崩岩病
「何事じゃ!」
息を切らし、切迫した様子の村人を振り返り、村長は表情を引き締めた。駆けてきた村人の顔は蒼白で、何か良くないことが起こったことをはっきりと示している。セシリアと院長がトラックの窓を開けて様子を窺う。村人は暴れる息を整えられぬまま、村の奥を指さして言った。
「き、急に、倒れた! 何人も、急に!」
「落ち着け! どこで、誰が倒れた!?」
苦しそうに咳き込み、村人は貪るように息を吸った。ようやく落ち着いてきたのか、村人はつばを飲み込むと、動揺のままに叫んだ。
「どこでも、誰でもだ! 村のあちこちでバタバタ倒れてる!」
言葉の意味が分からなかったのか、村長が怪訝そうな表情を浮かべる。すると見送りに来ていた役場の職員のひとりが、まるで操り糸を切られた人形のように、突然その場に倒れた。ドサッという重い音がして、周囲のドワーフたちが驚きと共に倒れたドワーフを見る。理解が追いつかないのだろう、誰も倒れたドワーフを助け起こそうとしない。セシリアと院長がトラックから飛び出し、倒れたドワーフに駆け寄った。
「これは……崩岩病、か……?」
倒れたドワーフの身体に触れ、院長は信じられないという顔でつぶやいた。セシリアが周囲のドワーフたちに向かって叫ぶ。
「施療院に運びます。案内してください」
セシリアの言葉に我に返り、報せを持ってきた村人が答える。
「だ、ダメだ! 施療院はもう倒れた者で一杯になってる!」
村人の言葉に、村長の顔から血の気が引いた。施療院が満床になるほどの患者がいる、その事実に事態の深刻さを悟ったのだろう。院長は冷静にドワーフたちを見渡して言った。
「どこでもいい。倒れた者たちを集められる広い場所はないか? そこに皆を運んでもらいたい」
幾分動揺しつつ、村長は院長の言葉にすぐに答えた。
「役場に運ぼう。皆で手分けして、藁と布を集められるだけ集めてくれ。役場のホールに簡易ベッドを作って、倒れた者をそこに寝かせる。それからまだ倒れていない者に協力を呼び掛けてくれ。倒れた者は役場に運ぶようにともな。急げ!」
村長の指示を受け、ようやく頭が回り始めたのだろう、役場の職員たちは表情を引き締めてうなずき、それぞれに村に散っていった。
「私たちも参りましょう」
セシリアが倒れたドワーフを魔法で宙に浮かべる。トラックが荷台のウィングを開いた。コメルと剣士が、何が起こったのか分からない様子で外を見る。セシリアは倒れたドワーフを荷台に乗せると、自らも荷台に乗った。院長もセシリアに続く。村長もトラックに乗り込み、トラックはウィングを閉じて、役場への道をなるべく荷台を揺らさないよう慎重に進み始めた。
役場にはすでに多くのドワーフが押し寄せ、職員と押し問答をしていた。ピリピリと殺気立った空気が辺りを包む。ついさっき、トラック達がここから村の入り口に向かった時に見たのどかな風景はどこにもなかった。
「いったい何が起こってるんだ!?」
「ウチの子が倒れたんだよ! 施療院も一杯で、もうどうすればいいか……!」
誰もが不安をぶつける場所を探している。おそらく一番それをぶつけやすいのは役場の職員なのだろう。職員たちは必死に村人たちをなだめていた。
「皆、落ち着け!」
トラックから降り、村長は村人たちに向かって呼びかけた。
「役場を開放する! 倒れた者をここに集めてくれ! 元気な者は職員の指示に従って手伝いを頼む! 大丈夫、皆、必ず助ける!」
村長は動揺する様子もなく、落ち着いた声ではっきりと告げた。村長の言葉に少し落ち着いたのか、村人たちは互いに顔を見合わせてうなずくと、職員の言葉に耳を傾け始めた。役割を与えられたことで不安が和らいだのだろう。さすがは村長といったところだろうか。内心はきっと不安だろうが、それをみじんも外に見せない。必ず助ける、なんてまるで根拠もないのに、それでもそう断言するのは、今は断言することが必要だと知っているからなのだ。
トラックがウィングを開き、セシリアと院長が外に出る。剣士は倒れたドワーフを抱えて役場に運んだ。コメルもトラックを降り、セシリアたちと共に役場に入る。そしてロビーに広がる光景に「あっ」と声を上げた。
「セシリア! 戻ってきたの!?」
驚きの声を上げたのはイゾルデだった。宴会の時とは違い、動きやすそうな恰好をして、ヒゲも邪魔にならないようリボンでくくっている。そして役場のロビーは邪魔な机や椅子が片付けられ、藁を敷いて布でくるんだ簡易ベッドが整然と並んでいた。
「これは、イゾルデさんが?」
驚くセシリアに、イゾルデは真剣な表情でうなずく。
「ええ。あちこちでひとが倒れたと聞いて、施療院では対応しきれないと思ったの。だから職員さんにお願いして、役場を使わせてもらったのよ」
おお、ハイスペック美髯公の面目躍如。施療院が一杯になる前に事態を予測して準備していたということか。
「すぐに用意できたベッドはこれだけだけど……足りないかもしれないわね」
イゾルデは険しい顔でロビーを見渡す。ベッドはまだロビーの半分程度の範囲を埋めているに過ぎない。おおよそ三十床ほどだろうか。
「いや、充分じゃ。他の者にも藁と布の調達を頼んでおる。後はそれが届いてからでよい」
村長は頼もしげにイゾルデを見て、少しだけ表情を緩めた。
「さすがじゃなイゾルデ。見事な手並みじゃ。ありがとう」
イゾルデは村長に微笑みを返す。緊張した空気が少しだけ和らいだ。
「まずは診察じゃ。患者を寝かせてくれ」
院長が剣士に指示を出し、剣士は手近な簡易ベッドに背負っていたドワーフを横たえた。ドワーフには意識があり、問いかけにも応じることができる。しかし顔は赤く発熱しているようで、じっとりと汗をかき、そしてその手足はだらりとしてまるで力が入っていないようだった。セシリアがドワーフの背に手を差し込んで起こし、院長が手早く服をはだけさせて触診を行った。
「デュナ師。患者、というのは……?」
村長がおそるおそる院長に声を掛ける。院長はその声を無視して、ドワーフに「腕は上がるか? 足は? 少しでも動かせるか?」などと聞きながら、手足の筋肉の状態を確認しているようだった。一通りの診察が終わり、院長は厳しい表情を村長に向けると、厳かに告げた。
「これは、崩岩病という、土の精霊力を大きく失ったことが原因で起こる病じゃ」
万物はすべからくその身に精霊力を宿し、宿す精霊力の種類と量で身体的、精神的な特徴が決まる。通常は食事や運動などによって個々の精霊力のバランスは極端に偏らないように自然に調整されているが、何らかの理由によって精霊力のバランスが崩れると、身体に様々な影響が出る。崩岩病は土の精霊力が極端に少なくなった場合に起こる病気で、その初期に特徴的に発熱と手足の脱力の症状が出るのだそうだ。土の精霊力は体内では、火の精霊力の影響を抑制する働きをする。土の精霊力が極端に減ると、抑えを失った火の精霊力が体内を『焼く』と、そう考えられているらしい。
病、という言葉を聞いて、ドワーフたちの顔が一斉に青ざめる。村長はたまりかねたように叫んだ。
「な、何かの間違いではないのか!? ドワーフは火と土の精霊に祝福された種族じゃ! ドワーフは、病になどならん!」
かすれた村長の否定の声に、しかし院長は冷静に首を横に振った。
「もはやそのようなことを言っている段階ではない。すべての所見が、これが崩岩病だと告げておる。だが安心してほしい。崩岩病は治る病じゃ。薬を飲んで安静にすれば必ず治る。医者として、それは保証しよう」
村長の目が迷いに揺れる。ドワーフにとって病は恥。ドワーフが病になどなってはならない。そういう価値の中に身を置いて生きてきた村長にとって、村人がバタバタと病で倒れているこの状況は受け入れがたいのだろう。そしてそれは村長だけではない。役場の職員たちも、患者本人でさえ、信じたくないという顔で震えている。
「セシリア。薬を」
院長がセシリアに声を掛け、セシリアは患者を横たえると、道具袋から薬箱を取り出した。薬箱を院長に渡そうとしたセシリアの腕を、駆け寄った村長の手が掴む。その顔は強張り、自分でもどうしていいのか、どうすべきか分からないようだ。
「治療せねば、命を失うことになるぞ」
院長が厳しく村長を見据えた。びくりと身体を震わせ、村長が手を離す。院長がセシリアから薬箱を受け取り、調薬を始めた。重苦しい沈黙が周囲を包んだ。薬箱の引き出しを開け閉めするカタカタとした音が妙に響く。
ドワーフたちが動揺に動けなくなる中、いち早く我を取り戻したのはイゾルデだった。イゾルデは気持ちを切り替えるように大きく息を吐くと、真剣な瞳で言った。
「これからここに倒れたひとがどんどん運ばれてくる。私にできることを教えて」
イゾルデの顔には決意と勇気があり、不安や臆病さはない。少なくとも彼女はそれを表情に出していなかった。自分のできることをする、その言葉はその場にいた全員を奮い立たせたようだった。役場の職員たちの表情が、予期せぬ事態への動揺から、この経験のない状況をどう克服するかという能動的なものへと変わった。村長はなお、複雑な思いをその顔に表していたが、ぐっとそれを飲み込むようにうつむき、顔を上げたときには気持ちを切り替えていたようだった。まずは村人たちの命を守る、それ以外のことは脇に置こうと割り切ったのだろう。
「冷たい水と清潔な布を用意してください。まずは冷やして火の力を抑えねばならん。それから、患者は常に不安を抱えておる。その不安を和らげてあげてほしい。それは我々人間ではできぬことじゃ。患者と同じ、ドワーフでなければ」
「具体的には?」
イゾルデの問いに、院長はニッと笑って答えた。
「笑顔じゃよ。あんたさんならできるじゃろ?」
イゾルデは一瞬、虚を突かれたように目を丸くし、そして挑むような笑みを浮かべた。
「もちろん」
院長が信頼を込めてうなずく。すると役場の入り口にいた職員が、院長たちに向かって声を張り上げた。
「倒れたひとたちが到着したみたいです!」
院長は表情を引き締め、皆を見回して言った。
「全員助ける! 協力してくれ!」
皆が「はい!」と返事をすると同時に役場の入り口の扉が開き、患者を背に抱えたドワーフたちが駆けるようにして続々と押し寄せてくるのが見えた。
建物の中に入れないとトラックは話に絡めないという衝撃の事実。




