緑の妖精
年が明け、一月ほどの時間が経った。さすがにこの世界に節分の豆まきはないが、邪気を払い幸福を祈るのは人の共通の願いなのだろう、ケテルにもこの時期特有の風習があるようだった。ケテルの人々はこの時期に、常緑樹の枝葉で人形を作り、玄関に飾る。冬でも枯れない常緑樹は生命力の象徴であり、その枝葉で作った人形は家人の代わりに厄を引き受けてくれると信じられているのだ――というのはもはや建前で、ケテルの人々は半ば本来の意味を忘れ、各家庭が工夫を凝らした人形を作り、いかに見る人を楽しませるかを競い合っている。日差しが弱く、ともすれば塞ぎがちになる冬を楽しく乗り越えるために、先人たちが考えたちょっとしたお祭りのようなものなのだろう。
雪がちらつく二月のケテルを、トラックはどこか楽しげに走っていた。
ジンは『留学』という形で院長の家に迎えられ、療養しながら医学を勉強することになったようだ。ドワーフはケテルにとって重要な交易相手のため、ジンの受け入れも個人同士の口約束では済まされず、いろいろ面倒な手続きが必要だったらしいが、そこはコメルが頑張ってくれていた。ジンの滞在に関する費用などは商人ギルドが支援してくれるそうだ。院長個人に負担を強いるよりジンの気持ちが軽くなるだろうという、コメルの配慮なんじゃないかと思う。
ケテルに来て、ジンは以前より顔色が良く、表情も明るくなったようだ。今までジンの治療は、月に一度、院長が村を訪問して診察と薬の処方を行うというやり方で続けられてきた。それは院長が他にも患者を抱えているからだが、そのやり方では『ひと月乗り切ることのできるだけの薬を一度に処方する』ことになり、細かい状態の変化には対応できない。ジンがケテルに来たことにより、院長は毎日ジンを診察し、その日の状態に合わせて薬を調整できるようになった。その成果が徐々に表れ始めているのかもしれない。きっとそのうち、ジンの病気の根本的な解決方法も見つけてくれるだろう。そう願いたい。子供が辛い気持ちでいるの見るの、おじさん辛いのよ。
もっとも、ジンの表情を明るくしている原因は、治療よりも環境かもしれない。なにせ施療院には病人がわんさかいる。ここでは病気であることが当たり前なのだ。病気であることを責められない、病気のことを誰かに話せる、という経験は、ジンにとって衝撃的なことだったようだ。病気でありながら医者を目指すジンは、その美少年的外見も相まって、患者の、特におばさま方のアイドルになっていた。早々に「若先生」という名を与えられ、きゃあきゃあと騒がれるのには辟易している様子ではあったが、誰にも顧みられることなく暗い部屋でベッドに寝ていた時と比べると、はるかにいい顔をしていた。
トラックが車体を止める。ここは西部街区の広場――先生の主催する青空教室の今日の開催場所である。すでに先生と、アネットを始めとした何人かの生徒がいる。その中にはガートンやレアンもいて、和やかに雑談をしていた。トラックに気付いた先生が軽く手を挙げる。
「いつもすみません。助かります」
トラックがウィングを広げる。荷台にあるのは机と椅子と教材が少し。アネットが生徒たちに指示を出し、一糸乱れぬ鮮やかな動きで机と椅子が広場に並べられる。もはやあれか、軍隊並みか。
「今日はひとつ余分に席を用意してね」
『アイ、マム!』
……ごめん、軍隊並みじゃなかった。軍隊だった。アネット私設兵団だった。もはやアネゴではなくジェネラルと呼ぶべきでしょうか?
生徒たちが机を並べている横で、トラックの運転席からセシリアが姿を現した。セシリアは助手席側に回り、座っていた人物が降りるのを手伝う。ややおぼつかない足取りでトラックから降りたのは、ジンだった。ジンは緊張した面持ちで先生に頭を下げる。
「よ、よろしく、お願いします」
「うん。よく来たね。これから一緒に学んでいきましょう」
先生が穏やかに微笑みを返す。先生の声はいつも柔らかくて、生徒たちを安心させる何かを持っている気がする。ジンが少しだけぎこちなく笑った。
「そんなに緊張しなくてもいいよ。君をドワーフだと妙な目で見る者はいない。このクラスには人間だけではなく、犬人もゴブリンもいるからね」
「ゴ、ゴブリン!?」
ジンが思わず生徒たちのほうに目を向けた。ガートンは別の生徒と協力して教壇を運んでいた。ジンはポカンとその光景を見つめる。先生の目が誇らしげに笑った。
「準備できました。始めてください」
机を並べ終え、全員が席に着いて、アネットが先生に声を掛けた。セシリアが杖でトンと地面を叩くと、広場が淡い光を放つ透明なドームに覆われる。おお、なんかちょっとあったかい。ああ、ジンの体調を考慮して、風を遮断したのか。セシリアがジンについてきたのはそのためだったのね。
アネットの言葉に先生はうなずくと、
「うん。それじゃ、始めようか」
そう言って教壇に立った。
「ジン、です。よろしくお願いします」
先生に促され、ジンはやはり緊張した面持ちで言った。そもそもずっと長い間、大半の時間を独りで過ごしてきたジンにとっては、他人との接触自体が未知の領域なのだ。年上の人間と触れ合う機会は施療院で半ば強制的に作られているが、同世代を相手にするのはまた別の緊張があるのだろう。
教室のみんなに注目され、ジンはちょっと居心地が悪そうにしている。それに対して、教室のみんなは新しい仲間、しかもドワーフとあって、興味津々の様子だった。特に女の子たちはちょっとはしゃぎ気味である。なぜならジンが美少年だから。医学を志して独り異郷にやってきた病弱な美少年。設定盛り過ぎだろう。ジンが教壇の前の空いていた席に座り、隣の席のガートンに、おそるおそる「よろしく」と声を掛けた。ガートンは朗らかに「こちらこそ」と返した。お、ガートン、人の言葉を覚えたのか。すげぇ。ちょっと感動。
ちなみにジンの右隣はガートンで、左隣はレアンである。レアンもニシシと笑ってジンにあいさつし、ジンに「お手」と言われてお手をしていた。犬扱いされとる。いいのかレアン。そしてレアンとガートンは、「私もジン君の隣が良かった」という女子たちの怨嗟の視線をビシバシを受けていた。気付いているかどうかは分からないが。
「今日の授業は図工です。ちょうど時期ですから、緑の妖精を作りましょう」
先生がみんなに葉っぱの付いた枝を配る。緑の妖精とは、ケテルで今の時期に玄関に飾られる魔除けの人形のことだ。太い枝や木の幹は使わず、細い枝を束ねたり編んだりして形を作るらしい。彫ったり削ったりしないので手軽で安全に作れるのがいいところで、この時期のケテルでは老若男女問わず人形クラフトを楽しんでいるようだ。
生徒たちは思い思いに枝を切ったり曲げたりしながら、試行錯誤して人形を作っている。レアンは苦戦しているのか、ウーっとうなり声を上げていた。ガートンもあまり器用ではないらしく、難しい顔をして枝を見つめている。ジンはさすがドワーフと言うべきか、迷いのない手つきで作業を進めていく。おお、熟練の雰囲気。ジンの人形作りが終盤に差し掛かったころ、どこかでバキッという音が聞こえ、「ああっ」という悲鳴に似た叫びが上がった。
「あーっもうっ! こういうの苦手なんだよ!」
悲鳴の主――クラスのガキ大将的ポジションの男の子が、いらいらしたようにそう言うと、折れた枝を持ってジンに近付いた。アネットは人形を作る手を止めていないが、その背が放つ雰囲気が変わった。目線は手許に、しかし注意はジンのほうに向いている。ガキ大将がジンに理不尽な態度を取ろうものなら、すぐにでもその喉笛を掻っ切ってやるぞ、という冷たい意志が見て取れる。アネットの後ろの席にいた子が、ぶるっと身を震わせた。しかしガキ大将はアネットが牙を研いでいることに気付いていないようだ。
「お前、ドワーフだろ? これ何とかしてくれよ」
ガキ大将が折れた枝をジンに差し出す。ジンはじっと枝を観察すると、
「いいよ」
と言って枝を受け取った。人形の中心となるはずだった一番大きな枝がほぼ真半分で折れていて、これを修正するのは結構大変なんじゃないだろうか。これをそのまま使うと、妙に背の低い人形になってしまいそう。俺がそんな心配をしている前で、ジンはおもむろに、
――バキッ
「な、おい!?」
枝をさらに折り始めた。一番大きな枝は四分割され、さらに他の小さな枝もパキパキと折っていく。驚き戸惑うガキ大将を無視して、ジンはものすごい集中力で人形を作り上げていた。そして――
「こんなの、どうかな?」
しばらくして出来上がったのは、折られて短くなった枝を細くてしなやかな枝で繋げた人形だった。四分割した枝はそれぞれ頭、腰、両太ももに使用し、上半身と腕はすごく細い枝を編んで形成している。おかげで腕なんかは筋肉の凹凸まで細かく表現されており、指もちゃんと分かれていた。足もひざ下は同様で、造形力がハンパない。そして何よりすごいのは、首、肩、肘、手首、指、腰、腿、膝、足首を動かして自由にポーズを変えられるということだった。つまりこれは――関節可動式人形!
ジンは人形にファイティングポーズを取らせると、ガキ大将に手渡した。
「枝が乾燥するとポーズは変えられなくなるけど、たぶん二、三日は動かせると思う。カッコよくしてやって」
ガキ大将は呆然と手の中にある人形を見つめる。そして視線をジンに向け、搾り出すように言った。
「……神――!」
周囲の子供たちがわっとガキ大将の周りに集まり、人形を見せてとねだる。ガキ大将はおそるおそる、人形の右腕を動かした。おお、というどよめきが教室に沸き起こる。誰かが「いいなー、大将」とつぶやいた。あ、この子大将って呼ばれてんだ。だいたいこの子のイメージって誰でも同じなんだな。
「す、すげぇ! すげぇよあんた! いや、あんたなんて言っちゃ失礼だった。アニキ、今日からアニキと呼ばせてくれ!」
「え、えぇ!?」
キラキラした目で大将はジンの手を取った。ジンは目を白黒させている。アネットの背中から不穏な雰囲気が消えた。それを境に、子供たちが「僕にも作って!」「私にも!」とジンを囲んだ。
「こらっ! 自分で作らないと授業ならないだろう!」
見かねた先生が声を上げる。子供たちはぶーぶー言いながら自分の席に戻っていった。ガートンがそっとジンに近付き、「すごいね」と声を掛ける。ジンは照れたように頭を掻いた。
その後授業は和やかな雰囲気のまま進み、みんなそれぞれに自分で人形を作っていた。大将はジンからもらった人形とは別に、自分でも人形を作るよう先生に言われ、新しい枝をもらっていた。まあ、人にやってもらっただけじゃダメだよね。渋面で枝をいじくりまわしていた大将は、なんとか人形を形にして、そしてジンに近付くと、
「……やるよ。アニキに比べれば全然ヘタクソだけど」
と言ってジンに差し出した。ジンは驚いた顔で大将を見つめると、
「ありがとう」
と言って笑った。とても、嬉しそうに。
実はうすうす気づいてたんだけどさ、大将って、レアンの時もガートンの時もなんだけど、新入りに結構早い段階で声を掛けてるんだよね。それで、合格だとか言って握手を交わしたりしてるんだよね。それってもしかしたら、「俺はこいつを受け入れるぞ」っていう他のクラスメイトに対する宣言なのかもしれない。宣言することで、他のクラスメイトの態度や行動を誘導しているのかも。だとしたら、この子めっちゃいい子だよね。
授業が終わり、生徒たちはそれぞれ仲良しの子と集まって雑談をしている。ジンも何人かの生徒に囲まれ、話をしていた。トラックは教材の後片付けをしている先生にプァンとクラクションを鳴らした。先生がトラックを振り返る。
「私は何もしていませんよ。全部、子供たちのおかげです」
先生は生徒たちに、嬉しそうな頼もしそうな目を向けた。
「この教室は今、世界でも類を見ないほど多様性に富んでいる場所です。でも子供たちは誰かを排除するようなことはしない。みんなの柔軟さには本当に驚かされます。……あれを見てもらえますか?」
先生が目で、ある生徒を示した。そこには三人ほどの男の子が、顔を寄せて何か話している。何か内緒話でもしているのだろうか、と思ったら……
「ごぶごぶ」
「ごぶーごぶっ!」
「ごーぶごぶごぶ」
ゴ、ゴブリン語で話しとる! ガートンじゃなくて普通の生徒が!?
「大人に聞かれたくない内緒話を、最近はゴブリン語で話すようになったのですよ。万が一聞かれてもいいようにとね」
すごいでしょう、と言わんばかりに先生は喜びの色を浮かべた。
「子供たちの成長は本当に目を見張るものがある。でもそれはきっと、子供たちがガートンと真剣に向き合った結果なのだと思います。ガートンを理解するために、一生懸命に彼の言葉を聞こうとした。そうやって言葉を覚えていったんです。私は何よりもそれが誇らしい」
先生はこう言うけど、子供たちが他種族を受け入れたり、理解しようとするのは、きっと先生のそういう態度を見ているからだろう。子供は驚くほど大人の態度をよく見ているものだ。そして大人の振る舞いを自分の振る舞いとして学んでいく。大人が他種族を拒む態度を見せれば、子供もまた他種族を拒むようになるのだ。だからこのクラスの子たちが多様性を当然のように受け入れているなら、それはこのクラスを作った先生の心を反映しているのだ。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。先生は照れたように頭を掻くと、ゴブリン語で話している生徒に向かって大きな声で言った。
「ごぶごぶごーぶっ!」
生徒たちはビクッと背を伸ばし、
「ご、ごめんなさーいっ!」
と言いながら逃げて行った。ふふっと笑い、先生はトラックを再び振り返った。
「たまには大人もやるものだと伝えておかないとね」
先生は笑いを収め、真剣な表情でトラックに言う。
「ジン君の境遇はある程度聞いています。でも、だからこそ、彼にはここで学んでもらいたい。そして知ってもらいたいのです。世界の広さを。自分がいた場所が世界の全てではないことを。価値は一つではない。今、この場所は世界のどこよりも多様な価値観が共存しています。幸せになる方法はあるのだと、そしてその方法を、ここで見つけてもらいたいと思っています」
人間、獣人、ゴブリン、そしてドワーフ。異なる価値観の中で、ジンはきっと知っていくだろう。自分の価値を。自分を認めてくれる相手と出会って、自分自身のかけがえのなさを、知っていくのだ。先生はジンのいる方に目を遣った。そこにはクラスメイトに質問攻めにあい、戸惑いながら答えるジンの姿があった。
そして十年後、ジンはケテルの神造形師として名声を得て、やがて『アクションフィギュアの父』と呼ばれる伝説の職人になるのです。




