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緊張

「……これはいったい、どういうことかしら。ねぇ、お父様?」


 北部街区にある高級料亭の離れで、イーリィはにこやかな殺意を隣に座るルゼに向けていた。ルゼは膝の上で拳を握り、イーリィを直視できない様子でうつむき、小さな声で言った。


「……ごめん。ほんっと、ごめんなさい」


 窓の外には料亭の見事な庭園が広がる。遠くでカラスが「アホー、アホー」と鳴いていた。




「イーリィさん……まさか、そこまで……」


 セシリアが痛ましげにそうつぶやく。トラックは言葉もなく立ち尽くしていた。イーリィは虚ろな笑いを浮かべる。そう、それはイーリィの意志の現れであり、ささやかな抵抗であるのだろう。きっと誰もがすぐに気付くはずだ。彼女の姿を見れば、その強固な拒絶と絶望を。「着替えてくる」と言って酒場を出たイーリィが再びトラック達の前に姿を現した時、彼女は、芋ジャーを着ていた。

 芋ジャーにピンとこない人のために説明しよう。芋ジャーとは、学校指定のジャージにありがちななんかもっさり感のあるジャージのことである。赤とか緑とかの地に白のラインが入ったりしているものが多い気がする。そして卒業後は実家で母ちゃんが着る。意外に丈夫なため久しぶりに実家に帰ったらまだ現役で母ちゃんが着ててビビる。もういい加減捨てろよ母ちゃん。

 セシリアはそっとイーリィに近付き、無言で抱きしめた。イーリィはセシリアの背に腕を回し、少しの間目を閉じると、


「……行ってくるわ」


 悲壮な決意と共にトラック達に背を向け、ギルドを出て行った。セシリアはイーリィの消えたギルドの入り口をじっと見つめていたが、やがてぽつりと言った。


「壊しましょう、このお見合い」


 トラックもまた入り口を向いたまま、プァンと同意のクラクションを返した。




 北部街区は基本的にはこの町の支配階級が住む高級住宅街なのだが、すべての区画が住宅なわけではない。高級住宅に住むような人たちが利用する料亭やら服屋やら医者やらサウナやら、要するに金持ち御用達の店が各所に点在している。だいたいの家では自前で料理人を雇っているし、かかりつけ医もいれば風呂やサウナも自宅に完備しているのだが、例えば会ったこと自体を秘密にしておきたい会合や関係者が対等な立場であることを示したい場合などには、自宅に招いたり相手宅に出向いたりするのではなく、そういった店を利用するのだそうだ。見合いの席というのも、少なくとも建前としては両者が対等な立場で顔を合わせる場なので、慣例に従ってイーリィのお見合いも北部街区にある高級料亭で行われることになったようだ。

 トラックとセシリアはイーリィたちの後をこっそり追跡し、今は見合いの行われる料亭の庭に潜んでいる。ギルドを出る間際、トラックは通りがかったイヌカに話しかけ、何事かを頼んだようだった。イヌカはそれなりに忙しそうだったのだが、「しゃあねぇなぁ」と言いつつトラックのお願いを聞いてくれたようだ。なんだかんだで面倒見のいい男である。

 北部街区は他の街区と大きな壁で隔てられており、本来なら中に入るには門番が守る門を通らねばならないのだが、セシリアのデタラメな魔法の力で壁に穴を開け、通り抜けた後に穴を塞いだので何の問題もない。やろうと思えばセシリアさんはドロボウし放題である。本人の良心を信じるしかないな。料亭も当然、壁に囲まれているわけだが、トラック達は音もなく開けた穴から悠々と庭に侵入した。そして大きな庭石の影に隠れて中を覗きつつ、乱入するタイミングを計る、予定だったのだが……


 イーリィの向かいに座る見合い相手を目にした瞬間から、セシリアも、そしてトラックも、我を忘れて呆然と立ち尽くしていた。




「いやぁ、めでたい! 今日は本当にめでたいですなぁ」


 ルゼの向かいに座る中年男が、場の空気を読まずか無視してか、ひとり上機嫌な声を上げた。近年成長著しいリーガ商会の現会頭、コルテス・リーガその人である。五十がらみの比較的小柄な、日ごろの不摂生がたたって腹が出た感じの、なんというかどこにでもいそうなおっさんだ。あんまり生き馬の目を抜くような厳しさはなさそうだが、ケテルで商会を率いて急成長を遂げているからには、見た目には現れない凄味なり腹黒さなりを抱えているのだろう。人は見かけによらないという見本のような男だ。


「申し訳ありません。息子はいささか緊張しておるようでして。普段は本当にもう、口から生まれたんじゃないかというくらいやかましくしゃべるのですが。……ほら、いい加減自己紹介くらいしなさい! おふたりに失礼だろう!」


 コルテスが隣に座る息子を小さな声で叱責する。ルゼとイーリィは見合い相手であるコルテスの息子に、どこか慄いた様子で視線を向けた。コルテスの息子はなにを考えているか分からない表情で、重い口を開いた。


「モー」


 牛じゃねぇかぁーーーーーっ!! やっぱ牛じゃねぇかぁーーーーーっ!! どっからどう見たって牛だと思ってたけども、世界観的に? 牛の獣人みたいな? そういうのもありうるのかなとかものすごい勢いで考えちまったじゃねぇかぁーーーーーっ!!! もうね、ミノタウロスなんてメじゃないくらい牛だからね? ホルスタインだからね? メッチャ牧草喰ってるからね? 見て、この高級料亭のテーブルの上に牧草が積んであるシュールな絵面。顧客ニーズに対応するにも程があるわ。


「あ、あはは、は、は」


 牛のあいさつ? に対して何と返答すべきか分からなかったのだろう、イーリィはあいまいに微笑みを返した。テーブルの下では、ルゼの足をゲシゲシと蹴り続けている。イーリィのささやかな抵抗であった芋ジャー姿も、もはやまったく意味を為していない。きっと牛は相手がドレスだろうが芋ジャーだろうが気にしないから。だって牛だもの。服着てないもの。ルゼは穏やかな鉄面皮でイーリィに言い訳をささやいた。


「確かに息子の顔を確認していなかったのはパパのミスだけど、でも聞いてイーリィちゃん。この父親の息子がこれだなんて、いくらなんでも想定の範囲外だよ」


 それはそうだろう。お宅の娘さんと見合いを、と言われて、人間であるコルテスがまさか牛を連れてくると予想する父親はどこにもいまい。ケテルがいくら他種族に寛容な土地柄だと言っても限度ってもんがあろうよ。イーリィは浮かべた微笑みを微妙に引きつらせ、「この事態をどう収拾するつもりだ」と言わんばかりにルゼの足をグリグリと踏みつけた。


「どうかなさいましたか?」


 イーリィとルゼの奇妙な緊張感をようやく感じ取ったのか、コルテスがやや不安そうな表情を浮かべた。何か粗相をしてしまっただろうか、という顔だ。二人は慌てて首を振り、取り繕うような笑顔で言った。


「いえいえ! いや、こちらもこういう事態は初めてでして! 緊張、しているのでしょうなぁ。何せ、初めてですから!」

「そ、そうなんです! お見合いの席に慣れてないというか、どうしていいかわからないというか、どうしようもないというか」


 コルテスはほっとしたように息を吐くと、にこやかに牛の背をポンポンと叩いた。


「緊張しているのはこちらも同じですよ。大切な家族の将来に関わる、重要な席ですから。こいつも普段はどちらかというとお調子者なのですがね。今日はほら、借りてきた牛みたいだ。なあ、畜産十一号」


 ……息子、畜産十一号って名前なの? フルネームだと『畜産十一号・リーガ』さんですか? あんたどういう了見で息子の名前決めたのかちょっと説明してくんない? そして借りてきた牛ってなんじゃい! ひとつのセンテンスにツッコミどころを二つ以上入れるんじゃないよ! いいか、ボケっていうのは、焦点を絞るべきなんだよ! ボケ散らかしてるだけじゃ収拾がつかなくなるんだよ! どこで相手を笑かすか、それを完全にコントロールしてこそのお笑い芸人だろうがっ!

 畜産十一号は不快そうに身体を震わせ、コルテスの手を払った。コルテスは「やれやれ」と苦笑いを浮かべる。


「こんな不愛想な顔をしていますが、イーリィさん。息子はあなたのことを気に入ったみたいですよ。ほら、耳が少し動いているでしょう? そわそわしているとそうなるんですよ。コイツの妙な癖です」

「モーッ!」


 からかうようなコルテスの口調に、畜産十一号は、たぶん抗議の声を上げた。まあ「モーッ!」が本当に抗議の声なのかはわからないんだけど。いつの間にかテーブルの牧草を食べつくしているので、もしかしたら「おかわり!」って言ってるのかもしれないけど。一向に食の進まないイーリィとは対照的だな。コルテスは朗らかに笑う。こちらも引きつった顔のルゼと好対照である。


「さて、いい加減我々お邪魔虫は退散して、後は若い二人に任せるとしましょうか。親が横にいてはできない話もありましょうから」


 コルテスはそう言って立ち上がり、畜産十一号の背をポンと叩いた。頑張れよ、ということだろう。イーリィの顔から血の気が引き、絶望という言葉がぴったりの目で横にいるルゼを見た。ルゼはにこやかにコルテスに頷き返すと、席を立ちながら言った。


「そ、そうですな。後は二人の心次第。我々の出る幕ではない」


 イーリィの絶望に沈んでいた目に、激しい怒りの炎が灯る。視界に入る者を焼き尽くさんばかりのその瞳から不自然なまでに目を逸らし、ルゼはそそくさと部屋を後にした。コルテスもルゼの後を追うように部屋を出る。……逃げたな、議長。最悪だな議長。娘が二度と口をきいてくれなくなるぞ。


「モー」


 取り残された二人……二人? は、しばらく無言で座っていたが、やがて畜産十一号がイーリィに声を掛け、縁側から庭に降りた。イーリィは戸惑いつつ席を立ち、畜産十一号を追う。これは、アレだろうか? 庭でも散歩しませんか、的なやつだろうか? 二人の砂利を踏む音が静かに響く。

 ……ってか、日本庭園なのな。枯山水とか石灯篭とかなのな。西洋風の庭園ではないのな。ケテルは異文化の集まるるつぼみたいなところだけど、それにしたってどこの文化の庭園なのよ。どっか東の果てにでも日本そっくりの文化圏があんの?


「ど、どうしましょう、トラックさん。どうすればいいのでしょうか?」


 庭園の大きな岩の影に身を潜めていたセシリアが、隣に控えるトラックに戸惑った声を掛けた。トラックは考え中と言うようにハザードを焚くが、結論は出ないようだ。まあ無理もない。トラック達は見合いを壊すためにここに来たのだ。もう壊れているものを壊す方法など存在しない。

 混乱中のトラック達をよそに、畜産十一号とイーリィは無言のまま並んで歩いていく。庭には大きめの池があり、池の中央まで木製の橋が伸びていた。朱色の欄干の雅な橋だ。畜産十一号は橋を渡り、池をのぞきこむ。イーリィもなんとはなしに畜産十一号の隣に並んで池を見つめた。池の水は澄み、冬のシンとした冷たさの中で神秘的に揺らめいている。隣にいる相手が牛でなければ、多少のロマンスを感じることができただろうか。

 池の中には柳のように細い魚が群れを作り、冬の日差しをその鱗で反射している。群れの動きに合わせて反射する光はその形を変え、キラキラと輝いていた。イーリィはその光を楽しそうに見つめている。……現実から目を背けている、とも言う。そして畜産十一号はいつの間にか、そんなイーリィを横顔をじっと見つめていた。イーリィを見つめる畜産十一号の耳は、落ち着かなげにピコピコと揺れていた。

畜産十一号は農業試験場で生まれた、病気に強く肉質も良いエリート牛です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 後書きがない……だと……! 芋ジャーすこ( ˘ω˘ ) 芋ジャーに限らず、美女がクソダサい格好してるの大すこ( ˘ω˘ ) >いいか、ボケっていうのは、焦点を絞るべきなんだよ! ボケ散ら…
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