたことに安堵しつつも、私の思考はこの後の手順をなぞり始めていた。
(まずは感謝の祈りを捧げる…………うん。そしたら素早く捌いて血抜きしつつ内臓を取り出す。ちゃんと川の近くまでおびき寄せたから、水に晒して体温を下げて――あ)
と、そこまで思考を進めたところで、ある問題に行き当たる。
(避けられないように飛び上がった瞬間を狙うのはアリだと思ったんだけど……次からは角度を考えなくちゃね……)
まずは何をおいても、彼方へ撃ち出してしまったナイフを回収しなければいけないようだ。
急いでナイフを回収し獲物の下へと戻ると、いつの間にかトリエがやってきていた。
「また魔物を狩ったのか、レド。危ないから手を出すなって、ばあさんに言われてるだろ」
「お祖母ちゃんもトリエも心配しすぎなんだよ。そりゃトリエよりは二つも下だけど、私だってもう子供じゃないし」
「十二歳は子供だろ……」
そう嘆息しつつも、トリエは私の獲物に興味津々のようだった。
トリエ・アーチェ。私よりも二つ年上の、数少ない友人の一人。村では煙たがられている私にとっては、幼馴染とも呼べる頼れるお兄ちゃんだ(もちろんそんなことを直接口にしたことはないけれど)。肩ほどに伸ばした特徴的な赤毛は綺麗なストレートで、細身な外見も手伝って、ひょっとすると私よりも女の子してるかもしれない。俯いて獲物を見つめていると前髪が目元にかかって、その度に鬱陶しそうに手で弄っている。決して羨ましいわけではないし、自分の癖毛を恨んだ八つ当たりというわけでもないけれど、いつか横一線にバッサリと切り落としてやろうと思います。ええ。
「この傷口……魔術だろ? そっちも確か禁止されてなかったか?」
「私の力をどう使おうと私の勝手でしょ。使いこなすなら反復練習、それに実践が基本だよ」
「――ま、そりゃ言えてるな。俺だって、レドの力はレドのものだし、自由にすべきだって思うよ。だから言いたいのは、単純にリスクの問題さ。これ、例の飛ばすヤツだろ」
トリエが獲物の脳天にぽっかりと空いた穴を指さして言う。
「一発限りの大技なんて危険すぎる。もしも外したらどうするんだ? 俺の弓矢と違って、すぐ次弾装填、って訳にはいかないんだろう?」
よく分からないけどさ、と付け加えるトリエ。
確かに、傍目からはリスクの高い選択肢のように映るのかもしれない。魔術を使う感覚に馴染みのない人間ならなおさらだろう。だから、安心させるようにあえて明るい声を作る。
「トリエはさ、コイントスってできる?」
「は?」突拍子のない問いかけに呆けるトリエ。
「いいから。できる?」
「そりゃ、まあ」
「だよね、私もできるよ。トリエにとって、私の飛ばすヤツは表が出るか裏が出るかの賭けに見えるのかもしれないけど、それは違う。私にとっては、精々コインがキャッチできるかどうかの賭けなんだ。どのくらいの力を入れたらコインがどういう風に宙を舞うのか、そんなことは感覚で大体分かる。コイントスをするときに、コインを取りこぼすかもなんて緊張する人はいないでしょう?」
自分の手足が思い通りに動くことに疑問を覚えないように、魔術の感覚とはそれを習得した者にとって疑問を挟む余地がないものなのだ。
しばらく口をぽかんと開けたまま呆然としていたトリエだったが、やがて呆れたように苦笑して「なるほどね」と呟いた。
「レドの言いたいことは分かった。俺にはよく分からない感覚だけど、レドがそう言うなら信じてやりたい。だけど、俺は兄貴分としてばあさんにレドの身を任されている訳だし、やっぱり注意はしておくよ」
トリエはたまに頑固になる。そういうときは決まって私の身を案じてのことだった。
「魔物は危険だ。襲われたら死んじまうかもしれない。俺はそのコイントスとやらに自分の命がかかっているとしたら、やっぱり怖いって思う。いつも通りと思っても、緊張して手が震えるだろう。レドは緊張なんてしないのかもしれないけど――」一拍置いて、口を開く。
「そこで緊張しないレドが、やっぱり俺は心配なんだ」
トリエの口調も眼差しも真剣そのもので、だから私はどう反応したものか迷ってしまう。
「それに、さっき自分で反復練習と実践が基本だって言ったろ? コイントスだって、覚えたての頃は練習したんだ。レドにはそれが分かってるんじゃないのか?」
トリエの主張は正しい。お祖母ちゃんの言いつけだって正しい。二人が私の身を真剣に案じてくれていることも分かる。その正しさが嬉しくて、つい身を委ねてしまいたくなる。
だから私は、スカートの裾をたくし上げた。
「は?」
突拍子のない行動に、再び目を白黒とさせ呆けるトリエ。しばしの沈黙。
「ば、は? お、おまえ何やってんだよ! 女の子がはしたないぞ! いや見てない見えてないから安心しろ! 俺は紳士だから紳士のうちに今のうちに迅速に裾を元に戻せ――!」
「いや、見てよ」
「なんでだよ! あとで金でも脅し取ろうっていうのか! そんな手には乗らないぞ! 大体幼馴染のパンツなんて別に見たくないし見ても何とも思わないし、うん? 何とも思わないなら別に見てもいいのでは?」
おお、トリエが混乱している。
「いや、パンツは見せないよ」
「え」
「ナイフ。予備が二つあるし、二回までは外しても大丈夫なの。外さないけどね」
右太腿の辺りにぶら下げた、二本の予備のナイフをチラつかせながらそう嘯く。
トリエのお説教タイムが随分と長かったので、つい魔が差してからかってしまったけれど、心配が嬉しいのは本当だったから、そこは素直にお礼を言う。
「心配してくれてありがとね。一応、肝に銘じておくよ」
顔を真っ赤にして慌てていたトリエは、お礼を聞くと毒気を抜かれたように落ち着いていった。
「…………はあ。やっぱり一筋縄じゃいかないよな、お前は」
「というか、すっかり話し込んじゃった! せっかく川の近くで狩ったんだし、新鮮なうちに処理しておかないと」
「そうだな、俺も手伝うよ」
トリエにも協力してもらいつつ、獲物を私の背負い籠の中へと入れる。かなり大きな個体だったので、籠が八割方埋まってしまった。私が籠を背負ったところで、トリエが意地悪く笑う。
「まあレドの魔術はさておき……今日の勝負も俺の勝ちだな」
その一言にハッとして、辺りを見渡す。近くの木陰に置いていた籠を背負いあげるトリエ。その中には、籠から溢れ出そうなほどの獲物が詰まっていたのだった。
有り体に言って、トリエはビビりだ。
魔物と戦うのはもちろんだけれど、獲物の解体だってできるようになったのはつい最近。それでもその怖がりで慎重派な性格は、どうにも生来の狙撃の腕との相性が良かったらしく、狩りの腕前は村でも群を抜いていた。私だって魔術を使いこなして上手くやっている方だが、トリエとの狩り比べに勝てたことはただの一度もなかったのだった。
「レドは大物を狙い過ぎるんだな。そもそも――」
川で獲物を冷やしながら、トリエは私に語りかける。私はといえば、トリエのご高説に傾聴するような気分ではなかったので、川の上流の岩陰を目指して移動する。
「尻尾が汚れちゃった。向こうで流してくるから、覗かないでね」
「聞けよ! 覗かねえよ!」
キレる若者だ。怖い怖い。
一応は岩陰に身を隠しながら、靴や靴下を脱いで素足を水に浸す。川幅は十メートルくらいあるけれど、深さは私の膝下ほど。流れも緩やかなので、昔はよくトリエとアーチェおじさんに連れられて遊びに来たものだ。春先の川の水は冷やっこくて、狩りで温まった体に心地よい。尻尾の先を優しく水に晒して、そっと汚れを洗い落としていく。
「…………」
トリエと居ると、この体のことを考えなくて済む。村の大人は私を見ると、決まって恐ろしそうにするか鬱陶しそうにするかのどちらかで、子供は石を投げつけてくることだってある。そんな子供たちも馬鹿ではないから、私がトリエと居るときは避けるようにして道を開けてくれるけれど、トリエにだって村での生活があるのだから、厄介者の私と一緒に居るところを見られるのはあまりよいことではないのだろうと思う。それでもきっとトリエは気にしないだろうけれど、厄介者には厄介者なりのプライドがあるのだ。お祖母ちゃんにもトリエにもアーチェおじさんにも、頼りきりになる訳にはいかない。
ある程度汚れも落ちたので、持参したタオルでそっと水気を拭き取る。お祖母ちゃんは可愛いと褒めてくれるけれど、当の本人としては複雑な心境だ。耳の方はいっそ帽子でも被れば隠せるが、このサイズの尻尾ではそうもいかない。
こんな私を受け入れてくれる人たち。
こんな私を決して受け入れてはくれない人たち。
じゃあ私は?
私自身は、どうなのだろう。私は私を受け入れることができているだろうか。
(なんてね)
答えはとうに決まっている。それが私の緊張しない理由。私は私が大嫌いだった。だからだろうか、私に冷たく当たる村の人たちを私は恨みきれずにいる。他でもない私自身が誰よりも私を疎ましく思っているのだから、これはもう仕方のないことだと思う。
私は私を疎ましく思うけれど、そんな私を受け入れてくれる人たちも居る。その人たちに申し訳ないと思うから、何とかこうして日々を過ごす。
他者を害しながら。他者を狩り喰らいながら。
ただのうのうと、生きている。
「やっぱり駄目だな、私」
トリエやお祖母ちゃんが傍に居ないと、すぐに鬱屈とした感情が襲ってくる。自分に自信が持てるようになれば少しは感情の整理もつくだろうと思い、魔術の練習と勉強は続けているけれど、芽が出るのはどうにもまだ先らしかった。
「それともその考え方自体が間違っているのかもね――」
誰にともなくひとりごちて、靴を履きなおし、トリエの元へと戻る。
彼が用意してくれた縄に繋がれ、獲物たるツノウサギは流水に晒されていた。作業を終えたトリエはというと、下流の少し開けた場所で遠くの空を見つめていた。
「何黄昏れてるの。思春期ちゃん?」
そうおどけた口調で声をかける。トリエは振り向かない。
「はは。それ、レドにだけは言われたくないな」
むっ。
「ほらあそこ。ここからだとよく見える」そう言って、トリエは遥か先を指差す。
「…………ああ」
トリエの横に立ち、私もその先へと視線を送る。この辺りはちょっとした高台になっているから、村の周辺よりも見晴らしが良くて私は好きだった。
晴れ渡る青空の下。視界の先に広がる森を抜け、山々を通り越し、幾多の街を過ぎたその先。
うっすらと、大きな大きな樹の影が佇んでいた。
人呼んで『胎樹』。
未だ誰も到達したことがないという、天を貫くようにして伸びる一本の柱。
世界なんてもの私にはまだよく分からないけれど、もしも中心があるのだとしたら、それは間違いなくあの樹なのだろうと思う。遠すぎてぼんやりとしか見えないけれど、逆に言えば、それほど遠いのに視認できるだけの凄まじい大きさを誇っているということだ。
「言うほどかなあ。いくら見晴らしが良くても、こんなに遠くちゃぼんやりしてわかんないよ」
「それがいいんだろ。なんというか、スケールが大きくてさ」
「ビビりの癖に変なところでロマンを求めるよね、トリエって。……そんなに好きならトリエもなれば? 冒険者」
答えは分かっていながらも、あえて聞いてみる。
「どうだろ」トリエは肩をすくめて言う。
「最近の研究じゃ、魔物の発生源があそこだっていうのはもう確定したようなものらしいぜ。誰も辿り着いたことがないっていうのも、だから多分本当なんだろう。知ってるか? 冒険者って危険を冒す者って書くんだぞ。旅をするのは面白そうだけど、だからって身を危険に晒すほどじゃあない」
だからこうして遠くから眺めてロマンを感じているくらいがちょうどいいのさ、そう締めくくって踵を返すトリエに、分かってはいてもガッカリとしてしまう自分がいた。
「……まあ、トリエはそうだろうね」
何しろ理由がない。未知ではあるけれど、危険だということだけは分かっている旅路。そんなものに身を投じるのは、余程の馬鹿か、他にやることのない間抜けか、守るものが何一つない愚か者くらいのものだろう。
だけれど。
「でもやっぱり。こんなに遠くちゃ、よくわかんないよ」
「――レド?」
知らないことを知りたいと思うのは、そんなにおかしなことだろうか。
何も知らない、自分が何かも分からない愚か者。
私が愚か者だから、だから未知に惹かれてしまうのだろうか。
都合よく、未知の中にこそ私の求める答えがあると、つい、そう夢想してしまう。
そろそろ獲物も冷えた頃合いだろう。そう思い、トリエに続いて踵を返す。視界を外れても、あの樹のシルエットは心にこびりついたまま離れなかった。