第8節 葉陰に隠れしもの
二年生の研究戦の結果発表まで終わり、午後からは自主訓練の時間だ。
昼食を食べ終えたアレンとアイリスにレオ、フラン、セレーナ、風鈴の六人は、明日の試験に備えて大図書館に向かっていた。
雛姫は研究棟に呼び出されたそうで、食堂の前で残念そうにアイリスに手を振っていた。
アレンたちは白亜の天球棟から出て、大図書館に繋がる回廊を歩く。
細かい彫刻が施された広い回廊を進んでいくと、大図書館の入り口脇に人の輪が出来ているのが見えた。
ようやくその輪を作る学生たちの顔がはっきりと見えるようになったとき。
「あの真ん中に居るのって」
「ランス先輩でしょうか」
アイリスとアレンが二人同時に気付き、声をあげた。
どうやら一年生たちが研究戦首位のランスを囲んでいるようだ。
二人の声が届いたのか、その集団の中央から飛び出ていた明るい茶髪が揺れる。
そして、輪の中からランスがこちらに向けて声を掛けてきた。
「よっ! 後輩たち!」
「「「お疲れさまです、ランス先輩。研究戦一位おめでとうございます」」」
アレンたちが声を揃えて言うと、ランスは手を大きく上げて見せた。
「ありがとよー。ありがとよー。いやー、でもらくしょーだったぜー」
ランスの緩い口調で言うと、レオがおぞましい物を見る目でランスを見た。
「お前、いつか絶対刺されるぞ」
「まあまあ、冗談はさておき。明日はお前たちの番だなー。がんばれよー」
「「「ありがとうございます」」」
「ふむふむ。ここは先輩として、アドバイスを送ってやろう――」
ランスは気を良くしたのか、にこやかに腕を組んでふむふむと何度か頷いてみせた。
しかし――
「いや。大丈夫だ。お前のアドバイスは、絶対に参考にならない。断言できる」
レオが自身の剣筋と同じように、バッサリとランスの提案を斬り捨てた。
しかし、アレンはランスのアドバイスに興味があった。
「え。俺は聞きた――」
――ドンッ。
その時。
アレンは大図書館の方から歩いてきた二人組の男子学生の一人と肩がぶつかり、反射的にアイリスを庇いながら一歩後ずさった。
「すみません!」
アレンは慌てて謝罪し頭を下げるが、一歩も引こうとしない二人分の脚を見て、違和感を覚えた。
「邪魔だよ。一年」
「……はい。申し訳ありません」
冷たい声の出処を見上げながら、アレンは再度謝罪をする。
見上げた先には金髪にワインレッドの瞳の男子学生がこちらを睨みながら立っていた。
声の主は騎士棟の二年生で、先程の試験ではフランの姉メアリに続いて第五位だったマルクス・ミケランジェリ・オットーだった。
そしてもう一人一緒にいる男子学生は、ハーゲン教室所属の騎士棟生マリウス・ミケランジェリ・オットーだった。
良く見ると二人とも顔立ちや雰囲気がよく似ているし、姓も同じだ。
――兄弟……でいいんだよな。
同じ騎士棟だが、二人とも騎士倶楽部で会ったことがないので、アレンにとってはほぼ初対面だ。
――だけど、なんだろう。この二人から感じる悪意みたいなものは。
アレンは自分を睨んでいる二人組の悪意の正体を読み取ろうと、そっと彼らの覗きこんだ。
しかし、すぐに別の声に意識を逸らされた。
「わざわざ進路を変えて、ぶつかってきたのはそっちだろう」
アレンの頭の位置から、レオの声が矢のように飛んでいく。
肩越しに見上げたレオの表情からは、無理矢理感情を抑え込んでいるのが見て取れた。
そんなレオに対して、マルクスが蛇が絡みつくような視線を向けたのをアレンはしっかりと見てしまった。
「よお、元第三席」
「マルクス。なんだよ、その呼び方は?」
苛立ちながらも嘘くさい笑顔を浮かべるマルクスに対して、レオの声は冷静だった。
「わるいわるい、レオナルド。でも、すっかり一年に馴染んでるみたいで良かったよ」
言葉とは裏腹に、マルクスはレオに蔑んだ笑みを向けていた。
――この人、随分と感じが悪いな。ここに来てからこういうあからさまな人に会うのは初めてだな。
「おかげさまでな。それよりもお前、アレンに謝れよ」
「俺は大丈夫だよ、レオ」
アレンは慌てるが、レオは真っ直ぐにマルクスを見つめていて視線が合わない。
対峙するマルクスとマリウスは、意地の悪い視線でアレンを見下ろしていた。
「……ああ。お前がアレン・ロードナイトか。クラーラ先輩に媚びを売って団体戦選手になったって奴だろ」
鼻で笑いながらのマルクスの言葉に、アレンはびくりと固まった。
同時に周りの空気も固まった気配がした。
直接的に言葉に込められた悪意に、アレンは一瞬詰まる。
しかし、生憎とアレンは悪意には慣れていた。
「……――ええ。僕がアレン・ロードナイトですよ。マルクス先輩」
自分の名前だけを肯定し、それ以外は流し、微笑んで見せた。
しかし。
背後でアイリスが凍てつくような怒気を放っているのを感じた。
――耐えてくれよ。アイリス。
アレンはどうしたものかと思う。
アイリスだけでなく、普段は落ち着きのあるセレーナもなぜかアイリスの隣から鋭い視線をマルクスとマリウスに向けて放っている。
フランと風鈴はその後ろで、普段温厚な二人の変貌に戸惑っている様子だった。
――うーん、これは。
アレンはどうやってこの場を何事も無く切り抜けようかと悩んだ。
しかし、底抜けに明るい声がその空気を打ち破った。
それはまさに、『救世主』だった。
「おいおいおーい、マルクス。随分と聞き捨てならないことを言っているなー」
明るさの象徴であるランスに横槍を入れられたマルクスは、苛立ちを隠しきれずに、足が落ち着きなく揺れていた。
「ああ、騒がしいと思ったら首席様かよ」
「うるせえよ、マルクス。後輩の教育に悪いからどっか行けよ」
ランスは、笑顔で言った。
冷たい視線と声でマルクスを睨みながら。
「つれないねえ。我が学年の首席様は」
つまらなさそうにそう言ったマルクスは、マリウスを連れて天球棟の方へと向かっていく。
その直後には、蜘蛛の子を散らしたように大図書館前からは人が居なくなっていた。
――みんなランス先輩に今日の話を聞いていたみたいだったけど、悪いことをしちゃったな。
アレンは同級生たちに心の中で謝罪する。
すると、レオの心配そうな声が降りてきた。
「アレン。大丈夫か」
「ああ。うん。あのくらい別に全然平気だ」
いつも通りの笑顔でアレンがそう言うと、なぜかアイリスとセレーナがむっとした顔でアレンを見てきた。
レオはポリポリと頭を掻くと、無駄に深く頭を下げてアレンに謝罪した。
「ごめん! たぶん俺と一緒にいたせいだ!」
レオは両手を体の脇にきっちりと添えたまま、頭を上げようとしない。
「どういうことだ?」
アレンは状況が良く分からず首を傾げる。
「それは……」
レオが言い淀むと、ランスが頭の後ろで両手を組みながら言った。
「逆恨みだよ、逆恨みー。あいつはレオに昔から妙に執着してるんだよ。愛だねー」
ランスは先程とは打って変わって明るい調子でレオを茶化すと、レオはやっと頭を上げた。
「うるせえよ。あんな愛いらねえよ」
「……以前に何かあったんですか?」
そう聞いたのはアイリスだった。
どうやら怒りは少し収まったようだ。
「あいつはさあ、自分の家系が自慢なんだよー」
「オットー家は有名な騎士の家で、ミケランジェリ家は有名な元伯爵家ですね」
セレーナが補足する。
「対して、我が親友レオナルド・ブラウンは、何の後ろ盾もない田舎の農場の息子だ。あいつにとったら、もうそれだけで気に入らない。そしてもっと気に入らないのは、あいつがレオに一度だって成績で勝てたことがないってことさ」
ランスは演劇をするように、両手を大きく広げてみせた。
「かくして! 変な方向に自尊心が育ったマルクス君はその呪縛から逃れられず、昔からレオに絡んでるってわけだなっ!」
「それは確かに逆恨みだなあ。レオも大変だなあ」
――学院の規則に『出身や身分に関係なく互いに接すること』『互いを尊重すること』とあったとしても、相手は学生だもんな。
大人にできないことを子供が簡単にできるわけはない。
寧ろこの学院の学院生たちは年齢の割にとても良くできていると思う。
アレンはレオに同情の視線を向ける。
すると、フランが呆れるようにアレンを見つめた。
「いや、アレンも大変なんだよ?」
「え。なんでだ?」
「さっきの通り、アレンもマルクスの嫉妬心に完全に巻き込まれてるってことだよ」
「え? 別にあれくらい俺は全然気にしないよ。直接的に悪意をぶつけてくるなんてかわいいじゃないか。そもそもマルクス先輩は、俺が本当にあんな言葉で落ち込んだりするとでも思ったのかな」
「いうねえー」
「あー……」
「アレンって……」
「アレン君……」
「アレン、チョット怖イヨ」
みんなが意外なものを見る視線をアレンに向けてくるが、意外なのはどちらかといえばランスの方な気がしていた。
アレンがそんな風に思っていると、アイリスが横でふんふんと怒っている。
「でもどうしてレオさんに愛を向けているのに、わざわざアレンに絡んでくるんですかっ?」
「ごめん、アイリス嬢。愛を向けてるとか止めてくれ……。俺が悪かったから……」
「アレン君って、大人しくて言い返さなそうだから標的にされたんじゃないかしら」
レオががっくりと肩を落とす中、セレーナが冷静に分析した。
「それって俺が軟弱に見えたってこと?」
――別に必要がないと思ったからそうしただけで、言い返さないわけじゃないんだけどな。
「まあそういうことよね」
「そういうことだな」
「えー。心外だ……」
アレンはがっくりする。
すると、アイリスが自分の後ろにいるフランの方を向いた。
「フラン君は絡まれたりしてないですか?」
「え、アイリスさん。それってどういう意味?」
「フラン、気ガ弱ソウ!」
「風鈴さんはなんでここで唐突に入ってくるのさっ!?」
フランが慌て、皆が笑った。
「それにしても元第三席って?」
アレンが尋ねると、レオの代わりにフランが説明してくれた。
「アレンは知らないよね。レオって進学試験の成績も良くて、去年の新人戦も大活躍で結果第三席だったんだよ」
「なのに、留年したけどなー」
「うっせえよ!」
アレンは得心する。
「レオは意外とどの授業の小試験の成績良いもんな。優秀なんだろうなあとは思っていたけど、そこまでとは思わなかった」
「……アレン。『意外と』ってどういうことだ」
レオは照れているのか怒っているのか分からない表情をアレンに向けた。
それからアレンたちはランスに別れを告げ、夕食の時間まで大図書館で試験対策をし、寮に帰った。
――でもマルクス先輩の方は分かったけど、マリウス君の方はどうしてあんな視線を俺に向けてきたんだろうか。
そんな疑問が残った。
◇ ◇ ◇
「うーん……?」
アイリスはサロンで勉強しながら唸ると、すぐ横に座っていた雛姫が声を掛けてきた。
「アイリスさん、どうかしたの?」
「えっと、今日のお昼に会ったといったマリウス君なんですけど、以前お話したことがあったことを思い出したんです」
雛姫には注意喚起の意味で、セレーナから昼間にあった出来事を簡単に説明していた。
雛姫は所謂眼中にないというやつなのか、マルクスのこともマリウスのことも知らなかったが。
「マリウスが? なにかあったのか」
アイリスの言葉に、レオが心配そうに尋ねてきたので、アイリスは首を大きく横に振った。
「あ、いいえ。以前声を掛けられて。でもすぐにどこかに行ってしまわれたんですけど」
「なんだそれ」
アイリスの要領を得ない説明にアレンは訝し気な視線を向けてくる。
「実は私もよく分からなくて。まだ入学したばかりの頃で、たまたま一人でいたので困ってしまって。それで呆れて行ってしまわれたんだと思います」
「「「なんだそれ」」」
今度はアレンとレオ、それにフランの三人が声を合わせて首を捻っている。
「すみません……」
「アイリスさんが謝ることじゃないわ。あの兄弟はちょっと変わってるのよ」
アイリスが謝ると、セレーナが説明に困りながら言う。
そして雛姫の方を見た。
すると、それに気付いた雛姫がアイリスの左手を取って言った。
「アイリスさん。つづき、やろ?」
「そうですね」
アイリスは皆の気遣いに笑顔に戻り、ペンを握り直した。




