要求
赤々とかがり火が焚かれ、周囲はものものしい雰囲気に包まれている。ガトリン一家のアジトの周囲は大勢の人間によって取り囲まれ、一人も逃がさぬようにと厳重に封鎖されている。アジトの入り口の前にはマスターとイャートが並び、じっと建物をにらんでいた。時折、中から構成員が飛び出しては冒険者や衛士隊に取り押さえられ、あるいは両手を上げて投降の意を示して自ら拘束されている。しかしマスターとイャートが待っているのはこんな下っ端の姿ではない。
破壊された玄関の奥から、聞き慣れたエンジン音が聞こえる。音は徐々に大きくなり、やがてトラックが姿を現した。トラックの脇にはセシリアと剣士の姿もある。
「トラック!」
マスターが少し表情を緩め、トラックに駆け寄った。セシリアが驚いた様子で「どうしてここに?」とマスターに尋ねる。マスターはちらっと剣士に視線を遣ると、すぐにセシリアに顔を向けた。
「どこぞのおせっかいに頼まれてな」
剣士がふっと視線の向きを変えた。お、なに? 剣士、なんかしたの?
「お前さんたちが突入した直後から、このアジトの周囲は完全に封鎖してある。猫の子一匹逃がしちゃいねぇが――」
マスターはトラックを見上げ、わずかな心配を滲ませた表情を作った。
「――首尾は、どうだ?」
トラックはプァンと素っ気なくクラクションを返すと、右のウィングを開いた。アルミバンの中にはボスと、ヘルワーズと、そしてヘルワーズの部下たちが気絶した状態で横たわっている。マスターは安堵の長いため息を吐いた。
「……ほんとに、やっちまうとはな。大したもんだ、お前さんたちは」
「まったくだ。君たちは本当に、何をやらかすか分からなくて面白いねぇ」
にこにこと楽しげな笑みを浮かべ、イャートがトラックに近付く。剣士が皮肉げに口の端を上げた。
「あんたの筋書き通りじゃないか?」
イャートは心外だとばかり肩をすくめた。
「とんでもない。事前に話を通してくれたおかげで、こっちも好きに動けなくなっちゃった。僕は君たちを英雄にしてあげようと思っていたんだけどね」
「死んだ英雄に、だろう?」
乾いた瞳の剣士に含みのある表情で応えた後、イャートはわざとらしく困った顔を作った。
「そういじめないでよ。僕らは敵じゃない。少なくとも、今はね」
降参、と言いながらイャートは軽く両手を上げる。剣士は不快そうに顔をしかめた。その真意を測るように、セシリアは無表情でイャートを見つめている。トラックは、まあ相変わらず何を考えているか分からないが、一応イャートの方を向いている。
おそらく、なんだけど、イャートはトラック達を試したんじゃないだろうか。ルーグの情報を冒険者ギルドに伝え、追い詰められた状態でトラック達がどう動くのか。もし何も考えずに暴れるだけなら、それまで。漁夫の利を得てマフィアもトラック達も処断する。だがもし根回しや下準備をして、自分たちの生き残る道を用意するだけの周到さがみられるなら、トラック達にはこれからも利用価値がある。使い捨てるか、再利用するために残すか。どちらにしても衛士隊に損はない状況で、イャートはトラック達を見極めようとしていたのだ。そしてたぶん、今回は『残す』ことにしたのだろう。
イャートは自らに向けられた視線を意に介さず、荷台に近付いて中をのぞきこんだ。
「こいつらは衛士隊が引き取ろう。聞かなきゃならないことは山ほどある」
こらえきれない笑みがこぼれるイャートの目の前で、トラックがバタンとウィングを閉じた。イャートが慌てて抗議の声を上げる。
「ちょっとちょっと、それはないでしょ。だいたい、冒険者ギルドには罪人を拘留できるような施設はないじゃない。君たちにはこいつらを囲う能力も、メリットも無いよ」
イャートの言葉にマスターが少しだけ眉をひそめた。トラックはイャートにプァンとクラクションを鳴らす。イャートは意外そうに目を丸くした。
「褒美、が、欲しい?」
剣士、セシリア、そしてマスターも、驚いたようにトラックを見つめる。かくいう俺も驚いた。うーん、でも、確かにトラックは今、結構な金欠である。南東街区でサバみそ定食を配りまくった際に貯蓄の大半が消えてしまったのだ。今回は頑張ったのだから、褒美が欲しいというのも分からんではない。まあ、トラックに金の使い道があるのかというと、ない気がするんだけど。イャートはニッと少し意地の悪い顔で笑った。
「へぇ。そういうのには興味が無いと思っていたけど、意外に俗っぽいんだねぇ。結構結構。ケテルじゃ欲のない奴は信用されないんだ。君もようやくケテルの流儀に染まってきたってことかな?」
トラックは素っ気ないクラクションを返す。イャートはふむ、とアゴに手を当てて何か考えるような仕草をした。
「獣人売買、詐欺、人身売買。細かいものを含めればもっとあるけど、ここしばらくケテルを騒がせていた事件の大半はガトリン一家が絡んでる。まあ証拠はこれから当人たちに自白させるんだけど、区切りをつけるにはいいタイミングかもしれないね」
ケテルを襲った数々の事件は、少なからず人々に、特に商人ギルドの内部に動揺を与えている。事件に共通しているのは、犯罪に加担した者たちが正規の商人ギルドメンバーだったことで、獣人売買では他種族の信頼を失いかねない事態を招き、詐欺事件で商人ギルド内に生まれた波紋は人身売買事件に至ってギルド内の自由派と良識派の対立にまで発展している。
イャートはおそらく、ガトリン一家壊滅の機を捉えて、ケテルに生じた動揺を終わらせたいのだろう。ガトリン一家を生贄として、あらゆる問題は解決されたのだと人々に示そうとしているのだ。『犯人』が提示され、処断されることで初めて日常が取り戻される。褒美を与える、というのもその、言わば儀式の一環として必要なのだろう。結末を迎えたからこそ褒賞も与えられる。終わりを印象付けるための演出であり、商人ギルドにとっては権威を示す場となり、イャートにとっては商人ギルドに恩を売りつける得難い機会になる。
イャートは表情を改めると、トラックを見上げて言った。
「会ってみるかい? この町の最高権力者に」
北部街区の中心には、ケテルの最終的な意思決定が為される、まさにケテルの中心と言うべき建物がある。評議会館、という素っ気ない名で呼ばれるその場所は、商人ギルドの本部に併設された巨大な建造物で、大理石を惜しげもなく使った白亜の城だ。壁面から柱の一本に至るまでドワーフの手になる精緻な彫刻が施され、建物そのものがひとつの芸術品と言って差し支えない。調度はエルフの技術の粋を集めた、しかし木の手触りを感じられる格調高い木工で統一され、華やかさと品の良さを見事に両立させている。初めて見た者なら誰もが、その荘厳さに圧倒され、そしてケテルという町の財力にため息を吐く。そんな場所だ。
事件解決の褒賞を要求したトラックは、イャートから評議会議長との面会を約束されたことでガトリン一家のボスとヘルワーズたちを引き渡した。ガトリン一家の他の連中も、アジトにいた奴らはことごとく拘束され、衛士隊に引き渡されることになった。実はガトリン一家の連中は衛士隊に拘束される根拠なんてないんだけど、そこのところは誰も問わないらしい。叩けばいくらでもホコリの出る連中だから逮捕の理由などいくらでも後付できると思っているのかもしれないが、法の支配と言う割にイャートはしょっちゅう法を逸脱している気がする。
夜が明け、南東街区は奇妙な静寂に包まれた。ガトリン一家壊滅の空隙を別のマフィアが埋めないよう、衛士隊と冒険者ギルドの調査部が街の要所に配置され、人々の動きに目を光らせる。イャートは今後の南東街区の管理を衛士隊が行うと主張し、マスターに冒険者ギルドの撤収を求めたが、マスターはピシャリとそれを断ったようだ。
「今回の件に関して、衛士隊の功績は何もないってことを忘れてもらっちゃ困る。そっちに話を伝えたのは義理を通したにすぎん。文句があるならウチだけでやらせてもらうぜ」
元Sランク冒険者の迫力に負けたのか、イャートは思ったよりあっさりと引き下がった。ここで主導権争いをしても得るものがないと、思考を切り替えたのだろう。南東街区の新しい秩序の構築は長い道程だ。おそらくイャートは冒険者ギルドから主導権を奪う方法をこれからじっくり考えるつもりなのだ。
ちなみにギルドの調査部はこの件に人員を総動員していて、そのためルーグへの審問は一時中断している。それはたぶんマスターの計らいなのだろう。南東街区が落ち着くまで、しばらくの間はルーグの安全が確保された形だ。もっともそれがいつまで続くのかはわからないが。
トラック達はそのまま、ざわつく南東街区に留まり、混乱が起きないよう各所を巡回していた。もっとも南東街区の住人たちはじっと息を潜めて家にこもり、外の様子に目を凝らしている。彼らは見極めようとしているのだ。南東街区の新たな支配者が誰になるのか、ということを。まとわりつく視線を感じながら、トラックは道を走っていた。
イャートは一度部下に現場を任せ、南東街区を離れた。ガトリン一家の、アジトから出払っていた残党が騒ぎを起こしたりもして、慌ただしく一日が過ぎていく。イャートが戻ってきたのは翌日の昼前のことだった。
「待たせたね。お望みのご褒美タイムだよ」
イャートに案内され、トラック達は北部街区の評議会館に向かった。
評議会館には、『総会』と呼ばれる商人ギルドメンバーが全て集まって行われる会議を開くための『大会議場』、十人の評議員がケテルのあらゆる政策を話し合う『第一会議室』、様々な政策の実務を担当する専門部会の担当者が使う『部会協議室』といった、大小さまざまな部屋がある。それぞれの部屋にはケテルの行政を担う多くの職員が忙しく出入りしていて、どこかしらピリピリとした雰囲気に包まれていた。職員の大半は商人ギルドからの出向組で、実質的に評議会と商人ギルドは一体だと言ってよいらしい。そんなイャートの説明を聞きながら、トラック達は案内されるままに廊下を進んでいた。
評議会館に到着したトラック達は、入念なボディチェックの後、武器を取り上げられた上で中へと通された。すれ違う職員たちがちらちらと訝しげな視線をトラック達に向ける。まあ、トラック達の場違い感ハンパないので、無理からぬことかな。剣士は少し居心地の悪そうな顔をしているが、セシリアは堂々と背筋を伸ばして歩いていた。トラックは、何を考えているか分からないが、特に普段と変わらずにいるようだ。
やがて一行の前に、分厚い鉄の扉が現れた。威圧感を与えるためか、豪奢な評議会館にあってこの扉はなんの装飾もない、取っ手がある以外はただの鉄の塊、というような見た目をしている。扉の上にはやはり鉄でできた、部屋の名称を表すプレートがあった。
「ここは『存在しない部屋』。この中での出来事はすべて存在しない。記録に残ることもない。この中に入って出てこなかった者は、最初から存在しなかった。覚悟はいいかい?」
イャートは半分挑発するように、半分は真剣に、トラック達を見渡した。セシリアが不快そうに顔をしかめる。
「私たちは褒賞を受けるために来たはずでは?」
「君たちが身の程を弁えていれば、問題は起こらないよ」
セシリアの非難をイャートは平然と受け止める。イャートは釘を刺したのだ。欲をかけば身を亡ぼす。度を越した要求をすれば『消される』こともある、と。評議会議長が面会にこの部屋を指定したのは、その可能性を考えているからなのだ。
トラックがプァンとクラクションを鳴らす。セシリアは憤りを抑えるように口を閉ざした。剣士が軽くため息を吐く。イャートが少し笑って、扉に手を掛けた。
「無事に部屋を出られるよう、せいぜい気を付けることだ」
イャートは手に力を込め、ゆっくりと扉を引く。重いものを引きずる軋んだ音を立てて、『存在しない部屋』の扉が開いた。
開かれた扉の向こうにあったのは、無機質な白い壁でした。剣士は驚愕と共につぶやきます。
「た、確かに、部屋が、存在しない」




