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1031  作者: 一 二舞
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 画集葉月(がしゅうはづき)は、天才画家、画集弥生(がしゅうやよい)の一人息子だった。


 水彩や日本画や洋画、油彩から水彩、画家とひとくくりにしても様々なジャンルがあるし、それらを描くこともあるが、その中でも画集弥生の専門は洋画だった。

 どうやら、代々画家……とまでは言わなくとも、画家だったり絵の具屋だったりカメラマンだったり彫刻家だったり、とにかく芸術系の家庭にあるらしく、葉月もその例に倣って、絵を描くことが好きだった。


 流石天才の作品は違うというか、一般人には到底理解しえないような独特な感性の持ち主であり、現役高校生画家として将来が期待されている男である。

 念のため特筆しておくと、まだ彼は自分の趣向というものをはっきりと確立はさせていないが、父の影響か、洋画を描くことが多い。


 とはいえ、葉月は決して専門の学校に通ったわけでもなく、ごく普通の、どこにでもある普通の県立高校に通う普通の男子高校生でしかない。

 もちろん、彼に筆を握らせてしまえば一気に天才へと早変わりしてしまうのだけれど。


「つっまんな」


 葉月の作る作品を、誰もが褒め称えた。少し葉月の中で気に食わないところがあろうとも、周りの大人たちは葉月の作る作品を過剰なまでにたたえ、高値で取引をしあっていた。

 それが、葉月の生きてきた世界だった。


「見る目もセンスも無いわ。色の塗り方も雑だし、パースも最悪。アイレベルって言葉知ってる? 陰影とか全くないじゃない。こういう作品です、って言われてもこれは酷いわ」


 そんな葉月の描いた絵について隣でいちゃもんをつけるのは、師走絵美(しわすえみ)

 絵美はごく普通の女子高校生である。強いて言うなら、少し言葉と性格がきつめの、普通の女子高校生である。


 葉月の絵をめちゃくちゃに叩く唯一の人間……唯一と言えば大げさかもしれないが、それでも、本人に直接ボロクソに叩いてくるのは絵美だけだ。

 学校での絵美の様子はと言うと、大学受験のための勉強をすでに備えているとのことだったし、一心不乱にノートに向き合っている姿くらいしか同級生は見ることはない。


 あまり頭の良い学校ではないのだが、絵美はどうやら高校に入ってから仲良くなった先生と同じ大学に行きたいとかで、難関私大受験をすると噂になっている。

 彼女が教師以外の人と関わっているのを目撃することがほとんどないので、この噂話がどこから漏れ出たものなのか皆目見当もつかないが。


 あまり頭の良い学校ではない分、上を目指す生徒というのは非常に目立つ。

 そんな生徒が、到底葉月とは接点のなさそうな生徒が、葉月のことを叩く。


「良いね、その調子。もっと何か言うことはない? 師走さん」

「わざわざディスられたいの? 気持ち悪いわね貴方」

「まさか。君だけは僕の絵を正当に評価してくれるから」


 先生も、僕が描いたってだけで勝手に良いものだって評価しちゃうんだ。馬鹿らしいよね。まあ、あの人は多分適当なだけだけど。

 皮肉交じりに葉月が笑うと、絵美はあからさまに気分を悪くしたように眉を寄せて顔を顰めた。


「そりゃどーも。凡人の素直な感想が聞けて嬉しい? 私は屈辱的よ。……それと、先生のことを悪く言わないで」


 どうやら、絵美が気分を悪くしたのは、彼の自慢にも似た皮肉、それから、絵美と親しい教師をあまり良い言い方をしなかったことらしい。


「何さ、そこまで好戦的にならなくても」

「好戦的? それは私の性格のこと? そう、そうかもね」


 刺々しい言葉で、力強い口調で呆れたように絵美は溜め息を吐いた。

 放課後の美術室。幽霊部員だらけの美術部に参加しているのは、いつも葉月と絵美の二人だけだった。


 稀に後輩が来ることもあるが、後輩のほとんどは葉月の顔を見てさっさと帰ってしまう。

 かつては活動も多くしていた美術部も、葉月が入部したことによってすっかり廃れてしまい、全てのコンクールの賞は葉月の独占状態だった。

 一年生の頃から一度たりとも、体調不良とテスト期間、それからアルバイト以外で休むことのなかった絵美は、コンクールに出しても、せいぜい佳作程度だったけれど。


「僕はさ、正直君がそんな子だと思わなかったよ」

「そんな子だと思わなかった? もう何度も言われたわ。エゴを押し付けるのもいい加減にして頂戴。ごめんなさいね、あなたの理想に沿うような子じゃなくて」

「だからさ、どうしてそんなにひねくれてるのさ? 僕はさ、君が思っていたよりも人間臭いことに好感を持っているだけなんだけどな。……ていうか、話の論点ずれてない?」

「ふふ、人間とは程遠い天才にそう言われるなんて、光栄だわ」


 自虐的に、絵美は笑った。

 (そんなつもりじゃないんだけどな……)

 葉月はぼんやりとそう考えてから、ゆっくりと大きなキャンパスに向き直った。


 葉月は美術大学に進学するつもりだということもあり、きっと推薦も簡単に取れてしまうのだけれど、自分の実力試しのために一般受験をするつもりでいる。

 もちろん、彼の場合は名前だけで通ってしまうこともありそうだが、それでも、もしかしたら名前などを差し引いて正当な評価をしてくれる大学があるかもしれない。


 一縷の望みだった。

 彼は、葉月は、自分の絵が、周りから褒められるほど良いものではないことを、自覚している。


 絵美の指摘の通りだと思っている。



 ──しかし、もう進学のことを視野に入れなければならない時期になったことに、葉月は感慨深い気持ちにも……まあ、なるかもしれない。多少は。

 あっという間の高校生活だった。特に楽しいことはなかった気もするし、もしかしたら楽しいこともあったかもしれない。


 それでも過ぎた時間は戻ることはないし、一般受験を控える葉月にとっては今年の夏が、最後のコンクールになる予定なのだ。


「ねぇ。師走さん」

「なに。貴方の高尚な愚痴を聞けとでも言うの? 良いでしょう、良いでしょう。聞いてあげましょう。さぁ、お好きになさい? 凡人に天才の高尚な愚痴を聞かせて頂戴」

「うん……もう突っ込むのも面倒くさいからいいや。師走さんはさ、最後のコンクールは何か描くの?」

「……」


 葉月の質問に対し、今までどんな発言であろうと嫌味と皮肉をたっぷりと含んで言葉を返していた絵美は、ようやく黙った。

 正確に言えば、黙り込んでしまった。


 彼女は葉月からされた質問を聞くや否や、黙って俯いて、力なく拳を握りしめた。

 ゆっくりと絵美は泣きそうな顔……いや、怒っているようにも見える。


 一言では言い難い、ただ、複雑な気持ちということだけは伝わる表情になりながら、顔をあげて口を開こうとしたとき、美術準備室から扉が開く。


「やあ君たち、職員会議が少し長引いた。遅くなってごめんよ」


 美術教師であり、二人の担任である神有月人(かみありつきひと)は、ふわあ、と欠伸をしながら謝罪の言葉を入れた。

 月人は眠たそうにしながら前にある美術教師用の作業台に座ると、机に肘をつきながらぼんやりと二人を見つめる。


「今日も君たちだけかぁ。まぁ良いけど、来年どうしたもんかねー。ま、俺居ないだろうから関係ないけど」

「そんなこと言ってると逆に残っちゃうんじゃないです?」

「いやほら、俺ってこの学校が新任じゃない? だからさ、立場的にはいつ異動しても全然おかしくないと思うんだよねー。いいじゃん、師走……君もどうせ卒業するんだし。むしろ、君が卒業するまで俺もここに残れたのも奇跡みたいなもんだよ?」

「うん、まあそれはそう、ですけど……」


 絵美と月人が親しげに話している姿は、今までに何度か見たことがあったはずだというのに、“あの日”以降に見るのは初めてのことで、葉月は少し複雑な気持ちになった。


 絵美は決して誰とも関わらないというわけでもないし、ましてや教師陣と親しくできるというのは大きなスペックだと思う。というかそれ以前に、教師と生徒という立場の割には……。

(今まで全然気にしてなかったけど……この二人……怪しいな……)


「なんだよ画集、言いたいことあるなら言え? ん?」

「いや……別に……仲良いなって……思っただけです……」

「私が月人先生のこと好きなだけだから」

「うるせえ」


 絵美がさらりと言ってのけたことに、月人は口こそは悪かったが満更でもなさそうに笑った。

 月人はあまり好かれていない先生であり、かくいう葉月もあまり月人のことを好いていない生徒の一人だ。

 そして多分、月人は自分があまり好かれていない教師ということに気が付いていると思われる。

だからこそ、何故絵美がそこまでの好意を彼に向けるのか、葉月には分からない。


「師走さんはなんでそんなに神有先生のこと好きなの?」


 俺の前の時と全然態度違うしさ。

 葉月がそう付け足しながら絵美に尋ねると、絵美は腕を組んでじぃっと月人のことを見つめる。

 眠たそうに体を机につけていた月人も、まじまじと見られるとさすがに気になるのか、「なんだよ」と言いながらゆっくりと体を起こす。


「優しい、から」


 絵美の言葉に思わず吹き出してしまいそうになった。

 優しい? このやる気のない美術教師が? 


 生徒のこともろくに考えてなさそうで、美術に対する知識も一切なさそうで、内弁慶で態度はでかくて人見知りで人のことをすぐにおちょくるこの男が、優しいだって?

 葉月のそんな考えを見透かしたように、絵美はギロリと葉月のことを睨みつける。


「優しくねえよ」


 不服そうな顔になりながら月人は恥ずかしいのか首の裏を触る。


「ほらまた、すぐそう言う。月人先生はさ、すぐに嫌われようとし過ぎなんですよ。人と関わるの好きじゃないのも知ってるけどさ、誰よりも優しいと思いますよ? まあ、私個人的には、ですけど」

「うるせえうるせえ」

「あはは、神有先生照れてる」

「照れてねえうぜえ」


 月人は恥ずかしそうに顔を覆うと、そのまま机に突っ伏して「師走なんか大嫌いだ……」と小声で呟いた。

 それに対して、絵美はいつも通り「知ってますよ」と笑うと、やる気が出たのか今まで一切触れていなかった画用紙と鉛筆を手に取り、一番近くの椅子に座って鉛筆で何かを描き始める。


 あんなににこやかに笑う絵美の姿を見たことのない葉月は、唖然として見ていたが、ここは素直に一つ思ったことを言ってみても良いだろう。


「ねえねえ、師走さん、僕のことも神有先生くらい優しく扱ってよ」

「ヤダ」


 まさかの即答に葉月がぽかんとしていると、呆れたように絵美は大きくため息を吐いてから肩を竦める。


「一々言わないとわからないの? 人に囲まれてる人は嫌いなの」

「はっきり言うよねえ……」


 (ていうか僕もそんなに人に囲まれてるわけじゃないんだけどなぁ……どっちかと言えば遠ざけられるっていうか……)


「ねえ待って、それ俺ディスられてない?」


 絵美と葉月の会話を聞いていた月人が声をあげて絵美と葉月、正確に言えば絵美に尋ねると、絵美はどこか遠くを見た。


「……さぁ?」

「俺の目を見て師走」


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