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真緑の樹

「この子がミラ王女で、ゴーレム、か」


 ミラを誘拐(ほご)した翌日の朝、コメルを伴って冒険者ギルドを訪れた議長ルゼは、何とも困ったような表情で腕を組んだ。その右の頬には真新しいあざがあり、鼻からはダラダラと血を流している。おそらくイーリィに飛びつこうとしてカウンターを喰らったのだ。懲りないオヤジである。もう慣れたものなのだろう、コメルは冷静な態度で後ろに控えていた。冒険者ギルドのロビーで議長を出迎えたのはマスターとトラック、剣士、セシリア、イヌカ、イーリィという面々。そして議長の前には相変わらずぼーっとしているミラが議長の顔を見上げている。

 鼻血を流しながら議長の顔で冷徹な計算を張り巡らせているルゼを、ギルドの面々はやや緊張気味に見守っている。ルゼはおそらく、この偶然手に入れたミラというカードをどう使うのが一番ケテルの利益になるのか、ということを考えているに違いない。生き人形、という存在の説明をセシリアから受け、アゴに手を当てて思案げな顔を作ると、ルゼは思いのほか軽い調子で言った。


「親元に返すしかないだろう。この子の親権は我々には無い。知らなかったならともかく知ってしまった以上は、このままケテルに留め置いては我々が誘拐犯ということになりかねない」


 ルゼの言葉をギルドの面々は複雑な顔で受け取った。その言葉に建前のような理由しかなかったからだ。それはルゼが、ミラをケテルに置くメリットがないと判断したことを意味していた。親権者に子供を返す、それは極めて当たり前の行為だが、今のこの状況でその当たり前の行為をする、ということの意味を、ルゼは意図的に無視している。生き人形が暴走する可能性も、トランジ商会がミラを奪還に来るかもしれないことも、ルゼはハイエルフに丸投げするつもりなのだ。

 トラックがプァンとクラクションを鳴らす。その音には若干の怒りが含まれているようだ。しかしルゼはまったく平静な様子でトラックに答えた。


「確かに、ハイエルフたちが彼女をどう扱うかについては不透明だ。私の把握している限り、ハイエルフの都である『真緑の樹』ではミラ王女に関する話題はほとんど禁忌扱いされている。それが単に王女の死を悲しむが故でないとしたら、ハイエルフたちが彼女を害する可能性も充分にあるだろう。だが、それはケテルの関知するところではない」


 ルゼの冷たい物言いに、イーリィが不快そうに顔をゆがめた。トラックが先ほどよりやや強い調子でクラクションを鳴らす。しかしルゼはピクリとも表情を動かさなかった。


「それはお前の感傷だろう、トラック。ケテルとしては、死んだとされているハイエルフの王女を秘密裏に匿ったとなれば不要に政治的意図を勘繰られかねん。エルフはケテルの極めて重要なパートナーだ。彼らに疑心を抱かれる事態は避けねばならない。事実を事実として伝えることは信頼関係の基本だ」


 その上で、と前置きし、ルゼはトラックを挑発するように見据えた。


「気になるならお前がどうにかすることだ。ケテルは王女の生存の通知をハイエルフに送る、それ以上のことは関知しない。謀殺される王女を救うというのもお前の勝手だ、トラック」

「それは、ハイエルフと事を構えてもいいということですか?」


 マスターがそう割って入った。ルゼはマスターに顔を向け、無感情に言い放つ。


「冒険者ギルドが独断で何をしようが、ケテルの与り知らぬこと。だがハイエルフから要請があれば、ケテルは冒険者ギルドの敵になると理解しておくことだ」


 自由にやりたいなら責任も負え、こちらは邪魔も助力もしない。ルゼのはっきりとした態度に小さく息を吐き、マスターは「承知した」と答えを返した。イーリィのルゼを見る目が汚泥を見たときのそれに変わる。ああ、娘の信頼を損なうときって、こういう感じなんだな。我が身を振り返って気を付けよう。俺は娘に嫌われたくない。


「コメルを使者として、王女をハイエルフの都に連れていく。同行したい者がいれば護衛の名目で許可しよう。すぐに支度をしなさい。ただし、覚悟を持って。迷いがあるなら――」


 ルゼは厳しい視線で皆を見渡し、脅すように少し声を低くして言った。


「――余計なマネはしないことだ」





 ケテルの北部街区には、外へとつながる小さな門がある。それは正門である南門とは違い、ごく限られた者しか通行を許可されない特別な門で、北部街区の人間以外はその存在さえ知らないらしい。その北門をくぐると、冬でも緑を失わない木々が目の前に広がる。二月のケテルはうっすらと雪に覆われ、トラック達の目の前には今、鮮やかな緑と冷たい白が同居する不思議な景色がある。


「ハイエルフの住む『真緑の樹』は、通常の方法では行くことのできない場所にあります。『妖精の道』と呼ばれる、本来は妖精族のみが使用できる道を通らなければ辿り着くことはできないのです。しかし我々ケテルの商人は、ハイエルフとの交易を通じてその信頼を得ることに成功し、『真緑の樹』に続く『妖精の道』を行き来する許可を得たのです」


 コメルが若干得意げに解説を繰り広げる。コメルの胸には繊細な意匠を施された木製のメダルがぶらさがっていた。コメルはそのメダルを森に向かって掲げ、不思議な響きの言葉――おそらくはエルフ語だろう――をつぶやいた。コメルの目の前にあった二本の木、よく見ると高さも太さも枝ぶりも瓜二つの木が白く光を放ち始める。そして双子の木に挟まれた空間の景色がぐにゃりとゆがんだ。


「この道はケテルとハイエルフの信頼の証であり、極めて重要な交易路でもあります。私たちはこの道を、白米の道(ライス・ライン)と呼んでいます」


 ……ああ、そうか。ハイエルフも白米好きだったか。この世界のエルフたちはひとり残らず米ラブなのか。エルフってさぁ、なんかこう、そうじゃないんじゃないかなぁ? 農耕で得た収穫はさぁ、エルフのイメージにそぐわなくない? いいの、それで? エルフとしてどうなの?


「行きましょう」


 コメルがトラック達に声を掛け、『妖精の道』に踏み込む。プァンとクラクションを返して、トラック達が後に続いた。




 結局コメルとミラに同行するのは、トラックと剣士、セシリアの三人だけになった。イヌカはかなり迷ったようだったが、ルーグを残してこちらに同行することはできないと判断したようだ。ルーグを連れていく、という選択肢はイヌカの中になかったらしい。トラックと一緒にルーグを行動させることはまだ早いと思っているのかもしれないが、それ以上に、ハイエルフがミラに対してどういう行動に出るかが不透明だというのがネックになったのだと思う。最悪、戦いになるかもしれないのだ。ルーグを守りつつ、というのは無理だということだろう。マスターはギルドマスターという立場から、ハイエルフとマスターが実際に剣を交えればケテルの冒険者ギルドとエルフとの全面対決となりかねないため同行できず、イーリィも議長の娘という立場のためアウト。結局残ったのはトラック、剣士、セシリアという代り映えのしないメンバーだった。




 『妖精の道』は以前、ゴブリン村との行き来の時にも使ったのだが、この『白米の道』はその時とはまた様子が違っていた。全般的に白い光に覆われ、周囲は奇妙なほどに等間隔に並んだ同じ形状の木ばかり。入り口になっていた双子の木をコピーして並べたみたいな、ひどく人工的な景色だった。進んでもその景色は変わらず、進んでいるのか戻っているのか足踏みをしているだけなのか、だんだん分からなくなってくる。


「気を付けて、気持ちをしっかり持って進んでください。『真緑の樹』は現世と妖精界の狭間にある場所。物質の在り方が精神に影響される異界です。ぼんやりしていると自分自身の存在が大気に散らばり、消えてしまいますよ」


 お、おう。なんかよく分からんが超コワい。存在が大気に散らばるって何? とりあえずぼんやりしないようにほっぺたでもつねっとくか。……痛い。

 トラックがプァンとクラクションを鳴らす。セシリアは「大丈夫です」と平気な顔で答え、剣士は「とっとと抜けたいぜ、こんな場所」と愚痴を吐いた。ミラはトラックの助手席で相変わらずぼんやりしているが、特に散らばったり消えたりはしていない。その辺はもともとハイエルフだから問題ないのだろうか? それともゴーレムだから?

 頼りない感覚の中を歩くこと、およそ三十分くらいだろうか。視界に入る景色が不意に変わった。遠く朧げに、ちょっとしたビルほどの大きさのある大樹の姿が浮かび上がる。歩みを進めるにつれその輪郭は徐々にはっきりとし始め、充分な距離までに近付いたとき、セシリアと剣士が感嘆のため息を吐いた。大樹と見えていたそれは、城だったのだ。


「そこが出口です」


 コメルが道の脇にぽっかりと現れた穴のようなものを指さした。それは木の洞に似た感じで、それそのものが光を放っている。


「通り過ぎてしまうと永遠に『妖精の道』をさまようことになるので気を付けてくださいね」


 さらりと恐ろしいことを言って、コメルは道の脇にぽっかりと空いた光の洞に身を躍らせた。セシリアと剣士は顔を見合わせると、急いでコメルの後を追う。そしてトラックもまた、慌てたようにその洞に突撃していった。




 『妖精の道』を出ると、そこに広がる景色は、整然とした森、だった。整然とした森というのも変な表現だが、里山のように明らかにひとの手が入った、天然林ではありえない整った森がそこにあった。しかしそこが里山でないことは一目でわかった。なぜなら、そこにある木はすべて、生きている木でありながら、家であり門であり防壁であり、そして城であったからだ。ハイエルフの都『真緑の樹』は、木を木のままで利用する、森と都市が融合したような場所だった。


「止まれ!」


 門の木の前にいた若い、と言ってもエルフなので見た目よりもずいぶん年は上なのだろうが、門番の責務としてだろう、鋭い声を発して弓を構えた。両手を挙げて敵意のないことを示し、コメルがゆっくりと前に出る。


「バーラハ商会のコメルです。ケテル評議会の使者として参りました」


 門番が怪訝そうに眉を寄せる。弓はコメルに狙いを付けたままだ。


「使者が来るなどとは聞いておらぬ! いかなる用向きか、お答えいただこう!」


 コメルはいささか緊張したように小さく息を吐くと、よく聞こえるようにはっきりと告げた。


「ミラ殿下をお連れしました。女王陛下にお取次ぎいただきたく」

「なっ――」


 門番の目が驚きに大きく見開かれる。そして、


「なんだとっ!?」


 強い怒りと憤りを宿して、門番がコメルに向けた弓をギリリと引き絞った。

「……ワシは、もう何十年前になりますか、『妖精の道』の出口を行き過ぎてしもうて、それ以来ずっとここで暮らしておりますじゃ。最初は戸惑いましたが、まあ住めば都ちゅうもんで、今日まで何とか生きておりますわい」(報道ドキュメント「こんなところにケテル人」マイーゴ・ナガーネン氏インタビューより抜粋)

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― 新着の感想 ―
[一言] ルゼの気持ちもわからんでもないですけどね( ˘ω˘ ) 組織を運営する上では、綺麗事だけではやっていけないのが実情でしょうし。 そして、マイーゴ・ナガーネン氏は、長年迷子になるのが宿命づけら…
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