初雪
ルーグの涙が止まるのを待って、マスターはルーグを連れて登録手続きのために退出した。トラック達もまた部屋を出る。剣士が腕を上げて大きく伸びをして、セシリアは胸に手を当てて深く息を吐いた。トラックも、もしかしたら俺の気のせいかもしれないが、心なしか嬉しそうに見える。イヌカが最後に部屋を出て、トラックに声を掛けた。
「ちょっと、いいか?」
トラックはプァン? とクラクションで応える。気を遣ったのか、剣士とセシリアはトラックを置いて先に行ってしまった。イヌカはトラックに外に出るよう促す。人目があるところでは話しにくいことなのだろうか?
ギルドの入り口を出ると、昼間だというのにピリッとした寒さが肌を刺した。イヌカはぶるっと体を震わせ、「おお、寒いな」とつぶやいた。空は雪雲が重く垂れこめ、ただでさえ弱々しい冬の日差しを遮っている。
「こりゃ、降るかな?」
イヌカが空を見上げる。吐いた息が白く煙った。トラックはプァンと気のない返事を返す。イヌカは視線を空に向けたまま苦笑いをした。
しばらく空を見ていたイヌカは、やがて無言のまま歩き出した。トラックは黙ってイヌカの後をついて行く。ギルドの前に広がる中央広場の外縁に植えられた樹の下まで歩き、イヌカは足を止めた。行き交う人々の流れから少し外れた、誰も気に留めないような場所だ。
「礼を、言っとく」
イヌカはトラックを振り返り、姿勢を正すと、きっかり九十度に頭を下げた。
「ルーグを助けてくれて、ありがとうございました」
なかなか頭を上げようとしないイヌカに、トラックはどこかゆるい感じのクラクションを返す。イヌカは顔を上げ、小さく頭を振った。
「オレ一人じゃできなかった。お前がいてくれたから、ルーグは救われたんだ。命も、心も」
トラックは素っ気なくクラクションを鳴らす。イヌカが呆れた表情を作る。
「何がトントンだ。幹部に頭下げてただけのオレと、マフィアを潰したお前の功績がイコールなはずねぇだろうが」
トラックはちょっとムキになったようなクラクションを返した。
「お前は、ホントに……」
イヌカは脱力したように笑った。ふんっ、と鼻を鳴らすように、トラックは小さくクラクションを鳴らした。
「ガトリン一家全員の助命を求めたのは、ルーグを目立たせないためか?」
イヌカは表情を改め、トラックに問う。トラックは短いクラクションで応えた。
「? 残りの半分は?」
怪訝そうなイヌカの様子にトラックはまたも簡潔にクラクションを返す。イヌカは神妙な顔つきで小さくうなずいた。
「南東街区に生まれた責任、か。確かに、それを本人たちに負わせるのは間違ってるかもしれねぇな」
トラックはさらにプァンとクラクションを続けた。イヌカは驚いたように軽く目を見張った。
「ずっと関わり続けるつもりか?」
トラックは事も無げにクラクションを返す。イヌカは呆れたような、感心したような顔で笑った。
その後、イヌカはしばらく、何か言いたいような、でも言うことを迷っているような感じで視線をさまよわせていた。トラックはぼへっと停車したまま、イヌカのアクションを待っているようだ。やがてイヌカはトラックから微妙に視線を外したまま、ためらいがちに口を開いた。
「冒険者っていうのは、な」
イヌカはどこか別の時間の景色を見るような瞳をしている。
「だいたいが、世の中からはみ出しちまった奴らだ。畑耕したり、商売やったり、そういう地道で堅実な生き方ができねぇ。かといって、他人から奪って生きられるほど堕ちちゃいねぇ、堕ちたくねぇ。ある意味、半端モンなのさ。オレたちは」
イヌカが少し皮肉げに口の端を上げた。何が言いたい、と言わんばかりに、トラックが戸惑い気味のクラクションを鳴らす。イヌカはトラックを見つめた。
「仕事上、必要があればオレたちは戦うし、敵を殺す。だがお前は違う。お前は殺さねぇ。敵も、味方も、誰も死なせねぇ。オレたちには殺すしかない場面で、お前は殺さない方法を見つけるんだ」
シンとした冷たい空気の中で、イヌカの抑えた声が熱を帯びた。
「オレたちは殺したいから殺すわけじゃねぇ。壊したいから壊すわけじゃねぇ。お前は、殺したくないから殺さねぇんだ。壊したくないから壊さねぇんだ。それを貫く強さをお前は持ってる。それはオレたち半端モンの、理想だ」
その瞳が真剣な光を宿し、
「トラック」
ふっと強く息を吐いて、大きく息を吸い、決意を込めて、イヌカは言った。
「オレは、お前を、尊敬する」
身体に沁みこませるように、トラックは静かに言葉を受け取った。そして少しの間を空けて、真剣な様子のクラクションを返す。イヌカが思わずといった感じで吹き出し、軽くトラックをにらんだ。
「なんでもっかい言わなきゃなんねぇんだよ。二度と言うか」
プォン、とトラックは残念そうなクラクションを鳴らす。「しょうがねぇな」とつぶやいて、イヌカは可笑しそうに笑った。
「おっ」
イヌカがそう声を上げ、空を見上げる。空を覆う雪雲から、ちらちらと雪が舞い始めていた。
「降ってきやがったなぁ」
それは今年の初雪だった。イヌカは寒そうに身を縮める。雪は徐々に勢いを増し、道に、屋根に、降り積もっていく。街を、景色を、ケテルを白く塗りつぶしていく雪を、イヌカとトラックはしばらくの間、見上げていた。
「うわわわっっっ!!」
トラックの運転席で、エリヤが動揺の声を上げた。トラックの車体は激しく上下に揺れ、エリヤの身体もガクンガクンと振り回されている。助手席ではクラルさんが目を白黒させていた。クラルさんの身体はトラックの念動力で支えられているため、エリヤほどの浮き沈みはないのだが、それでも揺れの影響を全く受けないわけではない。
エリヤは揺れに翻弄されながらも精霊語で木々に必死に呼びかけ、トラックの通る道を確保している。呼びかけに応えた木々が海を割るようにトラックに道を開けた。
トラック達は今、セテスのいる洞窟に向かっている。
初雪が降った数日後、南東街区で忙しく働くトラックに、冒険者ギルドから呼び出しがかかった。トラックがギルド本部に戻ると、そこいたのはクラルさんだった。クラルさんはかくしゃくとした様子で、ちょっぴり自慢げに、トラックに言った。
「ようやく約束を果たせたわ」
クラルさんの手には麻袋があって、中にはリュネーの花がいっぱいに詰まっていた。
「これはほんの一部。私の家の庭には、まだまだたくさん咲いているわよ」
そう言ってクラルさんはにっこりと笑う。トラックはプァンとお礼を言うと、念動力でクラルさんを助手席に乗せ、急いでクラルさんの家に向かい、荷台に乗るだけのリュネーの花を積んで、そのままエルフの村を目指した。エルフの村では挨拶もそこそこにエリヤをとっつかまえ、その足でセテスのいる洞窟へと出発した。
不意に視界が開け、見覚えのある泉が姿を現す。周囲にはうっすらと雪が積もっていた。セテスの姿は見当たらない。トラックはブレーキも踏まずにそのまま洞窟の中へと進んだ。泉へと注ぎ込む水の流れに沿う道をトラックは進む。そして洞窟の最奥、リュネーの花の群生地に辿り着くと、そこにはセテスとリスギツネたちがいた。
――クルル、クルル
警戒しているのか、怯えているのか、リスギツネたちが鳴き声を上げる。セテスは顔を上げ、トラック達を虚ろな瞳で見据えた。セテスは地面に座り、一匹のリスギツネを膝の上に乗せている。そのリスギツネは他のリスギツネより一回り小さく、そして元気のない様子で体を丸めていた。
「何をしに来た。もはやここに用はあるまい」
セテスは冷たい声でトラックに問う。リュネーの群生地であったこの場所に、今はリュネーの花は一つも残っていない。リスギツネたちは冬を越すために残った花をすべて食べてしまったのだろう。そしてそれでも花は足りず、一番弱い個体が命の危機に瀕しているのだ。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。
「持って、きた? どういう意味だ?」
戸惑うセテスの前に横付けし、トラックはウィングを開く。荷台の中からリュネーの花があふれ、こぼれて落ちた。
ハッと目を見開き、セテスが信じられないものを見る目で大量のリュネーの花を見つめる。リスギツネたちが嬉しそうに「クルル」と鳴いて、花の海に飛び込んだ。エリヤとクラルさんがトラックから降りる。
「お待たせして申し訳ありません、セテス様」
エリヤがセテスに頭を下げる。クラルさんがリュネーの花を一つ手に持ち、セテスの膝の上にいるリスギツネの前に進み出ると、その鼻先に花を差し出した。リスギツネはスンスンとにおいを嗅ぎ、そしてクラルさんの手から花を食べた。リスギツネの身体が一瞬だけ、美しい青の光に包まれる。
「……お、おお……」
セテスが言葉にならない、うめきとも叫びともつかぬ声を上げる。膝の上にいたリスギツネの耳がピンと立ち、そして身を起こすと、他のリスギツネたちと同じようにトラックの荷台に突撃していった。クラルさんがホッとしたように微笑む。
「……おお、おおおおおおおぉぉぉぉーーーーーーっっっ!!!」
セテスの叫びは徐々に大きくなり、その目からはとめどなく涙があふれる。リスギツネたちが心配そうに顔を上げ、セテスの許に駆け寄って身を寄せた。リスギツネたちがどれほど食べても余るほどのリュネーの花を見つめて、セテスはずっと、泣き続けた。
そしてリュネーの花をたくさん食べたリスギツネは巨大化し、周辺の山々を統べるヌシとしてこの地に君臨した、ということです。




