第8節 何のために
「おい、ジョアンナ」
サンクチュアーリオ学院の体術教師ジョアンナ・ワーナーを見つけて声を掛ける人物がいた。
それはこの学院の学院長――イヴ・アウエルマイヤー。
『不死鳥』とも呼ばれる、年齢不詳のこの学院長は、今日も細身の派手なパンツスーツを身に纏い、派手にヒールを響かせている。
長いウェーブがかった鈍色の髪を揺らし、快活に笑う。
顔は若者のようでありながら、威厳を感じさせる佇まい。
十年以上前からこの学院で教鞭を執っているが、あまりにも衰えが見られない。
そのため、昔人魚の血を飲んで不老不死になったという噂は、この学院の生徒や教員であれば一度は聞いたことがある。
「なんですか。アウエルマイヤー学院長」
「いや、今日は君に聞きたいことがあってね」
「聞きたいこと……なんでしょうか」
「体術の教師という視点から見て、アレン・ロードナイトとアイリス・ロードナイトはどうだい」
意図が分からない質問だ。
それに対してワーナー女史は、自身が授業を担当する二人の学生の様子を思い浮かべる。
「……そうですね。あの兄妹は二人とも目が良いですね。身体能力については雲泥の差はありますが」
「目ねえ?」
「アレンは良く人を観察しているし、『人の気配』や『危機』を察知する能力が高い。あのレオナルド・ブラウンと渡り合えるくらいに身体能力も高い。細身ですが身体の造りも良いし、相手を良く見ているから呑み込みも早い。体術に関して言えば、あの子はこの学院トップクラスを狙えますよ」
「……ほう。確かに入学試験で見せてもらった剣舞もなかなかのものだったが、君にそこまで言わせるとは。将来が期待されるね。……それで? 妹の方はどうなんだ」
「アイリスは、この学院では珍しいタイプですよ。この学院は本能型が多いですが、あの子は筋肉や関節の動きを説明しながら教えると、身体動作に関する理解が上がるようです。それに、それが自分でできるかは別問題として、どうもあの子は相手の動きが良く視えているみたいです。……ただ、根本的に『壊滅的』なので宝の持ち腐れですね」
「壊滅的、か」
「何しろあの子には筋肉がない。栄養が足りていないわけじゃなさそうですが。彼女は病弱なようですが、最近まで寝たきりだったとかじゃないですよね? あるいは軟禁されていたとか」
「……君は、流石だね。人の筋肉を評価することに関して君の右に出る者はいないかもしれないな」
ワーナー女史は「馬鹿にしているのか」という複雑な顔で学院長を見眇めた。
その学院長は、再びその表情を変えた。
今度は少し真剣な表情に。
「そのアイリスの噂は聞いているかい」
「ええ、まあ。学生たちが噂してますからね」
「君はどう思う?」
「どう思う、と言われましても。あの子に張り付いていた雛姫が大人しいので気味が悪いと思います。そして妙に冷静な当の双子たちもね。まあ、うちの学生という時点で、まともな奴はほとんどいないですからね」
学院長はワーナー女史の発言にニヤリと笑う。
「私は君のそういう、物をはっきり言うところがとても好きだね」
ワーナー女史は「はあ」と無感情に返す。
「だが、そうじゃない。私が聞いているのは、彼女が団体戦で戦える見込みさ。君は騎士棟の教師だけれど、非常に冷静に学生たちを見ている。贔屓目なしの奇譚のない意見が聞きたいのさ」
道化のように振る舞う学院長の問いに、ワーナー女史は真剣な面持ちで答える。
「……難しいでしょうね。少なくとも今のままでは。あれは登録は種目別とはいえ、一つの能力に特化しているだけでは勝てないように出来ていますからね。彼女は魔法特化型でしょう。勉強もそこそこのようですが、うちの研究棟はレベルが高い」
「そうだな。学院は優秀な学生は、掃いて捨てる程いる。そこから如何にして頭角を現わせるかだ。今年はどんな才能が収穫されるか、楽しみだな」
愉し気に笑う学院長を目の前に、ワーナー女史は冷静な顔で目を細める。
「アイリス・ロードナイトはそもそも参加したがっていないのでは」
「――それはどうかな? それに、未来のことは誰にも分からない。たとえどこぞの神にでもね」
◇ ◇ ◇
「何やら浮かない顔をしておるのう、アイリス嬢」
アイリスは授業の片付けをしていた。
すると、後ろから声が掛かり、振り向いた。
「アストルム老師」
「『白銀の花』に元気がないと、皆悲しむぞい」
また聞き慣れない呼び名で呼ばれた気がしたが、アイリスはそれどころではなかった。
「私、そんなに変な顔をしているでしょうか」
「安心しなされ。表情は普段通りじゃよ」
「アストルム老師は――――」
アイリスが口を開きかけ、再び閉じる。
「アイリスー。次の授業に遅れるぞー」
教室の外からアレンが呼ぶ声がする。
「お、兄君が呼んでおるな。引き留めて悪かったのう」
アイリスが頭を下げると、アレンが扉の向こうから顔を出す。
そして、アストルム老師を見て姿勢を正した。
「お話中、失礼致しました」
「よいよい、わしこそついつい引き留めてしもうた。申し訳ないのう」
アレンはアイリスとアストルム老師の顔を順番に見て、そして微笑む。
「本日も授業ありがとうございました。それでは失礼致します」
「失礼いたします。アストルム老師」
「二人とも、次の授業も楽しみにしておるぞ」
アイリスは丁寧に頭を下げ、アレンの方に早足で向かった。
◇ ◇ ◇
盛夏の空には上弦の月が昇っていた。
校舎内にはわずかではあるが、学生たちが残っており、その明かりがポツポツと窓の外に漏れていた。
そしてジェダイト教室にも光が灯っていた。
そこには生徒会関連の書類整理の雑用を生徒会長に依頼されたこの教室の担任教師――雅治と偶然居合わせて手伝うことになったアイリスが残っていた。
「それでは、今日はここで終わりにしましょう。手伝っていただいて本当にありがとうございました」
「いいえ、こういうことは初めてでしたが、楽しかったです」
雅治がアイリスに頭を下げると、アイリスも雅治に礼を言う。
今の彼女は普段通りに見えた。
「……お礼と言っては何ですが、よろしければお茶でも飲んでいかれませんか。珍しい東大陸――極東のお茶とお茶菓子をお出ししますよ」
雅治の口から出た異邦の地の物にアイリスは興味を示す。
しかし、食べ物に釣られたと思われたくないのか、はにかんで答えた。
「えっと、それではお言葉に甘えてご馳走になりますね」
◇ ◇ ◇
雅治は天球棟の教員室が集まる一角の自身の教員室にアイリスを招いた。
雅治が給仕をしている間、アイリスは東大陸を思わせる置物たちを物珍しそう見渡していた。
好奇心と緊張の面持ちだったアイリスは、雅治が淹れた緑茶を飲み、その表情を綻ばせた。
花模様の描かれた小皿に用意された茶菓子を嬉しそうに頬張るアイリスを見て、小さな罪悪感に雅治は苛まれた。
――これから自分が彼女に問いかけることは、きっと彼女を傷つけるから。
「アイリスさんは、団体戦には興味ないですか」
どうせ傷つけるならと――余計な前置きは言わなかった。
「……」
目の前の少女は表情を消し、俯く。
しばらく待っても返事はなく、雅治は再び彼女に呼びかける。
「アイリスさん?」
「――――いやです」
彼女の瞳に映っているのは、拒絶というよりも、焦燥のように感じられた。
――彼女は一体何に怯えているのだろうか。
「アイリスさん」
「団体戦になんて私は出たくないです」
「アイリスさん、貴女は――」
雅治は目の前で泣きそうな表情を見せる女の子に、なんと声を掛ければいいのか迷いながら口を開く。
しかし、それはすぐに鐘の様に響く声にかき消された。
「アイリス君。君は本当に新人戦団体戦には参加したくないのかい?」
二人は声の鳴る方に顔を向ける。
開け放していた部屋の入口の扉に寄りかかるようにして立っていたのは――
アイリスは後ろを振り返り、その名を呼んだ。
「アウエルマイヤー学院長……」
学院長は後ろ手に扉を閉めると、カツカツとヒールを鳴らしてこちらに近付いてくる。
そして強い意志をその言葉に乗せた。
「新人戦は君の能力を示せるチャンスだ。団体戦は、強い者と関われるチャンスだ」
強い眼差しの学院長に、アイリスは俯きながら絞り出すようにして答えた。
「……私は、そこに『価値』を見い出せていないんです」
――彼女が言っている『価値』は、新人戦に対してだろうか。
雅治には、そうは思えなかった。代わりに思うのは。
――彼女は、自分自身に『価値』を見出していないのではないだろうか。
「アイリス君、君は何のためにここに来た? 『呪い』を解くためじゃないのか」
アウエルマイヤー学院長の言葉は、目の前の少女に重くのしかかっていた。




