決意と苦悩
「少し、待っておいてくれ」
村長はそう言うと席を立ち、奥へと引っ込んだ。ジンが大きく息を吐く。そのため息はミラの未来を案じてのことなのか、村長とのわだかまりが原因なのかはよく分からない。剣士がどこか置いてけぼりになったような顔でセシリアに言った。
「つまり、どういうことだ?」
同調するようにトラックがクラクションを鳴らす。セシリアは努めて冷静に答えを返した。
「ゴーレムには『核』と呼ばれる心臓のような部分があります。その心臓は土の精霊力を基に作られている。しかし土の精霊力には、強すぎると感情を閉じ込めてしまう特性があります。通常のゴーレムには感情がありませんが、生き人形の素体は元々意思や感情を持つ存在です。ゴーレム化の過程で土の精霊力の結晶のような『核』が体内に配置されると、生き人形の感情は抑圧され表に出なくなる、ということなのでしょう」
セシリアの説明は淡々としていて、内心で何を考えているかを推し量ることはできない。セシリアは事務的に言葉を続ける。
「でも、感情というものはずっと押し殺せるものではない。心は外に出ることを願い、自らを閉じ込める土の精霊力を少しずつ削っていく。そして、自分の『核』を維持できないほど土の精霊力が不足すると、ゴーレムは自壊する」
その『核』の崩壊によってゴーレムの体内を巡る魔力は暴走し、時に町をひとつ吹き飛ばすほどの事態になる。心を閉じ込められた悲しみは、痛みは、それほどまでに強いということなのだろうか。世を恨み、破壊してしまうほどに。
「結論は変わりません。生き人形はいつか必ず暴走する。たとえそれが本人の責任でないとしても、それが他者の被害を容認する根拠にはならない」
――プァン
トラックが静かにクラクションを鳴らした。セシリアがどこかの痛みを隠すように、わずかに顔をしかめる。ジンはうなずき、厳しい表情をセシリアに向けた。
「トラックさんの言う通りです。他者の被害を容認しないことは、当人を犠牲にする根拠に直結するわけではないはずです」
ジンはまっすぐな目でセシリアを見つめる。セシリアもまた、その視線から目を逸らしはしなかった。ジンの憤りをセシリアは無表情に受け止めている。そしてその無表情は内心を隠す仮面なのだろう。セシリアは決して冷酷でも非情でもないはずだから。
セシリアとジンの言っていることは、たぶん噛み合っていなくて、ゆえに妥協点を見つけられない。セシリアの立てる問いは「一人を救うために大勢の犠牲を生むリスクを負うことは許されるか」であり、ジンの問いは「大勢の犠牲を生む可能性があることを理由に一人を確実に犠牲にすることは許されるか」だ。両者の問いは視点がまるで違う。セシリアは状況を外から眺めていて、ジンは内側から状況を見ている。
「成功の道筋が見えていれば、それは正しいでしょう。しかし今、生き人形の暴走を止める手立ては何もない」
「それをこれから見つけようとしているんです!」
ジンは身を乗り出し、挑むようにセシリアをにらんだ。セシリアの表情は変わらない。
「どうやって? いつまでに? 本当に見つかるのですか? かつて魔法使いとドワーフが協力し、それでも見つけられなかったものが、あなたに見つけられるのですか?」
「それ、は……」
ジンは言葉に詰まり、セシリアから視線を逸らせた。百年前には魔法使いと、熟練のゴーレム技師がいた。それでも生き人形の暴走を食い止めることはできなかったのだ。ジンは当時のゴーレム技師よりはるかに未熟で、そして協力してくれる魔法使いはいない。セシリアの協力を期待するのは、少々虫のいい話なのだろう。
「おい、言い過ぎだ」
見かねた剣士がジンに助け舟を出した。ジンは悔しそうにうつむく。セシリアは剣士に顔を向け、小さく首を横に振った。
「これは、命に関わる問題です。その判断に感傷の入り込む余地はない。生き人形の暴走を食い止め、心を取り戻す。すべてを救う。それができればどれほどよいでしょう。しかし何の目算もない今の状況では、それはただのギャンブルに過ぎない。そしてその賭けに負けた時、対価を支払うのは何の関係もない方々かもしれないのです。それが本当に正しい判断だと胸を張れますか? 賭けに負けたとき、命を失った方々はそれでもあなたの判断を正しかったと言ってくれるでしょうか?」
セシリアは冷徹に、剣士に問いを投げかける。正論すぎるほとの正論は、反論を許さないという意思表示のように見えた。セシリアのこの頑なさはどこから来るものなのだろう。なんか無理してない? らしくないっていうかさ。
剣士とセシリアの視線が静かな火花を散らす。剣士は目を逸らさず、ゆっくりと口を開いた。
「お前の言うことは正しい。だが俺たちはその正しさを受け入れない。もし俺が大勢のために犠牲になれと言われたら、納得して命を差し出したりはしないだろうからな。まして、それが自分の罪でないならなおさらだ。ミラは犠牲になるべきじゃない。彼女を救う方法を探すのは、俺たちの意思だ」
「あなたは勘違いをしています! それは命ではない! ゴーレムなのです! 他の命と同等に扱うべきではない!」
セシリアの顔が苦痛を感じているようにゆがんだ。自分自身の言葉に傷付いているような、そんな顔。自分がそんな言葉を言い放つことができる人間なのだと、知ってしまった顔だった。剣士は言葉に詰まる。セシリアのその表情に、剣士もまた苦い表情を浮かべた。
「……生き人形の暴走はいつ起こるか分からない。不確実な希望にすがるより、確実に犠牲を最小限に止める方法を、選ぶべきです!」
土の精霊力を補填すれば生き人形の暴走を先延ばしにすることはできる。村長はそう言っていた。だからまるで今日明日にも暴走が起きかねないというセシリアの主張には無理があるだろう。その点に触れていないのはセシリアにその自覚があるからだ。だが、ジンや剣士の言っていることは今のところ裏付けのない楽観でしかない。先延ばしにも限界があり、今確実に言えることがあるとすれば、ミラを犠牲にすれば他の誰も犠牲になることはない、ということだけだ。そして話は元に戻る。一人を救うために大勢の犠牲を生むリスクを負うことは許されるか。大勢の犠牲を生む可能性があることを理由に一人を確実に犠牲にすることは許されるか。セシリアの主張にジンや剣士を説得する力がないのと同様に、ジンや剣士の主張にもセシリアを説得するだけの力はないのだ。周囲を包む空気が、刺すような鋭さを伴って重く張りつめる。
「結論を急がんでもらえんか」
緊迫した空気を破ったのは、部屋に戻ってきた村長だった。手には数冊のノート、というか紐で結わえられた羊皮紙の束を持っている。村長はジンたちの前にノートを置いた。
「魔法使いが遺した研究ノートじゃ。きっと役に立つじゃろう」
ジンがノートの一冊を手に取り、パラパラとめくった。ノートには小さな字でびっしりと何かが書かれており、ところどころに図や数式のようなものが見えた。
「日々の精霊力を測定することで、暴走の時期を予測することは可能じゃ。ある程度の誤差はあるがの。ノートにはその方法も書いてある。いつ暴走するかを過度に怖れる必要はない」
セシリアがわずかに目を伏せ、ジンは顔を上げた。剣士の表情が少しだけ緩む。村長は辛そうな口調で、独り言のようにつぶやいた。
「……ワシらは、何もできんかった。だからもし、あなた方がその少女を救うことができるなら、この目で見たいのじゃ。百年前の、魔法使いの代わりに」
村長がセシリアに向かって頭を下げた。セシリアは何も言うことができずに奥歯を噛む。ジンは自分自身の決意を確かめるように、村長を正面から見据えて言った。
「必ず助けます。方法を見つけてみせます。助けを求めるひとを助けるために、僕はケテルに行ったのですから」
村長はジンの言葉に、どこか弱々しい表情で応えた。それは百年前の苦い記憶を思い出しているようでもあり、ジンに対する複雑な感情を示しているようでもあった。村長がジンをケテルに送ったのは、医学を学ばせるため、ではなく、ジンが呪素となったことを村人たちから隠すため、なのだろうから。しかしジンの今の言葉はそれを否定するものだ。自分は医学を学ぶために、誰かを救うためにケテルに行ったのだと。
――プァン
トラックが鳴らしたクラクションに、ミラを除く全員が驚きを表して振り向いた。剣士が小さくうなずき、セシリアを見る。
「トラックだけってわけにもいかないだろう。そんときゃ俺も付き合うさ。もしミラが暴走したら、俺たちが必ずそれを抑える。他に被害は出さない。俺たちの命二つで、どうにか勘弁してもらおうぜ」
ジンの顔から血の気が引く。自分のやろうとしていることが、二人に命を賭けさせることなのだと気付いたのだろう。剣士は笑ってジンの肩を軽く叩いた。村長が剣士とトラックに深く頭を下げる。セシリアは鋭い視線で床をにらみ、誰にともなくつぶやいた。
「……させない。そんなことは、絶対に」
ジンは村長からノートを預かり、ケテルに戻ってその分析を行うことにしたようだ。本来なら村に残って村長の協力も仰ぐのがいいのだろうし、ジンもそう主張したのだが、持病があるジンの身体のことを案じたセシリアが強硬に反対して実現しなかった。セシリアはジンが自分の身体よりも研究を優先しかねないことを見通していたのだろう。ケテルに居れば院長なりセシリアなり、周りの誰かが強制的にストップをかけることができるのだ。
そんなわけで、トラック達は慌ただしくドワーフ村を離れることになった。村長は村の入り口まで見送りに来てくれて、別れ際にこんなことを言った。
「暴走には予兆がある。『核』が壊れる寸前、心が外に溢れる瞬間じゃ。笑うか、泣くか。そのときを見逃さぬようにしておくことじゃ。もしそのときを捉えることができれば、あるいは暴走の前に額の文字を消すこともできるかもしれん」
村長の言葉は、どうやらセシリアに向けられたもののようだった。セシリアは神妙にうなずく。村長は生き人形を救うことを望んでいるが、同時に責任ある立場として下さなければいけない決断があることも知っている。村長はこう言っているのだ。その時が来るまでは待ってほしい、だがその時が来たら、決断を下すべきだ、と。
「そのときが来る前に方法を見つけます」
ジンは気負った様子でそう言うと、トラックの運転席に乗り込み、寸暇を惜しむように研究ノートを広げた。トラックが念動力でミラを助手席に乗せる。剣士とセシリアが荷台に乗り込み、トラックはプァンとクラクションを鳴らして走り出した。トラックの背を見送りながら、村長は遠く空を見上げてつぶやく。
「ワシらにできんかったことを、あの子に成し遂げてほしいと思うのは、わがままだろうか。どう思う?」
車体が小さく揺れ、トラック達は冬の山道を下っている。ジンはずっとノートを読み込んでいて、ちょっと酔わないか心配。ミラは相変わらずぼーっとしているが、それはこの際いいことだと思うべきか。ミラがもし意思や感情を表に出すようになったら、それは破滅が近いことを示しているのだから。
……でもさ、やっぱ気になるよね。今がどんな感じなのか。あと何日くらい大丈夫なのか。土の精霊力を測定すればおおよそのことは分かる、みたいなことを村長は言ってたけど、誤差もあるって言ってたしなぁ。そもそも俺はその測定方法を知らないし。何かいい方法が……
……こういうとき、使えないかな? ステータスオープン。
前にガートンのステータスを視たときって、結構な細かい情報まで全部視えたんだよね。明らかにプライバシーの侵害だから必要なとこ以外は視ないようにしてたんだけど。土の精霊力、なんてステータスにあるのか分からないけど、意外とやってみる価値はあるかも。なんかいける気がしてきた。もしかしたら「暴走まで何時間」みたいなのもあるかもしれないよね。そういうのっていかにもステータスっぽいもんね。
よっしゃ、どうせダメ元、やってみようじゃありませんか! いつも受け身じゃやってられん! うまくいったらご喝采、ってことで、行くぞ!
――ステータスウィンドウ、オープン!
ミラの頭上に半透明のウィンドウが姿を現す。おお、いい感じですよ。プライバシーに配慮して関係のないところは視ません。女の子のプライバシー覗くとか、俺は変態じゃないからね。そこのところは強く主張しておく。
えーっと、お、なんか精霊力の項目があった。ここを見たらいいんだな。なになに、精霊力には火、土、水、風、光、闇の六つがあるみたいだな。それぞれの値は――
火の精霊力:りんご三個分
土の精霊力:パイナップル五個半分
水の精霊力:スイカ二個分(大玉)
風の精霊力:マスカット八房分(皮ごと食べられるタイプ)
光の精霊力:レモン三十七個分(ビタミン換算)
闇の精霊力:アボカド四個分(完熟)
……わかるかぁーーーーーっ!!
これを見ていったい何を判断せぇっちゅーんじゃぁーーーっ!! スイカ(大玉)とかどうでもええわぁーーーっ!!! ガートンの時はアルファベットとプラスマイナスの表記だったろうがぁーーーーっっ!!! 何で値の基準が果物になっとんじゃぁーーーっ!!!
『果物食べたい』
お前の匙加減かぁーーーーっ!! って、うお、ステータスウィンドウがしゃべった!? どういうこと? ヘルプウィンドウだけでもうっとおしいのに、ステータスウィンドウまでしゃべるとかやめてほしいんですけど。
『おなかが空いたので帰ります』
ふよん、と気の抜けた効果音を立ててステータスウィンドウが消えた。このやろう、俺の質問は無視か。やりたい放題しやがって。結局何にも役に立たねぇじゃねぇか!
……まあ、俺が何を知ったところで、トラック達に伝えられるわけでもないんだよね。声が届くわけでもなし、向こうはこっちを知らないだろうし。俺って役立たずたよなぁ。見てるだけでなーんもできない。ただおろおろしてるだけだもんなぁ。俺って、なんなのかなぁ。
俺は何となく、自分の鼻を押した。待ってましたと言わんばかりに、空中に半透明のウィンドウが現れる。
『お呼びとあらば即参上!? 人肌恋しい季節の味方、あなたのコンシェルジュ、ヘルプウィンドウ推参! くよくよしてたら、斬殺よ?』
何でくよくよしたくらいで斬殺されねばならんのだ。もはや突っ込む気力もないっていうか、秒速で呼んだことを後悔しているが、もう出てきてしまった以上は利用せねば、単に精神力を削られただけで終わってしまう。俺は気力を振り絞り、ヘルプウィンドウに尋ねた。
俺ってさ、いったい何なの?
『ヘルプウィンドウに何でも相談してね?』
ヘルプウィンドウの返事は、いつぞやの時と変わらない。俺は問いを続けた。
俺は、何のためにここにいるんだ? ずっと見てるだけで何もできない。誰からも顧みられない。それじゃただの傍観者じゃないか。
『ヘ、ヘルプウィンドウに何でも相談してね?』
ヘルプウィンドウの声が、少し震えた気がする。そんなはずはないか。本当に意思があるわけでもないのだろうし。俺がやってることも、全然意味のないことなんだろう。それでも今日は、何となく、あきらめる気にならなかった。
見てるだけってさ。何もできないってさ。結構、しんどいんだよ。役割がないってしんどいんだよ。誰からも必要とされないって、しんどいんだよ。
『ヘ、ヘルプウィンドウに……』
ヘルプウィンドウの声が途切れる。システムエラーかな? いや、そもそもヘルプウィンドウだのっていう存在自体が謎なんだけど。ヘルプウィンドウは何か悩んでいるようにその輪郭を揺らめかせている。そして、何かを決意したように俺に言った。
『……分かりました。お教えします』
……え? 教えて、くれるの? っていうか、会話ができるの!? 定型じゃなくて、普通の応答ができるの!? マジで!?
『これは規約違反ですから、管理者に見つかれば私も消されます。だから悠長に説明はできません。端的に言います。よく聞いて』
え? そんなにおおごと? 何そのリスク背負ってる感? い、いや、でも、ここで聞き逃すと二度と聞けない気がする。よろしくお願いします!
『あなたは、ぢ――』
ぷつん
まるで強制的に電源を落としたように、唐突にヘルプウィンドウは姿を消した。管理者に見つかれば消される――それが今、目の前で実証されたのだろう。管理者ってなんだ? ヘルプウィンドウはどうなった? そして何より、ヘルプウィンドウの残した最後の言葉が、俺の頭の中をぐるぐると駆け巡っている。
――俺って、痔なの?
ヘルプウィンドウはおせっかい、スキルウィンドウは無口、ステータスウィンドウはちょっぴり不思議ちゃん。同じウィンドウでも、それぞれ個性があるようですよ。




