密猟者
いよいよ二月も終わり、寒さも徐々に和らぎつつある。午後の空気は日差しを浴びてほんわかと暖かい。澄んだ空には薄く雲がかかり、今日も絶好の勉強日和である。西部街区の広場は多くの生徒たちでにぎわっていた。
リスギツネのケガをセシリアに治してもらい、トラックはミラを連れて施療院を出た。そのままギルドに帰るはずだったのだが、帰り道に先生やアネットが机を運んでいるのを見掛け、今日は特に仕事がないトラックは手伝いを申し出て、そのまま授業にも参加させてもらうことになった。残念ながらジンは出席していないが、アネットにレアン、ガートンにルーグは出席していた。ルーグ、意外とマメに出席してるんだな。ただ、相変わらずトラックとはぎこちない会話しかできていなかった。
先生が黒板にカツカツと音を立てて問題を書いていく。生徒たちは皆、真剣な様子でそれを手許の紙に写していた。ああ、なんか先生の青空教室って見てると癒されるわぁ。いろいろ心配事は尽きないんだけど、日常が日常としてきちんと存在する様子は、とても安心する。まあ違和感があるとすれば、なぜかアネットがミラを膝に乗せていることなんだけども。アネットがミラを膝に乗せ、ミラはリスギツネを胸に抱えているので、アネットは満足に文字も書けない状態である。というか、ひたすらミラとリスギツネに萌えている。
「はい、じゃあこの問題が分かる人?」
先生が生徒たちを振り返り、挙手を求めた。ちょっと難しい問題なのだろう、生徒たちは小さく唸り声をあげ、腕を組んだり眉間にシワを寄せたりしている。そんな中、アネットがシュビッと右手を天に突き出した。
「じゃあアネット、答えをどうぞ」
先生がアネットに回答を促す。アネットはキラキラと目を輝かせ、やや上気した顔で興奮気味に言った。
「可愛いものと可愛いものを合わせると、その威力はおよそ四.二五倍になります!」
うん、話を一切聞いてないね。アネゴ、本日も絶賛暴走中。先生が思わず苦笑いを浮かべた。
授業はアネットを除いて問題なく進み、先生はみんなに宿題を出して授業を終えた。アネットには普段より多く宿題が出たようだ。まあ今日はほぼ何も学んでいないのでやむなしというところだろうか。もっとも当の本人は「我が選択に一編の悔いなし!」とばかりに晴れやかな顔をしていた。怒られようが宿題が増えようが、今ここでミラとリスギツネに萌えることこそ彼女の人生にとって大事だったのだ。さすがアネゴ、潔い。
皆はそれぞれに帰り支度を始めている。アネットはミラと手をつなぎ、クラスメイトに片付けの差配をしていた。皆は協力してトラックに机や椅子を乗せる。そんな中、椅子を運びながらルーグがトラックのキャビンに近付き、音量を抑えた声で言った。
「……向こう、見てよアニキ。さっきからこっち見てる」
ルーグが視線でちらりと広場の奥を示した。建物の影になっていて一見わかりづらいが、そこには確かにこちらの様子を窺っている一人の男がいた。まだ若い、そしてあまりガラのよくなさそうな男だ。その男はじっとミラを監視しているようだ。も、もしかしてトランジ商会? いよいよ動き出したのか!?
何かの気配を感じ取ったのか、その男はスッとその場を離れ、姿を消した。まだ子供たちが片付けの途中でウィングも上げっぱなしのため、トラックは追うこともできない。
「アイツ、何か狙われるようなことしたの?」
ルーグはミラに顔を向け、すぐにトラックに向き直った。トラックはプァンと、少しトボけたクラクションを鳴らす。「ふぅん」とルーグは、あまり納得いかないようなつぶやきを吐き出すと、再度ミラを見つめた。当の本人はアネットと手をつないだまま、頭の上にリスギツネを乗せて、どこを見ているのかわからない様子で佇んでいた。
片付けが終わり、再度の誘拐を試みたアネットからミラとリスギツネを奪還して、トラックはギルドに戻った。珍しくルーグがトラックに乗せて帰ってくれとせがみ、助手席にミラを、運転席にルーグを乗せて、トラックは西部街区の道をゆっくりと帰った。ぼーっとしているミラを、ルーグは何かを読み取ろうとするかのようにじっと見つめていた。
ギルドの入り口に着くと、ルーグは「ここでいいよ」と言ってトラックを降りた。釣られたのか何なのか、ミラも外に出る。ミラの頭の上でリスギツネがクルルと鳴いた。トラックはプァンとミラたちにクラクションを鳴らし、ギルドの中に入る。トラックの後ろをミラが続き、さらにルーグが続く。
ギルドの中に入ると、ギルド内は妙な空気に包まれていた。ロビー横の丸机にひとりのエルフが座り、優雅な所作で紅茶を飲んでいるようだ。そのエルフから一定の距離を取り、ギルドメンバーがもの珍しそうに周りを囲んでいる。ギルドメンバー同士がひそひそと言葉を交わし、落ち着かない雰囲気が漂う。
「やっと来たか」
トラックの姿に気付いた騒ぎの主がホッとしたようにそう言い、トラックに向かって軽く手を挙げた。周囲のギルドメンバーが一斉にトラックを見る。トラックは気安い感じでクラクションを返した。トラックに声を掛けたエルフ――正確にはハイエルフだが――には確かに見覚えがある。セテスという名の植物学者であり、変わり者のリスギツネ愛好家だ。
「人の里は慌ただしくてかなわぬ。座っているだけで疲れた気がするよ」
トラックが近づくなり、セテスはそう愚痴をこぼした。ハイエルフが人里に現れることは極めて稀なので、おそらくケテルに入ってからずっと、人々の好奇の目に晒されたのだろう。普段は山の中でリスギツネたちと暮らしているセテスにとって、人の視線はそれだけでストレスなのだ。紅茶を飲み干し、セテスは表情を改めてトラックに向き直った。
「今日はあなたに頼みがあって来た。あなたに頼むことが適切なのか分からないが、私が知る冒険者はあなただけなのだ。どうか力を貸してもらいたい」
セテスはそう言ってトラックに頭を下げた。ハイエルフのプライドの高さを知っているギルドメンバーがざわつき、トラックを感心したような目で見つめた。
「ここ最近、私の住む森の周辺を人間たちがうろつくようになってな」
セテスは厳しい顔つきでそう切り出した。人間がうろついて騒がしい、というようなのんきな話ではなさそうだ。セテスは話を続ける。
「……どうやらリスギツネを狙っているようなのだ」
セテスの声に怒りが滲む。ああ、セテスが他人に頭を下げることって何か考えれば、リスギツネに関することくらいしかないよね。セテス、もふもふ大好きだもんね。セテスの言うことには、森に立ち入る人間たちはあちこちに罠を仕掛けたり、網を手にリスギツネを追いかけたりしているらしい。罠は見つけ次第セテスが破壊し、リスギツネを追いかけている人間は魔法の風でどこか遠くに吹っ飛ばしているのだが、なかなか相手もあきらめず、対応に苦慮しているらしい。幸いリスギツネたちが棲む洞窟の場所は見つかっておらず、今まで実害は出ていなかった、のだが……
「リスギツネの中に一匹、人間への警戒心に乏しい仔がいるのだ。ほら、あなたとクラル様に助けてもらった、あの仔だ。憶えているか?」
以前トラックがゴブリン村の族長の妻、つまりガートンの母親を助けるため、リュネーの花を求めてセテスの許を訪れたことを憶えているだろうか? その時セテスは、リスギツネのエサはリュネーの花であること、それを奪われればリスギツネは冬を越せないことを告げた。トラックはそれを承知でリュネーの花を持ち帰り、妻ゴブリンを救った。しかしそれではリスギツネが死んでしまう。そこでトラックは植物を育てることが得意なクラルさんにお願いして、リュネーの花を殖やしてもらい、それをセテスに届けた。リスギツネのうち最も弱い個体が力尽きる前のギリギリのタイミングでリュネーの花を届けることができたトラックは、何とか誰も犠牲にせずにすんだのだ。セテスが言っているのはその、ギリギリで助かったリスギツネのことだろう。
「春が近づき、リスギツネたちの活動も活発になりつつある。洞窟の中ばかりで過ごしていては体が弱ってしまうし、柔らかな日差しの中で戯れるリスギツネたちの姿はこの上なく愛らしい。だから彼らの行動を制限することはできぬ。そもそもそれは自然に反する行いであろうしな。だが……」
セテスがわずかに眉を寄せた。伏せた目に後悔が揺れる。
「一昨日からその仔の姿が見えぬ。同時に周囲をうろついていた人間たちの姿も消えた。おそらく人間たちに捕まったのだ。私自身が探し出し、救出し、愚か者どもを魔界の植物の養分としてやりたいのはやまやまだが、私は人里には不案内だ。あの人間たちがどのような輩なのかも分からぬ。だからどうか、力を貸してほしい。あの仔に何かあってはと思うと、矢も楯もたまらぬのだ!」
語気を強め、セテスはもう一度トラックに頭を下げた。見た目は冷静そうだが、内心は相当な焦りがあるのかもしれない。それは理解できるんだけど――
説明が回りくどいわ! 状況が切迫してるんだからまず結論から言え! リスギツネが人間に捕まったから助けてくれ、って言えばそれで済むだろうが! あれか、学者だから? 前提からきっちり共有しないと認識に齟齬が出ちゃうよねって言うとる場合か! 人間への警戒心が乏しい云々の説明いらんやろうが!
セテスの焦りをよそに、トラックがプァンと冷静なクラクションを鳴らす。セテスが気分を害したように顔をしかめた。
「確かに捕まったであろうリスギツネは一匹だけだが、一匹ならいいという問題ではない。一匹だろうが百匹だろうが、あの小さくて白くてふわふわで鳴き声まで愛らしい生き物を力づくで連れ去ろうなど――」
徐々にヒートアップしそうなセテスの言葉を遮り、トラックは再びクラクションを鳴らした。セテスはポカンと口を開け、目を丸くしてトラックを見つめる。
「……もう、見つけている?」
そうか、いなくなったのが一匹だけだということは、すなわちその一匹はミラが今朝見つけた仔だってことじゃん。そう言えば足に縄で縛られた跡があったな。あのリスギツネは密猟者に捕まった後ケテルに連れて来られ、自力で逃げ出して植え込みに隠れていた、ということなのだろう。なんだ、じゃあもう解決じゃん。いやぁ良かった。リスギツネ無事で。
トラックがプァンとクラクションを鳴らす。そうそうミラ、セテスにリスギツネの元気な姿を見せてやって。セテスがトラックのクラクションを聞き、怪訝そうに辺りを見回した。周囲には、トラック達を遠巻きに眺めるギルドメンバーしかいない――
――いなくなっとる!? ミラ、またいなくなっとる!!
今まで一日二回いなくなったことなかったから油断してた! あれか、今朝はリスギツネのことで遠くに隠れられなかったからノーカンなのか!?
トラックが慌てたようにプォンとクラクションを鳴らし、旋回して辺りを見渡す。カウンターのジュイチが「モーモー」と鳴き、ギルドの入り口を鼻で示した。うぉいジュイチ! 気付いてたんなら止めてって言ってんだろうが! そう言えばミラだけじゃくてルーグも姿が見えなくなっとるがな。もしかしてミラについて行ったんだろうか? いや、でも昼間の、変な男がミラを見ていた件もあるし、トランジ商会が動いているとしたら二人の危険なピンチが危ない!
トラックはぶぉんとエンジン音を鳴らし、アクセルを踏み込んでギルドを出る。海を割るように周囲にいたギルドメンバーが道を開けた。セテスもトラックを追いかけ、ギルドを飛び出していった。
セテスは絶滅しかけたリュネーの花とリスギツネを救ってくれた恩人としてクラルさんを女神とあがめ、常に『様』付けで呼んでいます。




