荷下ろし
ドワーフの村は、村とはいえ結構な広さがあり、住んでいるドワーフの数もかなり多そうだ。狩猟採集を主な生業とし、必要以上の経済活動を好まないエルフと違い、鉱山の採掘や製鉄、多種多様な製品の生産を行うドワーフの集落は一定以上の人口規模を必要とするのだそうだ。トラック達が進む中央通りは道幅も広く、様々な商店、それも職人向けの専門店が多く軒を連ね、にぎわっていた。
家の建材は石が多いが、木造もちらほらと見える。質実剛健、という言葉がぴったりの重厚な佇まいの家もあれば、遊び心に溢れたおしゃれな家もあり、同じものが一つとしてないのが見ていて面白い。住宅展示場に来たみたいでちょっとワクワクする。目隠しの塀に植物を這わせたり、いかめしい装飾を門に刻むところもあって、戸主の性格も透けて見えるような気がする。うんちくおじさんであるコメルは、ドワーフについての解説を嬉々として語る。
「ドワーフという種族の特徴は、背の低さや強靭な肉体、丸顔、酒好きといろいろありますが、何と言っても一番は、ヒゲです。彼らのヒゲに対するこだわりは相当なものですよ」
コメルは道を行き交うドワーフたちに軽く挨拶をしながら、ひとりのドワーフを指し示した。そのドワーフは短く整えた黒いヒゲをたくわえており、金物屋の店先で店主と熱心に話し込んでいる。
「ドワーフはヒゲを見れば年齢や性別、既婚・未婚、職業、財力なんかが分かります。向こうにいる彼はまだ若い未婚男性で、駆け出しの細工職人、といったところでしょう」
ヒゲの色が黒いのは大体が若者だそうで、ある程度年を取ると年齢に従ってヒゲを様々な色に染めるのだそうだ。ドワーフは全員黒毛というわけでもないのだが、地毛がどんな色であろうとも若者はヒゲを黒く染めるらしい。また、ヒゲを短く整えるのは未婚の証で、ドワーフは結婚するとヒゲを伸ばすのだとか。ヒゲの形は職業によってある程度決まっており、ドワーフたちはその制約の中でいかに個性を出すのかを競っていたりする。そして、彼らは髪を飾るようにヒゲを飾る。長く伸びたヒゲを彩る精緻な細工のヒゲ飾りは、そのドワーフの地位や財力を示すステータスなのだ。
……ん? なんか、コメル変なこと言ってたな。ヒゲで、性別が分かる?
トラックがプァンとクラクションを鳴らす。コメルがふふふと笑って答えた。
「そうなんです。ほら、あちらを見てください」
コメルの視線の先には、こちらに背を向けてきゃいきゃいと騒ぐ三人のドワーフがいた。服装や声からして女の子だろう。細工物を扱うお店の前でこれカワイイ、こっちもカワイイとはしゃぐ姿がまぶしいわ。おじさんにも昔、青春時代というものがあったのよ。信じられないかもしれないけど。俺がそんな感慨にふけっていると、三人の中の一人が振り返り、顔が見えた。
……
……ヒ、ヒゲ生えとる! めっさヒゲ生えとる!
その女の子は、人間基準で背の低い、丸顔の快活そうな子で、髪は肩で切りそろえ、そしてストレートの美しいあごひげが腰まで伸びていた。
「ドワーフの女性は口ひげがなく、年齢とは無関係にあごひげだけを伸ばします。腰まである豊かなひげはドワーフ女性の美女の条件のひとつですよ」
マジでか!? ドワーフイメージ通りと思ってたけど、イメージ以上だよ! そこまでヒゲマニアだとは思わなかったよ! さすが異世界、こちらの想像を上回りやがる。でもさぁ、なんていうか、その辺りはもうちょっと穏当にっていうか、現代日本の価値観に寄せてほしかったっていうかさぁ。いや、言っても仕方ないんだけど。こっちの都合でドワーフたちが存在してるわけでもなし。うん、そうだよな。異文化には敬意を払わねばならん。ビバ、多様性。
トラックが呆気にとられたような、感心したようなクラクションを鳴らした。ドワーフを初めて見た人はたいてい驚くのだと、コメルは楽しそうに言った。剣士が特に驚いていないところを見ると、ドワーフのことはすでに知っていたのだろう。セシリアも特にリアクションをしていない。くっそう、俺たちだけ知らなかった感じが悔しい。……っていうか、セシリアは何だか心ここにあらず、という感じだな。少し難しい顔をして悩むような仕草をしている。トラックがプァンとクラクションを鳴らした。
「ああ、すみません。少し気になることがあって」
何でもない、と言うように、セシリアは首を軽く横に振って微笑んだ。トラックもそれ以上は追及しないようだ。コメルは気になる素振りだったが、やがてあきらめたのか表情を改めると、少し声のトーンを落として言った。
「ドワーフにとってヒゲは非常に大切なアイデンティティーです。ヒゲを侮辱すれば殺されても文句は言えませんし、ヒゲを剃り落とすことが刑罰の一つとして存在するほどです。ドワーフのヒゲに対して不用意な発言は厳に慎んでくださいね」
コメルの真剣な表情は、その言葉がただの脅しでないことを伝えている。トラックは神妙な様子でクラクションを返した。トラックのリアクションに満足したのだろう、コメルはうなずくと、
「見えてきましたよ」
そう言って進行方向を指した。そこには石造りの立派な邸宅があり、門の前でがっしりとした体躯の老人が待っていた。
門の前にいた、おそらくこのドワーフが村長なのだろう。腰よりも下まである、軽くウェーブの入った見事なヒゲを、右半分は黒に、左半分は白に染めており、細かい細工の入った髪留めならぬ髭留めで真ん中あたりをまとめている。頭髪はなく、派手ではないが質の良い衣装で固めていて、責任のある立場のひと、という雰囲気を醸し出している。村長は待ちかねたようにこちらに手を挙げる。コメルが歩きながらお辞儀を返した。施療院の院長とセシリアがトラックから降り、コメルの後ろについて歩く。充分に近づいたところで、村長はコメルに前のめりに告げた。
「酒っ!」
……リアクションが門番と同じじゃねぇかよ。ドワーフはすべからくアル中なのか。コメルは苦笑しつつ答えた。
「遅くなって申し訳ありません。お詫びに少し珍しいものをご用意しましたので、お納めください」
コメルは懐から手のひらほどの大きさの茶色い小瓶を取り出した。村長が小瓶にぐっと顔を近づける。
「これは?」
「火酒『竜殺し』。ひと口で竜も酔い潰すという銘酒です。我々人間には強すぎる酒ですが、ドワーフの皆様なら、と思いまして」
村長はコメルから小瓶を奪い取り、美しくゆらめく液体を光に透かしながらニッと笑った。
「竜を潰せてもドワーフは潰せぬよ。これは宴が楽しみじゃ」
村長は小瓶をいそいそと懐にしまいこむ。……ジジィ、独り占めする気だな。まあコメルも門番には見せなかったくらいだから、これは村長へのちょっとした賄賂だろう。こういう気配りというか根回しというか、そういうものの積み重ねがケテルと他種族の関係を円滑なものにしているのだ。
「さあさあ、中へお入りくだされ。まずは酒を下ろさねば」
村長の言葉を合図に、門が微かに音を立てて開いた。コメルたちを中へと招く村長に、院長が「村長」と声を掛ける。村長は一瞬、動きを止め、苦いものを顔に浮かべて院長に視線を向けた。
「……デュナ師」
村長はそれだけ言って、院長に深く頭を下げた。そしてあまり目を合わせたくないというように、そそくさと家の中に入っていった。院長デュナは複雑な表情で小さくため息を吐き、コメルを先頭にトラック達は村長の邸宅の門をくぐった。
村長の家はすさまじく広い、というより、ここは村長の家というだけでなく、集会所やら行政機関やらというようなものも兼ねているのだろう、というくらい広い家だった。建物は三つの棟に別れ、入り口に一番近い棟の入り口を覗くと、受付っぽいカウンターに職員らしきドワーフが座っているのが見えた。トラック達はまず、門から入ってすぐの建物の横を素通りし、奥の倉庫へと案内された。何はなくとも酒を倉庫に隠さねばということらしい。
「下手なところに置けば、誰かに飲まれてしまうでな。年末年始の宴まで、厳重に保管しておかねばならんのじゃ」
ドワーフこらえ性ねぇな。年越し用の酒なんだから我慢しようとか、そういう発想は無いのか。トラックはウィングを広げ、村長やコメル、それから院長と剣士も駆り出されて皆で酒樽を倉庫に運ぶ。物音に気付いたのか、職員らしきドワーフが数人建物の中から手伝いに現れ、ひょいひょいと酒樽を運んでいく。セシリアは魔法で軽々と樽を運んでいた。ちょっとズルい気がするが、一番活躍しているので文句も言えない。トラックは念動力で院長やコメルに手を貸していた。
倉庫は赤レンガ造りでちょっといい雰囲気を醸している。入り口は二重扉で、外側は木製のすっきりとした扉だが、内扉は鉄製の重くて厳めしいものになっていた。もしかして、このくらい頑丈にしないと誰かが破壊して中の酒を飲んでしまうからだろうか。
「皆、ごくろうさんじゃった。ありがとう」
荷台一杯に積まれた酒樽を下ろし終え、村長が皆を労う。「年寄りを使いおって」と院長が恨み言と共に腰を叩いた。それぞれに身体をほぐす面々を横に、トラックがプァンとクラクションを鳴らす。
「ん? これか?」
村長は倉庫の扉に貼られたお札のようなものを指さした。お札には王冠、剣、錫、金貨が意匠化された模様が描かれており、そして悪趣味なくらいに金ぴかだった。あまり華美な雰囲気のない赤レンガの倉庫にはちょっと不似合いな感じ。コメルが横から口を挟む。
「それは『奢侈王の護符』ですね」
奢侈王、とは、地獄を統治する六体の王のひとりで、その名の通り贅沢が大好きな浪費家なのだそうだ。一方で宝石と貴金属の真贋を見抜き、芸術の庇護者、火と鍛冶の守護者の顔を持っていて、ドワーフの信仰の対象になっている。ドワーフたちは『奢侈王の護符』を飾ることで作品のインスピレーションや事故の防止、作業の成功を願うのだ。職人の神、という位置付けではあるが、神ではなく地獄の王とされるのは、奢侈王が恩恵を与えるだけではないからだ。奢侈王の加護を受けるには常に捧げ物を絶やしてはならず、それを怠ればひどく祟られるのだとか。また逆に、とてつもなく出来の良い作品は奢侈王に取り上げられてしまうこともあるという。その場合は作品の代わりに奢侈王の宝物が下賜され、ドワーフの職人にとって奢侈王の宝物を得ることは最大級の栄誉なのだそうだ。
「ワシらは奢侈王を尊敬し加護を願うが、一方で奢侈王はワシらにとって、挑み乗り越えるべき大きな壁でもある。その意味では人間たちの言う『信仰』とは少し違うかもしれんの。奢侈王は善でも完璧でもない、むしろ理不尽な存在じゃが、依存も拘束も求めん。奢侈王が求めるのはただ『素晴らしき』ものだけ。それがワシらドワーフの気質に合っておるのじゃろ」
ふぅん、というようにトラックはクラクションを返した。自分が聞いたくせにリアクションが薄いな。興味を持てもう少し。トラックは再びプァンとクラクションを鳴らした。
「他、ですか? 奢侈王以外の?」
コメルがトラックの質問の意図を確認する。ああ、地獄を統治する六体の王って言ってたから、他の五体が気になったのか。七不思議のひとつ、って聞いて残り六つが気になるようなもんだな。「何だったかな」と思案顔のコメルに代わり、セシリアが口を開いた。
「地獄を統治するのは六王と呼ばれる六体の冥魔。彼らはかつて神に創られ、創世を手伝った『始まりの七霊』の堕落した姿と言われています。真の名は失伝し、今、私たちが知るのはその性質から付けられたあだ名のみ。曰く、
『奢侈王』
『暗愚王』
『惰眠王』
『王大人』
『大鵬』
『卵焼き』
の六体です」
……なんか途中からおかしくなってるよ? 明らかに後半三人の名前がおかしくなってますよ? 地獄の六王のひとり、『卵焼き』ってなんじゃい! 地獄のとある地域は卵焼きに統治されてるんですか? 卵焼きに統治されるってどういう状況じゃあーーーっ!!
トラックが困惑気味にクラクションを鳴らす。ああ、とセシリアは少し考え、荷袋から羊皮紙と羽ペンとインクを取り出すと、しゃがみ込んで膝の上で器用にペンを走らせた。どうやら『卵焼き』の簡単な絵を描いているらしい。絵はほどなく完成し、セシリアは立ち上がってトラックに羊皮紙を掲げた。
「これが『卵焼き』の姿だと伝えられています」
うん。卵焼きだわ。まごうことなき卵焼き。卵焼きじゃねぇかぁーーーっ!! お弁当に入ってる感じのあの卵焼きじゃねぇかぁーーーっ!! 微妙に焦げた感じとか、まだ温かくて湯気が出てるとか、そういう細かい描写はどうでもええんじゃぁーーーっ!! 地獄の王が卵焼きだっていうその意味不明さの説明を求めとんじゃぁーーーっ!!
「『卵焼き』にまつわる伝承は極端に少なく、実態はよく分かっていません。唯一分かっているのは、『砂糖は入れず、大根おろしにポン酢で食べるのが美味』ということだけ」
卵焼きじゃねぇかぁーーーっ!! 甘くないほうの卵焼きじゃねぇかぁーーーっ!! 食べるのが美味って言っちゃってんじゃねぇかぁーーーっ!!
「この言葉の解釈を巡って、専門家の間ではもう数百年も激しい論争が続いていますが、未だ結論を見ていないのだとか」
全員クビにしろそんな専門家集団! 地獄の王の伝承と基本のおかずのレシピを混同しているだけだろうが!
「近年の学会は『甘くない卵焼きは卵焼きじゃない』派と『甘い卵焼きはおかずじゃない』派に意見が大きく二分され、互いが互いを非難し合うだけの解決が見えない深刻な事態になっているそうです」
この世界の学会にはロクな人材がいねぇのか! 大のおとなが四六時中、自分の好きな卵焼きについて言い争うってなんなんだよ! 甘かろうが甘くなかろうが、好きな方を喰えばいいだろ! ちなみに俺は甘くない派。
セシリアの説明を聞いていた他の面々が、「へぇ、そうなんだ」的な表情を浮かべてセシリアを見る。うんちくおじさんとしてのプライドが傷付いたのか、コメルが若干悔しそうに視線を落とした。酒樽運びの休憩としては丁度よかったのだろう、皆が軽く伸びをして、どうやら雑談の時間は終わりのようだ。村長は手伝ってくれた職員たちに礼を言って仕事に戻るように告げると、コメルに向き直って言った。
「皆さまには、ささやかな労いの宴を用意しております。ささ、こちらに」
村長が敷地の中の一番小さな棟を指し示した。入り口に一番近いのが村役場、赤レンガで出来ているのが倉庫、そして向こうにある一番小さい棟が村長の私邸ということなのだろう。村長が院長に目線を送る。院長は小さくうなずき、少し表情を改めた。村長が先導し、トラック達は村長の家に招かれることになった。
王大人と大鵬へのツッコミはセルフサービスとなっておりますのでご了承ください。




