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禍根

 存在しない部屋、と呼ばれる部屋は、すり鉢を半分に割ったような奇妙な構造をしていた。すり鉢のふちに当たる部分には等間隔に十個の椅子が置かれ、それぞれに座っている男たちはすり鉢の底を値踏みするように見下ろしている。十席ある、ということは、ここに座っている男たちがケテルの評議会議員なのだろう。議長だけでなく議員全員がこの場にいるということか。各席の後ろには、それぞれの議員の秘書か腹心か、という感じの人が控えている。……あれ? 正面に座る男の後ろにいるの、コメルじゃない? なんでこんなところにいんの? それとも人違い? にしては、似すぎてるような。

 すり鉢の底には、まるで裁判の被告席のように椅子が置かれていた。トラックは椅子には座れないので、椅子を一つ脇に移動させ、被告席の真ん中に陣取っている。剣士はトラックの右に、セシリアは左にそれぞれ椅子を置いて座っていた。イャートはトラック達からは少し離れた位置に椅子を用意したようだ。さしずめ弁護士か検察官といった位置づけだろうか。

 イャートはご褒美タイム、と言っていたが、部屋の中の雰囲気は和やかさとは程遠い、どこか威圧的な居心地の悪さがある。装飾も色彩もない無機質なこの部屋は、一介の冒険者に過ぎないトラック達が評議会議長に会うこと自体が、本来ありえないのだと言わんばかりだ。冷たい空気が満ちる中、トラック達の正面にいる壮年の男が声を上げた。


「始めよう」


 他の全ての議員が同意するようにうなずく。どうやら開始を宣言したこの男がケテルの最高権力者、評議会議長、ということのようだ。


「議長のルゼ・バーラハだ。この度の君たちの活躍は、そこにいるイャートから聞いている。ケテルの宿痾を除くその働き、見事だった。聞けば君たちはくだんのマフィアどもが関わった数々の事件の解決にも寄与していたらしいな。ケテルを代表する者として、改めて礼を言おう。ご苦労だった」


 背筋を伸ばし、にこりともせずにルゼ議長は淡々と告げる。黒髪黒目、きれいに整えられたひげを蓄えた細面は、その口調とあいまってひどく冷たい印象を与えていた。うーむ、これがイーリィの父親とは、似ても似つかないなぁ。議長の言葉を引き取り、左隣に座っていた初老の男が口を開いた。


「ケテルは君たちの功績に対し、最大限の敬意を以て報いる用意がある。いかなる望みも叶えられよう。さあ、己の望みを口にするがよい」


 見事なグレイヘアーのその男は、キツネのように細い目をして柔和な笑みを浮かべている。だがその笑みはなんとなく油断ならない老獪さを感じさせた。議長の隣という席次、発言の順番や内容を考えると、おそらくこの男は副議長というところだろう。副議長の今の言葉を聞いて、俺はイャートの発言に納得した。イャートが部屋に入る前に「身の程を弁えて褒美を受けろ」と言ったのは、「いかなる望みも叶えられる」という副議長の言葉を真に受けるな、という意味だったのだ。『なんでも望みを言え』と言った以上、評議会が、というかケテルがその願いを叶えられなければ、評議会の名に傷が付く。そこそこの褒美を求めて、その要求をまるっと叶えたという体裁を与えて、評議会の面子を立てろということなのだろう。

 プァン、とトラックがクラクションを鳴らす。評議員たちがざわめき、副議長が眉をひそめた。議長だけは表情を変えずにトラックを見下ろしている。


「いかなる望みも、と言ったはずだ。もちろん、およそ不可能なことはこの世にあるが、そんなものを望んでも詮無きことは理解しておろう」


 トラックはプァン? と懐疑的なクラクションを返した。評議員たちが気色ばみ、怒りの視線をトラックに向ける。立ち上がろうとした評議員たちを手で制し、副議長は鋭くトラックをにらみつけた。


「くどい。お前は評議会を、ケテルを侮辱するのか? 功績に報いてやろうと思うがゆえに、我々は時間を割いてここに集まったのだ。褒美が不要というなら今すぐに立ち去るがいい」


 プォンプォン、とトラックは慌てたようなクラクションを返す。剣士とセシリアが、トラックの真意を測るようにキャビンを見上げた。トラックの返事に留飲を下げたのか、評議員たちは「最初から素直にしていればよいのだ」とつぶやいて怒りを収めた。ふん、と小さく鼻を鳴らし、副議長は口を結ぶ。トラックは咳払いでもするように小さくクラクションを鳴らすと、少し間を空けて、冷静に、はっきりと、部屋全体に響き渡るようにクラクションを鳴らした。

 そして、部屋に沈黙が降る。




 評議員たちは、議長を除いて一様に呆気にとられた顔をしている。イャートは思わず、といった様子で椅子から立ち上がった。椅子の足がギギッと床をこする。剣士とセシリアも一瞬だけ驚いた表情になったが、すぐにトラックの意図を察したのだろう、剣士は苦笑し、セシリアは微笑みを浮かべた。トラックは平然として、特に何のアクションもせずに停車している、と、思う。たぶん。


「ガトリン一家、全員(・・)の、助命?」


 うわごとのように副議長がつぶやく。トラックの言ったことが現実に発せられた言葉なのか、もしや幻聴ではないかと、そう自分を疑っている感じだ。生粋の商人である彼にとって、トラックの発言はそれほど想定外だったのだろう。自分が潰したマフィアの助命を求めるなんて、矛盾だと思っているのかもしれない。


「自分が、何を言っているのか、分かっているのか!」


 副議長のうわごとで呪縛を解かれたように、イャートが鋭い怒りをトラックに向けて叫んだ。対するトラックは落ち着いた様子でクラクションを返す。ふざけるな、とばかりにイャートが大きく腕を振った。


「そんな望みは受け入れられない! ガトリン一家は正当な根拠もなくケテルの一街区を支配し、搾取し、殺し、壊してきたんだぞ!? 奴らを野放しにして、どうして南東街区に秩序を取り戻せるというんだ!」


 意外なほどにイャートは動揺しているらしく、ひどい剣幕でトラックに詰め寄った。トラックの望みが彼にとってこうも都合の悪いものになるとは考えていなかったのだろう。イャートの信じる理想が、トラックによって阻まれようとしてる、その焦りが強い怒りとして現れているようだった。トラックはあくまで冷静にクラクションを返す。


「っ! ……それは、……」


 痛いところを突かれた、というように、イャートが顔をゆがめ、声のトーンを落とした。しかしすぐに小さく首を振り、反論する。


「……南東街区を放置していたわけじゃない! 情報収集は常にしていたし、打開策を模索していた!」


 プァン、と再度トラックがクラクションを返す。イャートはギリギリと奥歯を噛み、トラックを憎らしげににらんだ。


「……時間が、かかったことは認めよう。我々がもっと早く南東街区からマフィアを駆逐していれば、被害者になる者も加害者になる者もずっと少なくて済んだ。それは君の言うとおりだ。だが!」


 イャートは大きく息を吸うと、叩きつけるようにトラックに言った。


「適切な刑罰の執行を以て初めて、社会は罪の終わりを受容する。罰せられたから、社会がそれを罪だと断じたから、そう無理やり納得して被害者やその関係者は未来へと踏み出すんだ! 誰も責めを負わないということは、踏みにじられた人々に対して『お前は踏みにじられても仕方がない』と言うに等しい! 君がやろうとしていることは被害者を二重に苦しめる暴挙だ! 南東街区に秩序を取り戻す、その始まりに秩序を蔑ろにするなど絶対に許されない!!」


 目を血走らせ、イャートはフーフーと荒く息を吐く。ここまで感情的になったイャートを初めて見たような気がする。評議員たちは気圧されたように無言でイャートとトラックを見ている。議長だけは、相変わらず表情を変えていなかった。

 トラックはイャートの視線を受け止めるようにしばし沈黙し、そしてクラクションを返した。イャートがトラックの目の前まで進み出て、くっつきそうな距離でにらみ上げる。


「……生まれも、環境も、言い訳にはならない。同じ状況に置かれて、すべての者が同じことをするわけじゃない。結局は当人の選択だ! 奪い、殺すことを選択した者は等しく罰せられなければならない! 公正であるとはそういうことだ! 秩序とはそういうものだ!」


――プァン!!


 今までずっと冷静だったトラックのクラクションが、イャートの怒声をかき消すほどの大音量で部屋に響いた。イャートはトラックの説得を諦め、一縷の望みを賭けて剣士とセシリアに言った。


「他の二人はどうなんだ? 君たちに望むものは無いのか?」

「私たちの望みは、トラックさんと同じです」


 セシリアは首を横に振り、剣士はセシリアに同意するようにうなずく。イャートは奥歯を噛み締め、くぐもった声で言った。


「……考えを変えるつもりは、ないようだな」


 引くつもりはないのか、イャートは怒りの双眸をトラックに注ぐ。トラックも怯む様子はなく、両者は至近距離でバチバチと火花を散らし、重苦しい静寂が部屋を包んだ。しかしその静寂はすぐに、ある人物によって破られた。


「いいだろう。お前の望み、叶えよう」


 その場の全員が一斉に発言者――議長を振り返る。イャートは絶望的な顔で目を見開いた。議長は淡々と告げる。


「不可能なこと以外、いかなる望みも叶えると言った。そして彼の要求は不可能なことではない。ならば我々は彼の望みを叶えねばならない。それだけの話だ」

「お、お待ちください議長!」


 副議長が慌てて議長を制止する。


「マフィアどもを許したとなれば、ケテルの民は混乱いたしましょう! イャートの言う通り、正しき裁きが行われてこそ人々は安心を得るのです! マフィアどもを救ってケテルの不安と不満を助長するなど本末転倒ではありませんか! マフィアどもは一人残らず処刑すべきです!」


 唾を飛ばし、強い口調で主張する副議長の様子に、イャートが訝しげな表情を浮かべた。数人の評議員も同じように、不可解な、という顔をしている。議長は相変わらず無表情で副議長を見遣った。


「珍しいなグラハム。自由派の筆頭が衛士隊を擁護するのか?」


 グラハムと呼ばれた副議長は、かすかに目元をピクリと動かすと、冷静さを取り戻したのか、表情を消して軽く頭を下げた。


「共にケテルに生きる者として、ケテルの未来をより良きものとする意志は我らも衛士隊も変わりございません。正しきは正しいと、そう申し上げたまで」


 議長はふんっとつまらなさそうに鼻を鳴らすと、視線をトラックに戻した。


「お前が求めるのは実利だ。そうだな、トラックとやら」


 トラックはプァンと議長の問いに答える。議長は満足そうにうなずいた。


「ケテルの民には、南東街区のマフィアが関与した事件とその解決、そしてマフィアを掃討したことを公表する。マフィアの幹部以上の者は処刑して首を中央広場に晒す」


 プァンとトラックが口を挟み、議長の発言を遮る。議長はサッと右手を出してトラックを制し、言葉を続けた。


「首を晒すのは別人だ。死刑囚の中から年恰好の似たものを選び、身代わりとする。どうせ死刑になる者たちだ。問題あるまい」


 議長は是非を問うように副議長を振り返った。副議長は目をさまよわせながら、すぐには同意できないと言うように「いや、しかし……」と口をもごもごさせている。議長は副議長をしばし見ていたが、やがて殊更に冷たい口調で言った。


「何か、副議長にはマフィアどもがこの世にいては困る理由がおありかな?」


 落ち着かなそうに視線を動かしていた副議長は、その言葉に反応して議長を見つめ返した。そして目線を外さぬまま小さく首を横に振り、言った。


「滅相も無きこと」


 議長は鷹揚にうなずき、今度は正面を向いて皆に聞こえるように言った。


「マフィアは壊滅し、事件は解決した。民衆に必要なのはその事実のみだ。晒された首が本当に当人のものかなど知らしめる必要はない」

「……議長の仰せの通りに」


 副議長が追従のように宣言する。他の議員たちもそれにならい、一斉に「議長の仰せの通りに」と続いた。どうやら話は決まったようだ。なんか、とてつもなく黒い感じだけど。ケテルの暗黒面を覗いた感じだけど。改めてケテルが商人の、評議会議員のものだということをまざまざと見せつけられた気がする。


「お待ちください!」


 まとまった感のある場の空気を振り払うように、部屋にイャートの声が響く。議員たちが眉をひそめてイャートを見下ろした。イャートは必死の形相で叫ぶ。


「罪を犯しながら罰を免れる者を認めては、法は形骸化し、人々は法への信頼を失います! たとえ今、人々にその事実を秘することができたとしても、やがて秘密は綻びましょう! そのときになってからでは遅いのです! どうか、ご再考を――」

「イャート」


 議長の冷淡な声がイャートの言葉を遮る。イャートはすがるような目で議長を見上げた。議長は何も感じていないという表情で言った。


「お前は自分が今の地位にいることのできる理由を、考えたほうが良いな」


 イャートがハッと息を飲む。そして固く目を瞑り、ガックリとうなだれた。もはや裁定を覆す術がないことを悟ったのだろう。議長はイャートが諦めたことを見て取り、淡々と閉会を告げる。


「お前たちの望みは叶えられるだろう。以後も変わらぬケテルへの献身を期待する」


 議員たちが議長に頭を下げ、議長が席を立った。セシリアと剣士が安どの息を吐く。議長が出口の扉へ向かって歩き出し、議員たちが付き従うように後ろに続いた。ちなみに議員たちが使う出入り口はトラック達が入ってきたものとは別の、彼らがいたのと同じ高さにある扉だ。退出の直前、議長は振り返り、トラックに言った。


「今回のことで、お前はどんな利益を得る?」


 トラックがプァンとクラクションを返す。議長は「ふむ」と何か考えるように中空を見上げ、再度トラックに向けて言った。


「お前を動かすのが『気分』であるとしても、表向きは金か地位を望んでおけ。世俗の価値を求めぬ者は理解されぬ。いかなる種族であろうと、理解できぬものは受け入れるより排除しようとするものだ」


 議長はトラックの返事を待たず、もう興味を失ったかのように背を向けて退出した。他の議員もぞろぞろと部屋を出る。最後尾にいた副議長は、一瞬だけトラックに目を向けると、足早に去って行った。なんか怖い顔していた気がする。トラックの態度が気に入らなかったんだろうか。


「私たちも、帰りましょう」


 セシリアがトラック達に声を掛け、三人は振り返って出入り口へと向かう。打ちひしがれていたイャートが顔を上げた。


「……君は、ケテルの未来に禍根を残したぞ、トラック――!!」


 イャートの鳶色の瞳が、昏い憎しみを湛えてトラック達の後ろ姿を見送っていた。

自分の部屋に戻り、コメルは鏡を見ながら独り言ちました。

「せっかくの出番だったのに、セリフなかった……」

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― 新着の感想 ―
[一言] >「せっかくの出番だったのに、セリフなかった……」 これはマジで言ってそうwwww そしてこの議長の大物感( ˘ω˘ ) こういうキャラすこ( ˘ω˘ )
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