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新年

――ダラララララララッ


 軽快なドラムロールが、舞台の緊張と観客の期待をいやがうえにも高める。舞台の上ではふたりの美女――イゾルデとセシリアが向かい合っていた。イゾルデは少し怒ったように顔をしかめ、セシリアは少し困ったようなあいまいな笑みを浮かべている。


――シャーンッ


 ドラムロールが途切れ、シンバルの音が響く。観客たちが身を乗り出し、司会の言葉を待っていた。充分に観客を引きつけ、司会は大声で叫ぶ。


「発表します! 今年のミス美髯公は――」




 魔神リュリオウルからトラックの寿命を取り戻したセシリアは、力尽きたように意識を失い、そのまま丸一日眠った。崩岩病騒ぎでドワーフたちも皆大人しく休んでおり、結局毎年恒例の大晦日大宴会は催されず、ドワーフ村は気が付けば新年を迎えていた。しかし、である。一日休んだドワーフたちは、宴のない正月などドワーフの名折れとばかりに、猛然と新年の宴の準備を始めた。病み上がりとは思えない動きで樽を運ぶドワーフたちのこのタフさよ。あるいは酒に対する執念だろうか。まあ、みんな楽しそうだし、いいことである。ドワーフたちにとって経験したことのない恐ろしい病を克服した、その証として宴を催すという意味もあるのだろう。苦しみの記憶を、新年の訪れと酒の力で、新たな始まりの記憶で上書きして、彼らは未来へと踏み出すのだ。

 イゾルデは休息から寝覚めた後、眠っているセシリアの隣に付き添ってくれた。彼女はセシリアが髪をバッサリ切ったことに驚いた様子だったが、セシリアが目を覚ました後はハサミで器用に髪を整えてくれた。


「あなた、本当は金の髪なのね」

「えっ?」


 時刻は昼前、元旦のシンとした寒さの中で少しボーっとした様子で座っていたセシリアは、イゾルデの言葉に妙に強く反応した。驚きを顔に表した一瞬の後、どこか取り繕うように笑って、セシリアは軽く自らの髪に触れる。すると髪は以前と同じ栗色に染まった。イゾルデが感心したように目を見張る。


「魔法って便利ね。こんなに簡単にきれいに染められるなんて」

「どんな色にもできるのですよ」


 セシリアはそう言って再び髪に触れる。今度は鮮やかな赤い髪になった。また触れると深い緑に、その次は銀の髪にと、触れるごとに色が変わる。魔法だから髪も痛まないし、これ、カラーリング専門の美容師とかで結構いけるんじゃない? 共同経営とか興味ありませんか?


「髪の色を変えすぎて、元の色が何だったのか忘れてしまいました」

「そうなの?」


 櫛を入れながら、イゾルデは驚いたような呆れたような声を上げた。セシリアはもう一度髪に手を遣り、髪の色は以前と同じ栗色に戻った。


「戻してしまうの?」


 イゾルデは少し残念な様子で言った。ドワーフにはヒゲを染める文化があるから、髪の色を変えることは服を着替えるような感覚なのかもしれない。セシリアはあいまいな表情を浮かべ、言い訳のように言った。


「今は、この色が落ち着くのです」


 ふぅん、とだけイゾルデは答えて、必ずしも納得したわけではなさそうだったが、それ以上は追及しなかった。セシリアは目を閉じる。なんだろう、どこか薄く拒絶感というか、閉ざしたような雰囲気をまとっているようだ。疲れている、あるいはまだ回復していないということなのかもしれないが。


「ねぇ、セシリア」


 ドワーフ謹製の、ちょっといい香りのするオイルで髪のケアをしつつ、イゾルデは穏やかに話しかけた。


「毎年大晦日には、新しいミス美髯公を決めるコンテストがあるの。今回はゴタゴタで予定がずれ込んでしまって、今日の夕方からある新年の祝賀の宴に併せて開催されるわ。それに、あなたも出てみない?」

「私が、ですか?」


 突然のイゾルデの提案に、セシリアが困惑気味に声を上げた。


「私にヒゲはありませんが」

「つけヒゲは持っているでしょう?」

「それは、そうですが……」


 戸惑いに少し眉を寄せるセシリアに、イゾルデは後ろから身を乗り出してその顔を覗き込んだ。


「お願い。正直、今年はライバルになるような相手がいないの。このままでは順当に私が勝ってしまう。それじゃ、盛り上がらないでしょう?」


 おお、一歩間違えば嫌われかねないほどのすごい自信。でも彼女からはあんまり嫌味な感じがしないんだよなぁ。持って生まれたものが何かあるということだろうか。

 なおも返答に迷うセシリアに、イゾルデはニッと笑って軽く肩を叩いた。


「そんなに難しく考えないで。あなたが参加したとしても、最終的に勝つのは私だから」


 冗談めかして、でも間違いなくそう確信しているようなイゾルデの瞳に、セシリアは少しムッとした表情を作ると、じっとその瞳を見つめて言った。


「よろしいのですか? ドワーフ以外がミス美髯公になっても」

「もちろん。なれるのならば、ね」


 互いに挑発する視線がぶつかる。しばらく見つめ合っていたふたりは、やがてどちらともなく吹き出し、声を上げて笑った。ひとしきり笑った後、セシリアは柔らかく微笑んでイゾルデに言った。


「わかりました。お役に立てるか分かりませんが、にぎやかしくらいには」

「ありがとう!」


 イゾルデは後ろからセシリアに抱き着いた。いつの間にかセシリアのまとう拒絶感は消えていて、イゾルデはそれを喜ぶように笑った。




「発表します! 今年のミス美髯公は――」


 司会が優勝者をサッと手で示す。どういう仕組みか、スポットライトが優勝者の姿を浮かび上がらせた。司会が今年のミス美髯公の名を叫ぶ。


「イゾルデ!」


 わぁっという歓声が上がり、会場は万雷の拍手に包まれた。イゾルデが観客たちに向かって優雅に一礼する。勝者を讃えるため、セシリアがイゾルデに歩み寄って軽くハグした。


「……勝ちを譲ってもらった気分だわ」


 複雑な表情を浮かべ、周囲に聞こえないように小さくイゾルデはささやいた。セシリアは首を横に振る。


「本当の自分で勝負したくなっただけです。結果は、惨敗でしたけれど」

「セシリア……」


 ちょっぴり悔しそうな顔を作るセシリアに、イゾルデは背に回した腕に力を込めた。


 イゾルデに誘われたセシリアは、ミス美髯公コンテストに出場するや、あれよあれよという間に決勝まで進んでしまった。おそるべしつけヒゲの威力。でもつけヒゲに負けた他のドワーフ女性は複雑なんじゃないだろうか、なんて心配だったんだけど、意外と素直に結果を受け入れているようだ。むしろつけヒゲ姿のセシリアはドワーフ女性から感嘆のため息が漏れるほど美しいらしく、負けて悔いなし、という雰囲気になっていた。

 決勝の相手は当然の如く勝ち上がった昨年のミス美髯公イゾルデ。大本命対大穴という劇的な勝負に、会場は大いに盛り上がった。観客席のあちこちでどちらが勝つかを予想する声が聞こえる。そして最後の自己アピールの時間、セシリアは自らつけヒゲを外したのだった。


 ミス美髯公が決まり、新年の宴は今や最高潮である。ドワーフたちは大いに飲み、歌い、笑っている。皆が無事に新しい年を迎えたことを、その実感を喜んでいるのだ。イゾルデは周囲から祝福の盃を受けまくっており、そのすべてを飲み干しては感嘆と称賛を浴びていた。セシリアも健闘を称えられ、ドワーフたちからは「ぜひもう一度つけヒゲをつけてください」と迫られて断るのに苦労しているようだ。施療院のスタッフたちやコメルを始めとしたバーラハ商会の面々、そして剣士もそれぞれにドワーフたちの歓待を受けていた。

 やがて宴もたけなわ、というところで村長が皆の前に立ち、大声を張り上げた。


「皆、聞いてくれ!」


 めいめいに騒いでいたドワーフたちが飲み食いを止め、村長に注目する。村長は皆が鎮まるのを待ってから口を開いた。


「昨年は最後の最後に、かつて経験したことのない困難にワシらは直面した」


 ドワーフたちが神妙な顔でうなずく。村長は言葉を続けた。


「病、というものにワシらはあまりに無知であった。それは村長としてのワシの不明じゃ。申し訳ない」


 村長は皆に向かって頭を下げた。ドワーフたちは首を横に振り、あるいは頭を上げてと声を上げる。村長はしばらく頭を下げた後、顔を上げてコメルたちを手で示した。


「しかし! 幸運なことに、ワシらには心強い味方がおった! バーラハ商会のコメルさんを始め、そこにおる皆様の尽力により、ワシらは未曽有の危機を、ひとりの犠牲者も出さずに乗り切ることができた! 改めて感謝の意を表したい! 本当にありがとうございました!」


 村長は今度はコメルたちに向かって頭を下げた。ドワーフたちの拍手が会場を包む。若干恐縮したようにコメルは会釈をしてドワーフたちに応えた。


「ワシらドワーフとケテルとの絆は、今後ますます強く、確かなものとなろう! ワシらがこの恩を忘れることはない。ドワーフはケテルと共に未来を歩むことを、ワシはここに宣言するニョロ!!」


 ……ニョロ?


 村長の力強い宣言は、しかしドワーフたちに響かなかった、というか、誰もが語尾に気を取られて内容が吹っ飛んだようだ。会場のあちこちから「ニョロってなんだ?」というひそひそ声が聞こえる。村長は周囲の様子を意に介さず、ヒートアップしたようにしゃべり続けた。


「そもそもだ、酒を運んできてくれる時点でケテルはワシらの生命線と言っても過言ではないにゃん。もうね、ワシらケテルなしでは生きられないデシ。ならばワシらの取るべき道はただ一つしかなクマっクマ。すなわち! 湯けむり温泉カピバラ大作戦っ!!」


 な、なんだこのブレブレのキャラ付け。そもそも村長そんなキャラじゃなかったよね? しかもだんだん言ってる意味が分からなくなっている。なんだ温泉カピバラ大作戦って。

 ……あっ! よく見たら、村長の右手に小さな酒瓶が握られている。それはコメルが初日に村長だけに渡した、火酒『竜殺し』だった。村長は流れるような動きで自然に『竜殺し』を口に含むと、


「……湯けむりて! 温泉カピバラ大作戦て!!」


 自分で言った言葉にウケて爆笑し始めた。まごうことなき酔っぱらいの所業。どうすんだこれ。ドワーフたちは止めるべきかどうか判断しかねているようだ。村長はドワーフたちの様子に気付いたのか、顔を上げてじっとドワーフたちを見渡し、そして言った。


「湯けむり温泉カピバラ大作戦ってなんじゃい!!」


 今度は怒り始めたよ。もう収集つかんわ。新年の宴を村長の言葉で締めようとしてたんだと思うんだけど、もはや会場の空気はグダグダになっている。役場の職員が村長に近付き、両脇を固めて、優しく諭しながら会場から連れ出して行った。


「ワシはまだ酔っとらんにょーーーっ!!」


 村長の絶叫が虚しく会場にこだまする。うーむ、おそるべし火酒『竜殺し』。確かにドワーフを酔い潰すことはできなかったが、代わりにキャラ崩壊を招いたということか。酔い潰されるよりむしろダメージでかくない? 明日から村長、変なあだ名がついたりしない?

 強制退場させられた村長に代わり、イゾルデが皆の前に立つ。どうやら村長のあいさつはなかったことにされるようだ。イゾルデは皆を見渡すと、確信に満ちた声音で言った。


「種族を越え、人間とドワーフの絆はこれからますます強固になっていくことでしょう。私たちは危機を経て真の友人を得た。今年はかつてないほどに素晴らしいものになること、疑いようもありません」


 イゾルデは手の杯を掲げる。


「この新たな年に祝福を!」


 祝福を、と皆が唱和し、カチンと杯を合わせる音が響く。ドワーフたちは一様に、楽しげに笑っていた。ドワーフ村を突如襲った未曽有の事件は、今ようやく、ドワーフたちの中で終わりを迎えることができたのだった。

火酒『竜殺し』は、ドワーフたちの中で唯一、飲んではいけない酒として永く後世に語り継がれることになったのでした。

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[一言] つけヒゲ最強説( ˘ω˘ )
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