光明
冬の朝の澄んだ空気の向こうに、透き通る青の空が広がっている。まだまだ寒さは厳しく、吐く息は白い。それでも、子供たちは元気に広場を走り回っている。
今日も今日とて、西部街区の広場には机が並べられ、先生の青空教室が開催中である。ジェネラルアネットに率いられたクラスの生徒たちは、一糸乱れぬ精密な動きでトラックから机と椅子を運び出している。何だろう、集団行動的な? もはやパフォーマンスとして見事と言えるほどに淀みがない。アネゴの進化は止まることを知らないようだ。
指揮を執るアネットの横には、先に机と椅子を用意されたジンが座っている。ジンは机運びのメンバーには組み込まれていないようだ。おそらく体調を慮って、ということだろうが、皆と同じことをできない、ということに後ろめたいような気持ちがあるのか、その表情は少し曇っていた。まあそう焦らずに、ゆっくりしっかり行きましょうよ。
そしてアネットの腕の中には、ぼーっとクラスの集団行動を見つめるミラの姿がある。相変わらずお人形のような無表情で、なぜかアネットに抱きかかえられていた。その横にはセシリアが立っていて、さらに剣士もそこにいた。
ハイエルフの都から戻った翌日、トラック達はミラを連れて西部街区の青空教室を訪れていた。
都から戻ったトラックたちはその足で冒険者ギルドに事の顛末を報告し、冒険者ギルドは議長に事態を説明した。議長ルゼはやや渋い顔で説明を聞いていたが、
「ケテルは今まで通り、ハイエルフの王女ミラは亡くなったものとして振る舞う。その少女は王女ではない。よってケテルはその少女の動静に関知しない。扱いは冒険者ギルドに一任しよう。問題を起こさぬよう適切に処理してもらいたい」
と回答し、冒険者ギルドの使者を追い返したようだ。なんてーか、すっごい分かり易く逃げたな。イーリィが忌々しげに「あの人に何を期待しても無駄よ」と吐き捨てた。
そんなわけでミラのことを丸投げされた冒険者ギルドだったが、議長から『適切に』と言われたところで何をどうすべきなのか答えはない。直近の懸念はミラ自身の暴走とトランジ商会の襲撃だが、そのどちらにも対処可能で、かつ対処する意思があるギルドメンバーはトラックたち以外になく、結局ミラの面倒はトラックたち三人が見ることになった。セシリアは相変わらず複雑な表情を浮かべていたが、今のところ何か直接的な行動を取ろうという意思はなさそうだった。ただ、暴走の気配があればためらうことはない、という、どこか悲壮な覚悟のようなものを背負っている感じではあった。
一方のトラックは、剣士と共にミラをこれからどうするか、についていろいろ考えを巡らせているようだった。トランジ商会は気になるが向こうからアクションがないとこちらとしてやることはないので、今優先すべきはミラの暴走を阻止することだ。その方法の手掛かりを得るためと、あとは単純に同年代くらいの子供と接する機会を作ろう、という親心的な配慮に従い、トラックはミラを先生の青空教室に連れていくことにしたのだった。
机と椅子など必要なものが揃い、先生がいつも通りに授業を始めた。生徒たちはそれぞれ真剣にメモを取り、話を聞いている。お、今日はルーグもいるのか。以前アネットに「また来て」と言われてから、ルーグはたまに授業に参加しているようだ。ルーグはトラックの姿を認めると、ぎこちなく挨拶を交わした。
それにしても、アネットやルーグがいて、レアンがいて、ガートンがいて、ジンがいる。その風景を皆が当然のように受け入れていることは、なんだか感慨深いと言いますか、みんなええ子やなぁ。ただ、アネットが相変わらずミラを膝に乗せて授業を受けているのが若干気になるけども。
授業が終わり、トラックは荷台に機材を受け入れつつ、先生にプァンと声を掛けた。先生は記憶をたどるように首を傾げ、目線を上に向ける。
「……魔導人形の暴走、ですか? うーん、知っている、というほどのこともありませんが……いったい何の話です?」
トラックがプァンとクラクションを返す。先生は驚きを顔に表し、思わずといった風情でミラのいる方向を振り返った。ミラは未だにアネットに捕獲されたままだ。アネットはミラをしっかりと胸に抱いて、レアンやルーグを片付けにこきつかっている。
「あの子が、生き人形、ですか……」
トラックの横にいたセシリアが固い声で補足する。
「生き人形はいつか暴走する。それはご存知ですか?」
「え、ええ。古い歴史書には、かつて生き人形の暴走によって滅んだと言われる町の記述が散見されます。しかし、相次ぐ暴走を受けて、生き人形の技術は魔術師の禁忌となったはずでは?」
先生はずれたメガネを直しながらセシリアに言った。おお、先生ってば博識。ゴーレムのことも知ってるのか。セシリアは小さく首を横に振った。
「たとえ戒律によって厳しく禁じようと、禁を破る者は現れます」
なるほど、とつぶやいて、先生は再びミラに顔を向けた。ミラの外見は、まったくと言っていいほど普通のエルフと変わらない。感情表現が乏しく意思表示がほとんどないものの、彼女がゴーレムだ、と言われてもにわかには信じがたいだろう。先生はじっとミラを見つめる。その瞳に悲しみの色が浮かんだ。
「……彼女は何かの犠牲者、というわけですか」
「犠牲者であるからといって、危険を放置するわけにはいきません」
セシリアは同情に流される先生をぴしゃりと遮った。先生は口を閉ざす。セシリアの横にいた剣士が言葉を継いだ。
「かと言って、危険だから排除しろってのも趣味じゃないんだ。だから今、俺たちはミラを暴走させない方法を探してる。力を貸してくれ、先生」
やや軽薄な物言いに包んだ真剣さで、剣士は先生を見る。先生はふむ、と思案げに腕を組んだ。セシリアはわずかに目を伏せた。
「生き人形は暴走し、周囲を巻き込んで自壊する。私が知る限り、そこに例外はありません」
先生は記憶の深い場所に分け入るように目をつむる。セシリアはやはり、と言うようにうなずいた。剣士が落胆の息を吐く。
「ですが――」
先生が目を開け、やや強い調子で言った。剣士とセシリアが顔を上げる。先生の表情は厳しいものではあったが、そこに諦めの色はなかった。
「生き人形の暴走を食い止める方法を探していた魔術師の話は知っています。かつて多くのひとびとが、不老不死の研究の名の許に犠牲となった。それに憤り、ひとびとを救おうとした魔術師も、少数ながら存在したのです」
「本当か!? じゃあ、その魔術師に会えば――!」
剣士が勢い込んで先生の肩をガシッと掴んだ。勢いに押され、先生は戸惑い気味に首を横に振る。
「い、いえ。その魔術師が生きていたのはもう百年以上前の話です。すみません」
すまない、と侘びて、剣士は先生から手を離した。先生は服を整えると、気を取り直して言った。
「魔術師はもうこの世にいませんが、関係者はまだ生きているはずです。それについてはおそらく、私よりも彼に聞いた方が早い」
「彼?」
剣士の疑問の声に、先生はある方向に視線を向けた。誘導されるように剣士とセシリアが同じ方向を向く。その視線の先には、クラスメイトと談笑しているジンの姿があった。
「ジン! ちょっと来てください!」
先生の呼びかけに応え、ジンはクラスメイトに断ってこちらにやってくる。機材の片付けはおおむね終わり、子供たちは各々帰るなり友達と遊びに行くなりで広場を離れていっているようだ。アネットも片付けの最終確認を終え、ジンと並ぶ形で先生のところに来た。
「先生、さようなら」
アネットが先生にお辞儀をする。胸に抱いているミラの足がぶらーんと揺れた。先生も「はい、さようなら」と返事をする。アネットは先生に背を向け、何事もないように帰路に就いた。ミラを抱えたまま。
「ちょ、ちょっと待って!」
先生が慌ててアネットを呼び止める。どうかしましたか、と言いたげに、アネットは振り返って不思議そうな顔を向けた。
「その子を連れて帰るつもりかい?」
「はい! とっても可愛いので!」
キラキラした満面の笑顔で、アネットは元気よく答える。あまりにまっすぐな瞳を受けて、先生が言葉に詰まった。剣士が戸惑いながら声を掛ける。
「可愛いからって、連れて帰られても困るんだが」
アネットは心外そうに剣士を軽くにらんだ。
「生半な気持ちで言っているのではありません。私はこの子を必ず幸せにします。私にはその意思があり、その能力があるという自信もあります!」
娘との結婚を渋る父親にタンカを切るようなセリフを、アネットは鼻息も荒く叩きつけた。うむ、何と言いますか、ミラが暴走する前にアネゴが暴走しとる。アネゴ、可愛いもの好きだったんだねぇ。先生が困った顔で言葉を探す。
「いや、そういうことではなくて、何というか、その子は非常に特殊な……」
「この子がどんな事情を抱えているとしても、私にはそれらをすべて受け止める覚悟があります。何の問題もありません」
揺るがねぇ。さすがアネゴ。ミラがゴーレムだということはたぶん知らないはずだが、もしそれを知っても答えは変わらないのだろう。懐が深いぜ。その懐の深さをここで発揮されても困るけど。今まで黙っていたセシリアが口を開いた。
「それは、暴走すれば町を丸ごと滅ぼしかねない危険な存在です。あなたに預けるわけには」
「それがこの子の可愛さの代償なら、世界など滅んで構わない」
すごいこと言っちゃったよ。世界滅んでいいんだって。セシリアは二の句が継げずに目を丸くした。剣士と先生が顔を見合わせる。うーむ、こりゃどう言ったものか。
「……本人の意思は?」
わけのわからん展開を横で見ていたジンが、比較的冷静なツッコミをアネットに入れた。アネットはハッと息を飲む。完全に失念していた、とその顔が語っていた。アネットはミラを降ろして向かい合うと、真剣な表情でミラの瞳を覗き込んだ。
「私と一緒に帰りましょう。一生あなたを大切にするわ」
ミラはぼーっとアネットの顔を見つめる。しばらくして、ミラはふいっと後ろを振り向き、そのままトコトコと歩いてトラックの横に並んだ。
「そ、そんな……」
アネットががっくりとその場に膝をつく。おお、アネゴがトラックに敗北した。アネゴが負けたのを初めて見た気がする。未練がましくミラのほうに手を伸ばすアネットを見て、いつの間にかそばに来ていたルーグが呆れたように言った。
「お前、なにやってんの?」
アネットはその後、しょんぼりと肩を落として帰路に就いた。そのあまりの落ち込みぶりに心配になったのか、ルーグはアネットを家まで送ることにしたようだ。まったく予想しない横道の逸れ具合に一時はどうなることかと思ったが、先生は気を取り直してジンに言った。
「かつて君の村のドワーフたちは、魔術師に協力して魔導人形を作成していましたよね? 確か最後の生き人形がいたのも君の村だったはずです」
先生はジンにミラが生き人形であること、トラック達がミラの暴走を阻止する方法を探していること、そして生き人形の暴走を食い止めるための研究をしていた魔術師がかつて存在していたことを説明した。ジンは腕を組み、そして少し苦しげな表情を作る。
「……それは、たぶん、僕の祖父に聞けば分かると思います」
セシリアが驚きを顔に表し、剣士が身を乗り出した。えーっと、祖父っていうと、ドワーフ村の村長ってことかな? ジンは深い場所から記憶を取り出すように、ゆっくりと話を続ける。
「祖父は腕の良いゴーレム技師だったと聞いています。今はもう引退していますが、百年ほど前なら現役だったはずです。直接関わっていたかどうかは分かりませんが、何も知らないということはないと思います」
ジンの複雑な表情は、祖父である村長、あるいは故郷の村に対する彼のわだかまりを示しているのだろう。医療を学ぶため、という名目ではあるが、ジンは半ば追放されたに等しい扱いを受けているのだ。思い返すことだけでも、ジンにとっては辛いのかもしれない。トラックが気遣わしげなクラクションを鳴らした。ジンは小さく首を横に振り、ミラの前まで歩いていって、正面でしゃがみ込み、目線を合わせた。
「こんな小さな子をゴーレムに、なんて、正気じゃない」
そうつぶやき、ジンはトラックを見上げて強い口調で言った。
「僕は医療を志す者です。生き人形は暴走する。それが事実だとしても、救うための方法を僕は探したい。僕の都合など考えている場合じゃないんです。村に行きましょう、トラックさん。僕も、同行します」
ジンの声には強い決意が感じられる。これはきっとジンにとって、乗り越えるべき試練なのだ。柔らかい鉄ではなく、使命と責務を負った一医療者として、ジンは村長と、故郷と向き合おうとしている。
トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ジンは立ち上がり、トラックにはっきりとしたうなずきを返した。
この日の悔しさをバネにアネットは己の研鑽に打ち込み、やがて商人として大成功を収めた彼女は、世界有数の人形コレクターとなったのでした。




