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――ガキィン!!


 灰マントの突き出した剣の切っ先がルーグの左胸に触れ、そして、何かに阻まれたように止まった。灰マントも、ルーグも、何が起こったのか理解できないというように動きを止める。ルーグの身体がほのかに光を放ち、灰マントの剣に無数の細かいヒビが入った。


――ぴろりんっ


 緊張感を削ぐ効果音が鳴ると同時に、輪郭を揺らめかせながらスキルウィンドウが姿を現した。


『アクティブスキル(ⅤR(ベリーレア))【無敵防御】

 スキル発動中、使用者に向けられたあらゆる攻撃を無効にする』


 ガラスが砕ける様に似て、灰マントの剣の刃が粉々に砕け散る。スキルウィンドウの宣告を受けてなお、二人は信じられないという表情を浮かべたまま動けずにいた。死を目の前にしてその刃を砕くスキルを得る、なんて、奇跡としても出来過ぎている。しかしそれは必然なのだ。なぜならこの世界のスキルとは、強い願いが力として結実した姿だから。自らの身体を盾としてミラを守ろうとしたルーグの願いが、自らを決して貫けぬ盾とする力として結実した。ルーグは自らの意思の力で、起こり得ぬ奇跡を必然に変えたのだ。

 ルーグの身体を包んでいた淡い光が消え、スキルがその力を失ったことを告げる。もはや身体を支える力さえ消耗し尽くして、ルーグはどさりとその場に崩れ落ちた。完全に気を失っている。ミラが倒れたルーグの傍らにしゃがみ込み、おそるおそる手を当てた。ルーグが倒れたことによって呪縛が解けたように、灰マントは砕けた剣の柄を投げ捨て、腰のポーチに手を突っ込んで――


「その辺にしとこうぜ、なぁ、大将」


 灰マントが硬直する。その背後の空間がゆがみ、揺らめき、染み出すように姿を現したのは、激しい怒りを辛うじて抑えて冷え冷えとした表情を浮かべたイヌカだった。右手のカトラスは灰マントの首に当てられ、わずかでも動くことを禁じている。灰マントの呼吸が浅く早く、顔に冷たい汗が滲んだ。


「このまま殺してやりてぇのは山々なんだがな、首と胴が離れて血飛沫が上がるなんてのは子供に見せてぇ絵面じゃねぇんだよ。分かるだろ、なぁ?」


 内容にそぐわぬ穏やかな声音は、感情を押し殺さなければ灰マントをすぐにでも斬ってしまいかねないことの現れだろう。イヌカの手がわずかに動き、灰マントの首に一筋の傷を作った。


「どう、やって、背後に……」


 口の中が乾き、うまくしゃべることのできないかすれ声で灰マントが言った。イヌカの目が青く光る。


「それを理解できねぇことが、オレとお前の実力の差だろう? 大人しく投降しろ。聞きてぇことは山ほどある」


 灰マントがゴクリと唾を飲む。のどが動き、カトラスの刃に触れてその皮膚に新たな血が滲む。イヌカがわずかに剣を引いた。


――ヒュッ


 風を切り、イヌカの顔に向けて手のひらで隠せるほどの長さの針が飛ぶ。それは灰マントがポーチに突っ込んでいた右手で、手首のスナップと人差し指の力だけで放った暗器だった。イヌカがのけぞってそれをかわす。灰マントが一歩踏み出し、振り向きざまに蹴りを放った! イヌカは右腕を折りたたんで蹴りを防ぐと、左手でその足首を掴んだ! 灰マントは間髪を入れず左足で地面を蹴り、掴まれた右足を軸に回転しながらイヌカの側頭部を狙う! イヌカは手を離して後方に退き蹴りをかわした! 灰マントが【姿勢制御】で体勢を立て直し、着地する。イヌカが、今度は手加減なく灰マントに斬りかかった! しかし灰マントは【跳躍】で大きく後方に跳ね、建物の屋根に飛び乗ると、身を翻して走り去った。忌々しげに舌打ちをして、イヌカは灰マントが消えた屋根の向こうをにらんだ。


 戦いの気配が去り、イヌカは倒れているルーグを見下ろした。その顔が苦痛と後悔にゆがむ。


「……オレは、性懲りもねぇ――!」


 ルーグは体中に浅い切り傷を作り、気を失っている。しかしもしルーグが【無敵防御】に目覚めなければ、ルーグは間違いなく死んでいた。また間に合わなかった、そうなってもおかしくはなかったのだ。強く奥歯を噛み、イヌカはふっと強く息を吐いた。


「施療院に運びます。ついて来てください」


 イヌカはミラにそう声を掛け、ルーグを背負った。ミラが立ち上がり、イヌカを見つめる。イヌカはミラを見下ろした。


「あなたの罪ではないかもしれない。だが、あなたの行動がこの結果をもたらしたことを、あなたは自覚すべきだ。ルーグが命を落としていたら、オレはあなたを許せなかった」


 イヌカがミラに背を向けて歩き出す。ミラはじっとイヌカの背を見つめ、そしてトボトボとその後ろについて歩き始めた。




 その後イヌカたちはトラックと、そして落ち合う場所に戻っていたセテスと合流した。トラックは結局二人の灰マントを取り逃したようだ。うーむ、トラック、今回いいとこなし。セテスはミラの姿を見るなり呆然と目を見開き、膝をついた。ミラの身に何かが起こったことを一目で理解したのだろう。言葉もないセテスをミラは不思議そうに見つめ返した。

 そして今、トラック達は施療院の診察室にいる。ベッドにはルーグが寝かされ、ミラがベッドの脇でルーグを見つめている。トラック達が来たことを聞いて、セシリアとジンが駆けつけてくれていた。おそらくミラに何か変化があったと思ったのだろう。二人は運び込まれたルーグの姿を見て驚きと、そして少し安堵の表情を浮かべた。体中の傷と右手の甲、そして腹部の打撲はセシリアの魔法によってすぐに治療され、ルーグは静かな寝息を立てている。


「傷はすべて治療し、後遺症の心配もありません。しかし極端に消耗しています。しばらくは安静にして、体力の回復に努めてください」


 セシリアの言葉にイヌカがホッと表情を緩ませた。トラックも安心したようなクラクションを鳴らす。消耗が激しいという【加速】を二回、そしておそらくさらに消耗が激しいだろう【無敵防御】なんてものまで使ったのだ。今はゆっくり休んで、元気になってほしい。


「少し、いいだろうか」


 ルーグのケガの処置が終わり、緩んだ雰囲気を見計らったようにセテスが憔悴した様子で声を上げた。


「ミラ様に、いったい何があった? 教えてくれ」


 セシリアたちが互いに顔を見合わせる。セテスはミラが『死んだ』ことを聞いていないのだろうか? トラックがクラクションを鳴らすと、セテスは不可解そうに眉を寄せた。


「わかりました。私たちが知っている範囲でよろしければ」


 そう前置きをして、セシリアはミラがここにいる経緯、何者かに誘拐されてゴーレムにされてしまったこと、ハイエルフの都である『真緑の樹』ではミラは死んだことになっており受け入れを拒否されたこと、生き人形のこと、そしてその暴走についてを、自らの感情を交えずに淡々と説明した。説明を受けるセテスは一言も発せず、小さく身体を震わせている。説明が終わり、セテスは苦悶と後悔を顔に表し、それを隠すように右手で顔を覆った。


「なんという……私は、何も知らずに……!」


 セテスは『真緑の樹』を離れて久しく、ずっとリスギツネやリュネーの花の群生地近くで過ごしてきたため、ミラの失踪やその後の経緯について何も知らなかったのだそうだ。だがミラ――さらわれる前の、ハイエルフの王女であったミラとは面識があり、そして他の全てのハイエルフと同様に、ミラのことを心から大切に思っていた。


「……知っているか分からないが、ハイエルフは永遠に近い命を持つ代わりに、子が生まれることが非常に少ない。それは我々の本質が通常の生物よりも精霊に近いからだ。精霊に親しみ、魔法を操る術に長ける我々は、生物が当然のように持っている生命の力が弱い」


 だからこそ、ハイエルフたちは皆、ミラを大切に慈しんできたのだという。この百年の間で生まれたハイエルフの子供はミラだけなのだとか。でも、だとしたらハイエルフの女王たちのあの態度はおかしくない? 「ミラは死んだ」って、そればっかりでさ。ロクに本人確認もしなかったじゃない? トラックがプァンとクラクションを鳴らす。セテスは苦い表情を浮かべて目を伏せた。


「……おそらく、『魂の樹』がゆがんだのだ」


 魂の樹とは、ハイエルフが生まれると同時に芽吹く、言わば当人にとっての双子の片割れのような木のことなのだそうだ。ハイエルフは魂の樹と共に成長し、当人が病を得れば木も病となり、木が花をつければ当人のまとう光輝も美しさを増す。ハイエルフたちは自らの半身とも言うべきその木をとても大切にしている。


「我らは魂の樹の美しさを競い、誇る。それは自らの在り方が正しいことの証明なのだ。ゆえに我らは、魂の樹のゆがみを嫌う」


 魂の樹がゆがむということは、当人がハイエルフとしての在り方を逸脱したことを意味する。それがある範囲に収まっているならよいが、許容範囲を越えてしまうと――


「もはやハイエルフではない。そう断ぜられ、追放される。魂の樹は文字通り当人の魂を表すものだ。醜くゆがんだ魂を持つ者を忌み、我らは『ケガレモノ』と呼ぶ」


 ゴーレムにされたミラは、核を埋め込まれ、真理の文字を刻まれてハイエルフの在り方から大きく逸脱した。彼女の魂の樹は大きくゆがみ、もはやハイエルフたちが許容できる範囲を超えたのだ。ミラはもうハイエルフではない。女王たちが言っていた意味がようやく分かった。ミラは確かに死んだのだ。ハイエルフのミラは。そして、ハイエルフたちにとってハイエルフでないミラはいらないのだ。


「もとに、戻す方法は無いのか?」


 すがるように問うセテスに、セシリアは首を横に振った。


「彼女の心臓はもう機能していません。代わりに埋め込まれた『核』が全身に魔力を供給し、その流れを額の真理の古代文字が制御している。彼女をハイエルフに戻す術は、残念ながらありません」


 おお、と嘆きの声を上げ、セテスは顔を両手で覆った。今までじっと黙って話を聞いていたジンが、固い声で言った。


「あなたも、ミラを『ケガレモノ』だと思っていますか?」


 セテスはジンに顔を向け、厳しい表情でにらむ。


「ドワーフに我らの気持ちは分かるまい。ハイエルフは創世の古より始原の力を継ぐ特別な種だ。妖精族でありながら物質界に順応し、太古の息吹を失ったお前たちとは見る世界が違う」


 だが、とそう言って、セテスはミラを振り返った。ミラはセテスたちの会話にまるで関心を示さず、今はじっとルーグを見つめている。心配、しているのだろうか。そんなミラの姿を見ながら、セテスの目尻に涙が浮かんだ。


「……どんな形でもいい。生きている、それだけでいいと思う心も、我らにはあるのだ」


 セテスが固く目を閉じ、涙が一粒だけ頬を流れ落ちた。失望していたジンが意外そうに目を見張る。セシリアがそっと微笑んだ。


「あっ」


 急にミラが小さく声を上げた。皆が一斉にミラを振り向く。ルーグのまぶたがぴくっと動き、そしてゆっくりと開いた。


「ルーグ!」


 イヌカが弾かれたように駆け寄り、ルーグの顔を覗き込んだ。状況を理解できていないのか、ルーグがぼんやりした声で「ここは?」と言った。


「西部街区の施療院です。どこか痛いところや違和感があるところはありませんか?」


 セシリアもベッドの脇に来てルーグの顔を覗き込む。ルーグは「ああ」とやはりぼんやりした様子で返事をし、首を動かして左右を確認する。その視線がミラとぶつかった。ルーグは苦笑すると、重たそうに腕を持ち上げ、ミラの頭を撫でた。


「そんなツラすんな。おれはちゃんと生きてんだからさ」


 ミラがこくんとうなずく。ルーグは腕を降ろして深く息を吐いた。まだ全然回復してはいないのだ。手を動かすだけでも辛いのだろう。


「アニキが助けてくれたの?」


 ルーグが首を少し上げ、トラックを見る。トラックは軽くクラクションを返した。「なんだ、イヌカか」とつぶやき、ルーグは今度はイヌカを見た。イヌカは心外そうにルーグを軽くにらむ。


「なんだはねぇだろ。仮にも師匠だぞオレは」

「後から説教されそうで面倒だと思っただけだよ」


 生意気な物言いに鼻を鳴らし、「当然だ」とイヌカは言った。ルーグは嫌そうに顔をしかめ、小さく舌を出す。そして天井を見上げ、ぽつりとつぶやいた。


「……結局、おれは――」


 ルーグはそのまま口を閉ざす。ふと、診療室から音が消えた。イヌカが口を開きかけ、言葉にならずに閉じる。代わりのようにトラックがクラクションを鳴らした。


「えっ?」


 ルーグが戸惑いの声を上げる。


「でも、あのマント野郎を追っ払ったのはイヌカだろ? おれは――」


――プァン


 ルーグの声を遮り、トラックが再びクラクションを鳴らした。ルーグが驚きに目を見開き、トラックを見つめた。トラックはさらに穏やかなクラクションを鳴らした。


「……はは、は……」


 信じられない、という顔で、ルーグは笑い声を上げた。


「……アニキに、ありがとうって、言われちゃった」


 ぽろ、っとルーグの目から涙がこぼれる。


「あ、あれ? おれ、なんで……」


 涙は後から後から溢れだし、やがてルーグは大きな声を上げて泣き始めた。ミラがどこか心配そうにルーグを見る。ジンがルーグの泣く姿を驚いたように見つめた。トラック達は静かにルーグを見守っている。小さな診療室をルーグの泣き声が満たし、それはしばらくの間続いた。

屋根の上を走って逃げながら、灰マントは納得できない様子でつぶやきました。

「『かませ犬』って二つ名の奴がなんであんなに強いんだ! 詐欺だ!」

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― 新着の感想 ―
[一言] イヌカがカッコイイ……だと……!? これぞトラック無双クオリティ( ˘ω˘ )
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