第9節 誰かを導く鈴の音
アイリスは胸を高鳴らせながら、試験開始場所の列に並んでいた。
アイリスは自分を落ち着かせるように天を仰ぎ、深呼吸をする。
見上げた先の秋の陽光に、アイリスは目を細めた。
競技場の白い天幕は、天井部分が大きく割り開かれ、その額縁の中にある青空の海を白い雲が泳いでいく。
気を引き締めるように、高い位置で結んだシルバーブロンドが風に乗ってアイリスの頬まで浮き上がった。
アイリスはそれを押さえつけるように髪を梳く。
「今日は風が強いわね」
アイリスは競技場内を見渡すように振り返った。
一昨日と昨日の自分たちはあの賑やかな観客席に居た。
しかし、今日は違う。
今度はアイリスたち一年生が皆に観られる番だ。
「できることはしたもの。きっと大丈夫」
アイリスは自分を励ますように微笑み、ルール説明が開始するのを待った。
[一年生の皆さんに与えられた課題は、『花の書』に収められた五十冊の本を正しい場所に収めることです]
[――制限時間は百ニ十分]
[それでは第一学年の研究棟種目――『庭園図書館』試験開始です]
◇ ◇ ◇
風鈴・フォンは東大陸出身で、高等部からサンクチュアーリオ学院に編入してきた編入組だ。
彼女もアレンとアイリスと同様に、学院入学と同時に中央中立地域――『聖域』にやってきた。
共通語は学び始めてまだ数年で、まだ完璧に使いこなせているわけではない。
だが、彼女は聡明でまた努力家でもあった。
彼女は真面目に授業に取り組み、積極的に同級生にお薦めの本や最近の流行を教えてもらい、言葉や文化を短期間でどんどん吸収していった。
風鈴は昔から理知的で利発で物覚えが良かった。
風鈴のその才能が、彼女と彼女の師を引き合わせた要因でもあった。
風鈴は試験の舞台である『庭園図書館』に降り立つと、温室の中央にそびえ立つ一番大きな木の下に向かった。
風鈴は布やリボンを編み込んで作った縄を高い位置にある枝に投げ掛けて、持ち前の身軽さでその枝にあっという間に登る。
そして辺りを見渡し、庭園図書館の空間の広さや物の配置を遠目に確認した。
風鈴は「うーん」と首を傾げると、ローブのポケットに手を入れる。
「広くて全部は見えナイネ……。やっぱり老師がくれたアレを使おうカナ」
風鈴は白いローブのポケットに手を入れた。
そのままポケットから取り出したのは、掌にぎりぎり収まるくらいの大きさの金色の鈴だった。
それは朱色の太紐で結ばれた鈴飾りで、一番大きな鈴の周りにはひよこ豆くらいの小さな鈴が八個ぶら下がっている。
風鈴はその鈴飾りの朱色の輪に手首を通して、唱えた。
「【螢雪鈴】発動」
風鈴が太紐を通して鈴に魔力を込めると、魔術具の鈴が光った。
風鈴は夜灯をかざすように鈴を垂らした腕を前方に突き出し、腕をゆっくりと大きく左右に動かす。
――……リーン………リーン。
鈴の音が大きく鳴る場所で風鈴は腕を止めた。
「うん。あっちダネ。『牡丹の章』」
風鈴は縄を一瞬で回収すると、回転しながら枝から飛び降り、綺麗に地面に着地した。
風鈴は鈴の音が大きく響く方に導かれながら、真っ直ぐに駆けていった。
『螢雪鈴』はそのとき術者が探しているものに反応する鈴だ。
目的の『物』や『者』に近付くと鳴る魔術具。
それは風鈴の養父であり、風鈴に魔術と体術を教えてくれたフォン老師がくれた魔術具だ。
【この鈴が、きっとお前を導くだろう】
――後宮は怖い処だった。
あの夜、風鈴は鈴の音が小さく鳴る度に、その場所から息を潜めて走り去った。
まだ幼い身体は、今とは比べ物にならないくらいに息が上がった。
短い足をもつれさせながら、風鈴は自分の命を狙う者から必死に逃げ惑った。
――此処は、優しく自由な場所。
あの業火の夜とは違い、ここは燈火のように優しさの火が点る場所。
【お前もいつか誰かを導く鈴の音になりなさい。風鈴】
そう言って送り出してくれた養父に恥じないように。
風鈴は鈴の音を鳴らす風のように、庭園図書館を駆け回った。
◇ ◇ ◇
レオは『花の書』を一通り見ると、パタンと音を鳴らしてそれを閉じた。
「昨日はアレンたちに格好悪いところを見せちまったからな。挽回しねーとな」
レオは書架の上を跳躍し、書架と書架を最短距離で移動し、目的の場所に向かった。
「あれ、これって行儀が悪いとか怒られっかな。まあ流石に本物の図書館じゃやらないけど……」
レオは誰かに言い訳をするように言いながら、動き回って上昇する自分の体温に首を傾げた。
「……てか、アイリス嬢はこの広い場所を動き回れんのか?」
過保護な友人の影響で、その友人の双子の妹の体力の無さをつい心配してしまう。
「ま、アイリス嬢には魔力っていう優位性があるからな。人の心配より自分の心配だなっ。なんせ二回目の一年新人戦だし? これ以上格好悪いところは見せられないよな」
レオはにやりと笑うと、自分の新しい同級生に対する対抗心を、その紅蓮の瞳のように燃やした。
◇ ◇ ◇
試験開始の合図と同時に現れた花のアーチを潜りながら、アイリスは瞳を閉じ、大図書館の光景を思い出す。
記憶の中の木と紙とインクと埃の匂いが鼻をくすぐる。
――私、この学院に来てから、何もしてなかったわけじゃない。
アイリスは放課後や休日に大図書館に通ったこの三か月程の日々を思い出す。
アイリスは一般学生に閲覧権限のあるあらゆる魔術に関する本を読み漁った。
何かヒントがないかと他の分野の本の書架も巡った。
この試験をこなすのに必要な地力は、アイリスには試験内容が開示される前に既についていた。
アイリスは覚えていた。
大図書館にある本の配置も、授業で学んだことやその関連の本がある場所や内容も。
――授業のためもあるけれど、呪いを解くためにしていたことが、役に立つことがあるなんてね。
アイリスは思う。
そして気が付けば、ぽつりと呟いていた。
「私、負けたくないな」
――私は何に負けたくないんだろう。
アイリスは自分の呟きに自分で驚いた。
自分の中に芽生えた気持ちに戸惑う。
――私は『勝つこと』も『負けること』も何も知らないのに。
――私が負けたくないのは、自分自身にだろうか。それとも他の誰かにだろうか。
花のアーチの先の暗闇を抜ける。
アイリスは庭園図書館に足を踏み入れ、広い場所を探して中央に向かって歩いた。
その時、アイリスの右手に触れたのはおそらくこの温室の中央に植えられた大木――月桂樹の幹だった。
その葉がひらりとアイリスの髪に落ち、滑るようにアイリスの両手に落ちた。
アイリスは顔を上げる。
「――そっか。私は何にも負けたくないんだ」
そのうすぼんやりとしたその気持ちは、きっと大きすぎて見えなかったのだ。
――私ってすごく贅沢な人間かもしれない。外の世界を知れば知るほどに、望みがどんどん増えていく。
「私、『聖域』に来て、やりたいことが沢山できたのよ。アレン」
アイリスは今、自分が一番やりたいことをやる。
集中するためにその藍玉の瞳を閉じた。
「蜜を求めし者たちよ 花の香に導かれ 此処で咲き誇りたまえ 【邂逅】」
アイリスの魔法は花の香りを辿って書を探し、咲き誇るためにアイリスの立つ場所に導かれる。
それは、三年生のケイティ・ガルシア・クラークが使ったものと同じ系統の魔法だった。
正確に言えば、彼女の魔法を参考にして、アイリスが新しく編んだ魔法だった。
花弁が舞うように、アイリスの元に次々と送られてくる本たち。
そしてアイリスは次々と花を色付かせ、咲かせた。
残り十冊ほどのところでアイリスは脱力し、月桂樹の木にもたれた。
「……少し、魔力の器を解放しすぎたかしら。まだ効率も悪いし。……でも、もうちょっとだから、あと少し力を貸してね」
アイリスは木肌に触れながらその場に座り込み、残りの花を色付かせるために、新しくアイリスの元に飛んできた書に手を伸ばした。
苦痛よりも歓喜がアイリスの中で暴れていた。
◇ ◇ ◇
「あの子……アイリスは凄いわね。私の話からヒントを得て自分で魔法を構築したのね」
アイリスが使った術の元となった術を創ったケイティは、実況の魔水晶を見ながら感心した。
「彼女は自分で魔術具も造るらしい」
シンは補足するようにケイティに言った。
しかし、それに対して左側から面白がるような視線を感じて、そちらを見る。
「シンったら、さり気なく自分の棟の後輩を自慢しないで頂戴」
「別に自慢したわけではない」
「……」
クラーラとシンは普段は気も息も合った二人だ。
だがこういう棟対抗になると途端に争いごとの真似を始める。
静かに火花を散らせる二人に、ケイティはあからさまに「面倒だ」という視線を向けてきていた。
「アレンさんはあなたのことを随分と警戒しているみたいだけれど、私からすれば、あなたたちは相当仲良くなれますわよ」
「俺には彼が俺を警戒する理由が分からない」
クラーラが挑発するような視線をシンに向けると、シンは呆れるように言った。
すると今度はケイティがこのひと月の間で話題になっていたある噂をシンにふっかけた。
「自分の可愛い妹によこしまな感情を寄せられたら、兄としては警戒するのでは」
「いや、だからあの噂は真実ではない」
シンは何度目か分からない弁明をする。
「『噂』とは、あなたがアイリスに執着したせいで彼女が怖がって団体戦に参加したくないと言ったことですか」
なぜかケイティが確認するように聞いてくる。
「そうだ。あれは真実ではない」
「ですが、あなたが二日に一度は彼女に付きまとったという目撃証言が出ていますが」
「誰がそんなことを調べているんだ」
「親衛隊です」
「親衛隊? そんな組織うちの学院にあったのか」
「アイリスの親衛隊です」
「……?」
「ですから。アレンとシンはその親衛隊で仲良くできるのだはないかと、私は思っているのよ」
クラーラはにんまりと笑った。
やはりクラーラはシンをからかっているのだ。
「……ケイティ。カエルムはどこに行ったんだ」
シンは味方を探すように言う。
シンはすっかり疲れ切っていた。
「代表は雛姫の応援のために今最前列にいます」
「あの人新人戦を孫の初めての参観日が何かと勘違いでもしているのかしら」
「なぜ俺は変質者扱いで、カエルムのことはそういう風に解釈するんだ」
シンは溜息を吐く。
「だって、カエルムにはケイティという正妻がいますもの」
「なんですか、その気持ちが悪い妄想は。あの人の妻になるくらいなら、私は一生独身を貫くか、自害しますよ」
「……あんまりじゃないか、ケイティ君」
そこには泣きそうな顔のカエルムが立っていた。
「「「あ」」」
そこでようやく三年生の悪ふざけが終わった。




