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1031  作者: 一 二舞
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 それから、絵美と葉月の関係というものが特別変わるようなことはなかった。

 今まで通り、朝登校してくれば少し話して、グループワークの時は適当に組んだりして、部活では絵美のバイトがない日は最終下校の時間まで残って。


 それでも、葉月は絵美がコンクールの作品を制作している姿を見ることはなかったが。

 もう、友達だと勘違いしてしまいそうな関係になり始めたころ、絵美にとっては受験に大きく響くことになるであろう中間考査の期間に入ってしまった。


 一応葉月も受験するつもりではあるが、美大受験となると普通の授業よりかは美術系のことを何とかした方が良いことは否定できず、今までまともにやったことのないデッサンやクロッキーの練習を月人に付き合ってもらっていた。

 テストの一週間前から部活はないが、幸い、月人も美術教師ということで時間は持て余している様子。


 葉月は人並みに勉強はできる方なので(それ以前にこの学校の学力偏差値というものが口が裂けても優れているとは言えないレベルなのだが)、主教科のテストの方はあまり心配している様子もなく、月人も快く……とは言えないが、葉月に付き合ってやることにした。


「はぁあ、早く部活したいなぁ」

「喋ってないで手を動かせ手を」

「一回休憩させてください! 一時間クロッキー描きっぱなし! 神有先生めっちゃ動くし手痛いですよ!」

「そりゃ動くに決まってんだろ」


 葉月はスケッチブックとすっかり丸くなっている鉛筆を机の上に放り出すと、ぐったりとしたように背もたれのない椅子の代わりに、後ろの机に頭をもたげる。

 流石に月人も葉月の様子を見て肩を竦めると、「十分だけな」と言った。


 (こんなに真剣に絵を描くことなんて今までにあったかなぁ……。久しぶり、でもないか……)

 もちろん、天才画家としての肩書きだけはあったから、時折依頼なんかもあったし、それをこなすことくらいはしていたが、こんな言い方をしてしまうと怒られてしまうかもしれないが、そこまで真剣に取り組んだ記憶は、実はない。


 というのも、あくまでも葉月はイラストレーターというわけではなく、画家というわけで、細かなものが要求されることがほとんどない。

 もちろん、アニメだったり漫画の絵を描くことも可能ではあるが、得意かと聞かれてしまうと、「そうです」と言えないのが実のところ。


 (そういえば……師走さんはアニメとか漫画の絵って描けるのかな……? 実はそっちが専門とか? うーん……そんなに気にしなくてもいいとは思うけど……隠しちゃう気持ちも分からなくはない……かな……?)


「神有先生は、アニメとかの絵って描けるんですか?」

「描けるに決まってんだろ。寧ろアニメ好きでこっちの道来てんだから」

「嘘でしょ!?」


 月人がアニメを見ている様子が一切思い浮かばない。

 それ以前に、月人はあまり生活感がない男で、普段の様子がほとんど隠されている。

 もちろん、教師という立場上そう公にするものでもないのは分かるのだが、月人の徹底ぶりは異常ですらある。


 家で絵を描いているようにはとても見えないし、何かを好きだと言っているのもあまり聞いたことがない。これは嫌いだとかあれは苦手だ、みたいな話はよくするのだが。

 ……好きなものよりも嫌いなものを公にする、という意味では、もしかしたら絵美も同じところがあるのかもしれないけれど。二人の仲の良さはそこが起因か。


「お前……それはどういう反応だ?」

「い、いや、先生がアニメ見てるのって全然イメージなくて……。小難しそうな小説とかは読んでそうだけど……。ていうか、先生はウチの学校でも特に謎だらけですよ。何が好きとか嫌いとかもそうだし、生活感がないっていうか……」

「探られるの嫌いなんだよ」

「おっと、すみません?」


 月人の言葉に葉月が口元を抑えると、今まで出来上がった石の篆刻をやすりでやすっていた手を止めて、ため息を吐く。


「別に聞かれたことにはなるべく答えてやるけど、個人的なことはあんまり教えてやるつもりはないからな」

「えー。なんでですか? あっ……普通に聞いちゃいましたけど……もしかして、これもアウトだったりします?」

「画集じゃなければ完全にアウト。んー……これは、師走も同じことを言ってたんだが……」


 画集じゃなければアウト、と言われたことには気分を良くしていたが、ここで出てきた絵美の名前に、思わず葉月はドキリとする。

 (やっぱり、師走さんと神有先生って、どこか似てる?)


「コンビニの店員とかに顔覚えられるのが嫌なんだよ。顔覚えられるのも嫌だし……買ったものから日常を連想されるのが嫌でさ。この人はこれを買う人だ、みたいな認識のされ方もすげぇ嫌だし、生活を想像されるのが嫌っていうか……なんていうんだろうな、土足で生活空間に入られてるような気がするんだ」

「へぇ……」


 葉月には、あまり理解のできない感情だと思った。

 普段から多くの人間に認知されてしまっているからかもしれないが、今更周りがどうとか、こうとか、そんなことを考えてみたことも無かった。


 もちろん、中学生の時なんかは何もかもが嫌な気持ちになったりもしていたけれど、わざわざ外に出るたびにそんなに神経をすり減らすことも出来なかった。

 (でも……僕も普通の家の子だったら、多少はそういう気持ちもあったりしたのかな? それとも、神有先生と師走さんだけ?)


「できることなら洗濯もしたくない」

「それは流石にしてください……。でも、ちょっと気にし過ぎじゃないです? 誰もそんなこと考えませんよ。多分」

「そんなのはなぁ、俺が一番分かってんだよ」


 そう言った月人は悲しそうで、葉月には理解しえない感情だったが、そんな感情を抱いている人に軽率なことを言ってしまったな、なんてことを思う。


「誰も自分のことなんか見てないってのは、本人が一番分かってる」


 月人の姿が絵美と重なったような気がして、葉月は納得したように「ああ」とぽつりと声を漏らす。

 (真面目なんだ、神有先生も)

 周りのことを気にして生きてしまうくらい真面目で、自分の生活環境を、自分の本当の深いところを、誰にも知られたくないのだろう。


「師走さんと神有先生が仲良いの、分かった気がする」

「仲良いってわけじゃないけど……まぁ、俺と似てるところがあるから気にかけちゃう、ってのもあるんだろうなぁ」


 今の世の中、生きづらいから。



 葉月が今まで彼に抱いていた苦手意識というのは、きっと、あまりにも人間味からかけ離れていたからかもしれない。

 生活感のない、何を考えて、何をして生きているのか、よく分からない存在だったから。


 あの後、葉月は月人といろんなことを話した。十分だけの休憩のつもりだったのに、最終的にはいつもと変わらない最終下校の時間まで余計な話をしてしまった。

 そのことで、葉月は月人に対する苦手意識というものはすっかり消えてなくなっていた。

 元々月人が若い先生だったことも重なって、他の先生だったらきっと話してくれないようなところまで話してくれたりなんかして。


「神有先生は、彼女居るんですか?」

「この前五年付き合ってた彼女と別れた。次」

「五年も付き合ってたんですか!? え、先生今いくつでしたっけ?」

「二十六。次」


 淡々と葉月の質問に答えて流すようにするたびに、葉月にとっては衝撃の事実だらけで「え!?」だの「そうだったんですか!?」だのと驚きを隠せないような反応ばかり見せていたが、月人も素直な反応を見せてくれる葉月が面白いのか、後半はもはや乗り気になっていた。

 やけくそとも言うが。


 自分のことを探られるのは苦手だと言っていたが、もしかしたら、親しい間柄であればそこまで躊躇することもないのだろうか。

 そういう理由であればいいのに、と葉月は思った。

 もしかしたら、今日聞いたすべてのことは、絵美はもう知っているのかもしれないけれど。


「先生は、なんで先生になったんですか?」

「え? だからさっき言っただろ、アニメが好きでこっちの道来たって」

「いや、でも、他にも仕事ってあったと思いません? イラストレーターとか漫画家とかデザイナーとか……僕はそれくらいしか分かりませんけど、少なくとも、絵を描く道にしたって、今よりは人と関わらなくて良い仕事もあったと思うんですよね」


 月人は多分、人と関わるのがそんなに好きではないのだと思う。

 それは葉月が絵美と月人をどこかで重ねて見てしまっているから、という部分もあるのだが、時折ショートホームルームの時にひどく疲れている様子を見るときがある。


 そのひどく疲れている時というのが大抵授業研修があったり、出張の予定があったり、何か大きなイベントがあったり、とにかく、人と関わる機会が増える日には朝のホームルームで既に疲れている様子を見るし、帰りのホームルームでは死にそうな顔をしているのを見かける。


 そしてそれを、絵美が「大丈夫?」と声をかけに行っていることに気が付いたのも、最近だ。


「なんでだろうなぁ」


 しばらく考え込んでいた月人から出てきたのはそんな言葉で、月人はにやにやとしていた。

 月人がどんなつもりでその言葉を放ったのかは分からない。


 もしかしたら、明確な理由があるのかもしれないし、成り行きでこんなことになってしまったのかもしれない。

 でも、


「後悔は、してねぇよ」


 そう言って笑った月人の姿は、本心だと思った。


「覚えておけ、少年。「夢」ってのはな、ゴールが一つしかないわけじゃねえぜ」



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