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報告

 池の魚を目で追うイーリィに、畜産十一号は真剣な眼差しを向けている。冬の風が庭を渡り、イーリィが寒そうに肩をすくめた。畜産十一号は意を決したように一歩を踏み出すと、ガチガチに緊張した顔で言った。


「モー」


 イーリィが振り返る。そして、申し訳なさそうな顔で畜産十一号に答えた。


「……ごめんなさい。私、牛の言葉は分からないの」


 畜産十一号が驚愕に目を見開く。今さらそれを言うの!? と言いたげな顔だ。まあ、彼にしてみれば「早く言ってよね」と思っても仕方ないかもしれない。いや、俺だって今、「ああ、そうなんだ」って思ったからね。牛の言葉は分からないんだなって。もうね、この世界の人は何の言葉が分かって何の言葉が分からないのか全然判別できないからね。トラックの言ってることが分かるんだったら牛の言葉が分かったって何の不思議もないし。だから、言葉が通じてないんであれば、早い段階でそれを表明してほしい。そうするとすごく助かる。俺が。

 畜産十一号は「ぶもーぶもー」という鳴き声を上げた。何を言っているのかは分からないが、何が言いたいのかはなんとなく分かる。こいつ、イーリィのことが本当に好きなんだな。きっと、一生懸命伝えているのだ。好きです、愛しています、どうか側にいてください。そんなことを。なんかちょっと切ないわぁ。だからといってイーリィに牛と結婚しろとは言えないんだけども。いい感じに呪いが解けて純朴な青年に戻ったりしないかな? しないか。しないよねぇ。

 イーリィはおそるおそる、という感じで畜産十一号に手を伸ばし、額の辺りを撫でた。畜産十一号は気持ちよさそうに目を閉じる。イーリィはそのまま撫で続けながら、言いづらそうに言葉を口にした。


「申し訳ないけれど、私はあなたを恋人としても、伴侶としても見ることができないの。あなたが悪いわけではないのよ。でも、心を偽ることはできないから」


 再び畜産十一号が、バカな、という顔で目を見開き、呆然と口を開けた。目は潤み、今にも泣きだしそうだ。表情豊かな奴だな、牛なのに。嫌だよぅ、と駄々をこねるように、畜産十一号はイーリィに身を寄せ、ぶるぶると首を振った。イーリィは「ごめんなさい」と謝る。畜産十一号はしょんぼりとうつむき、「モー」と悲しげに鳴いた。いや、泣いた。

 フラれちゃったなぁ、畜産十一号。いや、フラれるだろうけども。最初から勝ち目なし、敗北一直線の恋心だろうけども。そんなに落ち込むなよ。きっともっとお前にお似合いのジャージー牛がどっかにいるって。

 イーリィは畜産十一号の喉の辺りを撫でる。畜産十一号は顔を上げた。その目にもう涙はない。納得してくれたようだな。偉いぞ畜産十一号。この辛い経験を糧にして、新しい恋を探してくれ。

 畜産十一号はしばらくイーリィを見つめていたが、やがてまた頭を下げ、そして今度は器用に頭でイーリィをひょいっと背に乗せると、猛然と走り始めた。


 ……


 さ、さらわれたーーーーーっ!!

 イーリィが牛にさらわれたーーーーーっ!!


 全然納得してなかった! カケラも諦めてなかった! イーリィは畜産十一号の背中にしがみつき、悲鳴を上げている。畜産十一号はすごい勢いで出口に向かって走っていた。お、落ち着け! 目を覚ませ! 一方的に押し付ける愛なんて虚しいだけだぞ!


「イーリィちゃん!」

「イーリィさん!」


 二人の叫びが同時に響き、庭木の影からルゼが、岩の影からセシリアが飛び出した。議長、あんたそんなところに隠れて覗いてたのか。コルテスほっといていいんかい。距離的に近いルゼが、セシリアに先んじて畜産十一号に立ちはだかった! ルゼが両腕を交差させ、中空に現れたスキルウィンドウがスキルの発動を告げた。


『アクティブスキル(ユニーク) 【議長クロスチョップ】

 ケテルの最高権力者のみが使用可能な

 伝説のフライングクロスチョップ』


 そしてルゼは力強く地面を蹴り、真正面から畜産十一号に議長クロスチョップを喰らわせ――


「おぶぅっ」


――ようとして、突進してきた畜産十一号に撥ね飛ばされた。ああ、まあそうだよね。別にケテルの議長だからって、戦闘力が高いわけではないもんね。議長クロスチョップがユニークスキルだからといって、強力なスキルであるとは限らないんだ。スキルというのもなかなか奥が深い。

 撥ね飛ばされたルゼを横目に、今度はセシリアが畜産十一号の前に立つ。セシリアは両手を広げ、その身をもって畜産十一号を阻止しようとしていた。いやいや、無茶だって! 魔法使いなさいって! とっさのことで暇がなかったの!? だからってそれじゃルゼの二の舞だって! 「ぐへぇっ」て言って宙を舞うことになるって! ヒロインポジションなんだから自重しなさい!


――プァン!


 ぞわり、と、圧倒的なプレッシャーを伴ったクラクションが広がる。トラックはセシリアを追って岩陰から出てきていたのだ。畜産十一号は怯えたように足を止め、ザリザリと地面を削ってセシリアの目の前で止まった。セシリアが安どのため息を吐く。畜産十一号の背から飛び降り、イーリィはセシリアに抱き着いた。


「セシリア! 無茶をして!」

「ごめんなさい。身体が動いてしまって」


 セシリアがバツの悪そうに笑って、イーリィは無言で首を振った。自分のやってしまったことに気付いたのだろう、畜産十一号は呆然とイーリィの後ろ姿を見つめている。


――プァン


 トラックが諭すようにクラクションを鳴らす。畜産十一号はトラックに顔を向け、うめくように「モー」と鳴いた。さらにトラックは、少し優しいクラクションを投げかける。畜産十一号はがっくりと膝を突き、うなだれて地面を見つめた。


 ……トラック、お前……

 ……牛の言葉も分かるんだな。ゴブリンの通訳どころの話じゃなかったんだな。そして牛はトラックのクラクションの意味が分かるんだな。トラックのクラクションはこの世界の生物の共通語ですか?


「おいトラックてめぇ、ちゃんと場所教えとけよ。探しちまっただろうが」


 不意にトラックの背後から声が掛かる。見ると、いつの間にかそこにはイヌカの姿があった。不満そうな顔をして、手には何か書類の束を持っている。イーリィとセシリア、そして木の枝に引っかかってプラプラしているルゼがイヌカに顔を向けた。イヌカはトラックの助手席側まで歩くと、手の書類でドアをぽふっと叩いた。


「ご依頼の結果をご報告だ。結論から言うぞ。リーガ商会は実質的な取引実態のない、ゴーストカンパニーだ」

「なんだと!? そんなはずはない!」


 イヌカの報告をルゼが大声で否定する。大声を出したおかげで引っかかっている木の枝が大きく揺れた。おお、ぶらんぶらん上下に揺れとる。酔いそう。イヌカは物怖じすることなく議長に言った。


「見かけはな。だが金と物の流れを追っていくと、閉じてるのさ」

「閉じてる?」


 イーリィが不思議そうに首を傾げた。イヌカはうなずき、説明を続ける。


「リーガ商会は手広く商品を扱ってる割に、取引先が妙に少ねぇのが気になってな。流れを追ってみたら、一つの商会に辿り着いた。トランジ商会って名前だ。リーガ商会は、複数の別のゴーストカンパニーを経由してトランジ商会傘下の商人のみと取引をしていた。つまりリーガ商会は、トランジ商会から買った商品をトランジ商会に売ってたのさ」


 えーっと、つまりどういうことかというと、リーガ商会は同じ商品を同じ相手と売り買いすることによって、帳簿上の売り上げのみを膨張させていた、ということだ。でも、そんなことをして何の意味があんの?


「トランジ商会との取引は傘下の商人を通して行われてるから、トランジ商会自体の売り上げは伸びない。傘下の商人たちも取引が集中しないよううまく調整されてたから、こちらも売り上げが目に見えて伸びることはない。だがリーガ商会だけは帳簿上売り上げが急上昇しているように見える。こいつはオレの予想だが、リーガ商会を目立たせるために誰かが仕組んだ話だろうぜ。何のためかは知らねぇがな」


 イヌカが小さく肩をすくめる。ルゼが青い顔で「コメル!」と叫んだ。誰かの走る足音が聞こえる。おそらくコメルがコルテスの身柄を確保するために動いたのだろう。トラックは労うようにクラクションを鳴らした。イヌカは落ち着かなさそうに顔をしかめる。


「商人ギルドの与信部に知り合いがいてな。調査資料を見せてもらっただけだ。オレの手柄ってわけじゃねぇよ」

「だが、与信部の人間に見抜けなかった真実を君は見抜いた」


 ルゼが鋭い目つきでイヌカを見る。枝にぶら下がったまま。イヌカは首を横に振った。


「議長にこんなことを言うのもなんですが、与信部の奴らはリーガ商会を疑っていましたよ。だが上から調査のストップがかかった。あいつら、不満たらたらでね。だから資料を俺に見せてくれたんだ。普通なら、いくら知り合いとはいえ与信情報を部外者に見せたりする奴らじゃない」


 ふむ、とルゼは腕を組み、何か考えるような顔になった。イヌカはイーリィを振り返り、少し意地悪な顔をして言った。


「ちなみに、コルテス・リーガの息子は牛じゃねぇぞ。れっきとした人間だ。二日前に失踪するまではな。本当なら見合いはその男とするはずだったんじゃねぇか?」


 イーリィは驚きに「えっ?」と声を上げ、畜産十一号に目を向ける。


「じゃあ、彼は?」

「そこまでオレが知るか。急遽連れてこられた代役じゃねぇの? ま、おそらく何も知らされちゃいないだろうぜ。牛に事情を説明なんてしねぇだろうからな」


 イーリィは少しほっとしたように息を吐いた。畜産十一号はしょんぼりとうつむいている。でも、畜産十一号はイーリィを騙したわけではないのだ。それは、なんか、よかった。


「報告は以上だ。ったく、急にめんどくせぇこと押し付けやがって。てめぇじゃなかったら引き受けてねぇぞ。今度一杯おごれよ」


 トラックが開けた助手席の窓から書類を放り込み、イヌカは軽く伸びをして首を回した。トラックはプァンとクラクションを返す。「忘れんなよ」と助手席のドアをコンと叩き、イヌカはトラック達に背を向けた。イーリィがその背に「イヌカ!」と声を掛ける。


「ん?」


 何の用だ? と不思議そうな顔でイヌカが振り返る。イーリィはためらうように視線をさまよわせると、意を決した、という顔でイヌカに言った。


「……ついでにトイレットペーパー買って帰って」


 イヌカは脱力したように苦笑いを浮かべる。


「承知しました、お嬢様。あんたの在庫管理能力には恐れ入るよ」


 イヌカのお嬢様呼ばわりにイーリィが不快そうに口を尖らせる。イヌカがふん、と鼻を鳴らした。するとやりとりを見守っていたルゼが、唐突に口を開いた。


「イヌカ君、と言ったね。君は私の娘をもらう気があるかね?」

「は?」


 完全にシンクロしたイヌカとイーリィの、結構な大声が響く。正気を疑う目をしてイーリィがルゼに詰め寄った。


「突然何を言いだすの!? 冗談でも言っていいことと悪いことがあるわ!」

「君は黙っていなさい。私は今、イヌカ君と話している」


 ルゼは父親ではなく議長の声でイーリィに命じた。イーリィは気圧されたように口を閉ざす。イヌカはわずかに眉をひそめた。


「どうかな? 彼女を妻にしたいと思わないかね?」


 イヌカはルゼを見上げ、はっきりとした口調で言った。


「せっかくですが、お断りします」


 イーリィがイヌカを振り返り、複雑な表情を浮かべる。まあ、好きでも何でもない相手であっても、はっきり「断る」って言われるといい気分はしないよね。断ってもらわないと困るとしても。


「イーリィはお気に召さないかな?」


 ルゼの妙に冷静な言葉に、イヌカは首を横に振る。


「それ以前の問題だ。嫌がる女に無理に手を出すほど困っちゃいねぇだけさ」


 イヌカの言葉にイーリィは軽くイラっとしたようだ。ルゼは問いを重ねる。


「彼女を妻にすれば、やがてバーラハ商会を継ぐことになる。莫大な財が約束されるぞ。そういうものに興味はないのかね?」


 イーリィは今度はルゼを振り向き、余計なことを言うなと厳しくにらんだ。金でイヌカが心変わりしたらどうするんだ、と言いたいようだ。イヌカは少しだけ笑みを形作った。


「オレは俗物だからな。金は欲しいさ。だが……」


 イヌカはルゼに、挑むような視線をぶつけた。


「金だけを求めるなら、オレは冒険者なんざやっちゃいない」


 ルゼはイヌカの視線を値踏みするように受け止める。しばらく両者の視線が交錯し、先に視線を逸らしたのはルゼの方だった。


「失礼。今の話は忘れてくれ」


 謝罪の代わりにルゼは軽く右手を挙げる。イヌカはそれに応えず、トラック達に「じゃあな」と言って今度こそ去って行った。イーリィが大きく安どの息を吐く。恐ろしいものを見た、というように、セシリアが震える声でイーリィに言った。


「……危うく、イヌカさんと結婚させられそうになりましたね」

「勘弁してほしいわ、ほんと」


 ぐったりと疲れを全身で表し、イーリィは地面を見つめて嘆いた。セシリアがその肩に手を置き、「お疲れさまでした」と言った。トラックが二人に向かってクラクションを鳴らす。


「ええ、私たちも帰りましょう」

「なんだが死にそうに疲れたわ」


 トラックが助手席と運転席、両方の扉を開ける。二人がトラックに乗り込む姿を見つめながら、ルゼは小さくつぶやいていた。


「冒険者ギルド……取り込めれば、面白いかもしれん」

トラック達が去り、やがて日が暮れて、ルゼは満天の星空を見上げて言いました。

「そろそろ誰か降ろしてくれないかな?」

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[一言] イヌカの株が爆上がり!!www 一番出世したキャラなんじゃなかろうか!ww
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