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首輪

 じりじりと照り付けるような太陽の下、トラック達は当てもなく町をさまよっていた。空は快晴、雲一つない。セシリアは仔猫が隠れていそうな木陰や茂みの中、側溝などを覗き込んでは「ミィちゃん」と声を掛けている。剣士が腰の水袋を取り出してひと口あおり、手をかざして恨めし気に空を仰いだ。セイウチ夫人の屋敷から始めた捜索は、すでに二時間が経過して何の成果もない。


「いねぇなぁ」


 剣士が不景気なため息を吐く。北部街区の道はきれいに敷き詰められた石畳で、大きな馬車が行き違えるように道幅も広い。道の脇には側溝があり、雨の時に道に水が溢れないよう設計されている。道は低木の植え込みによって歩道と車道に区切られていて、その緑が無機質な石の街並みに彩りを与えていた。さすが高級住宅街。何もかも下町と違う。

 金が余っているのか何なのか、この辺りの屋敷の敷地はやたらと広いが、塀に囲まれた敷地の中に猫を探しに来た冒険者を招き入れてくれる親切な住人は一人もいない。もし猫が隣家の敷地の庭にでもいたとしたら、トラック達に猫を見つけることは不可能だろう。とりあえず探せる場所を探している状況だが、目途も何もなく漠然と捜索を続けるのは気持ちの面でもかなりきついだろうな。

 ふぅ、と息を吐いて、セシリアが流れる汗をぬぐった。上からは容赦ない太陽の光、そして下からはきれいに整備された石畳からの照り返しに襲われ、体力を奪われているのだろう。水分とミネラルを摂った方がいいよ。熱中症になるから。

 ちなみに今、セシリアは魔法使い然としたローブ姿ではなく、白のショートパンツとノースリーブブラウスを着ている。猫探しに武装は必要ないということなのだろう。髪もポニーテールにしていて、昨日よりちょっと活発な感じ。こういう健康的なのも、なかなか良いものでございますな。剣士も昨日と違って鎧だのマントだのは着ていないが、まあこっちはどうでもいいか。なんか布っぽいものを着ている。さすがに剣は持ってきているようだ。剣士としてのアイデンティティだな。

 セシリアは一生懸命、剣士は嫌々、猫がいそうな場所を探している。トラックは頑張る二人を横目に、道端でぼけっと停車していた。やる気ないな。まあ、その図体じゃ猫探しなんて無理だよな。路地、側溝、植え込みの中、どれもトラックが入ることもできない場所だ。人選ミスじゃありませんかねぇ、イーリィさん。


「この辺りにはいないのでしょうか?」


 うーん、と背伸びをして、セシリアが言った。剣士も首を回しながら唸っている。ずっと低い姿勢でいたから、身体が変に固まっているようだ。すらりとした手足を伸ばし、あるいは上半身を左右にひねって、セシリアは体をほぐしている。そうすると当然、揺れるわけですよ。彼女の危険なデンジャラスが。うむ、眼福である。

 セシリアと剣士が、捜索範囲を広げようかと話し合う中、トラックは素知らぬ顔で、エンジンをかけたまま動こうとしない。お前なぁ、もう少しでいいからやる気を……あっ! お前、クーラーかけてやがるな! 二人が炎天下を汗だくで頑張ってるっていうのに! なんて奴だ、一人だけ楽しやがって! 俺が説教モードに入ろうとした、まさにその時。


 シャァァァァッッ!


 獣の唸り声が聞こえた。声の方向に目を遣ると、少し先の路地から、弾かれるように一匹の黒猫が飛び出してきた。それを追って茶虎の成猫が顔を出し、牙を剥いて威嚇する。黒猫は慌てて距離を取り、茶虎に背を向けて逃げ出した。ああ、縄張り争いに負けたのか。可哀そうだが仕方ないな。それが自然の掟だもの。

 ……ん? あれ、探してる猫じゃない? ミィちゃんって黒猫じゃなかったっけ?

 プァン、とトラックがクラクションを鳴らした。話し合いをしていた二人がトラックを振り返り、トラックの視線、というか向いている方向の先にあるものを見て「あっ」と声を上げた。黒猫の首には赤い首輪があり、首輪に付けられた小さな金属片には確かに『ミィ』と書かれていた。


「いたっ!」

「待てっ!」


 各々に叫びながら、二人は黒猫を追って駆けだした。黒猫は二人が上げた声に驚き、一目散に逃げる。まあ、そうなるよね。追いかけたら逃げるよね。トラックも多少やる気を出したのか、セシリアの後ろについて走り始めた。

 黒猫は必死の形相で道を駆ける。ここで逃がしたらまた振り出しに戻ると、セシリアたちも必死だ。黒猫はしばらく道なりに逃げていたが、セシリアたちが諦めそうにないことを悟ったのか、急に向きを変え、道沿いの屋敷の石壁にひょいっとよじ登ると、そのまま敷地内に入っていった。


「ああっ!?」


 セシリアと剣士が悲痛な声を上げる。屋敷の敷地に入られると、セシリアたちには打つ手がない。二人はぜぃぜぃと肩で息をしながら黒猫が乗り越えた石壁の前で立ち止まり、恨めし気に顔をしかめた。しかしトラックはハンドルを大きく切って壁に正対すると――


 突っ込んだーーーっ!!

 やっぱ突っ込んだーーーっ!!


 予想はしてたけど! そうするだろうとは思ったけども! お前、全然懲りてないだろ! トラックはよそ様の家に突っ込んだらダメなんだよっ!

 すさまじい轟音が鳴り響き、セシリアたちの前に道が開かれる。おそらく全くの予想外だったのだろう、石壁を突き崩したトラックの姿を、黒猫がぽかんと口を開けて見つめている。


「な、なんだ? 何事だ!?」


 動揺と混乱を口にしながら、屋敷から使用人が飛び出してきた。そのことに気付いたセシリアが慌てて呪文を唱える。


「砂の小人よ。月の砂漠に住まう者よ。彼の者の目に銀の砂を撒け」


 セシリアは手のひらを上に向けて口元に当て、ふっと息を吐いた。セシリアの魔法を受けた使用人たちがバタバタと倒れる。お、おいおい、いいの、それ?


「猫に!」


 剣士がセシリアに向かって叫ぶ。しかしセシリアが呪文を唱える前に黒猫は我に返り、再び逃走を開始した。惜しい! 三秒遅かった!

 トラックは黒猫を追いかけるべくアクセルを踏み込んだ。庭の木々をなぎ倒し、塀を突き破ってトラックは進む。だからさぁ、とにかく突撃するのやめろっつってんだろ! お前、セシリアが直してくれると思って甘えてんのか? だいたい、もう追いかけるというよりむしろ、襲い掛かってる勢いだろ。そりゃ猫も逃げるわ。


「どうする?」


 先を行くトラックの後ろ姿を見ながら意見を求めた剣士に、セシリアは答える。


「トラックさんを追いかけて。私は壊れたものを元に戻してから合流します」

「あの人たちは?」


 剣士が地面に倒れて寝息を立てている使用人を指した。セシリアは一瞬口ごもったが、すぐに気持ちを立て直して返答した。


「そのままで。目が覚めた時に庭が普段通りになっていれば、夢だったと思ってくれると期待しましょう」


 わぁ、セシリアさんったら大胆、かつ楽天的。そうなってくれる保証はどこにもないのに、むしろ限りなくその可能性は低そうなのに、その決断力は素晴らしい。剣士は頷くと、トラックの後を追って走り出した。セシリアは意識を集中し、呟くように呪文を唱える。セシリアの翠の瞳が光を帯び、彼女を中心にまばゆい光が周囲を包んだ。そして光の収束と共に、破壊された壁やなぎ倒された庭木が、まるで何事もなかったように美しい姿を現した。元に戻った、というより、新品と差し替えたような感じだなぁ。汚れやら歪みやらといったものまで一緒に直されてしまっている。来た時よりも美しく、の精神だろうか。

 少し離れた場所で再び、すさまじい衝突音と何かが崩れる音が響いた。もうただの暴走トラックじゃねぇかよ。セシリアは軽く息を吐くと、トラック達を追って走り出した。そして足を止めないまま、トラックが作り出した惨状を次々と癒していく。ごめんね、うちのトラックが迷惑かけて。

 破壊と再生、そして表に出てくる人々を軒並み眠らせて、トラック達は黒猫を追いかけていく。やがてこの不毛な追いかけっこにも終わりが訪れ、遂にトラック達は黒猫を袋小路に追い詰めた。




「ようやく追い詰めたぞ」


 完全に悪役のセリフを吐いて、剣士がゆっくりと黒猫に近付く。周囲を石壁に囲まれた袋小路で、可哀そうに、黒猫は壁の隅に小さく丸まって震えている。壁は三メートル以上あるだろうか、とても仔猫が登れる高さではない。くっくっく、と喉の奥で笑いながら意地悪く笑う剣士の襟を、セシリアが背後から思いっきり引っ張った。「ぐぇっ」と三下っぽい呻き声を上げて剣士が尻もちをつく。


「怯えさせてどうするの」


 剣士を冷たく一瞥した後、セシリアは地面に膝をつき、「怖くないよ」と言いながら少しずつ距離を縮めていった。今までさんざん追いかけ回しといてもう遅い気がするけど。周囲の構造物を破壊しながら延々と追いかけてくる大型トラックなんて充分すぎるほどトラウマ案件ですけど。セシリアは焦らず、ミリ単位で間を詰めていく。すると、怯えて俯いていた黒猫が顔を上げてセシリアを見た。セシリアは微笑み、そっと手を差し伸べる。黒猫は勢いよくセシリアの腕の中に飛び込んだ。


「いい子ね」


 セシリアは優しく黒猫の頭を撫でる。黒猫は気持ちよさそうにゴロゴロと唸った。

 チョロいぞにゃんこよ。いくらセシリアが美人だからって、簡単に篭絡されすぎだろう。所詮お前もオスだったか。お前も美人が大好きか。うん。俺もな、美人が大好きだ。

 張りつめたものが切れたのだろう、黒猫はセシリアの膝の上で眠ってしまった。セシリアが愛おしそうに目を細める。仔猫が眠ってる姿って、なんかいいよね。癒される。逃げ回って疲れたよね。ごめんね、トラックのバカがバカでバカだから、ほんとに。壁に突っ込むとかほんとバカだよね、ほんとごめん。

俺が黒猫に謝りながらほんわかしていると……あれ? なんか、猫大きくなってない? さっきより大きくなってない?


「!?」


 セシリアが撫でる手を止め、驚きに目を見開いた。セシリアの膝の上で、黒猫はみるみるうちにその大きさを増し、やがてその正体を現した。そこにいたのは、頭に可愛い猫耳をちょこんと乗せた、黒い髪の、五歳くらいの男の子だった。


「……他の猫と見前違えることはあり得ないって、そういうことかよ」


 剣士が、苦々しく顔を歪める。セシリアがひどく厳しい表情で男の子を見つめた。


「……獣人族……!」


男の子の頬についた涙の跡と首に付けられた首輪の赤が、この子を取り巻く悪意とおぞましさを強調するように、やけに目立って見えた気がした。


そしてセシリアは男の子の猫耳を手でそっと覆い隠し、厳かに呟きました。「……見なかったことにしましょう」と。

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