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魔導人形

 二月の夕暮れの冒険者ギルドの、ギルドマスターの執務室は奇妙な緊張感に包まれていた。部屋の中には関係者が集まり、一人の少女を注視している。見られている当の本人――ミラと名乗ったハイエルフの王女は、目を開いていても何も見ていないように、人形と見まがうほどの無表情で椅子に座っていた。ミラの正面にはマスターが難しい顔で腕を組んで座っており、その隣にイーリィが立っている。ミラの横にはシェスカさんが座り、ミラの手を握っていた。剣士とイヌカはミラの後ろに立ち、やはり渋い顔をしている。そのさらに後ろにはトラックがぼへっと停車していた。


「……どうしたもんかねぇ」


 どこか途方に暮れた様子で、マスターは小さくため息を吐いた。




 冬の始め、トラックがルーグ、イヌカと一緒にエルフの村に米を届けに行ったときのことを覚えているだろうか。セシリアがトラックに同行すると言った際、マスターはそれを許可せずにこう言った。


「BランクにはBランクの、DランクにはDランクの役割がある」


 そしてトラック達は剣士やセシリアと別行動をとることになったのだが、そのマスターの言っていた「Bランクの役割」というのが、行方不明者の捜索だった。依頼主はケテルの評議会。そして捜索の対象となったのがハイエルフの女王の娘、王女ミラだったのだそうだ。

 エルフはケテルにとって極めて重要な交易相手であり、その王女の捜索となれば失敗は許されない。逆に見つけることができればエルフに対して大きな貸しを作ることができるとあって、評議会は高額な報奨金を用意して冒険者ギルドに捜索依頼を出した。多分に政治的な思惑を伴うこの依頼に、冒険者ギルドもA、Bランクの中から信頼に足るギルドメンバーを選抜して対応した、のだが……


「……依頼が取り消された後に、見つかっちまうとはなぁ」


 マスターが渋面でぼやく。ギルドが捜索を開始してわずか三日後、ハイエルフの使者がケテルを訪れ、依頼の取り消しを告げたのだ。理由を問う評議会議長ルゼに、使者は短くこう言ったという。


「殿下は、お亡くなりになられた」


 悲しむ素振りもなく冷淡にそう言う使者の態度は、議員たちに強い違和感を与えたようだ。しかし依頼の取り消しを拒む理由もケテルには無く、結局王女ミラの捜索は打ち切られた。その後評議会は葬儀の日程を問い合わせたり弔問を打診したりしたそうだが、ただひとこと「内々のことにてご遠慮いただきたい」との通告のみが返ってきたらしい。

 エルフは決して身内の死に対して無感情な種族ではない。悲しみという感情を持たないわけでもない。人間ほど激しい感情を表に出さないが、悲しむし、苦しむし、心を痛める。しかし王女が死んだと言う使者からはそれらの感情がうかがえなかったのだと、議員たちは言っていたようだ。むしろ穢れたものを忌むような印象を受けたという。そしてその態度は、ケテルのそれ以上の追及を許さないものだった。おそらく何らかの事情があるのだろうと察した評議会は沈黙し、王女ミラの存在はケテルにおいて、半ば意図的に忘れられていった。




「本当に、本人なの? 髪の色も瞳の色も聞いていたのと違うけれど」


 イーリィがミラを見つめ、単純な疑問を口にした。王女ミラは金髪碧眼だと、捜索依頼にはそうあったらしい。しかしここにいるミラは銀髪赤眼。そして色素を失ったみたいな白い肌がどこか生命を感じさせず、彼女をよくできたお人形のように見せていた。マスターは首を横に振る。


「エルフに限らずだが、大抵の王族には名前に関する特権があってな。王族と同じ名前を臣下や国民が名乗ることはできねぇはずだ。王女がミラという名前なら、ミラは王女以外にあり得ん」


 もしすでに王族と同じ名前を持つ者がいたら、つまり王族に新たに生まれた子に付けられた名前をすでに持っている誰かがいたら、そのひとは改名しないといけないそうだ。えー、なんか横暴。まあ、逆に王族もあまりポピュラーな名前を付けないよう気を遣ったりもしているそうだが。それに、と言ってマスターは言葉を続ける。


「ハイエルフは長命ゆえに子がほとんど産まれんと聞く。このくらいの年齢のハイエルフの子供は、どこにでもいるもんじゃない」


 ミラはじっとマスターを見つめ返している。ほとんど身じろぎ一つせず、まばたきさえしていないようだ。ミラの見た目はだいたい七、八歳くらいだが、こんなに大人しくて大丈夫? いや、うちの子五歳だからさ、あと二、三年くらいしたらこのくらいになるのかなとか考えちゃうんだけどさ、うちの子、もっと走るよ? 突然。あと叫ぶよ? 謎のタイミングで謎の言葉を。個人差かもしんないけど、おじさん超心配。

 確かに、と納得して、イーリィは悲しそうな苦しそうな顔になった。もしミラが『王女ミラ』であったとしたら、彼女はすでに『死んで』いる。つまり、ハイエルフたちにとってミラは『死んだことにしたい』相手かもしれないということだ。ただの勘違いということであれば生きててめでたしめでたし、なのだが、ハイエルフの王女という立場はその楽観を許さないだろう。何らかの思惑が働いているとしたら、ミラが生きている事実はケテルとエルフの間に厄介な問題――たとえば王位継承に絡むエルフ内のゴタゴタに巻き込まれる、とか――を生じさせかねない。そしてそれ以上に問題なのは、ミラの生存をエルフが知れば、エルフは彼女を『消す』かもしれないということだ。


「お前さんはつくづく、厄介ごとに縁があるらしいな。えぇ? トラックよ」


 やや八つ当たり気味にマスターがトラックに愚痴る。今日のマスターは愚痴が多いな。それだけ考慮しなければならない事柄が多いということなのだろう。評議会と冒険者ギルド、エルフと冒険者ギルド、そしてケテルとエルフの関係に配慮しつつ、誰が味方かを慎重に見極めなければならない。


「グレゴリ」


 シェスカさんがマスターをじっと見つめる。マスターは軽く肩をすくめた。


「そう怖い顔しなさんな。俺だって、子供が泣くなぁごめんだよ」


 シェスカさんは安心したように表情を緩めた。マスターが『ミラを見捨てる』という選択をしない、ということを確信したのだ。そもそも、マスターがブツブツ愚痴っているということ自体が、ミラのことを考えているという証左だろう。もしミラのことがどうなってもいいと思っているなら、ミラが王女だということに気付かないフリをしてさっさとエルフに引き渡してしまえばいいのだから。その後ミラがどうなるかについて耳を塞ぐことができるなら、それが一番手っ取り早い。


「いずれにせよ、ウチで抱え込むにゃデカすぎる話だ。イーリィ、悪いが議長に個人的に話を通してくれ。議長ならハイエルフの内部事情を知ってるかもしれんし、いずれは評議会に諮るとしても、その前に方針は決めておきたい」

「わかりました」


 イーリィが押し殺した無表情でうなずいた。ああ、議長と話すのが心底嫌なんだな。でも仕事だし、ミラのためでもあるしで自分の感情を抑えているんだな。うん、なんか申し訳ない。でもよろしくお願いします。


「王女を連れていたマントの連中のことはどうする?」


 今まで黙っていた剣士が口を開いた。ああ、そうか。奴らがミラを取り戻しに来る可能性もあるのか。ミラがどうしてあいつらに連れられていたのか分からないが、ミラがハイエルフの王女である以上、何らかの意図をもって連れ回していたと考えるべきだろう。そもそもミラが行方不明になった原因が、奴らが誘拐したからかもしれないわけで、彼女をそう簡単にあきらめるとは思えなかった。


「……トランジ商会、だったか。調査部はどうしてる?」


 マスターがイヌカに顔を向けた。イヌカは小さく首を横に振る。


「何も掴めていません。ただ、王女を連れていた奴らは明らかに戦い慣れしていました。事を構えるならそれなりの戦力が必要でしょう」


 ……そうなの? シェスカさんのSランクの肩書にビビッて逃げてたけど。シェスカさんは力を封じているはずだから、実際には今、何の力もない普通のお婆さんである。まあ、力を封じていても修羅場をくぐった経験はなくならないわけで、シェスカさんの持つ迫力というか凄味というか、そういうものに気圧されたのかもしれないが。


「王女は調査部で保護しよう。方針が決まるまでは外部との接触も断つ方がいいな。王女には窮屈な思いをさせるかもしれんが……」


 マスターはそう言うと、再びミラに目を向ける。ミラは相変わらずぼんやりとマスターを見返すばかりで、今までの周りの大人たちの話も聞いていないようだった。マスターが心配そうに眉を寄せる。


「……大丈夫なのか? ほとんど何も周囲に反応してねぇみてぇだが……」


 しかしその問いに答えられる者はここにはいない。シェスカさんが握っている手に少し力を込めた。ミラには、何も変化はない。うーむと小さく唸り、マスターはイヌカに目配せした。イヌカがミラの前に回り、手を差し出す。


「王女。申し訳ないが、オレと来ていただけますか? これからしばらくの間、ケテルの冒険者ギルドがあなたをお守りします」


 ミラが緩慢な動きでイヌカを見上げる。しばらくじっと見つめた後、今度は後ろを振り返った。その視線の先にはトラックが居る。ミラはもう一度イヌカを見ると、シェスカさんの手をほどいて椅子から降り、ぱたぱたと小走りに駆けてトラックの隣に並んだ。助手席のドアに右手を添え、表情のないままイヌカを見る。おお、なんか初めて自分から動いた気がする。突然動いたミラに、皆がぽかんと呆気にとられた表情になった。いち早く状況を把握したのか、イーリィが小さく噴き出した。


「……振られたわね」

「うるせぇ」


 イヌカが渋面で差し出していた手をひらひらさせた。トラックがプァンと穏やかにクラクションを鳴らす。ミラはトラックを見上げ、小さく首を横に振った。マスターが苦笑気味にトラックに告げる。


「ま、確かに、お前さんに預けりゃ滅多なこともねぇだろうな。そもそもお前さんが連れてきたわけだし、何より王女様の御意志だ。お前さんが王女の守り役ってことでいいだろう。なぁ、トラック」


 トラックはもう一度クラクションを鳴らす。ミラは今度は小さくうなずいた。プァン、と決意なのか承諾なのかため息なのか分からないクラクションを鳴らし、トラックは助手席の扉を開けた。ミラは車体をよじ登り、助手席にぽふっと座った。トラック、なんか懐かれとる。いまいち理由が分からんが。

 マスターは大きく息を吸い、切り替えるように大きな声を上げた。


「とりあえず動くぞ! 状況はどう転ぶか分からねぇが、この子を死なせねぇ泣かせねぇってことだけお前ら、肝に銘じとけ!」


 皆が一斉にうなずき、トラックが力強くクラクションを鳴らした。当のミラ本人だけは、自分の運命にさえ関心がないように、虚ろな眼をして座っていた。




「アニキ……」


 執務室から出たトラックを待っていたみたいに、遠慮がちに声を掛けてきたのはルーグだった。うれしそうな、顔を合わせづらいような、声を掛けたことを後悔するような、複雑な色がその顔に浮かぶ。トラックの後から出てきたイヌカは、ルーグにちらりと視線を遣った後、そのまま行ってしまった。たぶん気を遣ったんだろう。

 次の言葉が出てこないルーグに、トラックはプァンとクラクションを鳴らした。ルーグはどこか無理に笑顔を作って答える。


「……うん。元気だよ。イヌカにこきつかわれてる」


 トラックが再びクラクションを鳴らす。ははは、と声を上げ、ルーグが言った。


「今度イヌカに言っといてよ。ルーグにもう少し休みをやれってさ」


 トラックが了承のクラクションを返した。約束だよ、とルーグは笑って、そして、会話が途切れる。ルーグは何か言おうとして、言葉にならずに口を閉ざした。ざわめきに包まれた冒険者ギルドの中で、ここだけに奇妙な沈黙が降る。


「……それじゃ、おれ、行くよ」


 結局それだけを言って、逃げるようにルーグはその場を去って行った。このぎこちない会話が、今のトラックとルーグの距離を示している。トラックはルーグの去った方を向いて、しばらくその場に停車していた。




「ぶもー……」


 ロビーに出てきたトラックを待っていたみたいに、遠慮がちに声を掛けてきたのは畜産十一号改めジュイチだった。うれしそうな、顔を合わせづらいような、声を掛けたことを後悔するような、複雑な色がその顔に浮かぶ。表情豊かだな牛のくせに。トラックの後をついて来ていたイーリィがジュイチに声を掛ける。


「こらジュイチ。何を遊んでいるの? ちゃんとお仕事をなさい」

「ぶもー」


 イーリィの姿を見るなり、ジュイチはうれしそうにイーリィに近付いた。イーリィに額を撫でられ、気持ちよさそうに目をつむる。イーリィはぺちっとジュイチの額を叩くと、


「議長に会いに行くからついて来て」


と言った。ジュイチは「ぶもー」と返事をすると、もうトラックのことなど眼中にないというように、一瞥もくれずに去って行った。結局何のために声を掛けてきたんだ。トラックはジュイチの去った方を向いて、しばらくその場に停車していた。




 そうこうしているうちにすっかり日も傾き、ギルドも店じまいの時間である。冒険者連中はぞろぞろと隣接する酒場へと移動していく。ギルドの業務は基本的に日没までだが、酒場は夜中まで営業しているのだ。もっともトラックは酒場に行っても仕方がないので、ギルドの入り口から外へ出ようとしていた。歩くような速さで進みながら、隣にいる剣士にプァンとクラクションを鳴らす。剣士は少し思案顔になった。


「宿を取るのは構わないが、マントの連中のことはどうする? 襲撃されたら厳しいぞ。セシリアを待って、同じ部屋に泊めたほうが――」

「ただいま帰りました」


 ウィーン、と駆動音が鳴り、自動ドアが左右に開く。ドアの向こうにはセシリアの姿があった。きっと施療院からのバイトの帰りだろう。そのまま宿に帰ってもいいはずだが、わざわざギルドに寄ったのはトラックに用でもあったのだろうか? そういえばジンは大丈夫だったのかな? 熱を出してたけど。


「セシリア。丁度よかった」


 剣士がセシリアに声を掛け、セシリアが剣士とトラックの姿を認めて表情を柔らかくした――と思った次の瞬間、セシリアの表情が強張り、そして一気に険しいものへと変わった。


「トラックさん。それ(・・)を外に出してください。今すぐに!」


 切りつけるような鋭い声と共に、セシリアは杖を構えて戦闘態勢を取る。まだロビーに残っていた他の冒険者たちが、何事かと視線を向けた。剣士が戸惑いに眉をひそめる。


「おい、セシリア。何を言ってる?」


 剣士に同調するようにトラックもプォンとクラクションを鳴らした。セシリアは厳しい視線をトラック、の助手席側に向けている。いつでも魔法を放てる、そんな殺気めいた雰囲気を纏って、セシリアは言った。


「……それ(・・)は、魔導人形(ゴーレム)です」


 セシリアのその言葉は、人影の少なくなったギルドのロビーに、やけに大きく響いた。

ミラはイーグル、ジャガー、ベアの三体のゴーレムから構成される合体スーパーゴーレムです。

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[一言] げったぁぁぁとまほぉぉぅくっ!!!!(迫真)
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