測定
トラック達は夕暮れ前にケテルに戻り、ジンを施療院に送った後、冒険者ギルドに戻った。剣士とセシリアはマスターに現状を報告したようだ。当面はジンの研究ノートの解読待ちなのだが、とりあえずは毎日一回、ミラを施療院に連れていって精霊力の測定をする、ということが決まった。精霊力の測定には魔法使いの力が必要らしく、その役はセシリアが引き受けてくれた。ミラの暴走の予兆を察知することは、セシリアの目的にも適うということなのだろう。
……うーむ。なんかいまいち身が入らん。ミラがどうなるかも気になるけど、それよりヘルプウィンドウの最後の言葉が気になって仕方がないわけですよ。なにせ俺自身のことに関わるからね。こんなことを公言するのもちょっとアレなんだけど、確かに俺は痔ですよ。痔持ちですよ。ジモティーですよ。その点ヘルプウィンドウの言ったことは間違いないんだけども……
それがどうした、って話だよね。俺が痔だという事実が、なぜにあんなに深刻な雰囲気で語られねばならんのか。そしてヘルプウィンドウは消されてしまった。今、俺が鼻を押してもヘルプウィンドウは現れない。俺の痔ってそんなにおおごと? 管理者とやらが何者か知らんが、その意図がさっぱり分からん。
しかし今回のことで分かったことがある。ウィンドウはしゃべる。そしておそらく意思を持っていて、対話が可能だ。向こうが対話に応じるかどうかは別の話だとしても、うまく呼びかければ返事が返ってくる可能性がある。管理者の監視は厳しいのかもしれないが、どうにかウィンドウを懐柔できればもっと情報が得られるかもしれない。これからどう振る舞うべきか、ちょっと考える必要があるな。
翌朝になり、トラックはミラとセシリアを連れて施療院の診察室にいた。今日は精霊力測定の一回目である。ちなみに剣士は仕事で不在だ。今のうちに当面の生活費を稼いでおきたいらしい。ミラのために何か動こうとしたとき、自身の生活が立ち行かなくなっていたらダメなのだ。報酬が多く、手早く現金化できる討伐型の依頼を幾つか見繕って、剣士は慌ただしくギルドを出て行った。
測定の方法はジンが研究ノートから調査済みで、今はジンからセシリアに詳細を説明中。ミラは椅子の上でボーっとしており、邪魔にならないようダウンサイジングしたトラックがミラの隣に停車している。
「……おおよそのことは理解しました。一度やってみましょう」
セシリアはそう言うと、ミラの正面に立った。ジンが緊張の面持ちでうなずく。ミラが無表情のままセシリアを見上げた。セシリアは目をつむり、口の中で小さく何事かを唱えると、ミラに向かって手をかざした。
「大気を遮る無明の障壁よ。阻め」
ミラの足元から光を通さぬ黒の壁が立ち上り、ミラをすっぽりと覆った。頭上にも黒は広がり、ミラの姿は完全に見えなくなってしまった。ええー、いきなり予告もなく真っ暗な中に閉じ込めるの? もうちょっと説明なり配慮なり必要じゃない? まあ、ミラが動揺している気配はないけれども。
「ゆっくりと深く呼吸をしてください。一分間ほど繰り返して。呼気に含まれる精霊力の濃度を測定し、その数値から現在の精霊力を推計します」
あ、なるほど、そういう感じ。なんだろう、飲酒運転の検査みたいな? その割にはやってることが大仰な気がするけど。
暗闇の中で、ミラが素直に深呼吸をしている音が聞こえる。一分が経ち、セシリアはミラに向けていた手をゆっくりと握り込んだ。黒い障壁がセシリアの握り込んだ手に吸い込まれる。それをぎゅっと強く握り、セシリアは再び手を開いた。セシリアの手のひらの上には、きらきらと輝く小さな粒がいくつも乗っている。
「これは――」
セシリアは手にある粒を見て、驚きに目を見張った。そしてその表情はすぐに、怒りとも憤りともつかないものに変わる。ジンが不安げな視線をセシリアに送り、トラックが説明を求めてプァンとクラクションを鳴らした。
「――土の精霊力が、異常なまでに強い。私は人形師ではありませんが、それでもこの異常さは分かります。ゴーレムとして必要な範囲をはるかに超えた量の土の精霊力を注入されている」
そ、そうなの? ステータスウィンドウでは『パイナップル五個半分』だったけど。ゴーレムに必要な土の精霊力ってパイナップル三個分くらいなんかな?
セシリアの表情が強く憤りを表す。怒りを抑えた声音で、セシリアは言葉を続けた。
「……おそらく、魔光蟲を使ってドワーフたちから奪った土の精霊力をすべて注入したに違いありません」
セシリアの鋭い眼差しがミラに、いや、おそらくはミラをゴーレムにした魔法使いに向けられている。セシリアの言葉を聞いてジンが辛そうに顔をゆがめた。そうか。ドワーフ村の件はただの愉快犯ではなくて、土の精霊力を大量に調達するために行われたということか。いや、正確には、調達するためにもということなのだろう。ただ精霊力を調達するだけの目的であれば、あんな心を踏みにじるような手段を選択する必要はない。
「ここまで極端な単一の精霊力の注入を行えば、素体の精霊力のバランスが崩壊しかねない。それを行った者には素体に対する配慮がまったく見られない。壊れたならそれでも構わないと思っているのでしょうね」
素体が土くれであれば、あるいは木や鉄であれば、精霊力を大量に注いだところで問題にはならないかもしれない。しかし生き人形の素体は、ミラは、ハイエルフだ。本来風と水を多く身に宿すハイエルフに土の力を大量に与えれば、肉体を維持できなくなる可能性だってあるのだ。ジンは固く口を引き結ぶ。彼もまた怒りを抑えているのだろう。ミラの前で怒りわめくことに意味はないことを知っているのだ。
――プァン
トラックが冷静なクラクションを鳴らす。セシリアはトラックに振り向き、首を横に振った。
「明日、同じように測定を行い、土の精霊力の一日の変動量を確認します。そうすればおおよその『期限』は分かるはずです。誤差はありますから日々の測定で修正していくしかありません。ただ、この土の精霊力の量なら、今日明日に暴走する、ということはないでしょう」
魔法使いの研究が正しければの話ですが、とセシリアは小さくつぶやく。実際、かつて生き人形を助けようとした魔法使いは最終的に失敗しているわけで、その研究が正しいかどうかの裏付けはない。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。セシリアは「わかって、います」と答え、目を伏せた。
「僕は研究ノートを読み込んでみます。何か分かったらすぐにお伝えしますから」
決意を新たにするようにジンがトラックに言った。トラックは了承のクラクションを返す。ジンが少しだけ表情を緩めた。椅子に座り、大人しく座っていたミラが、ぼーっとした表情のまま、ぽつりと言った。
「ご、めん、な、さい」
セシリアはミラに振り向くと、驚きに目を見開いた。そしてすぐに視線を外し、床に目を落とす。
「……あなたが、謝ることではない」
ほころんだ冷酷さを乗せて、セシリアの言葉が静かに診察室に広がった。
測定を終え、トラックはミラを連れてギルドに戻った。セシリアはそのまま施療院でバイトをしつつ、ジンの手伝いをすることにしたようだ。魔法使いの研究ノートは、当然といえば当然ながら、魔法の知識がないと理解できない部分が多く、ジンはセシリアの助けを得られたことにホッとしたようだった。セシリアはセシリアで、おそらくミラの暴走が直近の問題ではないことを認識して多少の余裕ができたのだろう。セシリアはミラを助けたくないわけではなく、不確実な未来を無根拠に信じることに反対しただけなのだ。
ギルドの入り口前で、トラックはミラを降ろした。するとちょうど同じタイミングで、入り口からシェスカさんが出てくるのが見えた。最近ギルドでよくシェスカさんを見掛ける気がするな。何か冒険者ギルドに相談するようなトラブルでも抱えているのだろうか?
――プァン
トラックが、おそらく挨拶であろうクラクションを鳴らす。シェスカさんもトラックに気付いていたらしく、微笑んで会釈を返してくれた。
「おはよう、トラックさん。それに、ミラちゃん、だったわね。おはよう、ミラちゃん」
シェスカさんはミラにも微笑みかける。ミラはやっぱりぼーっとシェスカさんを見上げていた。トラックが再びクラクションを鳴らす。
「ええ、ちょっと、ね。――トラックさんには前に少し話したけれど、私、昔冒険者をしていたでしょう? その時パーティを組んでいたのがグレゴリとジンゴの二人」
ああ、聞いた覚えがあるな。確か、魔王を『討伐』した伝説の三人。しかし実際には魔王は討伐などされておらず、ジンゴのユニークスキル『うわばみ』でジンゴの体内に封じているだけだった。ジンゴは魔王を自らに封じるのに全ての力を費やさねばならず、冒険者の道を諦めて引退した。一方のグレゴリ、つまりマスターとシェスカさんは政治的な思惑により『魔王殺し』としてSランクに認定されることになった。虚妄の英雄となったシェスカさんはその名に耐え切れず、結婚を機に冒険者を引退し、一方のグレゴリは独りで活動を続け、引退した後はギルドマスターとなって、現在に至る。
「年が明けて少しした頃から、ジンゴの身体の調子が思わしくないみたいなの。彼は独り身だし、強情っぱりだから、心配で」
頬に手を当て、シェスカさんは苦笑いを浮かべた。薬を飲めとか、施療院を受診しろとか、そういうことをどれだけ言っても、ジンゴは聞く耳を持たないらしい。なのでシェスカさんはマスターにいろいろと相談に乗ってもらっているのだそうだ。
「あ、ごめんなさい。引き留めてしまったわね。ミラちゃんも退屈――あら?」
シェスカさんがミラに話しかけようとして、はたと言葉に詰まる。さっきまでトラックの隣にいたミラが、いつの間にかいなくなっていた――いつの間にかいなくなっていた!? ウソ、いつの間に!
トラックが慌てたようなクラクションを鳴らす。シェスカさんの顔から血の気が引いた。
「ミ、ミラちゃん! どこ!?」
シェスカさんの話に気を取られている間に、退屈でどっか行っちゃった? い、いや、もしかして、ミラを最初に連れていた灰マントの男たちにさらわれた、とか!? 最初の時以来全然動きがなかったから忘れかけてたけど、あいつらが突然現れてミラを連れていくって可能性は常にあったんだよ! まさか今、このタイミングで!?
トラックがプァンとクラクションを鳴らし、シェスカさんの返事を待たずにアクセルを踏んだ。シェスカさんはうなずくと、トラックとは逆方向に歩き出す。どうやら二手に分かれて探すようだ。トラックはギルドの建物に沿って道を右折し――思いっきり急ブレーキを踏んだ。キキィッ! と耳障りなブレーキ音が響く。トラックが動きを止めた。ギルドの建物の影、入り口からは死角になっている場所に、ミラはちょこんと座っていた。
――プァン
トラックが安堵したようなクラクションを鳴らす。ミラは立ち上がり、トコトコと小走りにトラックに近付く。トラックは助手席のドアを開き、念動力でミラを乗せた。ミラは大人しく助手席に座って、ぼーっとフロントガラスを見上げていた。
……えっと、これ、結局、何だったの? 急に、かくれんぼがしたくなった、とか? いやいや、そんな。ま、最悪の事態でなくてよかった、と思うべきなのかな? 無事でよかったと言えばそうなんだけど……ちょっと釈然としないなぁ。
一方その頃、ミラを探して町中を探し回ったシェスカさんは、灰マントの男たちの仕業ではないかと思い至り、トランジ商会の秘密のアジトを急襲しようとしていました。




