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混乱

 役場のロビーに用意したベッドは、続々と押し寄せる患者によってみるみるうちに埋まっていく。ベッドの脇には患者を連れてきた家族や友人が座り、不安を押し殺して患者を励ましていた。手を握り、祈るように。祈るしかないのだ。こんな時には。

 外に出ていた職員が藁や布を集めて戻ってきてはロビーの端に積み上げ、慌ただしくまた出て行った。イゾルデを中心に、ロビーで患者を迎える職員たちが手早くベッドを造るものの、ベッドを増やした分だけ患者も増える有様で、少しも余裕が出てきそうにはなかった。


「このままでは、ロビーに入りきらなくなるぞ」


 村長が患者たちに聞こえないように小さくつぶやいた。


 ちなみにコメルとトラックは院長の指示で、薬の材料を補充するためにケテルに戻っている。手許の薬箱にすべての患者を助けるだけの薬が入っているはずもないのだ。コメルはもともと薬の材料も取り扱う商人なので、詳細な指示がなくても必要な品は理解しているようだった。急いでくれよ。薬が足らなくて助けられないなんて冗談じゃない。


「患者の呼吸の様子を常に確認してくれ! 異常を感じたらすぐに呼ぶように!」


 院長が職員たちに向かって叫ぶ。想定をはるかに超えて患者がどんどん運び込まれている状況に焦りが見え始めている。二人の職員が院長の言葉を受け、手分けをして巡回を始めた。

 崩岩病の初期症状は熱発と手足の脱力だが、病気が進行すると症状が変わる。土の精霊力の低下による火の精霊力の暴走は体内を『焼く』と考えられているが、問題なのはどこが焼かれるか、だ。その影響は手足の末端から始まり、徐々に体の中心――心臓に向かって広がるという。だが、影響が心臓にまで達することはほとんどない。心臓に到達する前、肺に影響が及んだ時点で、患者は呼吸不全により命を落とすのだ。だから崩岩病でもっとも気を付けるべきは呼吸である。肺に影響が出始めると患者の呼吸は徐々に荒くなり、進行と共に浅く早く短くなる。やがて唇の周辺が青く変色し始めると、命の危険が迫っているサインだ。早急に手当てをしなければ死に至る。

 院長は患者を手早く診察し、セシリアに薬の調合を指示する。セシリアは指示通りに調合を行い、できた薬をイゾルデや他の職員たちに渡した。薬を渡されたイゾルデたちは患者を抱え起こし、薬を水で溶いて患者に含ませていく。薬を飲んだ患者は、徐々に容体が落ち着いてきているようだった。よかった。薬はきちんと効いているみたいだ。


「……セシリア。あと何人分残っている?」


 院長が診察をしながら尋ねた。セシリアも調剤の手を止めずに答える。


「十人分、あるかないか」


 院長の顔が強ばる。セシリアの顔が冷たい汗で濡れていた。薬を処方していない患者はまだ三十人以上いて、さらに新しい患者が運び込まれ続けているのだ。わずかな時間の逡巡の後、院長はセシリアに顔を寄せて言った。


「……一人当たりの分量を減らそう。症状の進行を止めるだけのギリギリの量で作ってくれ。トラック君たちが帰ってから改めて正規の分量の薬を処方する」


 セシリアは青い顔でうなずき、再び調剤を始めた。進行を止めるギリギリの量、ということは、それを飲んでも症状は改善しないということでもある。悪くはならないとしても、患者を苦しい状態のままにするという決断は、医療者としてはかなり厳しい選択だろう。つまり、事態はそれほど切迫しているということだ。


「おい! もうベッドを置くスペースがないぞ!」


 剣士の焦りを含んだ叫びがロビーに響く。見ればいつの間にか、ロビーは急造の藁のベッドで埋め尽くされていた。その数はおよそ七十床ほど。そしてすでに六十床ほどが埋まっている。村長が動揺を打ち消すように叫んだ。


「奥の会議室を使ってくれ! 中にあるものは全部外に放り出して構わん!」


 剣士はうなずき、ロビーの端に積まれていた藁と布を抱えられるだけ抱えて奥に走る。近くにいた職員の一人も同じように藁を抱えて走り――途中で崩れ落ちるように倒れた。バン、という重いものが床に叩きつけられる音が鳴り、藁が周囲に散らばる。イゾルデが慌てて倒れた職員に駆け寄った。


「大丈夫!? しっかりして!」

「……すまん、やられた。手足が動かん」


 ドワーフらしからぬ弱々しさで倒れた職員が答える。剣士は音に足を止めて振り返ったが、イゾルデが駆け寄る姿を見て会議室に向かった。ベッドの作成のほうが優先だと判断したのだろう。他の職員のうち一人だけが、二本の木の棒に布を渡しただけの簡易な担架手に倒れた職員の側に行き、他はそれぞれに自分の仕事を継続した。すべきことは多く、人手は限られているのだ。


「ベッドに運ぶわ。足のほうを持って。行くわよ、いち、に、さん!」


 イゾルデの合図で倒れた職員を担架に乗せ、ベッドへと運ぶ。目の前で、今まで元気だったドワーフが急に倒れるという事態の一部始終を見ていた患者やその家族は、表情を固くし身を強張らせた。改めてこの異常事態を認識したのだ。ロビーを覆う空気が一層重く、冷たいものに変わった。村長が院長に近付き、周囲に聞こえないよう小さく声を掛ける。


「……この病は、これほどに前触れもなく急に倒れるようなものなのか? これではまるで呪いじゃ」


 院長は小さく首を横に振った。


「通常は生活習慣の乱れによって徐々に体内の精霊力のバランスが崩れ、強い疲労やストレスをきっかけに発症する。何の不調の自覚もない状態から急に倒れるなど聞いたことがない」


 院長はそう答えた後、「人間の場合は、じゃがな」と付け加えた。ドワーフの場合に人間と同じ経過を辿るとは限らないのだ。もっとも、それを言えば「人間に対する崩岩病と酷似した症状が出ている」というだけで、実はドワーフたちは別の病気になっているという可能性もあるのだが。ドワーフは病気にほとんどかからない種族のため、ドワーフの病気に対する知見というものがない。院長は人間に対する医術をドワーフに対しても行っているに過ぎない。今のところ問題は出ていないが、もし薬の効き方に種族差があるとしたら、ドワーフにだけ強い副反応が出る可能性だってある。今、院長たちが行っている治療は、目隠しで綱渡りをしているような危うさをはらんでいるのだ。


「……少し、気になっていることがあります」


 村長と院長の話にセシリアが割って入った。


「昨日、村に着いたときから、この辺り一帯を薄くヴェールのように覆う魔力を感じます。感受性の強い者なら影響を受けてもおかしくはありません」


 魔力、というのはこの世界の空気に微量に存在していて、通常は雨風によって循環するため一つの場所にたまることはないのだが、天気やら風向きやらの一定の条件が揃うとうまく循環が行われず、一時的に濃度が高くなることがあるそうだ。空気中の魔力の濃度が高くなると、魔力に耐性のないひとが不調を訴えることがあるらしい。セシリアは今回の崩岩病を引き起こしたきっかけが、魔力濃度が高くなっていることにあるのではないかと言っているのだ。セシリアの言葉を受けて、院長は思考を巡らせるように目を瞑った。すると村長が、「それはありえない」と首を横に振った。


「村を覆う魔力は魔王の力の残滓じゃ。三十年前からこの村は、周期的に魔力濃度の増減を繰り返しておる。だが今までこんなことは一度も起こっておらん」


 魔王? 魔王って、確かマスターたちが退治したことになってるヤツだったっけ? マスターがSランクになったきっかけの。そういえば、ドワーフの鉱山の奥から掘り出されたとか言ってたような気がする。ってことは、ここが魔王を掘り出した鉱山のある村だったってこと? へぇ、意外なつながり。でも魔王はジンゴに封じられたはずなのに、魔王がいた痕跡だけで三十年経っても影響が残ってるなんて、魔王ってやっぱそこらの魔物とは全然別なんだな。


 村長の言葉を聞き、セシリアは残念そうに息を吐いた。今、院長やセシリアがしているのは崩岩病の治療だが、それは崩岩病を引き起こす原因を解消することとイコールではない。原因が特定できればこれ以上の患者の増加を防ぐことができるかもしれなかったのだが、村を覆う魔力が無関係ならそれに対処しても意味がない。


「目の前の患者を救うことに集中しよう。手掛かりも無く考えている余裕はない」


 切り替えるように院長が言った。村長とセシリアはその言葉にうなずき、院長は診察、セシリアは調剤、村長は職員たちの指揮に戻った。長く話し込む時間はない。新たな患者が玄関から飛び込んできて、ロビーに用意された最後のベッドが埋まるのが見えた。




「い、いやだっ!」


 ロビーにほとんど悲鳴のような叫び声が響く。ロビーの緊張感が急速に高まり、院長たちや役場の職員のみならず、患者の家族や関係者も一斉に声の主に視線を向けた。叫んだのはまだ若くて体格の良い男性のドワーフだった。症状はまだ比較的軽いのだろう、少しだけなら手足を動かせるようだった。男は取り乱した様子で首を左右に振っている。どうやら薬を飲むのを拒否しているらしい。


「落ち着いて。これを飲めば治りますから」


 職員が必死になだめようとするが、男はまるで話を聞いていない。駄々をこねる子供のように「いやだ」と繰り返し、叫んでいる。


「オレは病気じゃない! オレはそんなに弱くない! ドワーフは病気になんてならない! こんなデタラメな病気なんてあるか! これは呪いだ! 誰かがこの村を呪ってるんだ!」


 男は血走った目で、抵抗するようにバタバタと、動かせる限りに手足を動かしている。男に薬を飲ませようとしていた職員が慌てて距離を取った。暴れられて薬がこぼれでもしたら、ただでさえ残り少ない薬が無駄になる。今のこの状況において、薬の無駄は命に直結しかねない大問題だ。村長が男に近付き声を掛ける。


「落ち着け! これを飲んだ他の者はよくなっておるんじゃ! 思うところはあろうが、今は言うことを聞いてくれ!」


 村長の言う通り、薬を最初に飲ませた患者は熱も下がり、徐々に手足に力が戻りつつあるようだ。まだ起き上がれるほどではないものの、少し休めば動けるようになるだろう。だが男は村長の言葉にも耳を貸そうとしなかった。もはやパニックになっていて、他人の言葉の意味を考えることができなくなっている。今までに見たこともない村の惨状、自分自身がこれからどうなるのかという不安に加えて、病気を恥じる文化に育った彼にとって自分が病気であるということはまったく受け入れがたいことなのだろう。その強いストレスがパニックを引き起こしたのだ。


「病気にならないドワーフが病気になったんなら、その病気がドワーフから生まれるわけがない! 外から来たんだ! これは外から持ち込まれたんだ! こいつらが来たから村がおかしくなったんだ! こいつらのせいだ! こいつらはオレたちを殺すつもりでこの村に病気を持ち込んだんだ!」


 男の叫びがロビー内を渡る。ロビーの空気が、変わった。嘆きや悲しみ、祈り、焦り、そういった雰囲気が消え、怒り、憤りが満ちていく。患者に寄り添っていた家族や関係者が、一斉に院長たちに顔を向けた。その瞳にある強い憎悪は、男の叫びによってすりかえられた自分自身への無力感だ。自分の大切な相手が苦しんでいるのに何もできない、そのやり場のない感情の向かう先を、男の言葉が与えてしまったのだ。充満する不穏な気配に院長とセシリアの顔から血の気が引いた。誰かが動けば一気に崩壊へと向かうであろう危うい沈黙が降り――


「いい加減になさい!」


 その沈黙は凛とした一つの声によって破られた。形の良い眉を吊り上げ、イゾルデは叫ぶ男をにらみつける。


「いつから我らドワーフは愚かな臆病者になった! 戦う勇気を持たず、現実を受け入れず、都合の悪いことを誰かのせいにして責め立てる卑怯者になった! 恐怖に敗北し泣き喚くその姿が、病を得るよりよほど恥ずべきと気付かぬか!」


 イゾルデの怒りに気圧され、男は顔を紅潮させて震えながら口を閉ざした。他のドワーフたちも、冷水を浴びせられたようにイゾルデを見る。イゾルデは周囲を見渡し、皆に向かって語り掛ける。


「ここにいる人間は皆、我らのために懸命に働いているぞ。頼まれたからではない、自らの意志で。ベッドを作り、薬を作り、我らを助けようとしてくれているぞ。その献身に罵声を以て応えるがドワーフの流儀か? 恩に靴跡を刻むがドワーフの礼法か! そうではないでしょう!? 私たちは!!」


 イゾルデの言葉に、ロビー内の憎悪が急速にしぼんでいく。イゾルデは叫んでいた男の前に立つと、近くの職員から薬水の入った水差しを受け取り、穏やかな笑みを浮かべて男に差し出した。


「デュナ師は『全員助ける』とおっしゃった。その言葉を信じるこそ、勇気なのではなくて?」


 男の顔が混乱から戸惑いへと変わる。しばしの逡巡の後、男は意を決したように、イゾルデの差し出した水差しに口を付けた。イゾルデは大きくうなずき、


「それでこそ、我らがドワーフの勇士よ」


 大輪の花のような笑顔を浮かべた。その笑顔は重苦しい空気をふわりと軽くして、周囲のドワーフたちの目を釘付けにしていた。院長とセシリアは、その様子を見てようやく安どの息を吐いた。


 ……


 惚れてまうやろー!!

 明らかに惚れてまうやろー!!


 おそるべしミス美髯公。この危機にあって見事すぎるその輝き。その美しさはきっと彼女の魂の美しさであり、それゆえに皆が彼女の言葉に耳を傾けるのだろう。


「……見事なものじゃ。イゾルデがおれば、きっと、だいじょうぶじゃな」


 村長がぽつりとつぶやく。その身体がぐらりと傾いた。


「……ワシが、おらずとも」


――ドサッ!


 重たいものが床を打ち付ける音がして、皆が一斉に振り向いた先には、苦しげに横たわる村長の姿があった。

イゾルデさんの輝きは止まることを知らず、やがて彼女はトラック無双のヒロインとなるという噂があちこちで囁かれています。

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[一言] イゾルデさんカッケエエエ!!!!! >イゾルデさんの輝きは止まることを知らず、やがて彼女はトラック無双のヒロインとなるという噂があちこちで囁かれています。 マジでそうなってもおかしくないw…
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