拒絶
門番の怒りは、傍から見てもはっきりと分かるほど激しいものだった。あまり感情を表に出さないと言われるエルフにしては珍しいほどに、顔を紅潮させ、眉を吊り上げて、矢を放つことを辛うじて踏みとどまっているような様子がありありと伝わってくる。
「……我らが、姫を、どれほど……」
門番の様子を見て取り、剣士がこっそりと剣の柄に手を掛ける。セシリアは杖を強く握った。仕掛けられたら迎え撃つ、ピリピリとした緊張感が周囲を覆った。鼻にシワを寄せ、狼が威嚇する如き形相で、門番は叫んだ。
「姫が儚くなられたと聞いて、我らがどれほど泣いたか、それを知りもせずによくも、姫を連れてきたなどと言ったな! 他の如何なる嘘を許そうとも、姫の名を騙り我らを欺くというなら、我らの誇りに懸けてケテルの人間どもを悉く討ち滅ぼしてくれようぞ!!」
おお、無茶苦茶怒ってはる。ミラ王女の偽物を仕立て、何か悪だくみをしようとしていると思ってるみたいだな。ということは、少なくともこの門番は王女が死んだと信じているということか。コメルは慌てて両手を挙げ、敵意のないことを示しながら言った。
「お、お待ちください! 私たちは――」
「何事だ! 騒々しい!」
沸騰寸前だった場の空気に冷水を掛けるような、渋めの低音ボイスが響く。門番が振り返って弓を置き、地面に片膝をついた。門の脇にある通用口から壮年のエルフが姿を現す。エルフにしては筋肉質な体つきをして、鋭い面差しに隙のない歩き方は歴戦の勇士といった風格を感じさせた。門番は唇を震わせ、地面をにらんだまま壮年のエルフに告げる。
「この、ケテルの使者を名乗る一行が、ミラ様をお連れしたと――」
壮年のエルフは目を見開き、息を飲む。しかしそこは年の功か、取り乱したりはしなかった。コメルに目を向け、何かを推し量るように、あるいは何かを押し殺すように、静かな声音で問う。
「その、ミラ様はいずこに?」
「隊長!?」
門番は信じられぬというように顔を上げた。それを手で制し、隊長と呼ばれた壮年のエルフはコメルを凝視している。コメルはトラックに目配せをした。トラックは助手席の扉を開け、念動力でミラを降ろした。警戒しているのだろう、隊長や門番からは手の届かない位置にミラを置いている。ミラの姿を見た隊長と門番は、一瞬驚いたような表情を作る。
「似て、いる……しかし――」
隊長はしばらく呆然とミラを見つめると、キッと怒りの視線をコメルに向けた。
「ミラ様を騙るならもう少し調べておくべきだったな! ミラ様はそのような白い髪ではなく、そのような赤い瞳でもないわ!」
抑えていた怒りを一気に吐き出すように、隊長は猛禽の如き目でコメルをにらみ、叫んだ。
「もし、万が一にと期待した私が愚かだった! 今すぐ我らの前から消えるがいい! さもなくばこの細剣でその心臓を貫いてくれるぞ!!」
隊長が腰の細剣を抜き、コメルに突き付けた。門番も立ち上がり、同じく細剣を抜き放つ。おお、状況が何も改善しなかった。むしろ悪化した。コメルが降ろしていた両手を再び挙げ、細かく左右に首を振る。
「お、お待ちください! 私たちは――」
「何事だ! 騒々しい!」
爆発寸前の場の雰囲気が、威厳ある一喝によって急速にしぼむ。隊長と門番が振り返って膝を折った。通用口から姿を現したのは、枯れ葉色のローブを身にまとったひとりの老エルフだった。隊長は驚きを顔に表し、ひどく恐縮した様子で言った。
「も、申し訳ございません! 宰相閣下!!」
宰相と呼ばれた老エルフは仮面のような無表情で隊長を見下ろしている。
「何事だ、と聞いている」
「はっ! この、ケテルの使者を名乗る人間どもが、あろうことかミラ様をお連れしたと我らをたばかり――」
宰相は軽く手を挙げ、隊長の言葉を制した。隊長は怯えるように口を閉ざし、頭を垂れる。宰相はゆっくりと身体をコメルたちに向け、一行を見渡した。むぅ、無言で値踏みされるみたいに見られるこの時間のプレッシャーハンパない。宰相の目がミラに向き、その表情がわずかに動いた、気がする。
「ケテルにはすでにミラ殿下の死を通達している。殿下の死は我らハイエルフにとって、未だ癒えぬ深い傷なのだ。ケテルの使者よ。どうか徒に我らの心を乱すのはやめていただきたい。殿下の死を信じたくない、信じられぬと言う者たちも大勢いるのだ」
コメルは宰相に頭を下げ、謝罪の意を示した。
「お心を煩わせることになってしまったことをお詫びいたします、宰相閣下。しかし我らケテルといたしましては、ミラと名乗る姿形のよく似たハイエルフの少女が現れれば、こちらにお連れしないわけには参りません。どうかご理解を賜りたく」
宰相はコメルの言葉に、やや複雑そうな表情を浮かべた。そしてつぶやくように言う。
「……そうか。あなた方にはそれが殿下と似ているように見えるか」
つぶやきを聞いたコメルが戸惑いの表情で宰相を見上げた。言葉足らずだったことに気付いたのだろう、宰相が補足するように言葉を続けた。
「我らハイエルフは姿形だけではなく、その身に宿る精霊力をも見ているのだ。そこにいるそれは、殿下どころかハイエルフとすら呼べぬ。我らは水と風に親しき者。だがそれはまるであのドワーフめらの如く土の精霊力を多く宿している。あなた方には理解できぬかもしれぬが、我らには分かるのだ。それは、殿下ではない」
宰相は仮面のような無表情に戻る。そこにははっきりとした拒絶の意思があった。宰相はセシリアと同じように、ずっとミラのことを『それ』と呼んでいる。ゴーレムだということに気付いているのだろう。そして、受け入れの意思がないことをはっきりと示したのだ。
――プァン
口を開きかけたコメルを遮り、トラックが静かなクラクションを鳴らした。抑えているものの、どこか非難めいた響きを帯びている。宰相は表情を変えずに答えた。
「それが何者であるかなど、我らの与り知らぬこと。我らはただ、我らとそれが無関係であると言うことしかできぬ。無関係であるものを受け入れる義務も、責任も我らには無い」
トラックはさらにクラクションを鳴らした。宰相の頬がピクリと動いた。
「それは言いがかりだ、使者殿。ミラ殿下がお亡くなりになったのは、女王陛下を始め重臣一同も各々の目で確認したこと。ミラ様は誰にも攫われてはおらぬし、ましてゴーレムの素体となるはずもない」
プァン、とトラックがクラクションを強める。宰相の顔に怒りが浮かんだ。
「くどい! これ以上妄言を吐き散らすようなら、ケテルとの関係の在り方を再考せざるを得ぬ! 今すぐここから立ち去るがいい! 王族を侮辱した罪を以て縄を打つこともできるのだぞ!!」
一転した激しい口調で、宰相はトラックをにらみつけた。コメルが慌てて間に割って入る。
「お、お待ちください! 私たちは――」
「何事だ! 騒々しい!」
重くピリピリとした雰囲気を打ち破ったのは、落ち着いた女性のアルトだった。宰相が驚きと共に振り返り、畏まって片膝をつく。隊長と門番は地面に平伏した。通用口から姿を現した声の主は、神々しいほどの気品と簡素で美しい深緑のドレスを身にまとった、ひとりのエルフ女性だった。
「申し訳ございませぬ、陛下。なれど、陛下のお心を煩わせるような大事ではございませぬゆえ」
ふん、と小さく鼻を鳴らし、陛下と呼ばれたエルフ女性は、白磁を思わせる硬質の無表情で宰相を見下ろした。
「かような場所で、我が国の宰相が些事に声を荒らげるか。もしそうであれば、我らハイエルフの品格も地に落ちたものよ」
宰相が言葉に詰まり、もう一段頭を下げた。うん、まあそうだよね。宰相の地位にある者が、こんな場所で使者と言い争いをしてたらちょっといただけないよね。っていうかさ……
おまえら偶然通りがかって異変を察知しすぎやろうがぁーーーっ!!
「何事だ! 騒々しい!」っていうセリフを、この短い時間に三回も聞いたからね? そしてこの場所、城の門の前じゃないからね? 街の門の前だからね? トラック達まだハイエルフの都に足を踏み入れてすらいないからね? なんで閣下だの陛下だの呼ばれる身分のひとたちがホイホイ通用口から姿を現しとんじゃぁーーーっ!!
「確か、コメルと言ったな。ケテルの商人がこの『真緑の樹』に何用で参った。申してみよ」
おお、コメルはハイエルフの女王と面識があったのか。さすが議長の懐刀。コメルは女王に礼を述べると、ここに来た経緯を語った。門番や隊長は平伏したまま不満そうに身を震わせている。宰相は表情を消し、女王もまた、まったく表情を動かすことなくコメルの話を聞いていた。そして話を聞き終えてもなお、女王の表情には何の変化もなかった。
「ケテルの皆様方のお気遣いに感謝する。だが、我が娘ミラは死んだ。私自身がこの目で看取ったのだ。ましてそこにいる者は娘とは似ても似つかぬ。ご足労頂いて申し訳ないが、お引き取り頂こう」
事務的な謝辞とあからさまな拒絶。女王の言葉にはわずかな感情も含まれてはいない。もし本当にミラが王女だったとしたら、自分の娘に対してこうまで無関心でいられるだろうか? 実は本当に、ミラは王女ミラではない、まったく別の子なのだろうか?
トラックが宰相の時と同じように、プァンとクラクションを鳴らした。女王は冷淡にトラックを見る。
「ミラは死んだ。それだけが私の知る真実だ。その他のことは私の関知するところではない」
トラックがやや強めのクラクションを鳴らした。女王の表情は、揺らがない。
「是非もなき事。その者と無関係な私に、その者の処遇を口にする権利はあるまい」
――プァン!!
「トラックさん!!」
トラックの強いクラクションとコメルの制止の声が重なる。トラックは女王に何の動揺も与えられなかったようだ。コメルが深く頭を下げる。
「大変失礼を致しました、女王陛下。このお詫びは後日」
「よい。そちらも職務を果たしたまでのこと。この件はなかったものとせよ。よいな?」
女王は鷹揚に頷き、宰相たちにそう命じた。宰相が了承を返し、コメルは再度の謝罪と感謝を述べる。宰相が立ち上がり、女王に城に戻るよう促した。女王は「うむ」とうなずき、しかし戻ろうとはせず、トラック達を――正確にはおそらくミラを、見つめた。
「行きましょう、皆さん」
コメルがトラック達にそう促す。トラックが不満げに小さくクラクションを鳴らした。すると、今までじっと黙って立っていたミラが、女王に向かってぽつりと言った。
「ばいばい」
トラックが念動力でミラを抱き上げ、助手席に乗せる。コメルが女王に別れの挨拶をして、トラック達はその場を後にした。女王は凍り付いたようにその場に佇み、トラック達の背を見送る。その表情は仮面のようにピクリとも動かず、しかしその瞳だけは、深く傷ついたように揺らめいていた。
結局のところハイエルフの都に入ることすらできず、トラック達は再び白米の道を通ってケテルまで帰ることになった。帰りは皆、トラックに乗り込み、どこかぐったりした様子で座っている。助手席にミラ、運転席にセシリアで、コメルと剣士は荷台で定番の体育座りである。
「……ハイエルフは受け入れを拒みました。これからどうするおつもりですか?」
セシリアが固い声でトラックに問う。セシリアのミラに対する態度は、相変わらず頑なだった。普段は誰にでも思いやりをもって接するような子なのに、どうしてそんなにつらく当たるのだろう。今だって、ミラが聞いている状態でする話ではないだろうに。
トラックはプァンとセシリアにクラクションを返した。セシリアが困惑したように眉を寄せる。
「それは……分かりません。生き人形が暴走する原因を特定したという話も、暴走しなかった生き人形の存在も、確認できてはいませんから」
トラックはさらにプァンとクラクションを鳴らした。セシリアは大きく目を見開く。
「探そうって……どうやって? 何か当てはあるのですか?」
トラックは何だかお気楽なクラクションを鳴らした。セシリアは目を伏せ、つぶやくように言った。
「……失敗すれば代償を負うのは無関係なケテルの民。それではあまりに無責任ではありませんか」
セシリアのつぶやきに、トラックは返事をしなかった。話を聞いてか聞かずか、ミラはぼうっとした無表情でお人形のようにおとなしく座っていた。
宰相閣下も女王陛下も、ああ見えて意外と仕事嫌いでねぇ。しょっちゅう執務室を抜け出しては通用口から街の外に逃げ出しちまって、あたしらはよく捜索に駆り出されたモンさ。
(「一兵士の記憶~モウン・バーン氏回顧録~」より抜粋)




