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ため息

 初雪が降ってしばらくが経ち、ケテルは冷え込んだり少し暖かくなったりを繰り返しながら、すっかり真冬の顔をしている。街を行き交う人々は寒そうに背を丸め、早足で通り過ぎる。各家庭では年越しに備えて屋根や壁の補修なんかに忙しい。気持ちよく新年を迎えるための準備の音がそこここから聞こえ、どこか急くような空気がケテルを覆っていた。




 ガトリン一家壊滅の功績により、トラックはCランクに昇格した。Dランクの実績がほとんどない状態での昇格は極めて異例なことらしく、トラックは事情を知らない他の冒険者から訝しげな目を向けられていた。ランクアップの通知はギルドの掲示板に張り出されるのだが、そこに理由が書かれることはないのだ。もっともトラックは、自分が何ランクだろうがあまり気にしてはいないようだった。

 CランクはDランクと違い、仕事の内容がより『戦闘メイン』になる。Dランクは例えば『襲撃を受ける可能性のある商人の護衛』だが、Cランクだと『商人を襲う山賊の討伐』だったりする。積極的に攻める仕事が多いらしい。でもそういうの、トラックには向かない気がするよね。トラックの本分は配送だもの。笑顔と幸せを運ぶのがお仕事だもの。

 ちなみに今回、トラックだけでなく剣士もBランクに昇格している。ただ、セシリアは据え置きだそうだ。セシリアが昇格するとAランクということになるが、Aランクは実質的に冒険者の最高位なので、そうそう簡単になれるものでもないのだろう。セシリアも昇格しなかったことに頓着する様子はなかった。トラックと組むと受けられる依頼はトラックのランクに合わせられるので、自分だけ昇格しても無意味だと思っているのかもしれない。


 晴れて正式な冒険者となったルーグは、イヌカの下について新たなスタートを切った。本人はトラックと組みたかったようだが、イヌカはそれに反対した。


「アイツは特殊過ぎて参考にならねぇんだよ。オレが基礎から鍛え直してやるから、しっかりついてこい!」


 イヌカはそう言ったが、本音はたぶん、ルーグとトラックは少し距離をとった方がいいと考えたのだろう。トラックを裏切ったという思いはルーグの中に未だ重く横たわっていて、ルーグは以前と比べて格段に笑わなくなった。トラックの近くにいればその気持ちを否応なく自覚するわけで、いつか向き合わないといけないとしても、今はまだそのときではないのだ。少しずつ自分を許していけばいい。イヌカはきっと、うまくルーグを支え、導いてくれるだろう。


 調査部による聴取を終え、軟禁を解かれたヘルワーズは、最初にトラックの許に足を運び、地面に膝をついて深々と頭を下げた。きっと調査部の人間にトラックが何をしたか聞いたのだろう。


「ボスの命を助けていただき、感謝する。この恩は必ず返すと誓おう。どうか憶えておいてもらいたい。いついかなる時も、お前が世界の敵になっても、俺はお前の傍らにいる」


 ヘルワーズは『自分を助けてくれて感謝する』とは言わなかった。彼にとって自分自身はどうでもいいのだ。彼はずっとボスのために生きてきて、これからもずっとボスのために生きるのだ。尽くす男、ヘルワーズ。でもちょっとくらい自分のために生きてもいいんじゃないかな?

 ヘルワーズはその後、ギルドに併設された酒場のスタッフとして働いている。他のメンバーと違ってヘルワーズは特に調査部の厳重な監視下に置かれており、その行動は強く制限されていた。だが彼は文句の一つも言わず、黙々と雑用をこなし、仕事以外の時間はこんこんと眠り続けるボスの世話をしている。ヘルワーズの現在の上司は、運が悪いというか何というか、ロジンになってしまい、ロジンはかつての鬱憤を晴らすようにヘルワーズにきつく当たっているのだが……


「なにやってんだヘルワーズ! ジャガイモ全部剥いとけって言っただろうがこのグズがっ!」

「すいませんロジンさん! すぐに!」


 本来自分がやるべき仕事の大半をヘルワーズに押し付け、傍から見ても眉をひそめるほどの明かなパワハラなのだが、実はロジンの理不尽な態度はヘルワーズへの周囲の風当たりを弱める働きをしてくれている。ヘルワーズは病気の弟――事情を知らない周囲の人々はボスをヘルワーズの弟と思っている――の世話をしつつ、無能な上司の嫌がらせに黙って耐える寡黙な男、というイメージが定着しつつあり、酒場の客、特に女性客の受けが非常に良い。ロジンはそれが気に入らず、余計にヘルワーズに辛く当たり、それを見た女性たちがますますヘルワーズ推しになるという、悪循環、というか好循環を生み出している。そしてロジンはあらゆる客層からのヘイトを一身に集めているのだ。ある意味ありがとう、ロジン。


 そうそう、実は、ルーグがトラックにけしかけたニヨベラピキャモケケトスは今、エバラの家で暮らしている。あの戦いの後、セシリアたちと合流したトラックは、呪銃によって異常な興奮状態にあったニヨベラピキャモケケトスをセシリアに沈静化してもらい、連れ帰っていたのだ。戦闘モードではないニヨベラピキャモケケトスは大きさが半分くらいになり、鳴き声も『キューキュー』と意外にかわいい。一時は冒険者ギルドにいたのだが、さすがにずっと置いてはもらえず、引き取り手を探していた。しかしまあ、地域によっては『悪魔』なんて言われる生き物を進んで引き取ってくれるひとは見つからず、トラックは最後の頼みの綱として、エバラの家を訪ねた。


「……なんだか他人の気がしないねぇ」


 仕方ない、というようにエバラが小さくため息を吐いた。横にいた夫が笑顔でうなずく。


「仕込めば猟犬代わりになるかもしれんしな」


 レアンが嬉しそうに駆け寄り、ニヨベラピキャモケケトスの頭を撫でる。ニヨベラピキャモケケトスは気持ちよさそうに目を閉じて『キュー』と鳴いた。こうしてニヨベラピキャモケケトスは『ニヨ』という安直な名前を付けられ、エバラ家の一員となった。ニヨはすぐにエバラに懐き、特に何の心配もなさそうだった。たぶん、エバラを同族と思っているのだろう。


 ……懐が深すぎるよエバラ家。獣人と魔獣を迎え、エバラ家は着々と戦闘力を整えつつある。西部街区の一世帯としては最強なんじゃないだろうか。今後のエバラ家がいったいどこに向かうのかが気になる。


 そしてトラック達は、冒険者ギルドとノブロ一味の仲介役として、日々めまぐるしく動いていた。ノブロ一味は、どういう経緯かはわからないが、今、ひたすら炊き出しとゴミ拾いをしている。のだが、炊き出しするにも食材の調達が必要だし、集めたごみを処分する必要もある。ノブロ一味にそれらをまかなう金があるはずもなく、冒険者ギルドがその資金を支えていた。ただ、冒険者ギルドだってそんなに潤沢な資産を持っているわけではないので、マスターは評議会や商人ギルドに援助を求めて交渉を重ねている。幸い議長のルゼは好意的で、当面の資金のめどは立ったようだ。しかしルゼは善意の人などではまったくないので、資金提供の代わりに様々な面倒ごとをギルドに押し付けてきており、トラック達はその対応に追われるはめに陥っていた。そして――




 ギルドの酒場のカウンターで、イーリィが憂鬱そうに頬杖をついている。隣にはセシリアが座り、心配そうな顔でイーリィの顔を見ていた。トラックは椅子に座れないので、セシリアの後ろにボーっと停車している。ちなみに剣士は商人ギルドの幹部の依頼で犬の散歩中である。


――はぁ


 肺にたまった鬱々しい空気を吐き出し、イーリィは気怠げに宙を見つめている。セシリアが遠慮がちに声を掛けた。


「どうかなさったのですか? さっきからため息ばかり」


 イーリィはセシリアの声に応えず、ぼんやりと視線を中空に向けたまま、声だけでトラックに呼びかけた。


「ねぇ、トラさん。私と付き合ってみる気、ない?」

「ありませんが何か?」


 間髪入れずにセシリアが答える。セシリアの表情から、さっきまであった心配や労りの色が見事に消えた。真顔、真顔が怖いよセシリアさん。


「……そうよねぇ」


 最初から期待していなかった、という感じで、イーリィは再び深いため息を吐く。いや、トラック何も言ってないけどね。セシリアが戸惑いに眉をひそめた。


「本当にどうなさったのですか? 急に、正気とも思えないことを」


 イーリィは心底嫌だというオーラを存分に込めたため息を吐くと、意を決したように口を開いた。


「実はね……」




「お見合い、ですか!?」


 セシリアが目を丸くして掌を口元に当てた。イーリィは力なくうなずく。イーリィの話を要約すると、だいたいこんな感じだった。


 トラック達がアネットを助けるために商人の家に殴り込んだ事件で衛士隊に逮捕され、すぐに釈放されたことを覚えているだろうか。そのときあっさり釈放された理由はイーリィが父親、つまり評議会議長ルゼに頼んだからだったのだが、ルゼはイーリィのお願いを聞く代わりに、イーリィもルゼの要求を一つ叶えることを約束させられたのだそうだ。内容は追って伝える、とのことで、しばらく経っても何も言ってこなかったため、もう忘れたものだと思って油断していたら、昨日急に実家から使いが来て、「明日お見合いだから」と言われたそうだ。あまりに突然の事態に拒否しようとしたのだが、以前の約束を盾に押し切られてしまった。「何でもするって言ったよね?」と言われると、イーリィとしては要求を飲まざるを得ない。トラック達はすでに解放されてしまっているのだから。


「もうお付き合いしているひとがいる、って言ったら諦めてくれないかと思って」


 そう言ってイーリィは、今日何度目かのため息を吐いた。自分でそう言いながらも、あまり期待していない様子ではある。確かにあのルゼ議長が、「付き合っている人がいます」と言ったくらいで引き下がる気は全然しない。にっこり笑って相手を謀殺しそうな気がする。いや、さすがにそこまでは……ない、とは言い切れない。


「そういうことでしたら、トラックさんでなくてもよいではありませんか。殿方は他にもたくさんいらっしゃるでしょう? イヌカさんとか」


 その場しのぎなのであれば誰でもいいだろう、という提案に、イーリィはジトッとした目でセシリアを軽く睨んだ。


「あのねぇ、セシリア。私にだって多少の見栄ってものがあるのよ」


 セシリアは重要なことに気付かされた、とハッとした表情を浮かべ、恥ずかしそうに頭を下げた。


「申し訳ありません。失言でした」


 ……イヌカ、評価低いのな。俺は奴の頑張りを見てるからちょっと切ないわ。大丈夫、俺はお前のこと結構好きだぞ、イヌカ。


「そうよね。いくら私が議長に頭を下げてあなたたちを助けたからって、それとこれとは話が別よね。こうして望まない見合いをするはめになったのも、自業自得よね。私が勝手にやったことだし、トラさんを巻き込むのは筋違いよね」


 イーリィの結構大きめの独り言に、セシリアは「うっ」と顔をしかめた。セシリアも助けられた張本人なのだから、無関係を決め込むわけにもいくまい。


「見合いをすればきっと、私の意志とは無関係に話は進むでしょうね。好きでもない男と結婚して、商家の嫁として家に縛られ、自由のない一生を送るのだわ。でも仕方のないことなのかもしれないわね。運命ならば受け入れるしかない」


 そう言ってイーリィは寂しげに笑った。セシリアは「ううっ」と顔を引きつらせる。しばしの葛藤の後、セシリアは意を決したように大きく息を吸い、イーリィに言った。


「……お貸しするだけです。必ず返してくださいね」

「本当!? ありがとうセシリア! 恩に着る!」


 イーリィは満面の笑みでセシリアの手を取った。その豹変ぶりにセシリアは目を白黒させている。セシリアは見事に言葉を引き出されてしまったわけで、イーリィの方が一枚も二枚も役者が上、ということだろう。しかしまあ、トラックが一言もしゃべらないうちに勝手に貸し出されることになってしまった。今のトラックはセシリア名義ということなのだろうか?


「よろしくね、トラさん。しっかり恋人の振り、してちょうだいね」


 イーリィは振り返り、席を立ってトラックのフロントに手を触れた。「振りでなくても構わないけど」と艶っぽく微笑むイーリィをセシリアがどろどろとした呪詛を込めてにらみ、イーリィはセシリアの怒りを煙に巻くように楽しげに笑った。トラックはどうしたものかと戸惑うようなクラクションを鳴らした。

 バタバタと、酒場の外から靴音が聞こえる。イーリィの表情が一気に険しくなり、彼女は鋭い視線を酒場の入り口に向けた。


「……来た」


 その言葉が合図のように、酒場の入り口に一人の、壮年の男が姿を現した。

姿を現した壮年の男の姿に、誰もが言葉を失いました。

そこにいたのは伝説の、『千鳥足』のジンゴ、その人だったのです――!

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― 新着の感想 ―
[一言] >今後のエバラ家がいったいどこに向かうのかが気になる。 これは終盤でエバラ家が重要な役を担う伏線( ˘ω˘ ) >……イヌカ、評価低いのな。俺は奴の頑張りを見てるからちょっと切ないわ。大丈…
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