酒宴
離れから母屋に戻り、院長とセシリアは剣士たちが招かれた広間に向かった。広間では村長と、そして十人を越えるドワーフの男女が浴びるように酒を飲んでいた。たぶん役場の職員だと思うが、すでに相当出来上がっている。本来はコメルたちを労うための宴のはずだが、ゲストそっちのけで手酌である。膳に盛られた料理は酒に合うように味の強そうなものばかり。分厚い牛肉をこんがり焼いて岩塩で食べたり、表面を油でパリパリに揚げた鶏肉を塩コショウで食べたり、豚肉の塊を玉ねぎ、ネギ、にんにく、香草と一緒に蓮の葉に包み、さらに卵白を混ぜた塩で固めて焼いたりと、見事なまでの茶色い食卓である。ドワーフの食に野菜は不要! とばかりの潔さが気持ちいい。香ばしい匂いに包まれ、コメルと剣士もうまそうに肉を食い、酒を飲んでいた。口の周りが肉の油でテカテカと光っている。
「おお、お客人。どこへ行っていなさった。宴はもう始まっておりますぞ」
ほろ酔い加減の上機嫌で、広間に入ってきた院長とセシリアに気付いた一人のドワーフが声を掛けてきた。院長は軽く手を挙げて応える。
「ああ、申し訳ない。ちょっと厠に」
ほろ酔いドワーフはああ、と納得したようにうなずくと、
「出すものを出さねば、入るものも入りませんからなぁ。おっと、そう思ったらワシも……ちょっと失礼しますぞ」
そう言ってジョッキを持ったまま部屋を出て行った。院長は苦笑いを浮かべ、歩いて村長に近付く。院長に気付いた村長は小走りに駆けよって小さく頭を下げた。院長はにこやかな表情で村長の耳元に顔を寄せると、声を落として言った。
「……ジンにもう少し構ってやってくれませんか。病は恥でも罪でもありませんぞ」
村長も穏やかに微笑みながら言葉を返す。
「……それは人の物差しじゃ。ドワーフにとって頑健さこそが価値よ。柔らかい鉄は役に立たぬ」
離れたところから見れば、きっと村長と院長は談笑していると思うだろう。表情を会話の内容が裏切る。それだけ村長はジンのことを苦々しく思っているのだ。
「……よりによって長の家系に、なぜあのような子が生まれたのか……!」
村長はかすれた声で呻くようにつぶやいた。ジンは本来ならやがて村長を継ぐ立場にある。しかし、ひ弱でヒゲもないジンがドワーフたちをまとめ上げるのは難しいだろう。村長はこの村の未来を憂いている。ジンの未来よりも、村の未来を。
院長はあきらめたように息を吐いた。村長は会釈をして、話は終わりとばかりに席に戻っていった。セシリアは失望の目で村長を見つめていた。
院長とセシリアはコメルと剣士の隣に用意された席に座った。コメルが一言、「お疲れさまでした」と声を掛ける。剣士は気遣わしげな視線をセシリアに向けたが、何も言うことはなかった。二人も事情を知っているに違いない。
ドワーフたちは豪快に食い、豪快に飲み、楽しそうに笑っている。おそらくは村長以外の誰もジンの病気のことを、もしかしたら存在さえ、意識してはないのだろう。ドワーフは頑丈で、病気をすることもほとんどない種族だ。だからこそ、病気の辛さや心細さを思いやることが難しい。それは冷酷なわけでも鈍感なわけでもなくて、単に自分が経験していないものを理解することができないというだけだ。自分の想像力が及ばない相手にいくらでも残酷になれるのは、人もドワーフも変わらない。
セシリアは自分の膳をすこしぼんやりと見つめている。あまり食が進んではいないようで、肉々しい料理には手を付けず、申し訳程度に添えられたマッシュポテトをもそもそと食べていた。院長は他のドワーフたちとも談笑しながら、結構がっつり食べている。内心を表に出さないのは人生経験の差というところだろう。宴席でゲストが沈んだ顔をしていれば余計な詮索を招きかねないのだ。
「待たせたわね!」
妙に芝居がかった声が、突然広間に響いた。そのよく通る声は広間にいる全員の視線を自然と声の主に引き付ける。ドワーフの男衆から「おおっ」というどよめきがあがった。誰かが指笛を吹き、別の誰かが両手をメガホン代わりに叫んだ。
「いよっ! 待ってました! ミス美髯公!」
ドワーフたちが今までにない盛り上がりを見せる。男衆は身を乗り出し、女衆は黄色い声を上げた。
「イゾルデ様―――っ!」
ビシッと華やかなドレスを着こなし、挑発的な視線で、イゾルデと呼ばれたドワーフ女性はポーズを決めた。その両脇には二人のドワーフ女性が侍女のように控えている。イゾルデはスッと右手で天を指さし、高らかに告げた。
「宴とあらば即参上! 呼ばれなくても押し通る! 宴の神の愛し子、酒宴に咲く大輪のバラ! 歴代最高のミス美髯公、イゾルデとは私のことよ!」
いささかの濁りもない自負心に周囲から歓声と拍手が上がる。なんだろう、ある種のスター性を感じる気がする。その場にいるだけで場の空気を明るい方に変えるような、強い輝き。
それにしても、まさか美髯公って言葉の上に『ミス』なんて言葉がつく日が来るなんて想像すらしてなかったよ。美髯公って、美しい立派なヒゲを持つひとを称える言葉だよね? つまり彼女はこのドワーフ村の今年のヒゲチャンピオン、ということだ。確かに彼女は腰まであるストレートの艶やかな黒ひげをたくわえている。顔がちょっとキツめの美形なので、正直違和感ハンパないんだけど、美しいでしょ、と言われたら確かにそんな気もする。なんかこう、前衛芸術的な?
イゾルデは広間をサッと見渡すと、セシリアに目を留めてわずかに眉根を寄せた。セシリアは周囲の高揚をよそに、ボーっとマッシュポテトをかき回している。イゾルデはモデルウォークでためらいなくセシリアに近付く。ヒールの床を打つ音がコツコツと小気味良い。
「あなた、人間にしてはなかなか可愛いじゃない?」
イゾルデは立ったまま右手を腰に当て、セシリアを見下ろした。急に声を掛けられたセシリアが戸惑い気味に顔を上げる。
「でも残念ね。そんなつるつるしたアゴじゃ、せっかくの可愛らしいお顔も台無しだわ。つるつるがもてはやされるのは幼児だけよ」
おお、何だかよく分からんがセシリアがミス美髯公に絡まれている。何か気に障ったのだろうか? セシリアは少し困ったように返事をした。
「人間の女性はドワーフのようにヒゲを伸ばすことができませんから」
ふふん、と鼻で笑い、イゾルデは哀れな者を見るような目になる。
「そう、それでは仕方がないわね。つまりそれは美において人間が、必然的にドワーフよりも劣ることを示している。良い言い訳ができたわね。人間に生まれたことを感謝なさい。あなたがドワーフに生まれていたら、私と同じ尺度で比べられたのだから」
高慢と言っていいイゾルデの物言いに、セシリアはややムッとした表情を浮かべる。
「美醜は文化が育む価値です。互いに互いの尺度を尊重すべきでは?」
「いいえ、違うわ」
イゾルデはあくまで上からセシリアを見下ろしている。
「美しいものは、ただ美しいのよ。それはモテるとか称賛を受けるとはまったく別の次元の話。あなたは可愛い顔をしているけれど、それだけ。私は美しい容姿と美しいヒゲを持っている。美しいものをふたつ持つ私が、あなたに負けることはないのよ」
お前は私より下だ、とはっきり告げられ、さすがにセシリアもカチンと来たようだ。怒りを抑えるように微笑み、しっかりとイゾルデの目を見返してセシリアは言った。
「……つけヒゲなら、持っていますよ?」
……なぜそんなものを持っている。セシリアは自分の道具袋をガサゴソと探ると、中から見事な、というかほぼイゾルデのものとそっくりのつけヒゲを取り出した。イゾルデの目が面白そうに光る。
「紛い物のヒゲで、この私に勝てるとでも?」
セシリアは答えず、無言でつけヒゲの紐を耳に掛けた。位置を調整し、挑むようにイゾルデを見上げる。周囲のドワーフたちからどよめきが上がった。
「う、美しい……!」
ドワーフの男衆が呆然とつぶやく。その視線はセシリアに奪われ、酒で赤くなった顔がますます真っ赤になった。
「……次のミス美髯公、分からなくなったぞ」
「なぬっ!?」
誰かのこぼしたつぶやきに反応し、イゾルデは勢いよく振り返った。
「ちょっと!? こんなつけヒゲに惑わされてんじゃないわよ!」
イゾルデの怒りに誰も反応しない。ドワーフの女衆も感嘆のため息を吐き、憧れの目でセシリアを見ている。すげぇなつけヒゲの威力。ドワーフどんだけヒゲマニアだよ。
セシリアは急に自分に集まった視線を見渡すと、おもむろにつけヒゲを外した。「ああっ」とドワーフ女性の悲鳴が上がり、今までぽわっとしていた男衆たちが真顔に戻った。何の興味もなさそうだなオイ。そこまでか。そこまで重要か、ヒゲが。
セシリアは再びつけヒゲを付ける。女衆の黄色い声が飛び、男衆がぱぁっと幸せそうな顔になった。つけヒゲを外す。女衆のこの世の終わりのような声と、男衆の真顔。つけヒゲを付ける。広間が幸福に包まれる。つけヒゲを外す。絶望が広間を覆った。
「ちょっと! もてあそんでんじゃないわよ!」
イゾルデはセシリアにぐっと顔を近づけて叫んだ。至近距離で見つめ合い、セシリアは思わずといった様子で吹き出した。
「……何笑ってるのよ」
「す、すみません。つい」
目を伏せ、口元に手を当てて、セシリアはこらえきれない笑いをこらえようとして失敗している。イゾルデがふっと優しい表情を作った。セシリアの笑いが落ち着くのを待って、イゾルデは声を掛けた。
「あなた、名前は?」
セシリアはイゾルデを見上げる。ああ、なんか、ちょっと表情が柔らかくなったなぁ。ジンのことで落ち込んでいたのが、ちょっと復活した感じ。
「セシリアと申します」
「そう、セシリア」
さっきまでの高圧的な態度が鳴りを潜め、イゾルデは艶やかな笑みを浮かべた。
「笑うあなたはとても綺麗よ、セシリア。ドワーフの私から見ても、ね」
セシリアはハッとした表情を浮かべる。周囲のドワーフたちも、どこかほっとした顔でセシリアを見ていた。セシリアは少し恥ずかしそうに目を伏せる。
「……ごめんなさい」
どうなることかと心配そうに事態を見守っていたコメルたちが安どの息を吐く。謝るセシリアの頭を軽く撫でて、イゾルデはドワーフたちを振り返り、気合の声を上げた。
「さあ、ここからが本番よ! 我と思わんものは私の杯を受けよ!」
ミス美髯公を称える指笛が鳴り、ドワーフの男衆が我先にとイゾルデに杯を差し出す。杯に酒を注げば、待っているのはご返杯だ。イゾルデはその場にいる全員に酒を注ぎ、そして全員からの返杯を受け取っていた。その飲みっぷりの豪快さは見ていて惚れ惚れする。まだ日も落ちぬ内から始まった宴は、いよいよ佳境に差し掛かっていた。
イゾルデの活躍により宴は大いに盛り上がった。ドワーフたちのような鉄の胃袋を持たないコメルたちも、セシリアを含めて、宴を楽しみ、食べて、飲んだ。イゾルデは非常にハイスペックで、酒や食べ物を切らさないよう目配りをし、会話に入れない者に話しかけ、潰れた者を介抱し、その上歌や踊りを披露して皆を楽しませていた。おそるべしミス美髯公。ただ美しいだけでは務まらないのだ。それゆえに彼女は同性からも憧れの視線を向けられるのだろう。最終的に彼女は村長以外のドワーフ全員を酔い潰し、ひとりケロリとして宴の後片付けをしていた。
「あー、頭いてぇ」
剣士が青白い顔で頭を抑える。コメルもグッタリとした様子でトラックのキャビンに身体を預けていた。院長とセシリアは意外にケロッとしている。宴の翌朝、一行は村の入り口にいた。
村長を筆頭に数人の役場の職員が見送りに顔をそろえている。皆、昨日宴に出席していた面々だが、コメルたちの十倍は飲んでいるはずの彼らの中に二日酔いの者は一人もいないようだ。
「どうせなら新年の宴までおればよかろうに」
村長は名残惜しい様子でコメルに言った。コメルとドワーフ村の関係はそれほど良好だという証だろう。コメルは小さく首を横に振った。
「お申し出はありがたいのですが、他にも仕事が残っておりまして」
その言葉は半分は本当だが、半分は嘘だろう。ドワーフと同じ調子で飲んでいたら体がもたない。コメルの表情がそう語っている。村長は残念そうに言った。
「仕事なら仕方ないの。では、また来月に」
コメルは「ええ、また来月にお届けに上がります」と言うと、ドワーフたちに頭を下げ、よろよろとトラックの荷台に乗った。剣士もそれに続き、院長とセシリアはそれぞれ運転席と助手席に乗り込む。トラックがプァンとクラクションを鳴らした。
「うむ。お前さんがたも、またよろしく頼みますぞ」
村長がうなずき、職員たちが手を振って口々に別れの挨拶を告げた。トラックがぶぉんとエンジン音を鳴らし――
「た、大変だ! 村長!!」
村人のただならぬ叫び声が、穏やかな朝の空気を引き裂くように響いた。
村人は息せき切って村長に駆け寄ると、驚愕に震えながら言いました。
「イゾルデさんが正月用の酒を全部飲んじゃいました!」




