嘘つき
村長はコメルを先頭に、皆を私邸の広間に案内する。敷地の一番小さな棟、とはいえ、生活の場として考えれば家は充分に広かった。決して華美ではない石造りの重厚な雰囲気は、ここに住む主の品格のようなものを伝えているようだった。内装には木材も使われ、石の持つ固く冷たい感じを和らげている。村長は廊下を抜け、コメルたちを奥の広間へと案内しようとしているようだ。
ちなみにトラックは、家に入ることができないので玄関先で独りボケっと停車中である。セシリアは当然のように魔法で家を改造しようとしたのだが、コメルと院長と剣士によってたかって止められた。建築もドワーフの作品の一つ。勝手に作品を改造されれば、ドワーフの誇りに傷を付けることになるのだ。セシリアは不満そうだったが、最終的にトラックにたしなめられてしぶしぶ引き下がった。
廊下の途中で、村長が院長に目配せを送る。院長はうなずき、歩く速さを落としてセシリアに並んだ。廊下の終わり、右に曲がれば広間、という場所で、院長とセシリアはこっそりと左方向に曲がった。村長はコメルと剣士を連れて広間へと入っていった。お、別行動なの? 急に?
院長たちの向かった先には扉があり、開くと外に出た。地面には等間隔に石が埋まっていて、進むべき道を指し示している。石が続く先を目で追うと、小さな離れが見えた。ここは母屋の裏口で、離れと行き来するための出入り口なのだ。
院長とセシリアが慣れた様子で離れに向かう。どうやらすでに何度かここを訪れているのだろう。院長が離れのドアに手を掛けようとすると、ガチャリと音がしてドアが勝手に開いた。まさか、自動ドア?
「おっと、失礼」
ドアの内側では壮年の男が、少しの驚きを表して立っていた。自動ドアじゃなかった。ちょうど中から人が出てきただけだった。あれ、人だな。ドワーフじゃなくて。黒くてモジャモジャの髪の、少し頬がこけた不健康そうな、でも目だけ鋭い感じの男。格好からすると旅人だろうか? ドワーフたちはケテルと交流があるのだから、この村に旅人が立ち寄っても不思議はないが、村長の家の離れから出てくるのは何だか気になる。ドワーフは旅人を誰彼構わず離れに招待するわけでもあるまいに。
院長は旅人に道を譲り、旅人は軽く会釈をしてその場を離れた。セシリアとすれ違う時、旅人はちらりと彼女を見て、少し笑った、気がする。セシリアも旅人に、どこか違和感を感じたように眉を寄せた。院長が「どうかしたか?」と声を掛ける。旅人の姿が見えなくなってから、セシリアはつぶやくように言った。
「……今の方は、おそらく魔法使いです。それもかなり力の強い」
魔法使いが離れで何をしていたのか、セシリアは気になっているようだ。院長は少しの間、「ふむ」と思案げに腕を組んでいたが、ここで考えていても仕方がないと思ったのか、
「とりあえず中に入ろう。患者が待っておる」
そう言ってセシリアを促した。セシリアはうなづき、院長と共に離れのドアをくぐった。
「いらっしゃい」
ベッドの上で上半身を起こし、少年が人懐こい笑顔を院長たちに向けた。ひどく華奢な体つき、優しげな風貌、ゆるくウェーブのかかった柔らかい栗色の髪。そのどれもがドワーフらしさとはかけ離れている。そして何より、その顔にはヒゲがなかった。端的に言うと、その少年は人間基準で類まれな美少年だった。
「今日はごきげんじゃな」
ベッドの脇に置かれた小さな丸テーブルに診療道具を広げながら、院長が少年に声を掛けた。離れの中の一番奥にあるこの小さな部屋には、ベッドと丸テーブルとイス、そして壁一面にはぎっしりと本の詰まった本棚が並んでいる。本の種類は冒険小説から、英雄譚、紀行物、地理、歴史と幅広い。少年は本が好きなのだろう。
「さっきまでここに旅人のおじさんがいたんだ。おもしろい話をたくさんしてくれたんだよ!」
少し興奮気味に、少年は院長のほうに身を乗り出す。「ほう」と院長が興味深そうな表情を作った。道具の準備の手を止めないのはさすがプロだ。セシリアは院長の持っていた薬箱から薬の材料を取り出し、調合の準備をしている。
「ねぇねぇ、人間の町では、女の人は冬でも彼シャツ一枚で過ごしてるってホント!?」
少年は目をキラキラさせながら院長に尋ねた。……あのおっさん、いたいけな子供になんつーウソを教えとるんだ。院長が戸惑いに顔を引きつらせる。セシリアが優しい微笑みで答えた。
「それはウソね。もしそんな町があったら、滅んでしまうがいいわ」
少年はその回答に少なからずショックを受けた顔でうつむいた。
「冬でも彼シャツ一枚で颯爽と歩くおばあさんとか、超カッコいいと思ったのに」
その声からは余りある無念さがにじみ出る。着目すんのそこかい。ドワーフの感性がよくわからんわ。少年は悲しみを振り切るように顔を上げると、再び期待に満ちた目で二人に言った。
「じゃあじゃあ、ケテルの冒険者ギルドのメンバーは冬になればなるほど薄着を競って、一年で最も寒い日に全裸になって一日を過ごした者にSランクの称号が与えられるってホント!?」
イヤな冒険者たちだなオイ。ギルド最高の栄誉の称号であるSランクは全裸になった証なのかよ。どっから来たんだその価値基準。
「それもウソね。そんな冒険者ギルド、きっとすぐに滅んでしまうわ」
セシリアの回答に、少年は「そんなぁ」とつぶやいてしょんぼりと肩を落とした。
「筋肉ムキムキの屈強な男たちが全裸で街を練り歩く姿がケテルの冬の風物詩だって、そう言ってたのに」
心底ガッカリした声音が切ない。つーか旅人のあのおっさんは何なんだ。ロクなこと教えてねぇじゃねぇか。少年は諦め半分、期待半分の顔でおずおずと二人に尋ねた。
「……じゃあ、ここからずっと東、海を越えた先にある小さな島国には、SAMURAIと呼ばれる戦闘民族がいて、彼らはTYONMAGEという独特なヘアスタイルをしていて、戦いになるとTYONMAGEを取り外し、TYONMAGEから伸びる光の刃でどんな相手もあっという間に倒しちゃうってホント?」
これまた突拍子もねぇウソだなオイ。この中世ヨーロッパ風? な世界にサムライなんているわけないだろ。しかもちょんまげ外して武器にって。ちょんまげライトセーバーって。期待させちゃって悪いけど、セシリアさん、ここは大人の義務として、ビシッと真実を伝えてあげて。
「それは私も聞いたことがあります」
存在したーーーっ!! 東の果てに住む謎の戦闘民族SAMURAIは存在したーーーっ!! え、ちょっと待って! この世界のサムライってちょんまげで戦うの!? ってかちょんまげって着脱可能なの!? ちょんまげから光の刃出んの!? それってどういう理屈? スキル? スキルでまかなっていいレベルの話!?
「やっぱりホントだったんだ!」
少年が満面の笑みで弾んだ声を上げた。その目はきらきらした輝きを取り戻し、「うわぁ、会ってみたいなぁ」とつぶやく。うん、俺も会ってみたい。いや、会ってみたいっていうか、ちょっと離れたところから見てみたい。コミュニケーションは取りたくない。なんかコワい。ちょんまげで斬りかかられたら超コワい。
「さて、ジン君。そろそろ始めて構わんかな?」
診察の準備を終えた院長が、ジンと呼ばれた少年に声を掛けた。ジンは「はぁい」と嫌そうに返事をすると、自分で服のボタンを外す。あらわになった上半身はあばらが浮き、思いのほかやせ細っていた。院長は聴診器で心音を聞いたり、触診で腹を押したり、眼底を見たり口を開けさせて舌を見たり脈を測ったりと、一通りの診察を行うと、「少し内臓が弱いか」とつぶやいた。そしてジンに「もういいぞ」と言うと、セシリアを振り返り、彼女が調合していた薬を受け取る。さらに薬箱から幾つかの粉を取り出すと、セシリアから受け取った薬に混ぜた。基本的な調合はセシリアに任せ、診察の結果の微調整を自分で行っているのだろう。
「ねぇ、デュナ師」
服を整えながら、ジンは院長に言った。
「僕は、なんの病気?」
調合した粉薬を薬包に包み終え、院長は顔を上げると、まっすぐにジンを見据えた。
「君の病気は地質漏滲症候群という、土の精霊力が体内から漏れだしてしまう病だ。すごく簡単に言うと、君の体の中の土の精霊力を貯める袋に小さな穴が開いているようなものじゃな」
先生は包み隠す様子もなくはっきりとジンに告げる。この世界に存在する者は例外なくその身に精霊力を宿しているとされているが、身体的、あるいは精神的な強弱は身に宿す精霊力の量と割合によって決まるのだそうだ。火の精霊力を多く宿せば決断力と筋力に優れ、水の精霊力を多く宿せば冷静で知力に優れ、といった具合。ドワーフは種族として火と土の精霊力を多く宿す者たちで、ゆえに筋力と体力に優れ、決断力に富むが頑固者、という傾向があるらしい。
通常、個々人の身体に宿す精霊力は日々の食事や活動によって割合を変えたり、量を増やしたりすることができる。だが、非常にまれに、特定の精霊力を身体に保持し続けることができない者がいるのだそうだ。そういう者は放っておくと特定の精霊力をどんどん失っていき、やがて身体の精霊力のバランスが著しく崩れて様々な合併症を発症し、最悪の場合死に至る。原因は今のところ不明で、対処方法は失い続ける精霊力を定期的に補充するしかない。ジンは地質、つまり土の精霊力が漏れだしてしまう病気なので、院長は定期的にここを訪れ、土の精霊力を補う薬を処方している、ということなのだろう。
ジンは院長の説明をじっと聞き、そしてどこか虚ろな笑みを浮かべた。
「前に聞いた説明と同じだ」
院長は小さくうなずく。
「毎回違う説明をしとったら信用できんじゃろ?」
ジンは内心を隠すように、生意気な顔を作って口を尖らせた。
「前と言ってること違うじゃん、このヤブ医者ーーっ、て、言おうと思ってたのに」
ジンはいたずらっぽくそう言って笑う。院長は「残念じゃったな」と笑い返した。セシリアがさりげなく院長の背後に移動し、痛ましげに顔をゆがめた。
「さ、これを飲みなさい。そうすればまた、元気になる」
院長は薬包をジンに差し出した。ジンはそれを受け取り、ちょっと恨みがましい目で院長を見た。
「しばらくの間は?」
「しばらくの間は、じゃな」
院長はどこか仰々しくうなずいた。ジンが苦笑いを浮かべる。院長は、こちらが見ていて残酷なほどに、ジンにありのままを話しているようだ。安易な嘘は吐かない。患者が正しい選択をするためには正しい知識と情報が必要だという、院長の信念なのだろうか。
ジンは薬包を窓に向かってかざした。薬包が日に透け、中の粉薬が黒く映る。ジンは独り言みたいにポツリと言った。
「……これを飲んだら、僕にもヒゲが生えるかな?」
院長は虚を突かれたように一瞬だけ目を見開き、そしてすぐに動揺を抑え込んで力強くうなずいた。
「もちろん。飲み続ければ、いつか必ず生えてくる」
院長は確信に満ちた穏やかな笑顔を浮かべる。ジンはゆっくりと院長に顔を向けた。その寂しげな笑顔は、はっきりと無言で「嘘つき」と告げていた。
薬を飲んだ後、ジンはそのまま眠ってしまった。薬には微量の睡眠薬が入っていたのかもしれない。毛布をジンの肩まで掛けて、院長とセシリアは離れを後にした。離れにジン以外の誰かの気配はない。ここを訪れるのは院長とセシリア、そして食事の世話をする召使だけなのだ。セシリアが振り返り、離れを見つめる。ひどく寒々しい気配が離れを覆っているように見えた。
極東の島国ZIPANGにはちょんまげライトセーバーを操る戦闘民族SAMURAIのほかに、人生の大半を池の中で過ごし竹筒で呼吸するNINJA、三味線のバチで主に権力者や大富豪を暗殺するGEISYAなど、様々な生き物が生息しています。




