第12節 そんな物語の序章
アイリス・ロードナイトの団体戦参加拒否から始まった、学院の麒麟児――雛姫・榊・ジェダイトとの言い争いはこの教室どころか、学院中の知るところとなっていた。
そしてアイリスの団体戦参加が決まった今、彼女たちの喧嘩の行方もまた学院中の注目を集めていた。
とりわけ彼女たちのクラスメイトは、彼女たちの関係の行方をやきもきしながら見守ることが既に日課になりつつあった。
――しかし、彼らは肩透かしを食らうことになる。
なぜなら、彼女たちは昨晩の内にひっそりと仲直りを済ませていたからだ。
アイリスは「兄と戦うのが嫌だった」という、クラスメイトたちからすれば呆れる言葉を放った。
しかし、彼らの兄妹仲を見ていれば納得できる理由でもあった。
アイリスはそうして教室中をひとしきり騒がせた後、真っ直ぐに雛姫の元へと向かった。
彼女はここ最近と同じように、大人しく一番前の席に座っている。
アイリスは担任教師の雅治・ジェダイトが雛姫に指定している最前列の教卓前の席、その長机までゆっくりと向かう。
そして躊躇なく先客の隣に腰掛け、ぴったりと雛姫に肩を寄せ合った。
雛姫が自分の近くに来れないのならば、自分が雛姫の隣が座れば良いという、雅治を悩ませかねない選択をしているのは、それまでの彼女とは違う行動だ。
「雛姫さん、一緒に授業を受けましょう」
「うん、アイリスさん、一緒に受けましょう」
渦中の少女たちは周りの心配をよそに、にこにこと笑い合っている。
鞄から教科書を出しながらも、何だか楽しそうに雑談をしている。
基本的には大人しい気質の彼女たちが和やかな空気を醸し出している様子は実に微笑ましい。
微笑ましいが、この半月余りをハラハラと過ごすことになったクラスメイトたちは納得がいかない。
特に、彼女たちと親しい友人たちは頭上にそれぞれ大きな疑問符を掲げていた。
◇ ◇ ◇
昼の食堂では、友人たちがアイリスと雛姫を囲んで各々質問や文句をぶつけていた。
アレンはその様子を見守りながら、静かに昼食を楽しんでいた。
「私たちもう昨夜の内に仲直りしたもの。ね、アイリスさん」
「ね、雛姫さん」
二人は互いに幸せそうに見つめ合う。
しかし、友人たちの不満は続出する。
「いや、色々と意味わかんねーよ」
「え、てかなんなの。なんで何事もなかったかのようにしてるの」
レオとフランは口々に文句を言いながらも、少し嬉しそうにしている。
アレンは申し訳なさを感じながらも、それがとても嬉しかった。
「詳しいことは女の子同士の秘密なの」
「女の子同士の秘密なの」
しかし、仲良く声を揃える二人に、自分の専売特許と個性を奪われているような複雑な気持ちもある。
「なんだよ、こっちは珍しく気を遣ったってのに……」
「本当だよ。女の子って本当に良く分からないよ……」
そして、最終的に男子二人は落ち込み、項垂れてしまう。
本当に気を遣ってくれていたので、兄としてはやはり申し訳ない気持ちになる。
「「心配かけてごめんなさい」」
アイリスと雛姫はそれぞれ違う方向に小さく首を傾げながら謝罪する。
「本当よ! 本気で心配したんだから!」
のほほんとした彼女たちに対して、教室委員長のセレーナは頬を膨らませながら腹を立てて見せる。
そんな子供っぽい仕草をするセレーナは面白がるようにレオが茶々を入れた。
「セレーナ嬢は、あの時本当に顔面蒼白だったもんな」
セレーナは本気で心配していた。
にも関わらず、そのことをからかってくるレオにセレーナは冷たい視線を飛ばす。
そして、丁寧に吐き捨てるように言った。
「……レオナルド君は、少し、黙っていて」
「わ、わりい」
「……レオって女の子に対して、たまに本当に余計な一言が多いよね」
アレン自身もあまり女性の機微に詳しくなく、この学院に来てからたまに「鈍い」と言われる。
しかし、そんなアレンでも本当にフランの言った通りだと思った。
何よりレオにはアイリスを抱き上げようとした前科がある。
アレンは私怨を再び一人静かに沸き上がらせた。
一部から殺伐とした空気が流れ出る中、花を舞わせる様な笑顔を振りまく人物がいた。
「雛姫とアイリス、仲直り良かったヨ。仲良し、一番イイ。仲良し、楽しいヨ」
食後のデザートのケーキを頬張っている風鈴だった。
風鈴はニコニコしながらケーキをフォークで切って正面に座るアイリスと雛姫の口に順番に運ぶ。
そして最後に横に座るセレーナの口元にケーキを運んだ。
セレーナは「風鈴さん、お行儀が悪いわよ」と言いながらも、口を開け、それを頬張る。
「仲良し、『好吃』も分け合えるヨ」
「……そうね。美味しいわ」
風鈴の言葉に、セレーナは穏やかに微笑む。
なんだかんだで風鈴が一番大らかな性格かもしれない。
そんな彼女につられるように、いつのまにか陽だまりのように穏やかな空気が、アレンたちの間に流れていた。
◇ ◇ ◇
校舎の陰の暗がりに、二つの影が重なり合う。
「色々とあったけれど、予定通り兄妹揃っての団体戦出場になって良かったですわね」
「はい、色々とご尽力いただきありがとうございました。クラーラ先輩」
「あら、私は何もしていないわ」
「いえ、わざと学院中に妹の噂を流したり、シン先輩に発破をかけたりしたんじゃないですか? おかげで妹も奮起してくれました」
アレンは内心探る気持ちを持ちながらも、冷静にクラーラに笑顔を向ける。
クラーラは隠しもせずに、紅玉と瑠璃との階調の不思議な色の瞳でアレンの瞳の奥を疑うように探る。
「……貴方、『何も知りません』みたいな純粋そうな顔をして意外と抜け目がないのね」
「俺の数少ない特技ですので」
変わらずの笑顔を見せるアレンに、クラーラが「どこまでがその特技なのかしら」と呟く。
しかしアレンは敢えて聞こえないふりをした。
「流石、『皇子様』ですわね」
「まあご存知の通り、名ばかりですよ」
アレンはそう言いながら肩を竦める。
「――今は、ね。でもいずれ貴方たちは世界にとっての重要人物になるわ」
クラーラは確信めいた言葉を口にする。
アレンにはそれが不思議でしょうがなかった。
「この前も言いましたが、買い被り過ぎですよ。俺は、妹と二人で生き残れる道ができればそれで充分です」
「私、これでも人の上に立つ人間として、人を見る目はありますのよ」
クラーラは自信満々に片目を瞑ってみせる。
「流石、『聖域軍』元帥の娘ですね」
「軍とはいえ、ほとんど自衛のための組織ですけれどね」
「でも、世界に対する影響力はかなりのものでしょう」
この聖域が平和なのは、聖域軍の力が強大だからという理由もある。
その力は、もう百年前のような戦争を起こさないための大きな抑止力だ。
「貴方、お勉強は苦手と言っていたけれど、そんなことは無さそうね」
「妹と比べれば苦手ですよ。それでも必要最低限ぐらいはやりますよ」
「そうね、例え皇族でも、最低限が出来なければこの学院には入れないわね」
「『生き残るためにはなんでもしろ』と仰られる方もいますからね。もっと勉強しますよ」
アレンは凛としたもう一人の女性を思い浮かべる。
クラーラは同じ人物を思い浮かべたのか苦笑いをする。
しかし、クラーラはすぐに真剣なのか悪戯なのか分からない笑顔でアレンの眼前に迫った。
クラーラは息がかかる距離で、怪しい瞳をアレンに向ける。
「――たくさん勉強して、たくさん修練して、早く私に追いついてくださいね?」
「……また無茶を言いますね。クラーラ先輩は学院首席じゃないですか」
アレンが後退り、壁に背をつけると、クラーラは軽やかに一歩後退る。
そしてやはり悪戯な笑顔を浮かべ、人差し指を口元に当て、首を傾げながらアレンに尋ねた。
「ねえ、ひとつ聞いてもいいかしら」
「なんでしょうか」
「どうして妹さんには何も教えてあげないのかしら」
「……俺が妹に対して恩を感じているからですよ。妹には自由でいて欲しい」
『負い目』とは敢えて言わなかった。
それはもうやめたいと思ったから。
探るように暫く見つめられた後、クラーラの瞳がそっと逸らされる。
クラーラの視線の先には、教室移動の途中に突然姿を消したアレンを探すアイリスがいた。
「……あら。宝物のように大事にしている妹さんが貴方のこと探していますわよ。早く行ってあげてくださいませ」
雛姫たちと一緒だったはずだが、来るのが遅いアレンが心配になって探しにきたらしい。
「それでは失礼致します」
アレンは礼をして一度クラーラに背を向けたが、思い直して振り返った。
「……新人戦で結果を出せたときのこと、覚えておいて下さいね」
「勿論、約束はきちんと果たしますわ」
クラーラは「分かっている」というような笑顔でアレンに手を振った。
アレンは再び頭を下げた後、彼女に背を向けて、暗がりから光のあたる場所へと進む。
その光は、アレンの生きる意味だった。
◇ ◇ ◇
アレンとアイリスがこの『聖域』に来てから、もうすぐ三回目の満月が昇る。
あと一巡りと少しでサンクチュアーリオ学院では、学生同士が競い合う新人戦が開幕する。
『呪い』を解くための糸口は、まだ見つからない。
手に入れたモノたちが、いつか星と星を繋ぎ描いた星座のように、一つの答えになれば良い。
――まだ二人の旅は始まったばかり。
これから待ち受ける困難はきっとたくさんあるだろう。
だけど彼らはもう二人きりではないから、きっと乗り越えていける。
道を選んでいける。
手を伸ばしていける。
アレンとアイリスは進んでいける。
幼かった頃のように、手を繋いで歩いていける――
――これは、いつか『双聖皇』と呼ばれる双子の兄妹の物語。
彼らと、彼らと共に生きる者たちが綴る物語。
彼らが選び、歩み、描いた道の地図。
彼らが選んだ地上の楽園。
これは、そんな物語の序章――――