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儀式

「まあまあ、良かったわ、すぐに見つかって」


 シェスカさんが心底安堵した様子でミラの手を取る。自分がトラックに話しかけている間にミラがいなくなってしまったと蒼い顔をしていたので、大事なくて本当に良かった。これでミラに何かあったら、シェスカさんは責任を感じていただろう。


「でもね、ミラちゃん。独りで勝手にどこかに行ってはダメよ。みんな心配してしまうわ。どこかに行くときはきちんとトラックさんに言うこと。いいわね?」


 シェスカさんは真剣な表情を作り、膝立ちになってミラと視線の高さを合わせると、その目を正面から覗き込んで言った。ミラはぼーっとその言葉を聞いていたが、言葉の意味をゆっくりと咀嚼していたのか、やや間を置いて小さくうなずいた。シェスカさんはにっこりと笑うと、ミラの頭を優しく撫でた。


 その後シェスカさんと別れ、トラックはミラを乗せて配送の仕事に向かった。Cランクになろうがトラックの仕事は配送である。トランジ商会の動きは気にならないでもないが、それを怖れてじっとしているのも腹立たしい。それに、トラックをご指名で仕事を依頼してくれる人は結構いるのだ。その期待には応えたい、ということなのだろう。結局その日も特に襲撃の気配はなく、トラックは無事にすべての配送をこなし、宿の馬小屋の隣に停車して一日を終えた。


 翌日になり、トラックは再び施療院に向かった。ミラの測定二日目。今日の結果で今後のスケジュール、というかタイムリミットが分かる。一日分の土の精霊力の減衰量が分かれば、現在の残量から残り時間が割り出せるのだ。セシリアは昨日と同じ手順でミラの精霊力を測った。


「……思っていたより――」


 セシリアが苦々しい表情を浮かべる。つまり、思っていたより目減りした量が多い、ということなのだろう。ジンが説明を求めてセシリアに声を掛ける。


「まだ二日目ですから多分に誤差を含むと考えていただきたいのですが……仮にこの数値が日々失う精霊力の平均に近いとすると、およそひと月後には核を維持できなくなると推測されます」

「そんな……! だって研究ノートには……」


 ジンが動揺を隠せない様子で言った。研究ノートには一年数か月分の記述が存在している。ジンはおそらくそのくらいの時間的余裕を期待していたのだろう。セシリアは小さく首を横に振った。


「ノートに、精霊力を補充するたびに日々の失われる精霊力の量も増えた、という記載があったでしょう? この子には一度、大量の精霊力が補充されています。それによって一日当たりの減衰量が跳ね上がったのだと思います」


 土の精霊力を大量に補充するということは、ミラの心を強く抑圧するということでもある。抑圧されればされるほど、心の反発も大きいのだろう、とセシリアは言った。あるいはそもそも、ハイエルフという種族自体の特性も影響しているのかもしれない。ハイエルフは土の力を大量に保持するには向かないのだ。

 プァン、とトラックがクラクションを鳴らす。ジンがトラックに向かって首を横に振った。


「これ以上の精霊力の補充は避けたいと思っています。補充の回数が増えると、一日当たりの減衰量の振れ幅が大きくなるみたいなんです。百年前に魔法使いたちが失敗したのも、想定を超える量の精霊力が失われてしまったことが原因らしくて」


 土の精霊力が心を閉じ込める原因だと分かってから、研究ノートの主は土の精霊力の補充を必要最低限に抑えていたのだそうだ。ギリギリのラインを狙って精霊力の調整を繰り返していたある日、通常の二倍以上の精霊力が急に失われた。それによって暴走は引き起こされ、研究は実を結ぶことなく幕を閉じたのだ。


「――あと、一ヶ月」


 セシリアが厳しい表情でミラを見つめた。一ヶ月。たったそれだけの期間で、ジンたちはミラを救う手立てを見つけなければならない。もしそれができなければ、トラック達は冬の終わりと共に『決断』をしなければならないのだ。犠牲にするか、共に終わるか。


「……方法は、見つけます。必ず間に合わせます。そのために僕はここにいる」


 自らを鼓舞するようにジンが悲壮な決意を込めた言葉は、むしろ事態の深刻さを強調して診察室を満たした。




 ジンはわずかな時間も惜しいと研究ノートの調査に戻った。セシリアは施療院での通常業務をこなしつつ、ジンのサポートをするようだ。ジンは本来施療院のスタッフではなくまだ戦力としては心許ないということもあって、ミラの件に集中しても他に影響することはあまりないのだが、セシリアはスタッフとして結構頼りにされているようで、通常業務を離れるのは難しいのだろう。ミラ以外にも助けが必要な患者はいるのだ。

 本日の測定を終え、トラックは昨日と同じようにミラを連れてギルドに帰った。今日の配送予定を確認するためだ。ギルドカウンターでトラックはプァンとイーリィに声を掛ける。イーリィの隣にいたジュイチがイーリィが返事をするより早く「モー」と鳴いた。


「はい、どうぞ。今日のご指名分」


 イーリィがトラックに、ジュイチがくわえていた羊皮紙の束を渡した。羊皮紙、ジュイチのよだれでベトベトになってますけど。いいのか、それ。トラックは念動力で束を受け取り、一枚ずつめくって内容を確かめる。だいたいはお得意様で、運ぶ内容も以前と同じようなものばかりなのだが、時々受け渡し場所が変わったり、新規のお客さんだったりすることもあるので、分からないことや疑問点があればイーリィに確認するのだ。今日も普段と違う配送先が指定されている依頼があり、トラックはプァンとクラクションを鳴らした。

 トラックがイーリィとやりとりをしている様子を、ミラは助手席でぼーっと聞いていたようだが、やがて飽きたのか、ごそごそと動き始めた。自分でシートベルトを外し、そっとドアを開ける。おお、すごい。自分でドアを開けられるのか。ミラはひょいっと外に飛び出し、静かに助手席のドアを閉めた。まあ、子供が仕事の話聞いてても退屈だよねぇ。ミラが車外に出たことに気付いたトラックがプァンとクラクションを鳴らす。トラックを見上げ、ミラはこくんとうなずいた。たぶん、勝手に遠くに行くなよ、とか言ったんだろうな。ミラの返事を受け取って、トラックはイーリィとの打ち合わせに戻った。


「それじゃ、よろしくね、トラさん」


 一通り打ち合わせを終え、イーリィがにっこりと微笑む。トラックは冒険者ギルドにとってやらかし(・・・・)かねない危うさを持つ要注意メンバーである一方で、配送という派手さのない仕事を堅実にこなしてギルドのイメージアップに貢献するという意味ではありがたい存在でもあるようだ。現にトラックのお得意様になってくれている、主に西部街区の住人たちの冒険者ギルドのイメージはずいぶん改善しているらしい。トラックは了承のクラクションを鳴らし、ハンドルを切り返して向きを変えると、隣にいるミラにクラクションを鳴らし――


――って、いなくなっとる!? さっきまでいたのに、いつの間にかいなくなっとる!!


 トラックが焦ったようなクラクションを鳴らす。ジュイチが「モー」と鳴いて、鼻で入り口を指し示した。え、出てったの? ちょっとジュイチ! 見てたんなら止めなさいよ! トラックはぶぉんとアクセルを踏み込み、ギルドの外へと飛び出した。

 ギルドの入り口から見える範囲にミラの姿はない。いつ外に出たのか分からないが、子供の足ではそう遠くまで行ってはいないはず。トラックは少しの間ハザードを焚いていたが、意を決したようにアクセルを踏み込んだ。トラックが向かった先はギルドの建物の横手、昨日ミラが座っていた場所だ。まずそこを確認してみよう、ということだろう。ギルドの建物に沿って道を右折し、トラックはブレーキを踏む。ギルドの建物の影に、ミラの姿はない。むぅ、そんなに単純な話じゃなかったか。トラックはゆっくりとアクセルを踏み、ギルドの建物を過ぎたあたりまで来たところで停車してクラクションを鳴らした。トラックの左前方には大きな街路樹があり――トラックのクラクションに応えるように、ミラがひょっこりと顔をのぞかせた。

 お、おお。いた。こんなところに。ミラはトコトコとトラックに駆け寄り、ドアを開けて自分で助手席に乗った。トラックは安心したように小さくクラクションを鳴らすと、配送の荷物を受け取りに西部街区に向かった。

 えーっと、うん、なんだろうコレ? ミラは何がしたいんだろう? 昨日は急にかくれんぼしたくなった説を自分で否定したけど、もしかしたらあながち間違いじゃなかったのかな? トラックと遊びたくなったの? でも昨日シェスカさんと約束したじゃないの、勝手にいなくなっちゃダメだって。理解できてないってことなのかな? 急にいなくなったらびっくりするからできればやめてほしいんですけど。


 それからミラは測定から帰るたびに姿を消した。隠れる場所は少しずつギルドから遠くなり、そして見つかりにくくなった。植込みの中に突っ込んでみたり、街路樹に登ったり、お店の棚の間に座っていたり、側溝の中で泥だらけになっていたり。トラックに見つけられると、何事もなかったように助手席に座る。まるで何かの儀式のように、ミラはそんなことを繰り返した。そしてトラックは、ほとんど魔法みたいな正確さで、隠れているミラを見つけ出した。スキルも何もないままで。

 儀式、そう、儀式なのだ。ミラがトラックを受け入れるための儀式。ミラはトラックを試している。「お前はいつか私を見捨てるのだろう? 分かっているぞ、今は調子のいいことを言っていても、そのうち裏切るつもりに違いない。さあ、正体を表せ!」と挑発しているのだ。トラックがミラを探しに行かなければ、あるいは見つけることができなければ、この儀式はすぐにでも終わる。そして、ミラの信頼を得ることは永遠にできなくなる。トラックは応え続けなければならないのだ。根気強く、何度でも、こんな儀式が必要ないのだとミラ自身が気付くことができるまで。ミラのこの挑発は、ミラがトラックを信じたい気持ちの裏返しなのだ。そして、あっという間に二週間が過ぎた。




 今日もミラは測定の後にいつの間にかいなくなった。いなくなることは分かっているのだからなるべく目を離さないようにしてるんだけど、それでもちょっと目を離したすきにあっという間にいなくなるんだよなぁ。隠密スキルでも持ってるのかってくらい。というわけで今日も、トラックは失敗の許されないかくれんぼの鬼になった。

 ギルドの入り口を出て、トラックは思案するように一時停止する。右か左か。数秒考えて、トラックは左のウインカーを点滅させた。今日は左に行くと決めたようだ。ハンドルを切り、ゆっくりと左に曲がる。急発進は危険だからね。車道という概念のないこの街で、運転は慎重に慎重を重ねるくらいでちょうどいい。周囲を確認しながら徐行し、トラックはすぐにブレーキを踏んだ。ギルドから数メートルほど、中央広場の外縁に沿って整備された植え込みの前に、ミラは隠れる様子もなくしゃがみ込んでいた。

 プァン、とトラックがクラクションを鳴らす。ミラはトラックに顔を向け、すぐに視線を植え込みに戻した。ミラの視線の先には、どこかで見たことのある白くてふわふわした小さな生き物がいた。リスギツネ――変わり者のハイエルフが大切に守ろうとしてる、手のひらサイズの絶滅危惧種だ。でも、どうしてこんな場所に?

 ミラはおそるおそるリスギツネに手を伸ばした。リスギツネはひどく怯え、威嚇するように牙を剥いている。ミラの手がリスギツネの鼻先に触れ、ようとした瞬間、リスギツネはミラの指に噛みついた。ミラは痛がるでもなく、噛まれるがままにじっとしている。一分ほど経っただろうか、リスギツネは噛むのを止め、ミラの指に穿たれた牙の痕を舐めた。ミラはそっと両手を伸ばし、リスギツネを両手に抱えて立ち上がると、トラックに向かって掲げた。

 プォン、とトラックがクラクションを鳴らす。リスギツネの足は前足と後ろ足にそれぞれ縄で縛ったような痛々しい痕がある。かなり乱暴に縛ったのだろう、その部分は擦り切れて血が滲んでいた。ミラはじっとトラックを見つめる。トラックはプァンと答え、助手席のドアを開けた。




「トラックさん? どうしました、急に?」


 トラックの突然の訪問に、セシリアは驚きと緊張を示した。今日の測定を終えたのはついさっきのことで、帰ったと思ったトラックがまたすぐに現れたことに不穏なものを感じたのだろう。今一番警戒すべきはミラの様子の変化だ。最初の測定から二週間、すでに二月も終わろうとしているが、未だ打開策は見えていない。そんな中でミラに様子に予期せぬ変化が現れたとしたら、それはもしかしたら致命的な結果をもたらす予兆かもしれないのだ。

 トラックがプァンとクラクションを鳴らす。同時に助手席のドアが開き、ミラがリスギツネを抱えたまま外に飛び出した。セシリアの正面まで駆け、リスギツネを掲げる。セシリアは先ほどとは別の驚きを顔に表した。


「それは、リスギツネ、ですか? どうして――」


 言いかけて、セシリアはリスギツネの足の傷に気付いたようだ。セシリアが手を伸ばそうとすると、リスギツネはぐるると唸った。ミラはリスギツネを胸に抱えなおした。リスギツネは安心したように唸るのをやめる。


「ケガを、治してほしいの?」


 セシリアの言葉にミラはうなずく。セシリアは複雑な表情を浮かべた。ミラはリスギツネを心配している。ミラには、優しい心がある。それを知ってしまえば、下すべき決断を下せなくなるかもしれないことを、セシリアは危惧しているのだろう。でも心はすでに、目の前に示されてる。

 セシリアは小さく呪文をつぶやくと、リスギツネに向かって手をかざした。淡い緑の光がリスギツネの傷に吸い込まれていく。光が消えた時、リスギツネの傷はきれいに消えていた。リスギツネが不思議そうにクルルと鳴いた。


「もう大丈夫です。痛みも傷痕も残ることはない」


 どこか事務的な口調でセシリアはそう告げた。その言葉を裏付けるようにリスギツネがミラの手を逃れ、腕から肩を伝ってミラの頭の上にちょこんと乗った。おお、元気になっとる。よかったよかった。

 ミラは頭上のリスギツネが落ちないように、ゆっくりと慎重に顔を上げると、セシリアの目をじっと覗き込み、そして言った。


「あり、がと」


 セシリアがハッと息を飲む。動揺したように視線をさまよわせ、セシリアはかろうじて絞り出すように


「どう、いたし、まして」


と返事をしたのだった。

リスギツネがミラの頭上にオンすることで、ミラはグレートミランガーへと合体変形することが可能になります。

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― 新着の感想 ―
[一言] >一分ほど経っただろうか、リスギツネは噛むのを止め、ミラの指に穿たれた牙の痕を舐めた。ミラはそっと両手を伸ばし、リスギツネを両手に抱えて立ち上がると、トラックに向かって掲げた。 トラックさま…
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