交渉
トラックはウォルラス邸の門の前まで来ると、セシリアと剣士を降ろした。セシリアは軽く息を吐くと、そのまま門をくぐろうと歩き始める。剣士は慌てたようにセシリアの腕を掴み、その歩みを制止した。
「いやいやいや待ちなさいって。お前が行ってどうするつもりだよ」
怪訝そうに不服そうにセシリアは剣士を振り返る。
「夫人にお会いして話を聞かせてもらうつもりですが?」
セシリアは眉をひそめて掴まれた腕を見た。剣士は手を離すと、呆れたように肩をすくめた。
「あなたは獣人売買に手を染めていますか? とでも聞くつもりか。それで『ええ、実は……』なんて答えてくれるはずないだろう」
「だったらどうしろと?」
掴まれていた腕に軽く手を当て、ムッとした表情でセシリアは剣士を睨む。剣士はロクでもないことを考えている顔でニヤっと笑った。
「ここは俺に任せとけよ。悪いようには……」
剣士が言葉を言い終わらないうちに、背後にいたトラックがぶぉん、とエンジンをふかした。剣士がトラックを振り返る。トラックは剣士の様子を気にも留めず、そのまま――
急加速して突っ込ん――あぁっ!
トラックが門に突撃しようと加速したその正面に、剣士がその身を挺して立ちはだかる。トラックは慌ててブレーキをかけ、そして、
「ごふぅっ!」
止まりきれずに剣士をはね飛ばした。まあ、そうなるよね。トラックは急には止まれません。かろうじて間に合った「手加減」の文字が剣士の頭上にふらふらと踊る。門と車体との間に挟まれ、剣士は人間として不自然な体勢のまま身動きが取れなくなっていた。トラックはバックで剣士を解放すると、怒ったようにクラクションを鳴らした。
「お前、ちょっとは人の話を聞けよ! ここは俺に任せろっつってんだろうが!」
クラクションに負けじと剣士はトラックに怒声を返す。思っていたより強く怒られたのか、トラックは弱めのクラクションを返した。剣士は大きく息を吐くと、トラックに諭すように言った。
「力で解決できるのは敵が目の前にいる時だけだ。今の俺たちには敵の姿も、救うべき相手の姿も、何も見えちゃいないだろう? 今、お前が突撃したって、敵は姿を隠しこそすれ、のこのこ出てきちゃくれないだろうさ」
剣士はトラックに近付くと、拳でコツンと車体を叩いた。
「暴れる時間は必ず来る。それまで力は溜めとくこった。肝心な時に、きちんと暴れられるようにな」
剣士の言葉にトラックは沈黙する。なんとなく、しょんぼりしている気がするな。少しは反省したんだろうか? なんでも突撃すればいいってわけじゃないんだと、分かってくれてればいいが。
もう一度トラックをぽんぽんと叩いて、剣士はウォルラス邸を振り返った。そして門扉に手を掛けると、
「さて、それじゃ行きましょうかね」
そう言ってゆっくりと門を押し開けた。ギギギ、と耳障りな音がして、門がどこか苦し気に三人を迎え入れた。
玄関を開けて出てきたのは、昼間にここを訪れた時と同じ使用人だった。使用人は三人の姿を見るなり、あからさまに嫌そうな顔をする。「まだ何か?」という言葉には、「今すぐ帰れ」という言外の意図がありありと感じられた。
「ええ、ご報告と申しますか、ご相談と申しますか。猫のことでね。奥様はいらっしゃいますか?」
もみ手をしそうな勢いの、やけにへりくだった態度で剣士は使用人に言った。本来同じくらいの身長の二人だが、剣士が背を屈めているため、少し使用人を見上げるような姿勢になっている。剣士の言葉に興味を引かれたのだろうか、使用人の眉がピクリと動いた。
「どのような御用件でしょう。私が承らせていただきます」
使用人から『帰れ』オーラが消え、むしろ話を聞かせろと前のめりな態度に変わる。なにこの豹変っぷり。気持ち悪っ。剣士はへりくだった態度のまま、焦らすように言った。
「いえ、ご依頼を頂いたのは奥様ですので、直接奥様にお話しさせていただければ。奥様が猫を飼っていたことを知らなかったあなたと話をしても、ね?」
使用人が一瞬、苛立った表情を浮かべる。しかし次の瞬間には笑みを形作り、なだめるような口調で言った。
「いえいえ、実はあの後、奥様に事情を確認致しまして、猫のことは私も聞き及んでございます。ですので、私が承りますことに何の支障もございません。どうぞ仰ってください」
張り付いた笑顔の中で、使用人の目だけがギラギラと光っている。剣士は「それならば」と言って言葉を続けた。
「ミィちゃんを見つけました。首輪も確認したので間違いありません」
「それは素晴らしい。それで、猫はどこに?」
使用人は大げさな態度で称賛を口にすると、猫をすぐにでも寄越せと催促するように軽く手を前に出した。剣士は使用人の言葉に直接答えず、世間話をするように話しかけた。
「いやぁ、ずいぶんと可愛い猫ですね。奥様がギルドに依頼してまで捜そうとした理由も分かりますよ」
「え、ええ、そうでしょう。で、猫はどこに?」
使用人の笑顔に隠しきれない苛立ちが混じる。どうでもいいから早く猫を寄こせと、使用人の手が落ち着かない様子で動いている。剣士は使用人のそんな様子をまるで気付いていないというように、態度を変えずに話し続けた。
「奥様にね、言われたんですよ。ミィちゃんの可愛さは他の猫とは格が違うから、見たらすぐに分かるってね。実際にミィちゃんを見て納得しました。これは確かに見間違いようがない。『普通の猫』とは、ね」
剣士が言葉を切り、使用人の顔をじっと見つめる。使用人の顔から、完全に笑顔が消えた。
「……猫は、どこに?」
「ここにはいません。でも安心してください。逃げないように、ちゃんと保護していますよ。誰にも見つからないように、ね」
剣士はにやり、と嫌なものを含んだ笑いを浮かべた。使用人は不快感を隠そうともせず、剣士を憎らし気に睨む。
「猫を返しに来てくださったのではないのですか?」
「もちろん、そのつもりですよ。ただ、ねぇ。ギルドで請け負った『猫探し』はEランクだ。依頼を達成したところで、報酬は小遣い程度ですよ。それじゃあちょっと、労力とリスクに見合わない。そう思ったって仕方ありませんよね?」
媚びた様子で上目遣いをしながら、剣士の態度はむしろふてぶてしくて癇に障る。主導権はこちらにあるぞ、ということをあからさまに伝えているのだ。使用人は苛立ちを取り繕うことさえ放棄して、威圧的に剣士を見下ろした。
「何が言いたい?」
「いやね、例えば、例えばの話ですよ? ミィちゃんをもっと高く引き取ってくれる相手がいれば、そちらに、と考えてしまうのが人情じゃありませんか。猫好きはどこにでもいるもんだ。ケテルの衛士にも、ギルドの面子の中にもね」
使用人が忌々し気に小さく舌打ちする。それは、使用人が剣士の言葉を正確に理解したことを意味していた。剣士は脅しているのだ。「猫を衛士のところに持ち込むことも、ギルドに持ち込むこともできるんだぞ」と。使用人の態度に慌てたように、剣士は両手をパタパタと振った。
「もちろん、ご依頼を頂いたからにはそれにできるだけ応えたいってのも人情でして。だから、ご相談なんですよ。報酬にすこーし、色を付けていただければ、それで万事解決、みんな幸せってもんじゃありませんか?」
そうでしょ、念を押すように頷く剣士の芝居がかった仕草が、使用人の苛立ちを刺激する。強く拳を握り、奥歯を噛み締めて、使用人はくぐもった声で言った。
「……いくら欲しい?」
「ギルド報酬の百倍」
「!?」
使用人が大きく目を見張る。予想していたより剣士が提示した金額が高かったのだろう。足元を見られた屈辱に、その身体がわなわなと震えていた。剣士は屈めていた背を伸ばし、大げさな身振りで楽しげに言った。
「安いもんでしょう? それでミィちゃんが帰ってくるなら、ね」
使用人の目を殺意の光がかすめる。拳は軽く開かれ、怒りに強張っていた身体から無駄な力が抜けた。顔から感情が消え、ただただ冷酷な瞳が剣士を見つめる。
「……欲をかけば後悔することになるぞ」
「そりゃ、お互い様だ。欲深い者同士、仲良くやっていきましょうよ」
使用人の殺意をおどけた剣士の瞳が平然と受け止める。使用人はしばらく剣士を見据えていたが、やがて軽く息を吐くと、呆れたように表情を崩した。
「……いいだろう。金は用意する。ただし、猫と引き換えだ」
「もちろん」
「宿の場所と部屋を教えろ。今夜、宿に使いを遣る。猫を連れて指定の場所まで来い。そこで猫を確認したら、金はくれてやる」
「いやぁ、いい商売ができましたね、お互いに」
剣士が宿の情報を伝え、にこやかな表情で使用人に左手を差し出す。使用人は剣士を睨みつけると、用は終わったとばかりに玄関の扉を閉めた。バタン、という思いのほか大きな音が周囲に響き、なんとなく少し屋敷も揺れたような気がする。よっぽど腹立ててるな、こりゃ。剣士は「あらら」と肩をすくめ、セシリアたちを振り返る。そして、うまくいったとばかりに満面の笑みを浮かべて、ウォルラス邸の門の外へと歩き始めた。
そしてウォルラス家から大金をせしめた三人は、実家に帰っていつまでも幸せに暮らしたということです。